ノート:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)

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記事名について[編集]

当記事執筆者のNINAMEと申します。Johncapistrano氏より当記事のタイトルについて、不適切とのご指摘がありましたので、記事名改名の是非も含めて皆様方のご意見を募ろうと思います。

さて、私がこの記事名にした理由は、ポンペイウスとカエサルの間で行われた内乱を記事にするに際して、当然この戦争の名称が必要なわけですが、塩野氏の著書や古代ローマやヨーロッパの歴史家諸氏文献も照らし合わせた上、「カエサルの内乱」(wikipedia内はこれが多いようですが、これが正式名称というソースは見つかりませんでした)を含めて正式名称が見当たらなかったことから、英語版wikiより翻訳したという事情もあって、現記事名「Caesar's civil war」としたわけです。

以上、ご見解等ありましたら、よろしくお願いいたします。--NINAME 2008年1月29日 (火) 14:48 (UTC)

記事名改名に関する議論[編集]

英語版を基準にする必要もないんですが英語のままよりは「ローマ内乱」ですかね。イタリア語版は「カエサルとポンペイウスの内乱」? 内戦より内乱の方が『内乱記』の影響か多いようですね。素人なのでよく知りませんが、適当な日本語にしましょう。johncapistrano 2008年1月29日 (火) 15:47 (UTC)

候補
  • カエサルの内乱
  • カエサルとポンペイウスの内乱
  • ローマの内乱
  • ローマの内戦
  • ローマ内乱
  • ローマ内戦

(コメント)「ローマ内乱」でも曖昧さが生じないのなら「ローマ内乱」がよいと思います。「カエサルの内乱」だと少し冗長でくだけた感じがします。いずれにしてもリダイレクトは必要だと思います。--Greenland4 2008年1月30日 (水) 06:15 (UTC)
en:Roman civil warsを見ると沢山あるようですね。「ローマ〜」とすると曖昧さ回避の必要ありですね。johncapistrano 2008年1月30日 (水) 06:26 (UTC)
(コメント)ありがとうございます、joincapistranoさん。「ローマ内乱」で特定できないとすると、"Caesar's civil war"の翻訳「カエサルの内乱」がよろしいんじゃないでしょうか。にしても、これくらいあると、リダイレクトどころか、これでカテゴリーがつくれるほどですね。--Greenland4 2008年1月30日 (水) 07:16 (UTC)

専門外なので、分かるところだけコメント付け逃げさせてもらいます。まず「内乱」は一般に国名に付く様に思います。そのため「カエサルの内乱」には違和感があります。次に「ローマ内乱(Roman civil war)」といった場合、Oxford U.P.の"Dictionary of World History"によれば紀元前88年から紀元前28年までの時期を指す様です。また、『内乱記』の紀元前49年から紀元前45年だけを指す言葉はありません。『内乱記』の時期は一般に「内乱」、「内戦」とだけ呼ばれている様です。見落としているだけかもしれませんが、『内乱記』(國原吉之助訳、講談社学術文庫)の本文、解説、付属の年表などに正式名称のような単語はありませんでした。リファレンスの類では、手元にあります、旺文社『世界史事典』、山川出版社『世界史B用語集』、Oxford U.P "Dictionary of World History"のうちのどれにも載っていないことを確認しました。"Caesar's civil war"という言葉が、どういった意味合い(例えば、「カエサルの『内乱』」なのか、「カエサルの内乱」なのか)で、どの程度使われているのかは分かりません。そういったタイトルの本はある様ですが、現状、"Caesar's civil war"という言葉自体が「要出典」なのではないかと思います。ローマ史専門の方にはまた別の意見があるかもしれませんが。 --コータ 2008年1月30日 (水) 16:14 (UTC)

