ノート:レーゼシナリオ

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『シナリオの話』における新藤氏のレーゼシナリオ解説を、『陥っている』などとややキツイ攻撃的な言葉で、批判的に紹介しました。自分でも、ややトゲのある表現かな、と思ったのですが、あの解説文が論理的に筋が通ってないと判断したので、いったんはそのまま残しました。新藤氏脚本の『しとやかな獣』は大好きな作品ですし、別に新藤氏に悪意はないのです。論理的でないと思ったのは、レーゼシナリオがシナリオ形式を借りた文学形式であることに一度は理解を示したのにもかかわらず、「実践的でない撮影用シナリオの無意味さへの批判」に話がすりかわってしまったように読めるところです。たとえるなら、図書館で「書簡体小説を何かひとつ貸してください」と頼んでおきながら、いざ読んでみて「この手紙、嘘ばっかり書いてある。けしからん!」と怒っている人のようです。

しかし、この本が、教養文庫というくらいだから一般向けの本でありながら、当然、脚本家志望者のことも強く念頭に置かれて書かれているはずだ、ということに思い至り、表現を改めようと思い直しました。もし、職業脚本家が勤務中に「自分の書いているのはレーゼシナリオだから実践性は考慮しなくていい」などと思っていたら、それはナンセンスでしょう。新藤氏もそうおっしゃりたかったのかもしれません。だから修正します。--Lese 2011年8月31日 (水) 08:31 (UTC)[返信]