ノート:七里の渡し

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「十里の渡し」からの流用記事[編集]

七里の渡しのページに「十里の渡し」に関する解説が大量に流用、加筆されていますが、内容的に多くの問題があります。十里の渡しの記述をそのまま流用しても、七里の渡しに関する解説になるとはかぎりません。

加筆内容に多数の疑義がありますので、議論の前提として以下についてお答え下さい。なお、回答には、可能なかぎり根拠となる出典も示していただきますようお願います。

  1. 「脇海道」とは何ですか?また、「十里の渡し」がその「脇海道」であることはどのような出典で示されているのでしょうか?さらに「十里の渡し」の記事では、「東海道唯一の脇海道」と書き込んでいますが、どのような出典に拠るものでしょうか?
  2. 「中期にかけては次第に利用者も七里の渡しを避けた」ことが、「運賃にさほど差がなかった事や宿に金を落とさせるために七里の渡しがしばしば昼前には運航を中止した事など」が理由となっているそうですが、どのような出典を根拠としているのでしょうか?
  3. 「そのため、四日市宿に利用者を奪われる形となった桑名宿が訴える形でしばしば争いが起こっている。(訴えに根拠がないとしてすべて桑名宿側が敗訴している)」という文章はどのような理由で「七里の渡し」の解説になっているのでしょうか?また、「すべて桑名宿側が敗訴している」という記述はどのような出典に拠るものでしょうか?
  4. 本来は、「江戸中期以降に競合する航路があった」という1行で済むはずで、実際、一般の百科事典のではそのように扱われています。「十里の渡し」の解説が、概要の半分ちかくを占めるような分量で加えられており、メイントピックの位置づけになっています。そのため、「七里の渡し」の解説記事としてバランスを欠くものになっています。「十里の渡し」の観点からは、「七里の渡し」との競合は、重要なトピックとなり得ますが、「七里の渡し」の観点からは江戸中後期、一時期の現象にすぎません。「七里の渡し」においても競合がメイントピックとなりうる根拠をお示しください。また、バランスがとれていると考えるのであればその根拠をお示しください。
  5. 「1742年(享保2年)に桑名宿から道中奉行へ提出された願書によると、公用及び諸大名の通行には七里の渡しの利用されていた(公用や諸大名は七里の渡しが義務付けられていた)が、一般大衆は大部分が四日市渡(十里の渡し)を利用していたという。」の文章は、他と同様に「十里の渡し」からのコピーで、「七里の渡し」の概要で多くの分量を占めていますが、この文章が七里の渡しの解説として主要な役割を果たす理由をお示しください。
  6. 十里の渡しの解説と同様の内容を大量に書き込んでいますが、リンク先参照ですむものをわざわざコピーしておかなければならない必然性は何でしょうか?

とりあえず以上について回答をお願いします。--Asura2007 2011年7月21日 (木) 16:57 (UTC)[返信]


1.「脇海道」とは東海道など主要街道に対する海の脇道の事(陸路の場合、宮宿-桑名宿間の佐屋街道など)です。東海道に対して幕府が認めた東海道の海の脇道です。他に東海堂で幕府に認められた海の街道は有りませんのでこれが唯一である事は明らかです。文献は忘失ですが十里の渡しが海道であった事は四日市市史第10巻等で明白です。(七里の渡しを東海道唯一の海道と表記している
2.四日市市史第10巻、当時の旅行記録など。ネット上では立命館大学 三重のお宝 東海道 伊勢街道 四日市・日永など。
3.同上。
4.本来は、「江戸中期以降に競合する航路があった」という1行で済むはずで、実際、一般の百科事典ではそのように扱われています。とはどう言う事でしょうか?方針とガイドラインにはウィキペディアの目的は、信頼されるフリーな百科事典を――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げることです。--となっており、一般の百科事典程度の記述を求められていません。それにあなた自身が普段、ウィキペディアに一般の百科事典以上の事を書き込んでいます。貴方が普段やっている事と全く矛盾しています。
「十里の渡し」の観点からは、「七里の渡し」との競合は、重要なトピックとなり得ますが、「七里の渡し」の観点からは江戸中後期、一時期の現象にすぎません。「七里の渡し」においても競合がメイントピックとなりうる根拠をお示しください。とはどう言う事ですか?七里の渡しが開設された江戸時代の半分以上の期間を占め、「七里の渡し」の利用者の半分以上が十里の渡しに奪われていて、重要なトピックでもなければ一時期の現象という貴方の主張の方がおかしいです。度々、訴えがあったと言う事は桑名宿にとっても繁栄に関わる重大な事項であった事の表れでもあります。それが重要なトピックにならないというのであればその理由を書いてください。争いについては必要かつ十分な量の書き込みです。これを削ればどのようなものだったか中身がよく判らなくなります。量がバランスを欠いていると言うのであれば争いについて1項目を与えるか他の事について記述を加えればいいだけです。
5.「七里の渡し」「十里の渡し」ともに宿の繁栄に関わる重要な事項だからです。
6.同上。それにあなたも度々、他の項目でリンク先参照ですむものをわざわざ同じ内容を書いています。貴方が普段やっている事と全く矛盾しています。


