ノート:ローマ字論/過去ログ1

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ない

擴張ヘボン式[編集]

はじめに[編集]

ローマ字についての規格があたかも我が國に存在してゐるかのやうな記述は實態を反映してゐない。混亂してゐて議論が進行中だといふ實相をこそ傳へるべきではないかと考へる者です。本來ならかう書くべきではないかと、或る意味で項目を執筆するやうな氣持で書いてゐます。ローマ字論を考へた結果、翻字式ローマ字に辿りついたのですが、しかし、それはkmns一箇の主張の段階。主張を主張者本人が書込むことができるとなるとウィキペディアのやうなものは成り立たないでせう。しかし、その結論に到る考へ方は、まさに知の問題であり、ウィキペディアの目的に合致するはず。 このこと、ノート:ローマ字#日本ローマ字協會99式で書いたことです。 資料的なもの(發表、關連するサイトなど)を擧げるのは第三者の判斷を仰ぐためです。

なほ、本方式で轉寫してみて傳統的假名遣の合理性に目覺め、傳統的表記を心掛けるやうになった。これも本文執筆でなくノートにする理由です。ウィキペディアの現在の執筆規約に抵觸する。このことについてはノート:表記ガイド##問題の整理を參照願ひます。

記載するサイト及び關連するサイトなど[編集]

イ: ローマ字變換

ロ: ローマ字相談室#ローマ字資料室(ヘボン式系統)

ハ: Sanzyusseki-no-mori

ニ: 英語の世界#主要サイト

ホ:日本語キー入力に關するリンク集

ヘ: 姓名の順序とコンマのこと

イ)は變換對象として擴張ヘボン式を採り上げてゐる。分ち書きは從前通りの方式。 (ロ)はローマ字關係のサイトとしてはもっとも充實したところ。資料は機關や組織のものを最初に竝べ、個人の創意になるものは、まとめて後にならべる方式であったが、「擴張ヘボン式の提唱」の收納の際にその區別をやめて一律にヘボン式のところに分類された。以下の三點を納める。

1.文献1「擴張ヘボン式の提唱」
2.文献2:和文
3.文献2:英文 An Extended Hepburn System 

(1) は明治書院『日本語學』平成15年1月號所載。執筆は平成12年8月31日。この段階ではハ行轉呼音もウァウィウェウォのことも解決してゐない。 テニヲハについて考へたのは無料メールマガジン『これでいいのか 日本人の言語感覺』第30號(平成15年1月31日)で委嘱されて擴張ヘボン式の添削をやったときのことで、洋泉社『英語は日本人教師だから教えられる--アルファベットから始める英語教育改革試案』(平成16年4月)の末尾でハ行轉呼音の問題として解決を圖った。(2) は社團法人日本ローマ字會『ローマ字世界』743號(平成17年年3月)所載の「擴張ヘボン式」(次の英文を日本語に譯したもの)に加筆したもの。資料として鈴屋遺跡保存會本居宣長記念館の吉田悦之氏に送って貰った宣長のローマ字表を掲げ、分ち書き(文節單位)と分綴についても觸れ、ローマ字に英語など原綴りを混在させることの無理を論じた。正かなづかひの會の教則本(平成18年11月4日)が掲載する五十音圖はここのもの。(3) はドイツ・日本研究所主催のシンポジウム"「變る言語レジームにおける言語景觀--日本を例として"(平成16年12月11日)に出席の際に用意した。これを東北大學名譽教授桂重俊博士にお目にかけたところ強い批判があり屈伏。ウァウィウェウォは ww で區別することにした。

