ノート:ラダ・ビノード・パール/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
過去ログ1 過去ログ2

中立的観点の疑問

パール判事の判決文によれば、南京虐殺を認め、日本の侵略戦争を認め、バターン死の行進についても残虐かつ非道であると非難しています。 被告人を無罪にした法的根拠は「事後法による裁きは妥当でない」とのものです。 パール判事の徹底した平和主義とガンジー信奉、日本であれ欧米であれ一貫して暴力を憎むような姿勢を取っていた という事を全面に置かない限りは、中立とは言えないのではないでしょうか? どうにもこの文章では、印象操作的な雰囲気を与えかねません。 それと、戦後パール判事は、何度も訪日して講演を行い「平和憲法の遵守」と「米国からの脱却」を主張しています。 それらについての記述が一切ないのは、ラダ・ビノード・パール氏個人の記事としては不適当だと思います。 晩年には「武力などもはや何の価値もない」との声明を残していますしね。 それと、パール判事個人とは何の関係もない戦犯の句を載せているのも理解出来ません。 それを載せるのであれば、まだパール判事の長男にあたるプロシャント・パール氏が、日本のプライドという映画において 「父親の主張を捻じ曲げているものだ」として抗議文を送った事を明記した方が、まだパール氏に関係あると思います。 パール判事の後輩で、カルカッタ高等裁判所の元長官のA.M.バタチャルジー氏は 「パール判事は自分の判決を根拠に日本の侵略行為が支持されることがあってはならない、と言っていました。」 と証言していますので、これも記載すべきではないかと思います。

>名無しさん
南京事件・バターン更新等の「個別の事例」について延々と記述すると収拾がつかなくなります。 例えば南京事件に関してパル判事は「残虐行為は日本軍がその占領したある地域の一般民衆、はたまた  戦時ふ虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的である」とも述べていますが、 その後に「すでに本官が指摘したようにこの物語の全部を受け入れる事は、 いささか困難である」とも述べています。 証人に対しては「しかしその証拠を曲折とか、誇張とかを 感ずることなく読むことは困難である」とも。 基本的に南京事件について兵士の個人犯罪や捕虜への不法行為、便衣兵処刑の際の誤認が存在しなかったと述べている学者はいたとしても極少数でしょう。 実際、南京大虐殺否定派とレッテルを貼られる人は、パル判事の見解と似通った意見表明をしている人ばかりだと言えます(あまりにも誇張されているという主旨ですね。特に櫻井よしこ女史は有名です)。 これらの解釈を要約し「中立」に書き出すと膨大な量になることはお解りでしょう?

また、貴方が提示しているパル判事の「非暴力主義」「事後法への批判」は既に本文で強く言及されています。 「映画プライド」についての話は本文中に出ていません。 態々ネガティブな部分のみを記述するために持ち出すことこそ中立性に欠けると言えるでしょう。中立を維持するのならば映画で出てきたパル判事の日本への好意的発言についても触れる必要がありますね。また膨大な量になりそうです。というか……プライドの項目で書かれたらいかがですか?Torannep

>Torannepさん
私が一番に主張したいのは、パール判事の記事としては内容が一部に終始しているという事です。 東京裁判のみではなく、その後も度々日本に来て講演をなさったり、書物を出版なさったりしています。 その中に出て来るパール判事の文書やその価値観というものは、彼を語るのに非常に重要なものであると思っています。 彼の思想的立場を書くのに、南京虐殺等への痛烈な批判や、日本・欧米の植民地支配に対する痛烈な批判は 当然あるべきものでしょう。 平和憲法を擁護した事でも有名ですし、平和憲法を維持しながらも、アメリカから脱却するべきだと主張している事も有名です。 これらの一切の書物や発言は、彼の思想的立場、つまり彼の生き方を表記するのに一躍かっている事も事実でしょう。 膨大だと仰いますが、その一部を選定している基準が東京裁判に固執しているのは間違いでしょう。 彼の記事なのですから、東京裁判のみならず、彼がどのような思想的立場にあったのか それが東京裁判での判決にどのような影響をもたらしたのか そして、その後の彼はどういう思想的な立場にあったのか そこまで書かない限りは、彼を語るようなページにはなりえないでしょう。 私がプライドの例を出したのは、彼と直接的に関連性のない方々の詩が記載されているからです。 私の主張をプライドの項目でやれば良いと仰るならば、この詩句についても東京裁判か、それぞれ個人の項目でやるべきだと思いますよ。

>名無しさん
まずは、南京事件について記述するなら「誇張」への痛烈な指摘も記述するべきだという点は納得されましたか?「物語」とまでハッキリ述べているのですから、中立を意識するのならばこの点に関する記述は当然ですね。また、日本や欧米についての批判を記述するのなら、逆に日本に対しての有名な言葉「時が熱狂と偏見を和らげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、 その時こそ正義の女神は、その天秤を平衡の保ちながら、過去の賞罰のそのところを 変えることを要求するだろう」という言葉や日本への擁護に関しても記述すべきでしょう。『これらの一切の書物や発言は、彼の思想的立場、つまり彼の生き方を表記するのに一躍(これは一役の誤字ですね?尚、「ひとやく」では無く「いちやく」と読みます。変換から推測するとどうやら間違って覚えているようですよ)かっている事も事実でしょう』から。これらを踏まえて追記すると膨大な量になりますが、それでも構わないと思っているのならばご自由に。こちらも「中立」な表記になるよう努力します故。ちなみに、詩歌は「自らを裁く立場であるパール判事に対し、判決文を読んだ戦犯たちがどのような感想をもったかを知る為の貴重な一次資料の提示」だと言えます。十分に密接な関係あります。最後に、東京裁判後のパール判事の活躍を追加するのは問題無いと思いますよ「中立」で「検証可能」な表記であれば。Torannep

もう一つ、気になったので。パル判事が「平和憲法の遵守」を主張しているとのことですが……確かに、彼は「平和憲法の精神」が広まって欲しいと述べているようです。ただし、日本国憲法自体に対しては『いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない』http://www.yume.undo.jp/ck/500about/post_23.html と述べているようですよ。尚、「精神」と「憲法そのもの」は違う存在です。本当に「平和憲法(=日本国憲法)の遵守」を主張してるかは疑問の余地がありそうです(中島 岳志の著書の煽りでは平和憲法遵守を主張したと書かれていますが、他の著者の本では引用のように発言しています)。更に、長男による映画プライドへの抗議の手紙の件についても……http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-465.html 抗議の内容は「父(パル判事)が主役という話だったのに、父や判決文が東条の人生を引き立たせる為の脇役になっている」という主旨のようです。「父親の主張を捻じ曲げているものだ」との文言はありませんね。Torannep

>>南京虐殺
パール判事の判決文
「宣伝と誇張をできるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は日本軍がその占領したある地域の一般民衆、はたまた戦時俘虜(捕虜)に対し、犯したものであるという証拠は圧倒的である。」
とあります。
この記事は、パール判事の事について書くわけですから、南京虐殺の件を書くのはリンク貼るだけで良いと思います。
そして、上記の文章がパール判事の南京虐殺についての記述です。
>>これらを踏まえて追記すると膨大な量になりますが、それでも構わないと思っているのならばご自由に。
よろしくお願いします。
>>「自らを裁く立場であるパール判事に対し、判決文を読んだ戦犯たちがどのような感想をもったかを知る為の貴重な一次資料の提示」 これを書くのであれば、
「パール判事は自分の判決を根拠に日本の侵略行為が支持されることがあってはならない、と言っていました。あの当時、侵略戦争は国際法上はは犯罪と認められないとの立場でしたが、イギリスであれ、アメリカであれ、日本であれ、侵略戦争は悪いことだと言っていました。」
という、A.M.バタチャルジー氏の文章も書くべきです。彼はパール判事の後輩にあたる人ですしね。
>>「平和憲法の遵守」
意見を摩り替えてはいけません。
憲法そのものであるのか、精神であるのかは問題ではなく、実際平和憲法を素晴らしいものだと考えていた事は確かです。
そして、アメリカナイズされた日本国については、私も記述している事です。
それらの記述が一切ないのもおかしい事でしょう。