貴重なご意見ありがとうございます。BC88年(マリウスによるローマ制圧)からBC28年(BC27年がアウグストゥス即位)までが「ローマ内乱」だとすると、この「Caesar's civil war」とはその中の1期間に過ぎない形になるわけですね。「カエサルの内乱」はGreenland4氏の初めのご意見と私も同じでくだけた表現に少し違和感があります。 というわけで「ローマ内乱」又は「ローマ内戦」をベースに、Bc49(カエサルルビコン渡河)及びBc45(ムンダの戦い)を取って、「ローマ内乱(紀元前49年~紀元前45年」又は「ローマ内戦(紀元前49年~紀元前45年)」なんてのは如何でしょう。只、やや長いですかね..--NINAME 2008年2月2日 (土) 00:24 (UTC)

(コメント)今までなかったのが不思議な記事で、楽しく読ませていただきました。ありがとうございました。無責任を承知のうえで申し上げますが、いっそのこと、加筆依頼を出して、マリウスのローマ制圧からアウグストゥス即位まで記事を拡充し、「ローマ内乱」または「ローマ内戦」としたらどうでしょう。きっと、たくさんの方が加筆してくださるんじゃないかと思います。アクティウムの海戦も思いのほかボリュームが少なくて、まとまると秀逸な記事に仕上げる予感がします。なお、文中の「内乱の1世紀」は「内乱の一世紀」になおした方がよいと思います。というのは、年代的に西暦紀元1世紀のことではなくて、期間がおよそ100年にもおよぶというような意味ですから。--Greenland4 2008年2月2日 (土) 00:49 (UTC)
「内乱の一世紀」での記事作成ありがとうございます。ただ、「内乱の一世紀」の記事自体が20,000バイト超と可也大きいようにも思えますので、「Caesar's civil war」の部分を切り離した方が良いような。で、この記事の日本語訳をどうするかという問題に戻るわけですね..--NINAME 2008年2月3日 (日) 02:24 (UTC)
この記事に触発されて「勢い」で作成してしまいました。おっしゃる通りで、あまり重複する内容の記事がたくさんあっても、と作成後に思い直しました。それはさておき、名称問題は難しいですね。さしあたって「内乱」か「内戦」かでは、記事「内戦」を読む限りでは「内戦」の方が適切な印象を受けました。この記事には、「英語のcivil war(内戦)の語源はラテン語のbellum civile(ローマ市民同士の戦争)である」という説明もあって興味深く感じました。原義にもどって「市民戦争」という語をあえて使うというセンもありかなとも思いましたが、わかりにくいかもしれませんね。「ローマ内戦(紀元前49年-紀元前45年)」が妥当でしょうか。ところで、「~」は推奨されていないようです。--Greenland4 2008年2月3日 (日) 02:44 (UTC)
内乱期 (68年-69年)という記事もありますが、合わせますか? (別件で四皇帝の年へ移動か)半角空白忘れずに。johncapistrano 2008年2月3日 (日) 14:14 (UTC)
「内乱期 (68年-69年)」は紀元後の事項ですね。で、同じローマ関係である「内乱期 (68年-69年)」「内乱の一世紀」に記事名を合わせるとすると「ローマ内乱 (紀元前49年-紀元前45年)」ですが、コータ氏及びGreenland4氏のご意見を元にすると「ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)」の方が相応しいかもですね。--NINAME 2008年2月3日 (日) 15:20 (UTC)

改名提案[編集]

本日、ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)で改名を提案致しました(Wikipedia:改名提案)。1週間の告知期間とのことですので、もし他に良い記事名ございましたら、よろしくお願いいたします。--NINAME 2008年2月4日 (月) 14:47 (UTC)