(ハ)は日本式ローマ字の論客のサイト。yorimiti に『教育新聞』に寄稿した「私の國語論」へのリンクがある。 内訳は 次の通り

1.敬語について	12/10/19(木)
2.カタカナ語の問題	14/9/2(月)
3.本質的に傳統につながる教育	14/11/28(木)
4.ヒアリングテストの導入は愼重に	15/2/6(木)
5.伊呂波歌と五十音圖の兩方を	15/3/10(月)
6.我國の漢字體系に簡體字は異質	15/4/7(月)
7.五十音圖を知らない大學生	15/5/15(木)
8.バーナードショーの批判		15/6/12(木)
9.音引きとカタカナ語の配列	15/7/14(月)
10.IT革命はイットかくめい	15/8/11(月)
11.横文字の語をどこで切るか	15/9/11(木)
12.「思ひやる八重の汐々」と四假名	15/10/9(木)
13.ローマ字表記での姓名の順序は	15/11/20(木)
14.マクロンと曲折アクセント	15/12/8(月)

(ニ)は伊藤サム氏の英語の世界。ローマ字に關する主要サイトの一つとしてリンクを張ってくれてゐる。 (ホ)はリンク。 以上は擴張ヘボン式もしくは、その考へに多少なりとも聞くべきものがあるとする人々のサイトである。(ヘ)はこれと異なり、表記を廻る掲示板。戰後の國語行政とローマ字論が關係するといふ立場で書込んでゐる。

發表[編集]

日本言語政策學會月例研究會「擴張ヘボン式の生まれるまで」(平成17年年4月23日)

東京法令出版『月刊國語教育』「私の提案」

「ローマ字百二十年」17年8月號	ゆとり教育の淵源が明治期のローマ字論の誤謬にあったといふもの
「ミッズルカラッス」17年11月號	諭吉の假名遣ひの解釋を巡って
「御名御璽」18年2月號	憲法改正の場合の表記はどうあるべきか
「イイイ、イが三つ」18年5月號	學習塾で生徒を刺殺したのは國語教師であった
「ハーロー」18年6月號	早期英語教育の盲點
「坊主が屏風に」18年12月號	ジヂは破擦音に收斂した
「いちにさんよん」19年3月號	和語漢語の混用など國語力の衰微は意外なところにも
「タイガーのト」19年4月號	イロハをアルファベットで呼ぶ倒錯

『教育新聞』19年2月22日號「ローマ字教育の拔本的檢討を」

國語問題協議會報『國語國字』第188號(平成19年7月)「にぎたまのローマ字」

轉寫例[編集]

ノート:戰友/過去ログ1#歌詞について

比較表[編集]

上記「にぎたまのローマ字」の末尾に擧げたものに調布の例を加へた。擴張ヘボン式については ノート:戦友/過去ログ1#歌詞についてを參照されたし。

なほ2007.12.17にJapan/Marcの方式の變更を知って國會圖書館として追加した


擴張ヘボン式 修正ヘボン 通用ヘボン 外務省 新米國 訓令 國會圖書館
富士 fuzhi fuji " " " huzi "
fuji " " " " huzi "
鼻血 hanaji " " " " hanazi "
歪み hizumi " " " " " "
hidzume hizume " " " " "
硫黄 iwau io ioh iou iou
琉球 riukiu ryūkyū ryukyu ryukyu ryūkyū ryûkyû ryuukyuu
女王 jowau joō joo jooh joou zyoô zyoou
小路 kouji kōji koji kohji kouji kôzi kouzi
甲乙 ka`uotsu kōotsu kootsu kohotsu kouotsu kôotu kouotu
大黒 o`oguro ōguro oguro ohguro ōguro ôguro ooguro
飯田 i`ida īda ida " īda îda, iida iida
散歩 sampo " " " sanpo " "
調布 teufu chōfu chofu chofu choufu tyôhu tyouhu

母音連續の問題[編集]

日本語は等時拍だといはれる。長音といふものはありえない。長音といはれるものも等時に切っていけば、後半部分がア行音といふことになる。西歐の言語では音節といふことがあって子音が區切になる。母音連續も一つの單位と看做すのが原則だ。日本語のやうに母音連續が多ければ、その區切りが難しい。アクセント符で、母音連續をまとめることができると讀みやすくなる。ローマ字で長音といふ捉へ方がでてきたのはそのためではないだらうか。