どうにも貴方は、「日本擁護」という観点から見ているようですが
「『(日本に対する)好意や親切心のためだと思ったことはありません。私は正しいことをしたかったのです」
とパール判事は言っている事から、パール判事にとって日本を擁護したわけではない事が解ります。
戦時中の行動について「擁護している」「否定している」なんていう、日本的史観ではパール判事の記事は書けません。
パール判事は徹底した平和主義思想の持ち主で、ガンジーを信奉していた。
そして、暴力に対する激しい憤りを感じている。
それは、日本のみならず欧米諸国へも向けられていた。
つまり、パール判事は日本や欧米を越えた世界的視野の持ち主であったという事です。
日本を擁護したとか、否定しているとか、そういう観点でパール判事を語るのは「間違い」でしょうね。
そして、そういう人が編集に参加しているとなると、記事そのものが歪められても仕方ないのかなと思います。
貴方のリンクして下さったところにも書いてありますが、パール判事については、NHKが放送しています。
NHKの放送を見て、もしこの記事を見たらどうでしょうか?
違和感を感じずにはいられないでしょう。
「それも一つの側面だ」というなら、それは間違いです。
なぜなら、ウィキペディアは「一つの側面」を書くものではないからですね。

>名無しさん
南京事件に関する記述は既にコチラが提示したものの片方だけを示したものでは無いですか(きちんとレスを読み直してください)。もう一度提示しますね。判決文にはこうも書いてあります「すでに本官が指摘したようにこの物語の全部を受け入れる事は、 いささか困難である」「しかしその証拠を曲折とか、誇張とかを 感ずることなく読むことは困難である」中立を謳うならば、誇張への指摘も記述しなければなりません。また、現日本国憲法に関しては「アメリカから与えられた憲法」と否定的な発言をしていることは事実です。「平和憲法の精神の遵守」と「現日本国憲法の遵守」がイコールと断定出来る発言が載っている資料(パール判事がいつどこで発言したかが明記されているソース)とその該当部引用の提示をお願いします。大体「平和憲法遵守」は日本国憲法の改正を提唱している安倍首相も言っていますよ。単純に「平和憲法=現日本国憲法」という解釈は出来ません。日本擁護と解釈可能な言葉については、このような発言がありますが……「日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流れてゆくのを私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。誤られた彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書きかえられねばならぬ」……確かに、これは日本の擁護でも何でもなく、『日本の子弟が歪められた罪悪感を背負ってはいけないこと』『誤られた彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭すること』『誤られた歴史は書きかえられねばならぬ』のは世界的視野で公正に鑑みれば『当たり前の事』でしたね。ちなみにNHKスペシャルは既に閲覧済みですよ。Torannep

>Torannepさん
南京虐殺については、「宣伝と誇張を斟酌しても」と書いてありますから、それらの主張を踏まえて書くべきだと思いますよ。 問題は、彼の思想的な信念がどこにあるのかという事です。 彼は徹底した平和主義、ガンジー主義思想の人であるという事です。 そして、それは日本の軍事侵略を批判し、西欧列強による植民地支配を批判しています。 つまり、そこには暴力を憎む信念があります。 それを第一義的に書かない限りは、パール判事についての記事とは到底言えないでしょう。 この記事を読む限りにおいては、「パール判事は日本を擁護してくれた人なんだな」という印象しか受けません。 確かに嘘は一つも書いてないですが、こういうやり方はマスコミが良く使う「印象操作」と言われる手法です。 百科事典で印象操作はどうでしょうか・・・・・・。 >「平和憲法の精神の遵守」と「現日本国憲法の遵守」 私は最初から「平和憲法の精神の遵守」を明記して下さい。と申し上げてますよ。 それを「日本国憲法」と大きな枠組みにしたのは、あなた本人です。 あなたも認めている事なのですし、パール判事も戦後再三日本に渡って講演した際に主張し続けた事なのですから 平和憲法の精神の遵守を明記した方が良さそうですね。 それに付随してアメリカから押し付けられた制度等についても批判してますから、それも書くべきでしょう。 中立的な視点で見るならば、「パール判事がどのような思想的立場に立ち、どのような信念を持っていた人なのか」 それらについての記述は必要なものだと思いますよ。 そして、それらの記述がなされている資料は山ほどあるわけですからね。 彼の信念は、日本擁護とかいうものを超越して、平和主義的な思想に基づいています。 この記事からでは、その彼の信念の1%も読み取れません。 ただ、反欧米主義的で、日本を擁護したとしか取れません。反欧米主義なのは、欧米が武力によって今の地位に君臨した存在であるからです。 恐らく意図的に「日本擁護」にしたのでしょう。編集合戦があったようですしね。 日本の侵略(武力)に対する批判、欧米の武力に対する批判、全ての暴力に対する憎悪、これがパール判事の信念であり生涯守り通して来たものです。 この信念を印象操作によって歪めてしまう事は許される事ではありません。 パール判事が書いた「平和の宣言」を良く読んで下さい。 「戦争というものは、平和への方法として失敗である」とも言っています。 彼は、こうも言っています「日本は自らを自らで裁くべきだ、自らの行為を振り返り、愚かな行為を繰り返さないと誓うべきだ」 つまり、欧米から押し付けられたような反省の仕方ではなく、日本人は自らの主体的な意志によって反省して裁くべきだと主張しているわけです。 そこのところの解釈を間違ってはいけません。 日本を擁護しているのではないんです。 最後に、「世界の国々が武力を捨て政治を考えるべきだ。なぜなら、もはや武力は何の役にも立たなくなったのだから」 彼は、厳格な平和主義者であり、そして理想主義者であったわけですね。

>名無しさん
パール判事は思想家では無いので、思想を主に記述する必要は無いかと。印象操作云々の指摘は貴方の主観に基づいた評価なので参考になりません。さて、パール判事の言う平和憲法=現日本国憲法であるというソースを提示できないようですね。では、中立的な表記を心がけるならば「平和憲法の精神の遵守」について書いたとしても現日本国憲法に対しては米国に押し付けられた憲法と解釈し、批判していた事もまた明記すべきだと考えます。尚、『そこのところの解釈を間違ってはいけません』と書いていますが、名無しさんの「解釈」に興味はありませんし、ここは個人の「解釈」を載せる場所でもありませんのでお間違いなく。Torannep

>Torannepさん
パール判事をして、その思想を主に記述する必要がないというのは暴言ですね。 彼が平和主義・ガンジー主義という思想的信念に基づいて行動しているのは、誰の目から見ても明らかですからね。 だからこそ、彼の極東軍事裁判の判決書に繋がったのではないですか? そして、それ以降の講演や平和の宣言にも。 印象操作は、そのまま中立的観点の疑問に直結する部分です。 特にA級戦犯の句を紹介しているところは、パール判事とは全く何の関係もありませんね。 パール判事は日本を庇ったのではなく、自らの正義に基づいた判断を下しただけであり、それは日本の侵略について厳しい批判をしている事からも読み取れます。 それらのパール判事の「思い」を利用し、貴方個人の考えで歪めてしまう行為は慎まなければなりません。 「平和憲法の精神の遵守」は、そのまま9条の精神そのものです。 アメリカから押し付けられたものではなく、日本が自分自身で平和憲法の良さ、尊さを学ぶべきだとパール判事は主張してるわけです。 これは、俺個人の解釈ではなく、パール判事の言葉によって明確にされてる事でもありますから、解釈問題にしてしまうのは強引に過ぎると思います。 絶対的な平和主義、そして理想主義者であったパール判事は、平和の宣言でも述べている通り、世界に武力など必要ないと主張しています。 そして、日本の侵略や欧米列強の武力的支配に対する明確な嫌悪の念を抱いています。 それらを記述する事がパール判事を理解する上で重要かつ必要な部分ですし、それはパール判事の言葉や著書からも明確です。 私は「どうせネット情報だから」等と思って欲しくはありませんから、出来得るだけ中立な視点で書くべきだと主張しておりますが、編集の権利を持つのは編集者ですからね。 編集者の自己の責任と尊厳と広角的な視野によって編集されるのが一番重要だと考えています。 この記事を、パール判事の事を勉強している人が見たらどう思われてしまうのか、そして知らない人が見てそのまま鵜呑みにしてしまい、 この記事の知識をどこかでひけらかしても訂正されてしまう危険性が非常に高い。 そうした時に、編集者本人のみならず、ウィキペディアそのものの信用性にキズが付いてしまう事は非常に憂慮すべき事態と言えるでしょう。 あなたの言ったように、ここは個人の解釈を載せる場ではありませんので。

>名無しさん
そんな個人的な解釈を延々と並べられても困ります。人物について記述するなら経歴・業績・思想・関わった大きな出来事等を適切に提示することが必要で、とりたてて思想を主にする必然性はありません。尚、ウィキペディアの信用性云々も的外れです。記述に「訂正」が必要な「誤り」があると言うのならソースを添えて指摘してください。また、パール判事の言う平和憲法=現日本国憲法であると確定できる情報の出典は提示できないようなので、憲法に触れた記述が記載された場合「アメリカから与えられた憲法」という日本国憲法への辛辣な評価も併記すべきだと考えます。詩歌は、無罪判決を言い渡した戦犯達のパール判事への評価なので露骨に関係があるでは無いですか。擁護云々に関しては認めていますよ?パール判事が『日本の子弟が歪められた罪悪感を背負ってはいけない』『誤られた彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭する』『誤られた歴史は書きかえられねばならぬ』と述べていたのは日本擁護の為では無く、世界的視野で公正に鑑みた結果であると。Torannep