Asura2007 あなたが最初にこちらの書き込みを差し戻した時、理由を明確にしてません。またノートに理由を書き込んでからも10日もしないうちに荒らし行為として差し戻しています。
そもそも「十里の渡し、争」で検索すればそれが事実である事はいくつか結果が出る事で明らかです。その様な簡単な事もせず、疑義を付け、さらに10日もしないうちにこちらの書き込みを荒らし行為として差し戻すとはどう言う事でしょか? あなたはこちらが書き込んだ他の項目でも理由の明示もなく差し戻しています。これはウィキぺディアのHelp:以前の版にページを戻す方法に反しています。のみならず、こちらに対し、利用者ノートに荒らし行為タグを貼り付けるとはどういう事でしょうか?自分が気に喰わない記事が書き込まれたからと言って荒らし行為タグを貼ってウィキペディアの編集行為を断念させる様な行為は止めてください。貴方が行っている行為そのものが荒らし行為です。--220.209.5.193 2011年8月8日 (月) 00:33 (UTC)[返信]

残念ながら疑義の念が深まりました。引き続き、議論の前提となる1-6の確認を行いたいと思います。

合意の形成は、おおむね1週間程度、様子をみるとされていますので、10日程度待つことに問題はないと思われます。まして、自ら「記述内容に問題があるとして差し戻すならその前にノートに根拠を示して議論を行ってください。」と主張しながら、回答すらしなかったことを考慮すれば、議論を拒否して荒らし行為を行なっているととられても仕方のないことだと思われます。

  1. 当方が調べたところ、「脇街道」、「海道」という言葉は辞典に掲載されていますが、「脇海道」という言葉が掲載されていることは確認できませんでした。もちろん、貴殿が「十里の渡し」の定義として第一義的に使用しているものですので、亡失ではすまされません。さらに幕府が認めないと「脇海道」とはならない旨を主張しているようですが、そのようなことが確認できる文献が見当たらないようです。検証可能な文献をお示しください。貴殿の独自の解釈の披露では、回答として、検証可能性の観点から不十分です。なお、「七里の渡し」や「十里の渡し」が「海道」であることを主張しても意味はありません。
    控えめに言っても、そのような意味で用いられる「脇海道」は日本語として定着していないと思われます。実際、信頼のおけるウェブサイト上で、そのような語をそのような意味で使用しているのは見かけないようです。見かけるのは「脇街道」の誤変換か人名としての使用がほとんどのようです。信頼のおける文献上で、そのような語が定着したものとして使われている根拠をお示しください。十里の渡しが「海道」ではなく、「脇海道」として認識されている根拠を文献をもってお示しください。独自研究の疑いがあります。
  2. 貴殿の示したネット上の文献には、「運賃にさほど差がなかった事や宿に金を落とさせるために七里の渡しがしばしば昼前には運航を中止した事など」が理由となるとは書かれていないようです。お示しいただいたネット文献中のどの文章がこの理由に相当するのかご説明ください。また、四日市市史第10巻では何ページにどのような文章で記載されているのでしょうか。貴殿の主張する「十里の渡し、争」による検索では、簡単には見つからないようです。
    ちなみに、「伊勢街道 四日市・日永」は個人のページのようですが、作者はどなたでしょうか。出典として文中で使用するに足る信頼性、根拠があるのでしょうか。
  3. 「同上。」では答になっておりません。2.の回答は、単に文献を示しているだけです。「そのため、四日市宿に利用者を奪われる形となった桑名宿が訴える形でしばしば争いが起こっている。(訴えに根拠がないとしてすべて桑名宿側が敗訴している)」という文章はどのような理由で「七里の渡し」の解説になっているのか、改めてご説明下さい。これは桑名宿と四日市宿の争いの話であって、「七里の渡し」は何であるかを解説する主題ではなく、副次的なものとなると思われますが。
  4. > ウィキペディアの目的は、信頼されるフリーな百科事典を――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げることです。--となっており、一般の百科事典程度の記述を求められていません。
    勘違いがあるように思われます。その観点から言えば、貴殿の加筆によって百科事典としての質が落ちたことが、現在、問題になっているということになります。ウィキペディアはオンラインになろうとも、百科事典の範疇を外れることを志向しているわけでありません。ウィキペディアは何であるのかについて再確認をして下さい。少なくとも質的に、一般の百科事典程度の記述であることが必要とされています。このページは「七里の渡し」ついての解説を、一般に認識されている方向でまとめることが基本となっています。それゆえ、適切な分量で適切な情報を配置することに配慮することに問題はありません。「七里の渡し」とは何なのか、さらに「概要」とは何を意味し、何を書くところなのかを、もう一度ご確認ください。
    >七里の渡しが開設された江戸時代の半分以上の期間を占め、「七里の渡し」の利用者の半分以上が十里の渡しに奪われていて、重要なトピックでもなければ一時期の現象という貴方の主張の方がおかしいです。度々、訴えがあったと言う事は桑名宿にとっても繁栄に関わる重大な事項であった事の表れでもあります。それが重要なトピックにならないというのであればその理由を書いてください。
    これらの内容が、「七里の渡し」の百科事典としての解説の主題とはなっていないからです。これらは「七里の渡し」の歴史に関する1エピソードにすぎません。仮に併存期間が江戸時代全期になったとしても特に変わりはないと考えられます。また、桑名宿の繁栄は住民にとっては死活問題であっても、「七里の渡し」は何であるかという観点からは、あくまで副次的な影響であって、主題を超えるものではありません。
    >争いについては必要かつ十分な量の書き込みです。これを削ればどのようなものだったか中身がよく判らなくなります。量がバランスを欠いていると言うのであれば争いについて1項目を与えるか他の事について記述を加えればいいだけです。
    少なくとも、これらの記述が、必要かつ十分な量の書き込みではないことは、既存の百科事典で簡潔な記述となっていることから既に示されています。バランスの観点を含めて、問題のある記述をどう変更するのか議論し、対処することに問題はないと考えられます。
  5. >「七里の渡し」「十里の渡し」ともに宿の繁栄に関わる重要な事項だからです。
    宿の繁栄は「七里の渡し」の解説の主題ではなく、副次的な影響と考えられるためです。四日市宿の記述となれば、さらに主題からは遠い内容となります。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではなく、単に有用であるというだけでは、百科事典に適した内容にはならないことを再確認して下さい。
  6. >同上。
    主題を中心としたバランスのとれた記述となるように努めることが必要です。ウィキペディアは独自の考えを発表する場でもなく、演説台でもないことを再確認して下さい。