轉寫してみると戰前の傳統的假名遣にはハ行轉呼音やワ行音など、母音連續を避ける工夫があったことが判る。現代假名遣はこの工夫の意味を見ずに音を表さない假名は不要としてア行音に替へて母音連續を増やしてしまった。だから轉寫の場合に現代假名遣を底とすると非常に讀みにくいものになってしまふ。つまり棒引き假名になってしまふのだ。また現代假名遣なるものは音が基本なので、語によって表記が定まってゐるわけでない。問題は二重三重に輻輳してしまった。

このあたり、井の中の蛙 のコメント 26, 27, 28 に書いた。

參考資料[編集]

イ:『筑波フォーラム』第58號(2001年3月)特集「IT革命と教育を考える」#矢澤眞人「情報化社會と國語教育」

ロ:UNGEGN 報告

ハ:Japan/Marc

ニ:Bradley『話し言葉と書き言葉との關係について』

ホ:新米國式

ヘ:臨時ローマ字調査会議事録(第1回)

ト:臨時ローマ字調査会議事録(第2回)

チ:『和英語林集成』デジタルアーカイブス

(イ)はローマ字教育と假名漢字變換の問題を採り上げたもの。(ロ)我國のローマ字に國際的な標準がないといふ報告。國内に標準がないのだから當然ではある。(ハ)は國會圖書館の方式。ISO3602に準據してゐるのだと思ってゐたところ變更になってゐた。依然として訓令式と稱してゐるが翻字式。長音なるものはなくなってゐる。以下の三點とセットで理解すべきもの。 讀みについて カナ表記要領 ローマ字表記要領

以上は、最近知ったことをその順に擧げた。(ハ)については別に論ずる。(ニ)はローマ字に直接關係するものではないが、文字と音聲の關係を説いたもの。(ホ)は上の比較表で新米國式として擧げたもの、すなはち英語ウィキペディアのヘボン式である。(ヘ)(ト)はヘボン式と日本式との論爭。(チ)は明治學院大學圖書館のサイトにあるもの。ヘボンは最初「ヅ」を dzu、「ズ」を zu と書分けてゐて後に zu に統合したのだと思ひこんでゐたが、區別してゐたわけではなかった。

Japan/Marc[編集]

「はじめに」に書いたやうに、この頁は事情があって、すっかり書き直したもの。消去されたものを履歴から機械的に復元したわけでなく、取ってあったデーターを手作業で書込んだが、一二行記憶で補った部分もある。書き直したのは2007年12月14日。參考資料の Japan/Marc は16日、Bradleyは 17日の加筆。Japan/Marc は參考資料に擧げるべきだとネットで探してリンクしたのであるが、ローマ字について變更されてゐることは知らなかった。本日(2007.12.17)、國會圖書館に問合せて變更を確認して、今これを書いてゐる。 擴張ヘボン式を工夫して發表先を探してゐた頃、友人の紹介で國會圖書館總務部主任參事のS氏と意見交換したのは平成12年8月29日。今回、國會圖書館の關係者に連絡したのは七年振り。もっと早く連絡すべきであった。驚いたことに Japan/Marc は翻字式なのだ。「雜録」に書いたことだが、外務省の方式はヘボン式ではない。長音を書かないからだ。同じ意味で、Japan/Marc は訓令式ではない。長音を認めないからだ。ここまで來れば、後一歩ではなかったかと悔やまれる。 訓令式派の長老柴田武先生が興味をお持ちだとのことで品川のホテルでお目にかかり擴張ヘボン式について聽いてもらったのは平成17年11月30日。これも少し遲かったかもしれない。以上二つのこと、念のため書き留めておく次第。

翻字式と表音式[編集]

翻字式は多分 transliteration と言ふ。literation は文字にすること。文字のない言語に對して表記法を造る場合がさうだ。表音式はliterationだと思ふ。從來のローマ字はヘボン式も日本式も訓令式もみな表音式であった。翻字式は擴張ヘボン式だけだと思ってゐたが、Japan/Marc も翻字式になってゐることを知った。翻字式と表音式の區別は長音を認めるかどうかだ。長音なるものは假名にないからだ。せいぜい片假名に音引符號があるに過ぎない。