パール判事の思想面について、「主とする」のでは無く「記述を追加」をするという形ならば別に問題ないと考えます。勿論、その時には「中立」と「検証可能」であることを重視し、個人的な解釈があれば指摘、修正させて頂きますが。ちなみに思想面を表す言葉として「日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って(略)」「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には(略)」等のメッセージを提示するのもよいかもしれませんね。Torannep

>>Torannepさん
>>個人的な解釈を延々と並べられても困ります 残念ながら個人的な解釈ではなく、パール判事の著作である「平和の宣言」に全て述べられている通りです。 個人的な解釈は、まさにこのパール判事の記事そのものが個人的な解釈に固執しています。 「訂正」というよりも、「追記」ですね。 それと出展については、それぞれに明記してありますよ。「平和の宣言」や「パール判事の判決書」、A.M.バタチャルジー氏のコメント、NHKで放送されていたパール判事の肉声等。 >>憲法に触れた記述が記載された場合「アメリカから与えられた憲法」という日本国憲法への辛辣な評価も併記すべきだと考えます。 それは俺は賛同しています。 「平和憲法の精神の遵守」というのは、平和の宣言にも記載されている内容ですし 「日本は自らを自らで裁くべきだ、自らの行為を振り返り、愚かな行為を繰り返さないと誓うべきだ」というのは、パール判事の肉声です。 パール判事の人生とは直接関係のない詩歌にまで広範囲に及ぶのであれば、A.M.バタチャルジー氏のコメント 「パール判事は自分の判決を根拠に日本の侵略行為が支持されることがあってはならない、と言っていました。」 というのも載せておくべきでしょう。 バタチャルジー氏は実際にパール判事と関わった、パール判事の後輩なのですから、詩歌よりは近い存在だと言えるでしょうしね。 >>「日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って(略)」「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には(略)」 俺が理解出来ないのは、パール判事の日本擁護部分だけをなぜ取り上げようとしているのかです。 上記の記載も構わないでしょう。しかしながら、パール判事が南京虐殺や、バターン死の行進、植民地化と、侵略戦争、それらについても非常に厳しい主張をしていたのも事実なのです。 なぜそれらを併記しないのか。俺は理解に苦しみます。 中立的視野に立つ人間であれば、パール判事がどのような思想的立場にあったのか理解出来ると思います。 「世界の国々が武力を捨て政治を考えるべきだ。なぜなら、もはや武力は何の役にも立たなくなったのだから」 この言葉は、パール判事の肉声ですが、欧米の植民地政策を批判し、欧米による日本への不当な裁判を批判し、更には、日本軍による侵略や残虐行為を批判し、 日本の平和憲法の精神の遵守を主張し続けて来たパール判事の頑ななまでの信念です。 彼はこうも言っています「私は日本を守りたかったわけではない。正しい事をしたかったのだ」 その通りに、パール判事は日本の侵略戦争に対して激しい憤りの念を感じていたのは、判決書からも読み取れる事実です。 彼の主張している信念は解釈なんて余地もないほどハッキリしています。 中立を望むのであれば、自己に都合の良い部分だけを切り出さず、パール判事の信念と生き方を書き出すべきでしょう。 それこそが「信頼の置ける記事」と言えるのではないでしょうか。

>名無しさん
何度も言うように、個人的解釈や感想等は熱く語られた処で知ったことではありません。こちらが求めた「平和憲法の遵守=現日本国憲法の遵守」であることを示す文言の引用も出来ていないようですし、本文中から「訂正」が必要な「誤り」と断言できる文言も提示できないようですね。で、それを指摘すると自分の言っていることを微妙に変えてくる。さすがに呆れました。――それにしても、馬脚が現れたというか何と言うか『俺が理解出来ないのは、パール判事の日本擁護部分だけをなぜ取り上げようとしているのかです』と述べていますが、パール判事は日本を擁護していないと主張していたのは誰ですか?まず自分のレスを読み返すことをお勧めします。Torannep

>Torannepさん
「平和憲法の精神の遵守」については、著作「平和の宣言」にて明記をされています。 それとは別に、アメリカからの押し付け憲法であるとの発言もありますので、それを明記なさっても良いでしょうが 明記の仕方によって印象がずいぶん変わってしまうものですから、中立的観点からの追記をお願いします。 それと何度も言うようですが、訂正ではなく追記をお願いしていますよ。片方だけの見方によって閉ざされた視界で見る事は間違いでしょう。 例えば東京裁判における主張であっても、日本の侵略とバターン死の行進、植民地化などについての彼の厳しい批判が記載されておりません。記載されている部分といえば、南京虐殺においてのみのですが、これがまたおかしな書き方をしていまして 「パール判事は親日家故に日本に有利な主張をした」という事に対する反論として書かれていますね。 南京虐殺や日本の侵略に対する厳しい追及は、反論ではありません。判決書にそのまま記載されている事なのですから、彼の暴力を憎む信念そのものと考えるのが妥当であり、「パール判事は親日家故に日本に有利な主張をした」に対する反論として書いているのは、編集者の個人的な解釈によるものでしょう。個人的な解釈を語られる事を嫌っておきながら、自身は個人的解釈に固執している。これは呆れてしまいますね。 パール判事は日本を擁護していませんよ。それを、あたかも日本擁護にみえる部分だけを取り上げているのは、中立な観点からみる記事としては不適当であると主張しているのです。 俺は幾つもパール判事の肉声や平和の宣言、バタチャルジー氏の発言などによって、その引用元を明確にしていますが それらについて一切書かれておらず、パール判事個人とは直接関係のない戦犯の詩句を書かれている事に疑念を抱かずにはいられません。 あなたのパール判事に対する見解は、非常に偏向的で中立的観点に欠けるものです。個人的解釈に終始していると言って良いでしょう。 何度も言いますが、俺は引用元をハッキリさせていますよ。 引用元をハッキリさせているのに追記しないというのは、どういう了見なのでしょうか? 記事が長くなるというのであれば、戦犯の詩句を削除し、パール判事の平和の宣言や肉声、後輩にあたるバタチャルジー氏の発言について論じた方が、よりパール判事個人の記事としては適当ではないかと思います。

>名無しさん
すり替えが露骨ですね。こちらが求めているのは「平和憲法の遵守=現日本国憲法の遵守」であることを示す文言です。これは全く引用されていません。こちらの質問を勝手に都合のよく摩り替えないで下さい。提示出来ないのであればパール判事の言う「平和憲法の精神の遵守」という言葉は現日本国憲法の遵守を指すわけでは無く、逆に現日本国憲法は批判対象であることを明記の必要ありと言う結論で宜しいですね?お答え下さい。「擁護」に関してもすり替えが酷すぎます。『パール判事にとって日本を擁護したわけではない』と述べたので、パール判事の言葉を引用して揶揄すると『パール判事の日本擁護部分だけをなぜ取り上げようとしているのか』と前言と矛盾するすり替え(稚拙なすり替えをするから、パール判事が日本を擁護していることになってしまいました)このすり替えを指摘されると『あたかも日本擁護にみえる部分だけを取り上げているのは』とまた再度すり替え。もう少し自分の言葉に責任をもったら如何でしょうか?。更に誤読に基づく思い込みも激しい。南京事件に関する記述は独立しています。反論として書かれている訳ではありません。というか擁護云々に関しては「事実誤認であり、自身も否定している」と結論付けられているでは無いですか(つまり「日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って(略)」「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には(略)」等のメッセージも日本への擁護でも何でもなく公正な判断によるものだということも示しています)。自分の書いた文章、人が書いた文章、そして本文をきちんと読むことをお勧めします。Torannep