(コメント)先日ナウロクス沖の海戦を新規執筆しましたが、そこでは本記事(Caesar's civil war)を「カエサル・ポンペイウス戦争」と表現してlinkしました。「ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)」のリダイレクト元の候補にはなるかもしれません。--Greenland4 2008年2月5日 (火) 13:12 (UTC)
専門でもなんでもありませんが意見だけ。実際問題としてこの戦争について「カエサルの内乱(カエサルによる内乱)」と呼ぶのが一番わかりやすいだろうなと思います。内戦でもいいですが。カエサルが当時の国家に戦争を仕掛けて起こった戦争ですから。「カエサル・ポンペイウス戦争」というのは一方の主体をポンペイウスと限定してしまうという意味ではよくないだろうと思いました。「vs.ポンペイウス」「vs.エジプト」「vs.ファルナケス」「アフリカ戦」というのは「共和派」なら括れますが「ポンペイウスの同盟者と残党」と括るのは少ししんどいだろうと思いますので。凱旋式も一度ではないですし。
あと「内乱期 (68年-69年)」や「内乱の一世紀」に合わせるかどうかという話ですがそこまで重視する必要はないのではないかと無責任には思います。前者の場合「オトvs.ウィテリウス」「ウィテリウスvs.ウェスパシアヌス」など、後者は「スッラvs.マリウス」、「カティリナ戦争」などと複数の戦争が含まれていますが、こちらは共和派と戦った一つの戦争と見れますので。ただ上で書いたような局面を別々の戦争ととらえるのならば、合わせるべきだとなるかもしれませんが。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2008年2月6日 (水) 11:12 (UTC)
ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)で良いと思います。単純な疑問なのですが、「内乱」、「内戦」という言葉に個人名を付けることはあるのでしょうか。「乱」、「反乱」なら個人名が付くことも多いかと思いますが、「内乱」となるとちょっと思いつきません。--コータ 2008年2月6日 (水) 13:06 (UTC)
私もローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)が無難かなと思います。現状では、
Caesar's civil war(カエサル・シヴィル・ウォー、イタリア語:Guerra civile romana)は、共和政ローマ時期に勃発したグナエウス・ポンペイウス及び元老院派(閥族派)とユリウス・カエサルとの間で起こった一連の戦争である」
と書き出しているわけですが、そこを、
ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)またはカエサルの内乱では、共和政ローマ期におけるユリウス・カエサルとグナエウス・ポンペイウスおよび元老院派(閥族派)との間の一連の戦争について記す」
(たとえば、ですよ)というふうに改めたうえでリダイレクトがいいんじゃないかと思います。ただ、「カエサルが当時の国家に戦争を仕掛けて起こした戦争」というのは、まさしくその通りで、これは記事に反映できるといいなと思いました。なお、記事「ナウロクス沖の海戦」の文面のなかでは、ポンペイウスの息子の話なので、文脈からいえば「カエサル・ポンペイウス戦争」で充分だと思っています。確かに、「正式名称」としては不適切ですね。前回の提案は取り下げます。--Greenland4 2008年2月6日 (水) 13:27 (UTC)
一応、記事名「ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)」に日本時間の2月10日0時頃を以て移行いたします。その上で、同時にtanuki_Z(sysopは偉くない)氏及びGreenland4氏のアイデアも頂き記事自体も推敲して、一応の目処としようと思います--NINAME 2008年2月8日 (金) 14:34 (UTC)
記事を探すときに面倒くさくないようにリダイレクトで「カエサルの内乱」か何かを用意していただけるのなら反対しません。あと括弧の中を付けて読んでいただかないほうがありがたいです。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2008年2月9日 (土) 21:04 (UTC)
了解です。名前の件は失礼いたしました。--NINAME 2008年2月9日 (土) 21:16 (UTC)
無事移動完了です。ありがとうございました。--NINAME 2008年2月9日 (土) 21:20 (UTC)

内容に関して[編集]

初版のコメントによると「英語版wiki参照」とのことですが、参考文献に挙げられている塩野氏の『ローマ人の物語』はまったく使用していないという理解で宜しいでしょうか。英語版の記事と内容を見比べてみましたが、大体そのままの内容とお見受けします。