上記比較表では左端が擴張ヘボン式、右端の國會圖書館とあるのが Japan/Marc だ。但し傳統的假名表記に對しては、いや (より低い程度に於てではあるが)現代假名遣に對しても國會圖書館方式は嚴密な意味では翻字式でない。カナ表記要領 によって假名變換といふ前處理をするからだ。そこで擧げられてゐるものを表にしてみると次のやうになる。なほ、片假名の場合の長音符を擴張ヘボン式は h で轉寫するが、Japan/Marc は無視する。+ を附したものは一部前處理濟なので傳統的表記に戻して示したもの。

假名 擴張ヘボン 處理濟假名 國會圖書館
てふてふ te`ute`u ちょうちょう tyoutyou
とぜう dozeu どじょう dozyou
としゑ toshiwe としえ toshie
こんにちは konnichi`a こんにちわ konnitiwa
いづこへ+ idzuko`e いずこえ izukoe
ちぢむ chijimu ちじむ tizimu
かなづかひ+ kanadzuka`i かなずかい kanazukai
かあさん kaasan かあさん kaasan
こほり+ ko`ori こおり koori
にゅうぎう+ nyuugiu にゅうぎゅう nyuugyuu
スーパーカー suhpahkah スパカ supaka

スーパーカーのところは正確でない。處理濟假名でもスーパーカーなのだ。そしてローマ字にするときに長音符に對する表記の規定を缺くがためにsupakaになるといふことらしい。しかしそれでは判りにくいので、ローマ字變換の一部をいはば前倒しした。ローマ字の規定を缺くところを省くのであれば下手するとヂヅヰヱヲが總て脱落しかねない。なほカナ表記要領にはワ゛やヱ゛の例もあった。これに對しては擴張ヘボン式も拔かったといふかヴァやヴェとの區別は考へてゐなかった。機械上のローマ字なら case つまり大文字小文字による區別も考へられやうが、今頭をひねっても解決策は浮んでこない。

頭をひねっても解決策が浮ばないと書いたが、それでよかったのだ。少し混亂してすぐに氣づかなかったが、問題の立て方が間違ってゐる。カナ表記要領 は假名遣を問題にしてゐるが、假名字母をまづ考へるべきだ。變態假名は問題にしないのだから、五十音圖について考へればよい。外來語表記に用ゐる場合も含むのだから、擴張五十音圖のやうなものになるだらう。さうするとワ゛やヱ゛とヴァやヴェの表記は片方しか出現しないはずだ。兩者を別個の子音で規定するのは難しい。ワヰヱヲとウァウィウェウォとは共存できる。だから、その限りで獨自の規定を持ちうるわけだ。子音と母音の組合せにならないのは促音と撥音の場合だらう。それぞれに調音に應じて子音を使ひわける。促音であれば後續の子音と調音點を等しくする閉鎖的子音で表し、撥音であれば兩唇音か、齒莖音もしくは軟口蓋音で m と n を使ひ分けて示すのが原則だ。いや、これはヘボン式の場合で、訓令式では撥音については使ひわけをしない。だから、外國人に撥音の説明をするときは、n は後續の子音に同化させて兩唇音で發音する場合があることを説明しなければなるまい。日本式はこの子音の規定を行ごとに一つに決めようとしたが、さうすると子音字の音價を後續の母音ごとに規定しなければならず、かなり面倒なことになる。外國人にとっては難しいことなので結局 秩父丸から鎌倉丸へ のやうなことになってしまふ。擴張五十音圖といふものを想定すれば、イ段やウ段には樣々なものがある。タ行であればチ、ディやツ、トゥが考へられる。ダ行ならヂ、ディとヅ、ドゥだ。ちなみに擴張ヘボン式では j はダ行音だとする。促音は d になる。