>>Torannepさん
では、あなたは「平和憲法の精神の遵守」とは一体何のことだと思いますか? 日本国憲法は一般的に平和憲法と呼ばれているのはご存知だと思います。 それともパール判事独自の平和憲法があるのでしょうか?あるのであれば、その出展先を明記の上主張して下さい。 『パール判事の日本擁護部分だけをなぜ取り上げようとしているのか』これは申し訳ございません。俺の書き方のミスです。 『パール判事の日本擁護部分に見える部分だけをなぜ取り上げようとしているのか』というのが正しい主張です。 そして、なぜその部分だけを取り上げようとしているのか、その理由が明確にされていません。 東京裁判の判決書の中には、南京虐殺だけではなく、バターン死の行進や、植民地化等についても記載されていますので、記事にして然るべきでしょう。 もしかして、南京虐殺だけはその虐殺のあらましについて疑問点があり、パール判事の日本擁護に見える記述があるので、それだけを例として出してるわけではありませんよね? そうでないならば、その他の記述に関しても記載されるべきでしょう。 パール判事本人の判決書なのですからね。 そして、パール判事個人とは直接関係のない戦犯の詩句が紹介されていながらも、なぜパール判事の後輩であるバタチャルジー氏の発言や、何よりもパール判事の肉声、本人の著作である平和の宣言の記述がなされていないのか  その疑問についても、全く理解出来ません。 戦犯の詩句よりは、実際にパール判事と関わった人、そしてパール判事本人の肉声や著作が優先されるべきものであるのは明白でしょう。 その著作で主張している内容や、肉声、バタチャルジー氏の発言については前述しておりますのでご確認下さい。 俺の主張は、一部文言のミスはありましたが一貫しています。言葉尻を叩くだけでは誤魔化せませんよ。

>名無しさん
個人の「思う」「思わない」は関係ありません。尚、平和憲法云々については現日本国憲法に不備ありとして改憲しようとしている安倍首相も「平和憲法の精神の遵守」は謳っています。これは現日本国憲法の遵守と平和憲法の遵守は=では無い事例の一つです。また、証明責任があるのは「である」と主張している側です。さあ、遠慮なく「平和憲法の(精神の)遵守=現日本国憲法の遵守」であることを示すパール判事の文言を示してください。「平和憲法の遵守」が「現日本国憲法の遵守」と自動的になってしまうなら、パール判事と同じ「平和憲法の遵守」を述べている安倍首相は「改憲派」では無く「護憲派」になってしまいますよ。こちらは、パール判事が「現日本国憲法」を「米国に押し付けられた憲法」と批判している事はきちんと引用しました。同じような形でしっかり引用お願いします。詩歌に関しては東京裁判とパール判事を繋ぐ「直接関係ある人物」が戦犯です。逆に後輩なんてそれこそ関係ありませんね。パール判事に東京裁判という歴史的な場で「パール判事に」無罪宣告をされたA級戦犯は少数です。逆にパール判事の「後輩」は次々生まれていますから数千人以上でしょう。大体、後輩というだけでは、パール判事にも東京裁判にも直接関係無い人物な訳ですが。Torannep

>Torannepさん
それでは、「平和憲法の精神の遵守」を明記してもらいましょう。 これについては、パール判事も認めているのでしょう?それならば、「平和憲法の精神の遵守」を主張していると明記しても構わないでしょう。 そして追記で、「現日本国憲法はアメリカから押し付けられたものであり~」とするのが妥当でしょう。 日本の戦争責任についてパール判事は 「日本は自らを自らで裁くべきだ、自らの行為を振り返り、愚かな行為を繰り返さないと誓うべきだ」と実際に言っているわけです。 これも追記してもらいましょう。 そして、東京裁判での判決書は南京虐殺のみではありませんので、前述した他の侵略行為に対するパール判事の強い批判も追記してもらいましょう。 「世界の国々が武力を捨て政治を考えるべきだ。なぜなら、もはや武力は何の役にも立たなくなったのだから」 これも実際のパール判事の肉声ですので、追記するのが妥当でしょう。 戦犯については、パール判事個人とは実際に話してもいない人たちの事ですから、パール判事の記事とは関連性は低いと考えるのが妥当です。 関連性があると考えるのは、あなたの「個人的解釈」に過ぎません。 実際その詩句と関係があるのは、東京裁判の記事内においての事でしょう。 戦犯がパール判事と個人的な付き合いがあったとか、仕事上で何らかの関係があったという証明がなされているなら別ですが? 直接関わりがあると言うのは、実際に話した事がある、パール判事と友好があるという事です。 その点だけでも、バタチャルジー氏の発言は、戦犯の詩句よりはパール判事個人の記事に相応しいでしょう。 これを俺の個人的解釈と言うのならば、あなたの戦犯の詩句掲載も、あなたの個人的解釈でしょう。 俺が理解出来ないのは、なぜパール判事の肉声や著作で主張している事であっても、明記出来ないのかという事です。 俺は出展先をあげて、明確にしていますよ。 それなのに、なぜ追記出来ないのでしょう。 実際の肉声や平和の宣言で主張しているような内容すら記載出来ない記事というのが、本当に「中立的観点」に立った記事と言えるのか 甚だ疑問です。

>名無しさん
追記するのは自由ですよ。誰も制限していません。中立に問題があれば修正させてもらうだけの話です。尚、A級戦犯とパール判事が東京裁判と言う歴史的出来事で「裁く者・裁く者」として相対し「彼らに関して判決文を書いた」というこれ以上無い程の密接な関係が存在したのは単なる客観的事実に過ぎません。というか……仕事上で関係云々て正気で言ってます?東京裁判で検事を務めていた(仕事をしていた)時、思いっきり関わっていますよ。『直接関わりがあると言うのは、実際に話した事がある、パール判事と友好があるという事です』←こういうのを個人的解釈といいます。――それで、バタチャルジー氏は後輩という他に直接的に密接な関係があるのでしょうか?ならば、ソースを宜しくお願いします。ああ、それと。「この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のため蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済的に封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。」こんな言葉もありますから、中立を重んじるのなら勿論「追記」するのですよね?Torannep

更にはパール判事自身が書かれた詩を紹介するのも良いかも知れません。本照寺の「大亜細亜悲願之碑」に「抑圧されたアジア解放のためその厳粛なる誓いにいのち捧げた魂の上に幸あれ」(本文はもっと長い)と書かれたものは有名ですね。Torannep

>Torannepさん
情報があるなら、出来るだけ追記すべきです。それをなぜ、俺に聞くのか理解出来ません。俺も情報を提供しました。そして、また情報があるのなら、追記すべきでしょう。 もしかして、俺がある思想のためにパール判事の記事を批判してると思っていますか? もしそう思われているなら、心外この上ないですね。 俺は最初から言ってるように、「東京裁判のみに固執している」「情報が偏っている」としてこの記事を批判しているわけですが その情報が多いなら、出来得るだけ追記しておくべきです。 情報の開示は、どの記事であっても基本でしょう。 それと戦犯の詩句については、パール判事個人の人生とは何の関わりもありませんので、東京裁判の項に移転するべきでしょう。 パール判事の裁く者としての意見はなく、裁かれる側としての意見なのですから、これは当然でしょう。 俺は、パール判事の後輩であり、そして実際にパール判事と面識のあったバタチャルジー氏の発言も取り入れるべきだと申し上げているだけです。 直接的に密接な関係がないのであれば「パール判事は自分の判決を根拠に日本の侵略行為が支持されることがあってはならない、と言っていました。あの当時、侵略戦争は国際法上はは犯罪と認められないとの立場でしたが、イギリスであれ、アメリカであれ、日本であれ、侵略戦争は悪いことだと言っていました」このような発言はしないでしょう。 それとも、元カルカッタ高裁長官が偽りを言っているとでも仰るのでしょうか? もしそうであるなら、偽りであるという証拠を提示して頂かなくてはなりません。 俺のこの発言のソースはNHKの番組ですが、実際映像として残り、バタチャルジー氏本人が出演なさっています。 この証拠を崩したいのであれば、明確な論拠を示して下さい。 逆に俺は疑問なんです。 パール判事と関わりのあったバタチャルジー氏の発言を、なぜ明記する事が出来ないのか。 しかも、「パール判事はこう言ってたいた」という発言なのにです。 もしその発言に偽証を感じられるのであれば、バタチャルジー氏を悪意の証人として証明しなくてはなりません。 あなたはそれが出来ますか? 出来ないのであれば、それはパール判事が言っていたという事になるでしょう。 パールが判事が言っていたというのであれば、当然追記すべきですね。 「この過ちが~~」のこの過ちというのは、原爆投下の事ですね。 激動し 変転する歴史の流れの中に 道一筋につらなる幾多の人達が万斛の想いを抱いて死んでいった  しかし大地深く打ちこまれた悲願は消えない  抑圧されたアジア解放のため その厳粛なる誓いにいのち捧げた魂の上に幸あれ  ああ 真理よ!  あなたはわが心の中にある その啓示に従って われは進む  ですね。これと上の「この過ち~」の文章は、1952年11月5日原爆慰霊碑の前での発言ですね。それも追記しましょう。