とりあえず以上について回答をお願いします。--Asura2007 2011年8月14日 (日) 22:28 (UTC)[返信]


結局、いつもと同様に、議論放棄による逃亡となったようです。最近は、出典情報までも偽るようになり、ますます悪質化しているようです。荒らしと認定せざるを得ません。今後のためにも対策を考える必要があるようです。
いずれにせよ、今回、IP:61.210.231.28会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois、および、IP:220.209.5.193会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisを用いて行われた加筆内容は、虚偽、創作、害意を含み、ウィキペディアの内容として不適格ということを本件の結論としたいと思います。書くまでもないことですが、ノートでの議論・合意形成なく、今回の内容や、それに類する内容の加筆はできないことになります。--Asura2007 2011年8月26日 (金) 19:26 (UTC)[返信]

十里の渡しの初版投稿者です。本記事をウォッチリストに入れ忘れていたため、議論に気づかず申し訳ありませんでした。既に議論は収束している様子ですので、不要かとも思いますが、争点となった記述についての説明をさせていただけます。七里の渡し、十里の渡しの関係については、私の調べた範囲では残念ながら系統だった研究が行われた形跡が見つからず、これらを取り上げた郷土資料でもいくらかの争いがあったことを紹介するにとどまっています。両者の争いを追った資料はあっても、実際の旅客の流動を研究した資料は見当たらないのです。訴状に書かれている内容には明らかな誇張が含まれているため、それをそのまま記事の情報源として使うことも出来ないでしょう。十里の渡しの記事においても、郷土資料での本件の取り扱いに倣い、実際に十里の渡しの方が多かったのかについての解釈は挟まず、桑名側がこのように主張したという事例の紹介のみを行う形といたしました。私といたしましては、十里の渡しとの競争自体は、記述すべき内容ですが、それは両者の訴訟争いの解説という形をとるべきと考えます(私は当時の訴訟の仕組みに対する知識が無いため書けないですが)。少なくともIP氏の加筆は適切なものとは言いがたく、今回のAsura2007さんの対応は適切だったと考えますが、適切な形で書くことが出来るのであれば、本記事で解説すべきテーマではあると思います。それと、十里の渡しの記事の独自研究のタグについては除去してかまわないものでしょうか?--アト 2011年10月20日 (木) 18:43 (UTC)[返信]
反対意見がありませんでしたのでタグを除去しました。--アト 2011年11月22日 (火) 17:21 (UTC)[返信]