ところで、「いふ」なら處理濟假名はどのやうになるのであらうか。擴張ヘボン式では、母音字の前の i は拗音化することを前提にする。この場合、ハ行轉呼音つまり語中の h が介在するが、これはワ行子音と同じく區切り符號であってア段でのみ兩唇半母音として實現すると規定し、かつ語中の h の介在に影響されないとするので格別問題にならない。しかしこれは、レターの音價を一義的に決めつけず、一種の解釋規則を認めて、文脈によって動くとするわけだからかつてのローマ字論者にとっては理想的表記法ではなかったのであらう。國會圖書館方式も現代假名遣の程度に前處理して、「いう」といふ形にするか、さらに進んで第一字母への影響を先取りして「ゆう」といふ形にするしかないだらう。琉球を ryūkyū とするのはその結果であるが、外務省式や國土交通省式に長音を書かなければryukyu となる。國會圖書館の方式では ryuukyuu となると思はれる。「いふ」は yuu になるのかもしれない。(外務省や國土交通省式なら yu になる。)「いはない」は iwanai とするのであらう。なほ、擴張ヘボン式では i`anai とする。

さて、「いふ」を「いう」もしくは「ゆう」としたのが現代假名遣であるが、冒頭の「てふてふ」「どぜう」「としゑ」の三例は現代でもそのまま表記するはずだ。「としゑ」は人名、これを書換へるべしとのお觸れはない。「てふてふ」「どぜう」は、古文に出てくるもの。現代假名遣は古文に及ぼすべきものでないから、前處理をしてはじめて「ちょうちょう」「どじょう」の形になる。では、この前處理は如何なるアルゴリズムによるのであるか。先年、テフテフと文字どほり發音してゐたといふ九州若松の人に出逢ったことがある。玄洋社の流れを汲む人に教はったとのことなので、それが戰後もあった發音だとはにはかに信じられないが、單に發音を知ってゐるといふことを根據に書換へるのであれば、アルゴリズムではなく個別に辭書に當たって變換するしかない。しかし、單音に分解してみれば、「てふてふ」も「どぜう」も eu の問題にすぎない。だから戰前の人にとってはこのままで何の問題もなかったのだ。いや戰前といふだけでなく萬葉からといふべきだらう。音との對應が直接的でなくなったから、すべてを書換へるといふのは亂暴だ。單に eu は Europe のそれのやうに發音すると規定すればよい。前處理を施した假名を轉寫した場合と、元の假名をそのまま轉寫した場合と、ローマ字の解釋規則の複雜さはそんなに違ふものではない。上の表で見れば、擴張ヘボン式の場合に必要なのは eu についての規定のみ。國會圖書館方式にしたところで ou について ô のやうに發音するといふ一ヶ條が必要だからだ。表記が發音とずれた場合に解釋規則が變容する。これがなければ安定した表記はついに得られないだらう。戰後の文部行政を領導した人々は解釋規則を認めず、文字と音との關係を固いものであるべきだとして戰前の表記を捨てたわけであるが、さうなると今の表記も幾許もなく捨て去られることになりはしないか。

以上述べたこと、あたかも擴張ヘボン式が傳統的假名遣專用のローマ字のやうに受取られるかもしれないが傳統的假名遣は現代假名遣も包含する。だから假名遣については中立的ではある。ただ、傳統的假名遣の轉寫の方が讀みやすいといふだけのこと。

英語教育[編集]

ローマ字は國語教育にも英語教育にも密接に關係する。特に英語教育とのことは新田 守「ローマ字教育の混亂」 にみるやうによく新聞でも話題になります。ローマ字がいいかげんであること、それが英語教育が非效率である根本原因だと小著『英語は日本人教師だから教えられる─アルファベットから始める英語教育改革試案』に書いたのですが、相變らず小學校への英語教育の導入が圖られてゐるところをみると、文部省の人は讀んでないのだと思ひます。増刷にはなりませんでしたが、品薄らしい。内容については下記のサイトをご參照下さい。 北郷山人の詳細な紹介(2004.4.25)相澤氏の簡略な紹介(2007.7.12)北海道新聞 2004.6.6岡邦雄氏による要約自著紹介「流行通信」(2004年5月)