>名無しさん
呆れました。こちらが提示しているのはパール判事に裁かれた戦犯と一後輩では重要度が全く違うということです。誰も書くな等言っていないでしょうに。書くならば「中立」を保つように要請しているだけです。戦犯は東京裁判にもパール判決文にも絶対に欠かせない存在ですが、後輩はいてもいなくとも変わりません。客観的に見ればどちらが重要かは明らかですね。戦犯の詩歌を削除し、後輩の評価のみを載せるのは恣意的な編集と言えるということを証明しただけの話です。……妄想で敵を作り出して反論……というレベルではありませんね「噛み付かれて」も困りますよ。もう一度言いますが、相手の文章をきちんと読んだらいかがでしょうか?ちなみに、元英国内閣官房長官で国際法の権威であるロード・ハンキーは『戦犯裁判の錯誤』という著書の中で「東京裁判におけるパール判事の日本無罪の主張は絶対に正しい」と述べているとのこと(世界が裁く東京裁判)。それも記述しましょうか。Torannep

>Torannepさん
俺が言っているのはですね。パール判事の後輩が、パール判事を個人的に評価しているのではなく、パール判事の言葉を伝えているという点にあります。 ただの後輩が個人的にパール判事の事を評価しているのではありません。 パール判事が「こう言っていた」と述べている事が重要なんです。 それはパール判事の言葉だから重要なんですよ。 他の人の批評を入れるなら、中島 岳志氏の書いた「パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義」の言葉も入れますか? パール判事について、作家本人が個人的な批評をしている著作は山ほどありますよ。 それこそ、この記事がパンクしてしまうほどにね。 しかし、「パール判事はこう言った」というのが重要なんですよ。 後世の評価については、両論併記が必要になりますし、その数は膨大なものになるでしょう。 しかしそれはね、パール判事とかけ離れてしまう可能性が多いにあるわけです。 だから俺が明記して欲しいとしている全ては、パール判事の肉声であったり、自身の著作「平和の宣言」の内容であったり、「パール判事はこう言っていた」という言葉だったりするわけですよ。 俺が戦犯の詩句が関係ないと言っているのは、まさにこの1点のみです。 パール判事の言葉、著作、それらに関係のないものは出来得る限り控えるべきだと言っているんですよ。 なぜなら、パール判事の言葉ではない部分が出て来てしまうと、「個人的解釈」になってしまうからですよ。 ハンキー氏にしろ中嶋氏にしろ、作家の「個人的解釈」なんですよ。 それを入れてしまうと、パール判事を評価する人、否定する人、どう評価しているのか、等々様々な主張を取り入れる必要が出て来ますね。 俺も、自身の個人的解釈を述べてしまいました。あなたも、そしてそれは、戦犯の詩句も同じです。 戦犯の個人的な解釈によって評価した詩句に過ぎませんよ。 こういう詩句を述べる場所があるとすれば、一番良いのは、戦犯の個人の項に載せるべきですよ。これは以前にも主張した事です。 しかし、それでは記事が膨大になり過ぎてしまうでしょうし、その内容を両論併記にするのは難しい問題でもあります。 だから俺は、パール判事の言葉、著作を重視しているのです。

>名無しさん
ふう、また微妙に修正ですか。パール判事の後輩の言葉は発言場所・時期の明確では無い個人的伝聞です。どのような文脈で語られたかも明確では無い。その程度でもよければ「パール判事の日本無罪論 」の著者田中正明氏が個人的に聞いたとされる発言場所・時期・文脈が明確では無い伝聞の数々も掲載しなければ中立とは言えませんね。田中正明氏はパール判事と個人的に親しくして肉声を聞く立場でしたから、名無しさんの奇妙な条件にも合致します。尚、深く関わりのある人物や国際的に権威のある人物の「評価(個人的解釈)」は人物を表すのに大切な要素です。記述するのは当たり前の事。故に詩歌の削除には全く賛成できません。勿論、戦犯とパール判事、判決文。それらが全く関係ないのなら同意しますけどね。つまり「パール判事は実は戦犯を裁いていない」「判決文に戦犯の事は書かれていない」と証明できたら削除もやぶさかではありませんよ。Torannep

>Torannepさん
田中氏の文面の中に「パール判事がこう言っていた」というものがあるなら、当然掲載すべきでしょう。 ただ、田中氏の個人的見解は必要ありません。「パール判事がこう言っていた」というものだけです。 そして、バタチャルジー氏の「パール判事がこう言っていた」という文章も掲載しなくてはいけないでしょう。 当然バタチャルジー氏の個人的見解も必要ありません。 学者や知人の個人的解釈を入れてしまうと、両論併記の原則から記事自体が非常に膨大なものになりますからね。 >>深く関わりのある人物や国際的に権威のある人物の「評価(個人的解釈)」は人物を表すのに大切な要素です。  ですから、それを言い出すとキリがないでしょう。 当時パール判事を批判していたパトリック判事も深く関わりがあり、国際的に権威のある人物ですよ。 スコットランド弁護士会の会長を48歳の若さで就任し、2年後にはスコットランド最高裁の判事に就任、 東京裁判にも判事として参加した、国際的に権威のある人物です。 もし、戦犯の詩句を掲載するならこの人の痛烈なパール判事批判も入れるべきでしょうね。 しかし、そんな事をしていたら本当にキリがなくなってしまうと思いますよ。 資料の数が膨大に過ぎると思いますが、どうでしょうか? それと、パール判事の肉声、著作、発言については記載しなければなりませんよね? 日本の侵略行動、植民地化、そして「武力はもう必要ない」等の発言、自身の著作である平和の宣言の中での主張 前述してありますが、これらは全てパール判事の言葉です。記載しなければならないでしょう。 これすらも記載されないような記事では、中立的観点を疑われて仕方ないと思いますよ。

>名無しさん
別にパトリック氏のパール判事批判も載せても問題ありませんよ。単なる後輩や作家が聞いたとする文脈・時期・場所が不明な伝聞ですら入れるのですから、国際的に権威を持つ評論家や深く関わった人物の評を載せるのは当然の話です。肉声云々で行くなら、それこそ膨大な量になりますけどね「日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って(略)」「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には(略)」や本照寺の詩歌は勿論、南京事件についても「本件に関連し、松井被告が法的責任を故意かつ不法に無視したとみなすことは出来ない」と日本軍の南京攻略についての最高責任者である松井石根大将の罪を明確に否定し、軍首脳である彼が防犯と秩序維持に努めたことを認めた文言が存在すること。つまり「事後法」を理由とした無罪主張ではなかったことも明記の必要ありだと考えます。Torannep

>Torannepさん
俺が何度も言っているのは、パール判事の肉声、著作、発言などで明記されている事を記事にすべきだという事です。 戦犯の詩句、パトリック判事の個人的見解などは、記事にするべきではないという考え方は変わりません。 >>単なる後輩や作家が聞いたとする文脈・時期・場所が不明な伝聞ですら入れる 田中氏やバタチャルジー氏の「パール判事はこう言った」という発言 それに対して、田中氏やバタチャルジー氏が「悪意の証人である」という明確な根拠がない場合は、その発言について否定し得ないでしょう。 例えバタチャルジー氏や田中氏の発言を抜きに考えたとしても、パール判事の日本軍の侵略に対する批判、植民地に対する批判、捕虜に対しての残虐行為に対する批判、これらも判決書に明記されている文面ですし 平和の宣言に書いてある内容も前述した通りです。 そして、肉声については1966年10月、最後の訪日の際に国際法の専門家と対談した時の肉声です。内容については前述した通りです。 これらについても、一切の記述がありません。 しかも、パール判事の著作である「平和の宣言」からの引用が一切ありません。 >>日本の保守系論者(伊藤哲夫:日本政策研究センター)は「『戦争を始めたのは日本ではなく、アメリカなのだ』ということを意図したものである」と主張している。 こういう内容は記事にされているのに、です。 これはパール判事の言葉ではなく、保守系論者の解釈でしょう。両論併記の原則から見れば、この記事内容は削除すべきでしょうね。 保守論客者の解釈を入れてしまえるなら、中島氏等の専門家の解釈も好きに入れてしまえるわけで こういった部分も、俺が「中立的観点からの疑問」と思っている個所でもあるのですよ。 確かに編集は可能ですけど、勝手に編集してしまうと、最悪の場合、編集合戦になってしまう事になり、場が荒れてしまいます。 だから俺は、「こういう部分を追記して良いですか?」という主張を述べなくてはいけないわけです。

