ノート:ラーコシ・マーチャーシュ

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1946年には、正式に首相に就任したのではないと思いますが、いかがでしょうか。ハンガリー語版によると、1945年から首相代行を務めていたようですから、あくまで繋ぎでしかなかったのではないかと思います。 ハンガリー語版では、2月4日までがティルディ・ゾルターンで、2月4日からはナジ・フェレンツとなっています。この時期の政変について、詳しい方がいれば情報の提供をお願いしたいです。Hegyi János 2007年2月17日 (土) 08:24 (UTC)[返信]

Hegyi Jánosさん、こんにちは。私が参照しました英語版のハンガリー首相一覧によりますと、ティルディが2月1日まで。ラーコシが2月1日~2月4日。ナジ・フェレンツが2月4日から、となっています。
また別途、ハンガリー国家元首一覧を参照しますと、ティルディが2月2日から大統領となっています。
状況証拠からしますと、ティルデが首相を辞め、大統領に就任し、次の首相としてナジを選ぶまで、ラーコシが代理を務めた、と思われます。--MZM-MSYK 2007年2月17日 (土) 09:21 (UTC)[返信]
MZM-MSYKさん、お世話になります。英語版のほか、オランダ語版においては、1946年のラーコシについての記述がありました。(恐らく、どういった資料を参照したか、という問題になるのではないかと思います)ティルディ・ゾルターンのハンガリー語版の記事には、1946年2月1日に体制が王国から共和国に変化し、そのため(国家元首が空位となったため)に大統領に就任したとありました。また、首相職にはナジ・フェレンツが就任したともあります。ハンガリー語の資料しか示せなく、申し訳なく思いますが、恐らく日本語のハンガリー史関係の資料でもこうした経緯は確認できると思います。
個人的には、2月の首相就任は記事中もしくは注釈で言及することとして、記事下部の表からは除去したいと思うのですが、いかがでしょうか。就任期間があまりに短すぎることもありますし、実質的な首相として何かを行ったわけではないと思います。(共産党が政府を完全に掌握するのはもう少し後のことですね)Hegyi János 2007年2月17日 (土) 10:34 (UTC)[返信]
>>>記事下部の表からは除去したいと思うのですが・・・
サラミのように薄い経歴ですが、一応残しておいても良いのではないでしょうか。
ただ、常識的に考えて、たった4日間のために「大統領の任命」+「議会の承認」というプロセスを経たとは思えません。おそらく、ただの代行だったと思われます。このような場合、「先代次代」表では、「ハンガリー首相 1946年2月(代行)」と表記するのが常なのですが、如何でしょうか。--MZM-MSYK 2007年2月17日 (土) 11:07 (UTC)[返信]
内閣総理大臣の一覧を見てみると、日本でも暫定的に代理を務めた政治家もいますが、先代次代の表においては、そうした方は数に含められていません。細部に拘ることも時によっては大切ですが、大きな歴史の流れとしての首相を追う場合、ラーコシがただの代行であるなら、すっぱりと省いてしまった方がすっきりすると思いますが、いかがでしょうか。
ちなみに、代行に対する扱いの基準については、調べてみましたが見あたらなかったので、教えていただけると助かります。Hegyi János 2007年2月17日 (土) 11:26 (UTC)[返信]
これについては基準があるわけではありません。↓こちらのように入れているものもありますし、勿論そうでないものもあります。
ロシアの首相ウクライナの首相
とはいえ、表から削ってしまう限りにおいては、何らかの文言を本文に挟み入れたいところです。注釈でも良いですし。
例えば、「ラーコシは194●年、ティルディ・ゾルターン内閣の●●相となる。そして1946年2月、ティルディが大統領に就任する際に短期間、首相代行を務めた。」等のように。--MZM-MSYK 2007年2月17日 (土) 12:31 (UTC)[返信]
とりあえず、<!- ->タグで隠しておきます。何か有益な情報が得られる日まで。--MZM-MSYK 2007年3月4日 (日) 15:22 (UTC)[返信]