この本の原稿を書きをはった頃の平成15年11月27日に千葉大學で外國語センター主催のシンポジウム「大學の外國語教育:高校と企業の間で」があった。千葉大では外國語を既習と未習に分ける。既習の代表は英語。未習外國語のドイツ語擔當教官の報告によれば、かつては英文法の知識を前提にして説明することが可能であったが、昨今はそれができなくなったので、從前に比べて教へにくくなってゐる。それでも、英語の場合に比べるとはるかに早く留學可能レベルに達する學生が相當にある。

英語がドイツ語に比べてとくに難しいとする點は見當たりません。文法からすればドイツ語の方が難しい。にも關らずこの結果です。中學と高校、六年間かけてやる英語教育とは何なのでせうか。ドイツ語はアーベーツェーの唱へ方から始める。英語はいつそれをやるのか。中學では、小學校でやってゐると思ふのか我關せず焉。それどころか、小學校のローマ字を無視するやうに教へるだけです。要するにABCを教へてゐなかったわけです。岩佐充則氏の讀書日記(2005年3月18日)によれば BBC の報道の中で、英國でも移民の子供が増えてゐるが、アルファベットの發音をしっかり教へる教育方法を導入したら、大きな成果が現れてゐるとの事例が紹介されてゐるさうです。

掲示板風に[編集]

管理人からの示唆もあってコメント依頼をだします。なるべくここでやりたい。 Kmns 2007年12月14日 (金) 01:54 (UTC)

コメント依頼を出したときは、この頁の題は「擴張ヘボン式その後」であった。過去ログが別にあって、それと區別するための名稱でした。12月24日に過去ログが消去されてゐたので、題を「擴張ヘボン式」に改め、必要なところは過去ログにあったことを含むやうに書き直した。Kmns 2007年12月25日 (火) 09:29 (UTC)

Japan/Marc のところで「擴張ヘボン式を工夫して發表先を探してゐた頃、友人の紹介で國會圖書館總務部主任參事のS氏と意見交換したのは平成12年8月29日」といふのは正確でなかった。執筆は8月31日で順序が逆。『表音小英和』(昭和55年)のときアルファベットについて知るところがありヘボン式の缺陷に氣づいた。平成12年の夏、ローマ字の國際規格を審議するTC46委員會に屬してゐたことのある舊友に邂逅。議論が暗礁に乘り上げてゐることを聞いた。舊友の紹介でS氏の話を聞いたのと沖縄サミットで IT ディヴァイドといふことが話題になってゐるのをテレビでみたのとどちらが先だったか覺えてゐないが假名漢字變換のモード切替にうんざりしてゐたのでソフトの規制緩和が重要だとローマ字のことを文字にしたのが8月31日であった。ローマ字の缺陷に氣づいてから三十數年。文字にしてから7年になる。ヘボン式の缺陷を修正したものといふ意味で擴張ヘボン式としたのですが、今では擴張五十音圖のヘボン式といふ意味であるやうな氣もしてゐる。五十音圖に忠實といふ點では日本式に近い。Kmns 2007年12月26日 (水) 01:48 (UTC)

上で書いたことの補足であるが、アルファベットについて知ったのは『表音小英和』の準備段階(研究社『現代英語教育』昭和52年2月號「英語の振り假名」及び昭和54年5月號から昭和55年3月號に連載した「發音の手引き」)のとき。ヘボン式の缺陷といふのは j の場合の促音の規定を缺いてゐること。j は破擦音。促音は當然 d でなければならない。參考資料の『和英語林集成』デジタルアーカイブスをみると初版ではヅズに dzu を、ヂジに ji を當ててゐる。ヘボンは ji をダ行音と捉へてゐた可能性が高い。だからヘボン式の缺陷といふより現代假名遣でヂヅでなくジズを優先したのが問題だったとも言へる。このヘボンのどの版をみても 東京都パスポートセンター の方式とは異なる。看板が違ふことを羊頭狗肉と言った。今は僞裝といふ。ローマ字に關する限り、どの役所も例外ではない。食品の賞味期限どころではないのではないか。Kmns 2007年12月27日 (木) 00:33 (UTC)