>名無しさん
貴方の「べき論」には興味ありません。人物の記事を編集する際に検証可能な他者の評価が書かれるのは他の記事を見ても自明ですから。個人的な「べき論」で記事を消すようなことがあればリバースします。尚、確かに『戦争を始めたのは日本ではなく、アメリカなのだ』という主旨が中島氏の(保守派の)解釈とだけ書かれているのは中立的観点から見れば問題であることは同意します。『この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない(中略)アメリカこそ開戦の責任者である』という言葉で明確に米国の責任であることを提示しているのですから、保守派の解釈としての紹介ではなく、パール判事自身の判断として開戦の責が日本では無く米国にあると述べた事を書くのが適当です。Torannep

要出典

「ハル・ノートのようなものをつきつけられれば、モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう。」との発言が載っていますが、これは本物でしょうか?出典をお願いします。ФК Партизан 2006年9月15日 (金) 12:54 (UTC)

それはおれも聞いたことがある。地底怪獣 2006年9月15日 (金) 12:58 (UTC)

あまりに有名なので調べる気があるかどうかの問題です。ユーザーФК Партизан利用者:TEy氏の注文は相手を煩わせるだけを意図する一種の「編集妨害」と言えるものです。「ハルノート モナコ」ででも検索すればいいでしょう。マックル 2006年9月16日 (土) 05:40 (UTC)

「ハルノート モナコ」で検索すればたくさんのサイトが見つかりますが、いずれも出典を明示していません。右翼お得意の捏造なのではないですか?ФК Партизан 2006年9月16日 (土) 06:47 (UTC)

出典らしきものがみつかりました。やぱりパールの言葉ではないようです。

「ハル・ノートのようなものをつきつけられれば、モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう」というコメントは、パール自身の言葉ではありません。これはA・J・ノックという歴史家の文章(1943年に出版された”Memories of a Superfluous Man”の一節)で、ブレイクニー弁護人が東京裁判の最終弁論で引用したものです。パールはブレイクニーの主張を受けて、自身の『判決書』のなかで「現代の歴史家でさえも、つぎのように考えることができたのである。すなわち」という言葉を添えて孫引きしました。

[1] ФК Партизан 2006年9月16日 (土) 07:05 (UTC)

A・J・ノックの考えをブレイクニー弁護人、パール判事が肯定したうえで、パールはその判決書の中でその言葉を書いていることでパール判事の考えであり言葉とも言えますが、語弊を避ける為にいくぶん正確に改めておきました。一応お言葉を返しておきます。左翼は捏造がお得意というのが定番でしたが、右翼の捏造であるかのように演出するのがお得意の左翼もおられたんですかね?マックル 2006年9月16日 (土) 08:25 (UTC)

引用した=自身の考え、と言うのもまた短絡的な帰結ですが、個人的な思考趣向に文句を言っても始まりませんね。ただ記事中の記述に関してはマックルさん自身が言われているように語弊を避ける必要がありますので、出典のない記述に関しては整理しました。なお、出典テンプレートは出典を明記されるまで剥がすことはお控え下さいね。--TEy 2006年9月16日 (土) 12:54 (UTC)

あなたこそ本文がすでに適切に訂正されているのを確認しなさいね。リモコン編者 2006年9月16日 (土) 13:05 (UTC)

「適切に訂正」と考えるのはリモコン編者さんの御自由ですが、そうでないと考える者もいるということも覚えておいてくださいね。とりあえず出典テンプレートは戻しておいて欲しいと思います。--TEy 2006年9月16日 (土) 13:15 (UTC)

利用者:TEy氏の注文は相手を煩わせるだけを意図する一種の「編集妨害」と言えるものです。パール判事がそうした高い評価受けている事は記事の「経歴」でも明らかですしご自身で確認を取った上で「要出典」が必要なら貼るべきでしょう。そうしないと「要出典」を悪用して相手の編集を封じるという利用者:TEy氏のような編集妨害者が横行しますから。マックル 2006年9月16日 (土) 13:25 (UTC)

出典テンプレを適応された場合は出典を明記すれば良いだけの話だと思いますが?さらに、記述を削除されている訳でもないのに「編集妨害」とはどの様な論理でそこに帰着するのでしょうか?正直分かりかねます。--TEy 2006年9月16日 (土) 13:34 (UTC)

あなたは「要出典」テンプレを貼り付ける前にご自分で確認作業をされましたか?あなたが採った確認作業を具体的に開陳してみてください。何もしていないでしょう?マックル 2006年9月16日 (土) 13:39 (UTC)

「何もしていないでしょう?」とはまた攻撃的な質問をされますね。質問する時点から正解を決定してる方に解答する価値は見いだせません。マックルさんは「編集妨害」と論理飛躍する前にWikipedia:検証可能性に目を通して頂けるようお願いいたします。また、Wikipedia:検証可能性にはあのように書いてありますが、個人的にテンプレ貼付の際には最低限の検索程度はしますよ、編集者への敬意の問題として。--TEy 2006年9月16日 (土) 13:56 (UTC)

ですからあなたの行った「最低限の検索」を具体的に開陳してくださいとお願いしています。「こうこうこのように確認する為に検索しましたが出典が見当たりませんのでテンプレを貼らせていただきます。」とするのが編集者への敬意として最低限のもので、ただただリバートを繰り返す行動は問題です。上記のような相手の編集を封じるという「要出典」を悪用する行為の乱用の防止にもなりますのでご協力ください。マックル 2006年9月16日 (土) 14:10 (UTC)

Wikipedia:検証可能性を熟読の上、ご協力をお願いいたします。--TEy 2006年9月16日 (土) 14:13 (UTC)

Wikipedia:検証可能性は既に読んでおります。「検証可能性」がこの場合どうだと仰りたいのか意味が分かりません。あと先ほどの、相手の編集を封じるという「要出典」を悪用する行為の乱用の防止の為にもあなたの行った「最低限の検索」を具体的に開陳してくださるようにご協力をお願いします。マックル 2006年9月16日 (土) 14:21 (UTC)

Wikipedia:検証可能性熟読の上、内容を御理解頂き、ご協力をお願いいたします。--TEy 2006年9月16日 (土) 14:27 (UTC)

質問への回答も「最低限の検索」の具体的な開陳にもご協力いただけないようですから、「要出典」テンプレの貼り付けを断念されたと理解しました。マックル 2006年9月16日 (土) 14:34 (UTC)

解答を解答と認識して頂けないのは甚だ残念ですが、編集合戦を自身で発生させるのは気が進みませんので私自身は本記事へのテンプレ貼付は致しません。今後マックルさんがWikipedia:検証可能性を熟読され解答を理解されましたら、自身の手でテンプレ貼付をしていただけましたら幸いです。今後のマックルさんの御活躍を期待いたします。--TEy 2006年9月16日 (土) 14:40 (UTC)

これ以上編集合戦を自身で発生させる気が進んでいただいては困りますよ。既に述べたように、Wikipedia:検証可能性は既に読んで自分なりに理解しております。その上で「相手の手を煩わせたり相手の編集を封じるという意図で「要出典」を悪用する行為の乱用防止する必要があると考えています。テンプレを貼り付ける前にその確認作業を具体的に開陳する義務を方針に提唱しようと思いますが、管理者としてTEy氏はそのような必要はないと考えますか?マックル 2006年9月16日 (土) 14:58 (UTC)

「自分なり」ではなくて「記述通りに」理解してご協力願いたいと思います。「要出典」テンプレの貼付ガイドラインの改訂に関する件ですが、私としては意味がないと思いますよ。理由は簡単です、Wikipedia:検証可能性の方針2.と3.を御覧になれば容易に御理解されると思います、テンプレ貼付ではなく、いきなり削除され、その結果編集合戦に突入するでしょう。「要出典」テンプレの方がよほどソフトな問いかけです。ついでですが、Wikipedia:検証可能性の方針2.と3.に関しても私は適当だと思います、なぜならば記述した本人、もしくは該当記述を記載したい人間であれば出典を把握していて当然ですから、仮に嫌がらせの削除(もしくはテンプレ貼付)であっても容易に出典を示す事が可能であるからです。--TEy 2006年9月16日 (土) 15:14 (UTC)

「自分なり」の意味を「自分勝手に」と解釈されたようですね。それはさておき、「テンプレ貼付ではなく、いきなり削除され」はテンプレを貼り付ける前にその確認作業を具体的に開陳する義務を課した場合、面倒なのでいきなり無言リバートするだろうということですね?意味は分かりますが現状無言リバートの方がより横行していますから、そうした者はそうした義務があろうとなかろうと無言リバートを行ってきます。原則無言リバートについても一発ブロックなりの方針を定めるべきでしょう。その上で、そうした者は「要出典」テンプレをも悪用しようと考えますからその義務は生きてきます。「要出典」テンプレを悪用しようとする気のない善良な者は「確認作業の開陳義務」は当然の義務と考えるでしょう。いくら記述した本人、もしくは該当記述を記載したい人間であっても、「出典義務」を乱発悪用されては煩わしくてお手上げです。相互に義務があってこそ今回のような不信からもたらされるトラブルも回避できると思われます。マックル 2006年9月16日 (土) 15:48 (UTC)