向こう(英語版)の問題なのかもしれませんが、ざっと見ただけでも、カエサルとアントニウスが一緒に独裁官に任命されたとか、ローマ法で非ローマ市民との結婚が禁じられていたからカエサルとクレオパトラが結婚しなかったとか、かなり出典が気になる記述が目に付きます。言うまでもないかもしれませんが、独裁官に任命されるのは唯一人のはずですし、カエサルの死後にクレオパトラとアントニウスは結婚しています(名門出身のカエサルと平民出身のアントニウスでは違うのかもしれませんが…)。その他にもポンペイウスがパルティアとの同盟を考えた等、専門外の私から見ても出典の気になる部分がかなりあり、項目名も含めて独自研究の可能性がかなりあるのではないかと思います。正直、わざわざ翻訳してまで、日本語版に移入すべき内容かな、と思わないでもありません。いずれにせよ、相当大変とは思いますが、もし可能なら(英語版Wikipediaとかではなく、文献で)出典をお願いします。--コータ 2008年1月31日 (木) 15:51 (UTC)

ご指摘ありがとうございます。独自研究では無く、単なる翻訳ミスです.. 正直、アントニウスがディクタトルとかキケロがカエサルに屈服した時期が違うな、とか思ってましたので。早急に再度翻訳のやり直しと各種文献の参照を通じて、誤った内容を修正します。--NINAME 2008年2月2日 (土) 00:24 (UTC)
(追加)翻訳の結果、概ね怪しい点は修正出来たかと思います。只2ヶ所程どうにも詰められなかった箇所がありましたので弥縫策ですが、当該箇所に[要出典]タグを貼りました。--NINAME 2008年2月2日 (土) 06:51 (UTC)

スエトニウスの『ローマ皇帝伝』(国原吉之助訳、岩波文庫版)、カエサルの最初の結婚に関する訳注に、ユピテルの祭司は貴族の娘と結婚しなければならなかった、というような説明を見付けました(スエトニウス『ローマ皇帝伝』(上)、国原吉之助訳、岩波書店<岩波文庫>、1986、p.305)。ただそれでも、禁じられていたから結婚しなかったのか、という点で疑問は残ります。そもそも、カエサルもクレオパトラも既婚者ですし、子供もはっきりと認知されていた訳ではありません。ただでさえ愛人の多いカエサルが、法で禁止されていなかったとしても、必ずしもクレオパトラと結婚したとは限りません。政略結婚としてもカエサルの側にはあまりメリットがないように思えます。ということで、結婚しなかった理由についてはしばらく「要出典」のままで良いかと思います。

カエサルが独裁官になった際のアントニウスの処遇については、多分、英語版の文章はwith以下が付帯状況になっているのだと思います。カエサルが独裁官になって、その際にアントニウスを騎士団長(あるい騎馬長官)に任命した、とこういうことを言っているのだと思います。 --コータ 2008年2月2日 (土) 17:33 (UTC)

ご指摘の通りです。補足頂きまして助かります。残り2箇所の要出典項目のソース探しは更に続行いたします。--NINAME 2008年2月3日 (日) 15:20 (UTC)
無責任に言いっぱなしだけ。ローマ法で非ローマ市民と結婚が禁止とあるがそもそも当時女性に市民権はなかったので厳密にいえば「ローマ市民の女性」がそもそもいないのではないか。アントニウスとクレオパトラとの結婚はローマ式ではなくエジプト式で行われたはずなので、そういう意味ではこの2人もローマ式の結婚はしていないという可能性もあるのではないか。
まぁローマ法はそれが事実でも結婚しなかった理由の一つでしかないような気もしますね。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2008年2月6日 (水) 11:12 (UTC)
記事名も変わったことですし、とりあえず問題の箇所をコメントアウトして「独自研究」タグを外しました。あと気になるのは、クレオパトラが単独でファラオになったという点です。たしか、更に若い弟プトレマイオス14世と再婚し共同統治を始めたんじゃなかったかと思います。--コータ 2008年2月15日 (金) 14:16 (UTC)
ご指摘の通りです。初めはプトレマイオス13世、13世死去後は14世と、そして15世(カエサリオン)ともやがて結婚(実の息子ですが)してます。早急に訂正を致します。あと、誤った箇所ありましたらお気遣いなしで、容赦無く書き換えていって下さい m(_ _)m --NINAME 2008年2月18日 (月) 16:14 (UTC)