「はじめに」で書くべきことできちんと書いてゐなかったことがある。如何なる基準を滿たせば記述の對象になるかといふこと。大勢の人に利用されてゐる方式は無論採り上げるべきでせう。しかし、Extended Hepburn System で書いたやうに擴張ヘボン式は若い。だからこの基準を滿たすのは難しい。我國は漢字假名交じりが標準だからローマ字が使はれることはない。せいぜいが固有名詞であるが訓令式の人は少ないと思ふ。そして正しい意味でヘボン式の人は見たことがない。鐵道はヘボン式に近い。新大久保なら shin-ōkubo となる。ヘボン式なら shin'ōkubo のはずだ。訓令式は國會圖書館がつかってゐたが現在は違ふ。

日本言語政策學會月例研究會での發表のときは短時間であったけれど激しい議論になった。後日その議論の相手から日本語教育には役立つだらうと聞いた。日本語教育のことは判らない。米國では JSL なる方式が日本語教育で用ゐられてゐるとある。子音については日本式に近く、母音については翻字式だ。これは日本で用ゐられてゐるだらうか。利用者の數が記述の基準であれば記述すべき方式がないことになりさうだ。

だから歴史的に試みられた方式であるとか體系的に整合性があるものは記述の對象とすべきではないか。なほ日本語を話せるが日本語をつかふ環境にない人はメールでローマ字表記をすることがあるといふ。もし傳統的假名遣を身につけた世代なら(臺灣など)、ことに有效かもしれない。Kmns 2007年12月28日 (金) 00:56 (UTC)

現役時代、ある先輩が「會議は嫌いだ。打合せなら良い」と言った。debateといふのはよく判らない。個々人の主張はいはば煉瓦の一つに過ぎない。勝ち負けは問題ではないはずだ。共同體にとっての智はそれを積上げていくもの。學問はこれまで積み重ねられた土臺の上に築いてゐく、これがクーンの説いたところだと思ふ。教育新聞に寄稿した「ローマ字教育の拔本的再檢討」の肩書は學者となってゐるが、過去の蓄積の上に論を積み重ねてゐるわけではない。經歴からして學者であったことはなく、またさう名告ったこともない。 ローマ字について考へて過去の蓄積に對する疑問を感じたのは父音といふこと。父音は子音のことと説明される。果たしてさうなのか。日本式の根據は五十音圖の子音と母音の組合せでローマ字を説明するといふ點にある。擴張ヘボン式は、子音でなく父音だとした。このことは「關連するサイト」の(ロ)の 2 で觸れたことである。父音をこのやうに解することが善いのかどうか文獻で確かめたわけではない。しかし、世に行はれてゐる父音は子音と同じとする説明は、母音まで併せて理解しようとすると整合性を缺く。三者の意味するところは恐らく父音と母音と合して子音となると解すべきで、父音が子音なら、父音なる語の存在した場合の子音は音節のことだとする説明があるべきではないか。しかし手許の辭書では子音にこの意味を認めてゐるものはない。西歐流の言語學者が解説してゐるからで悉曇の方の傳統があれば違ったゐたのではないかと感じた次第。識者の御教授を乞ふ。西洋流の音聲學でいふと、j は d と異なる子音といふことになる。しかし j は d と zh に分解してみることもできる筈だ。同じやうに ch は t と sh に分解することができる。さう考へると、ch をタ行に位置づけることも j をダ行に位置づけることも無理なく理解できることであった。ファイルを整理するとき、ローマ字の各音節の initial を用ゐてゐるが、美知子(michiko) なる人のものを mtk とするのに何の抵抗もない。かうなったのは最近のことである。假名漢字變換のローマ字を擴張ヘボン式に切替へて三年以上になったからかもしれない。日本式や訓令式の人は美知子なら mitiko と綴るわけで、子音といふことに縛られてゐるやうに思はれてならない。日本式や訓令式の人の意見を聞きたい。Kmns 2007年12月29日 (土) 02:06 (UTC)