マックルさんの理論では、「原則無言リバート一発ブロック」であって初めて意味を持つ改訂ですのでまずは、Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針でそちらの合意を形成して下さい。でなければ机上の空論でしかありません。また、それ以前の問題として、私は相互不信に起因するトラブルが運用ガイドライン程度で回避可能と考えるほど楽観的になれません。--TEy 2006年9月16日 (土) 16:01 (UTC)

「原則無言リバート一発ブロック」がなくても意味を持ちますよ。最低でも「要出典」テンプレを悪用しようとする者は排除できます。無言リバートや「要出典」テンプレを悪用する悪質者の選択岐が一つ減るわけですから、仮にそれで無言リバートがさらに激増すれば「原則無言リバート一発ブロック」の必要性が提起されることになります。何にしても「要出典」として相手に教えを求めるものが、まずその前に自分で可能な範囲で確認すべきであることは常識的な礼儀でしょう。マックル 2006年9月16日 (土) 16:31 (UTC)

「要出典テンプレ」を悪用するユーザと、「リバート」を悪用するユーザを分けて論議する意味がわかりません。なぜ「要出典テンプレ悪用派」(なんだかな)、は「リバート」を悪用せず、「リバート悪用派」は「要出典テンプレ」を悪用しないのですか?--TEy 2006年9月16日 (土) 16:39 (UTC)

考えすぎです。出発点はこれに答えればゴールは見えてきますよ。何にしても「要出典」として相手に教えを求めるものが、まずその前に自分で可能な範囲で確認すべきであることは常識的な礼儀でしょう?間違ってますか?マックル 2006年9月16日 (土) 17:01 (UTC)

程度問題でありつづけると思うのですが。百歩譲って、要出典テンプレで嫌がらせが可能になるとしても(なるとはあまり思えませんが)、出典が求められている=疑義がついていることを読んでわからない状態にしておく理由はありません。「「出典義務」を乱発悪用されては煩わしくてお手上げです煩わしくてお手上げです」というのはわからないではありませんが、一切答えないというのも不誠実だし、そのへんは普通の人間関係と同じなんじゃないでしょうか。「煩わしくてお手上げ」という言い分だって乱発しておきゃ何でも書き逃げできるということになります。--Iosif 2006年9月16日 (土) 19:35 (UTC)
「要出典」テンプレに調査義務を課したところで相互不信の解決にはなりませんよ。次は調査内容の程度が問題となり、次は内容評価の指標が問題となるだけです。「要出典」問題に関しては、出発点を考えるのではなく、ゴールを考えなければ無意味な手続きが増えるだけです。「要出典」問題を解決する事が可能なゴールとは何でしょうか?、言うまでもなく適切な出典を明解にすることです。それ以外に「要出典」と巡って相互不信に陥ってる二者の関係を解決する事はできません。そこまでの手順、手続きを増やす事は問題の解決を遅らせ、リソースの無駄遣いとなるだけです。--TEy 2006年9月17日 (日) 00:47 (UTC)

先日確認いただいたように、質問への回答も「最低限の検索」の具体的な開陳にもご協力いただけないようですから、「要出典」テンプレの貼り付けを断念されたと理解しました。悪用防止の為にもまず自分で可能な範囲で確認すべきという常識的な礼儀にご協力を。マックル 2006年9月19日 (火) 05:14 (UTC)

出典を明示すれば済むことです。「検索すれば分かる」というのなら、あなたが検索した結果を貼れば済みます。 -- NiKe 2006年9月19日 (火) 05:28 (UTC)
マックルさんの御質問には既に両方回答しております、回答を回答として理解されないのであれば仕方ありませんが、「テンプレ貼り付けを断念した」と想像力を豊かにされても困りますね。仮に、私が断念したとしても他の方も「出典」が必要だと考えておられるようですし。なお、回答がいただけなかった、出典テンプレ貼り付けに先んじたガイドラインについては御理解いただけましたか?義務化したところで、現在のマックルさんのように調査レベル、レベル評価の指標が問題となるだけで無意味です。--TEy 2006年9月19日 (火) 05:39 (UTC)

乱用、悪用防止はもちろん、何よりも基本的な礼儀としてマックルさんのご意見を支持します。左系論客は常識を敢えて否定しているあたりで嫌がらせと見なされても仕方ないでしょうね。Uponlocal 2006年9月19日 (火) 07:39 (UTC)

御感想は謹んでお受けいたしますが、テンプレートガイドラインの制定に賛同されるのであれば論議の進展の為に、提示された問題点に対する御意見の提示をお願いできませんか。--TEy 2006年9月19日 (火) 08:06 (UTC)

日常的な礼儀の常識的範疇であるからしてガイドライン制定をするまでもないでしょう。あなたがたそれぞれが自分で可能な範囲でおこなった確認作業を示す事で基本的な相互協力姿勢を築くことが可能となるでしょう。Uponlocal 2006年9月19日 (火) 09:20 (UTC)

ガイドラインは個々の「常識」を整合する為に策定するものです。Uponlocalさんの「常識」と私の「常識」のように。--TEy 2006年9月19日 (火) 09:24 (UTC)

そのような礼儀は日常的な常識的範疇ですから整合するまでもないことと考えております。もちろん 反対意見者であるTEy氏がガイドラインに常識的な礼儀は不必要として「要出典」貼り付けになんら条件をつけないとする提言をされるのはご自由です。マックル 2006年9月19日 (火) 10:06 (UTC)

もちろんマックルさんが「要出典」テンプレートを貼付る際に確認作業を提示される事はご自由です。ただし、それを他者に求めるのであれば、Nikeさんの言われる通り、「要出典」テンプレのノートでガイドラインとして提案し、合意形成を成してください、その際には私も意見を述べさせていただきます。蛇足ですが、ガイドライン策定を飛び越して御自分の「常識的範疇」だけで「出典」テンプレを剥がさないようにお願いします。--TEy 2006年9月19日 (火) 10:34 (UTC)

履歴から確認できますがご自身の行動を振り返るべきでしょう。まずあなたは「詳しくは、この記事のノートを参照してください」とある{正確性}のテンプレをノートで説明もせず赤リンクのまま貼り付けて編集合戦を誘発しています。続いて今度は「要出典」テンプレを貼り付ける前にご自分で確認作業もしておられないのか、あなたが採った確認作業を具体的に開陳してみてください。との要請にも応じずに{要出典}を繰り返し貼り付ける嫌がらせを続けておられ、模倣犯まで誘発しているのです。ユーザーФК Партизан氏は礼儀としてご自身で確認作業をされ早々と解決を見ています。こうしたコミュニティ間のマナーがガイドラインにおいても基本中の基本となっており、それを遵守しない。TEyの要求に応じる義務はありません。今一度、基本的礼儀を踏まえていただいたうえで「要出典」を提起されますようにご協力願います。マックル 2006年9月19日 (火) 11:28 (UTC)

履歴をどのように解釈されたのか、私には知りようがありませんが、私が「要出典」テンプレを貼付た時にノートが赤リンクであったどうかは、履歴を見れば一目瞭然だと思いますよ。御自分の「常識的範疇」をいくら主張されても他者の理解を得るのは困難であると知る事をおすすめします。ましてや、御自分の結論ありきの質問をぶつしけにされたり、あまつさえ、自分の主張に迎合しないユーザを「模倣犯」扱いとは、今一度、基本的礼儀というものは如何なるものであるかを熟考されることを強くおすすめします。--TEy 2006年9月19日 (火) 11:55 (UTC)

よく読んでください「正確性」ですよ。2006年8月24日 (木) 08:52 TEy (ノート | 投稿記録) (+正確性) ですから明らかに赤リンクです。このようなとぼけた嘘を平気でつける方と基本的礼儀の議論をする意味もないでしょう。banということです。マックル 2006年9月19日 (火) 12:12 (UTC)

これは失礼、マックルさんが登場される以前の事だとは思い至りませんでした。確かにこの時点であればノートは赤リンクですね。しかし、「要出典」であれば「正確性」に疑問が出るのも当然の事です。「要出典」が同時に提示されたのですからノートに出典を提示すればよい話です。マックルさんの固執される「基本的な礼儀」とやらは別にすればですが。御自分だけで「礼儀」「ルール」を決めて荒らし扱い、結論ありきの質問、「模倣犯」扱いと、御自分だけのルールで行動したいのであれば、他者との共同作業には根本的に向かないと存じます。どうぞ御自分のHPなりBlogなりで御存分におやりください。--TEy 2006年9月19日 (火) 13:59 (UTC)