今回(平成十九年の暮)全體を書き直してみたが、かういふことが最初から解ってゐたわけではなかった。また過去の蓄積の上に論を立てたわけではないと書いたけれど、それは專門家が系統立った文獻に基づいて論じるやうに推論を重ねたわけでないといふだけのこと。辭書は元來先人の蓄積の上にしかありえない。參考文獻を擧げるとすれば、第一は丸善の先輩に合格祝で貰った The Concise Oxford Dictionary of Current English であらう。この發音表記にすっかり馴染んでゐたことが大きかった。『表音小英和』は最初、この方式にするつもりで許諾も得たのであるが、一向に企畫が通らず、その間に COD 方式では滿足できない氣持があって、British Council から本を借りて專ら通勤の電車で讀んだ。結果は論文でなく『表音小英和』の見返し二頁になった。實用辭書としてかなりな評判を得たが表音方式については餘り注目されなかった。のちに A.C.Gimson が次のやうな推薦文を書いてくれた。

This English-Japanese Dictionary makes most ingenious use of a simple but comprehensive system of notation for the conversion of English spelling into sounds---a notorious difficulty for the foreign user of English. It covers representative forms of both British and American English and can be consulted with complete confidence by Japanese readers.

このとき、表記と解釋規則を組合はす方法を採ったが、これは獨創でなく D.Abercrombie から學んだ。Gimson に説明するために書いたものについて、Gimson が國際音聲學會紀要への掲載を考慮すると言ってくれたこともあったが、その直後に死去。このときのことは『日本音聲學會會報』(1994年大西雅雄博士追悼號)に書いた。『英語展望』#89特集つづり字と發音(1987年秋)に Pronunciation Notation without Respelling として掲載されたのはGimsonに書いたものを書き直したものである。これには Abercrombie など參考文獻を擧げた。

撥音を日本式は書分けない。音聲學的に見れば撥音の調音は三通りある。それを m と n の二つにしたところで所詮妥協ではないかといふ聲があるかも知れない。『表音小英和』の見返しには次のやうに書いた。なほ斜線或はブラケットで圍んだ場合はそれぞれ音韻記號、音聲記號である。 なほ便宜 N で軟口蓋鼻音を表す。

n は /k/ の前で→/N/ uncle [-Nk-] ng は一般に→/N/ young[-N] 母音及び
/j l r w/ の前で→/Ng/ 但し比較變化以外の屈折系及び派生語の場合 →/N/ angry
[-Ng-] stronger [-Ng-] singer [-N-] なほ接頭辭などによる場合は →/nk, ng/
conclude [-nk-] engrave [-ng-] 

つまり、英語の場合でも齒莖音と軟口蓋音の區別は十分につくのであり、三通りの調音を m n で書分けることは必ずしも妥協ではないと思ふ。Kmns 2007年12月30日 (日) 14:52 (UTC)

結局、ローマ字論は假名遣の問題に歸着するわけですが、明治期のローマ字論は漢字の桎梏からの脱却に急で假名遣について十分考究せず表面的にみて改革すべきものだとした。英語にも綴り字改良運動があった。或る意味 IPA は綴り字改革運動の最終生成物のやうなおもむきがある。IPA で表記すれば、英語といふものは消滅し、アメリカ英語やイギリス英語、いやもっと細かい方言のレベルの記述に陷らざるを得ない。共時態といふこと、言語學上方法的に要請されたもののやうに思はれる。それでもって國語の表記を論ずれば破壞的にしか働かない。擴張ヘボン式は汎時的だと思ふ。英語圈において綴り字改良運動の人々が權力を握って暴走することはなかったわけですが、それが如何なるものであったかは他山の石とすべきでせう。參考資料のBradleyもさうですが、井の中の蛙のコンメント18で紹介した Benjamin Franklin の案も是非ご參照願ひたい。Kmns 2007年12月31日 (月) 00:28 (UTC)