これも既に指摘したことですが、出典としては「経歴」にある以下の事実から明らかです。

「1952年、下中彌三郎(平凡社創業者、初代社長)らの招聘により、世界連邦アジア会議に参加、下中と義兄弟の契りを結ぶ。同年国際連合国際法委員会委員に就任し、同職を1967年まで務める(1958年度および1962年度委員長)。翌年下中彌三郎の招聘により三度目の来日。1955年、世界連邦カルカッタ協会会長に就任。1957年に国際連合常設仲裁裁判所判事、1959年にはナショナル・プロフェッサー・オブ・ジュリスプルーデに就任する。1960年、インド最高の栄誉であるPADHMA-RRI勲章を受章する。1966年10月に清瀬一郎、岸信介らの招聘により四度目の来日を果たす。その際には昭和天皇から勲一等瑞宝章を授与された。」

これらの事実を一つ一つ自分で確認するなりしなさい。そのうえで「要出典」貼り付けが必要かを相談に乗ってあげてもいいですよ。まあがんばってください、では。マックル 2006年9月19日 (火) 14:13 (UTC)

マックルさんが挙げられた上記の事実から、パールが高い評価を受けている事は分かりますよ。ただ「出典」を要しているのは「”法に則った判決を下した唯一の人物であるとして”非常に高い評価を受けている」という記述に関してです。上記の「経歴」のみを根拠とするならば「法に則った判決を下した唯一の人物」だから高い評価を受けたか、それとも他の要素で評価されたのか。それを判断することはできないでしょう。--TEy 2006年9月19日 (火) 16:12 (UTC)

パール判決書のどのセクションに「戦争を始めたのは日本ではなく、アメリカなんだ」との記述があるのでしょうか? また、法の不遡及原則にそった判決を下した唯一の人物として評価している国際法学者とは誰なのでしょうか?--TEy 2006年9月21日 (木) 13:15 (UTC)

どっちも元々書いてあったものであなたが前半はあなたが削除したもののようです。また「高い評価」の文章をダブらせておられるので直しておきます。Pianoman 2006年9月21日 (木) 13:30 (UTC)

いえ、Wikipedia記事中の話ではなく、refとされている『パール判決書』中のどの部分ですか?と言う意味です。Pianomanさんが微妙に記述を変更されたところから判断すると、やはり判決書に記載されたものではないようですね。閲覧者が誤解を避けるために正確な記述としておきました。重複記述の修正ありがとうございました。--TEy 2006年9月21日 (木) 14:38 (UTC)

どういたしまして。自分が書いたわけではないけれど最初の嫌がらせと思われるような削除よりそれがいいだろうと思います。Pianoman 2006年9月21日 (木) 14:53 (UTC)

法の不遡及原則にそった判決を下した唯一の人物として評価している国際法学者の代表は、 独ルール大学長のクヌート・イプセン教授。 ソースは佐藤和男/監修「世界が裁く東京裁判」ジュピター出版http://www.meiseisha.com/katarogu/sekaigasabaku/toukyosaiban.htm Torannep 2006年11月27日 (月) 15:41 (UTC)

移動提案

Wikipedia:検証可能性に示されている方針がおかしいというのなら、そちらのノートで。関連テンプレの使用法について文句があるのなら、テンプレのノートで。これ以上ここで続けても意味は無いでしょう。

(それにしても、これだけ騒いでおいて未だに出典が明示されないようでは、方針に基づいて削除されても仕方ないような) -- NiKe 2006年9月19日 (火) 09:04 (UTC)

あなたかなり論点がはずれていますよ。日常的な礼儀の常識的範疇で、自分で可能な範囲でおこなった確認作業を示すだけのことです。Uponlocal 2006年9月19日 (火) 09:20 (UTC)


ええ加減嫌がらせリバートやめては?Ikedat76 Iosif

2006年10月11日 (水) 15:22 Ikedat76 (ノート | 投稿記録) (Revert to revision 8103654 dated 2006-10-06 18:19:19 by NiKe using popups)--Kenkenpu 2006年10月11日 (水) 18:28 (UTC)

ノート:ラダ・ビノード・パール‎; 19:28 . . Iosif (ノート | 投稿記録) (rv/v.) --0signal 2006年10月15日 (日) 01:26 (UTC)

あなたこそ、何度生まれ変われば気が済むんですか、Peaceさん。--Gordon S 2006年12月19日 (火) 12:41 (UTC)

要出典と注文を付けられた場合に関して

上で、「要出典」テンプレートを用いて編集妨害を行うのは困るとの意見がありましたが、Wikipediaにおいては、出典を示す義務は編集した側にあります。ググれば分かるとか、当たり前だとかという理由で出典を提示しないことは、方針に沿っていないことになります。--DieWeisseRose 2007年8月25日 (土) 07:52 (UTC)

おっしゃる通りだと思います。Wikipediaにおいては、出典の提示は編集した側にあります。その関連ですが、

  • その一方、パールが中国側に対する理解の欠如や柳条湖事件等の経緯および当時の日本の国内情勢に関する事実誤認があるとの指摘がある

この記述が現在、要出典されております。この記述を編集した方、又は何か資料や新聞記事などをお持ちの方はお手数ですが、出典のご提示を宜しくお願い致します。--Race 2007年8月25日 (土) 10:02 (UTC)

出典がないようですので、ガイドラインに基づく除去致します。--Race 2007年8月28日 (火) 14:18 (UTC)

中立的観点のタグについて

現在、中立的観点のタグが貼られておりますが、議論も去年の12月以降、9ヶ月に渡って凍結しております。記述内容も適切な形になっていると思いますので、タグを外したいと思いますが、皆様のご意見をお聞かせ下さい。--Race 2007年8月31日 (金) 11:43 (UTC)

同意します。再度タグの必要が生じた場合、問題点を明示して提起するということでいいと思います。Mr.magic 2007年8月31日 (金) 14:15 (UTC) 投稿ブロックの方針3.5により削除。--大六天 2008年3月5日 (水) 15:13 (UTC)
ありがとうございます。タグは外させて頂きました。「再度タグの必要が生じた場合、問題点を明示して提起するという」ご提案に賛同いたします。--Race 2007年9月1日 (土) 04:14 (UTC)

疑問点

  • 冒頭にわざわざ「(後述参照・日本の戦争犯罪は弾劾している)」と括弧書きしてありますが、これは何を意味してここにあるのでしょうか。
  • 経歴の1952年のところに疑問がありましたので、要出典としました。書くのを忘れましたが、一つ目は出典に加えて、批判の内容をより具体的にお願いします。二つ目は本件との関わりが分かる出展をお願いします。
  • 本文中で「“パール判事は親日家故に日本に有利な主張をした”という説は事実誤認であり、自身も否定している。」の下りが強調されていましたが、これは何か意味があるのでしょうか。「事実誤認である」という文一つだけであり、あとにも続いていません。もし、これが強調するほどの重要性があるというのならば、相応の解説があってしかるべきです。 --Yhiroyuki 2007年12月30日 (日) 14:45 (UTC)
要出典部分の出典を提示していただきありがとうございます。しかしながら、現状では問題が多いです。著者の中島岳志という方はこの分野の権威・第一人者というわけでなく、地の文としてそのまま書くべきではないかと思われます。記述面では、具体的な説明がなく意味不明ですので中島の論旨の記述をお願いします。また、2007年7月に出版されたばかりの当該書の評価はあまり芳しくなく論争も起きていることを考えますと、経歴の補足としてではなく、別途節を立てて研究の一つとして紹介するのが妥当な扱いではないでしょうか。 --Yhiroyuki 2007年12月31日 (月) 01:47 (UTC)

「荒らし」行為について

以下の利用者はWP:Peaceとして無期限ブロックになっております。本文の編集は「投稿ブロックの方針3.5」に拠って無効にできます。以下編集内容とともに記します。他にもあるかもしれません。

南京事件については裁判資料をもとに宣伝と誇張をできる限り斟酌しても残虐行為の存在を示す証拠は圧倒的であるとした。また原爆投下については非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてのナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであるとした。 」を「「すでに本官が指摘したようにこの物語の全部を受け入れる事は、 いささか困難である」としながらも「残虐行為は日本軍がその占領したある地域の一般民衆、はたまた  戦時ふ虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的である」として一定の残虐行為が存在した事を明確にした。また原爆投下については非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてのナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであるとして痛烈に批判した。 」に改変。
「そのため、パールの「日本無罪論」は法学者として「東京裁判において勝者は敗者を裁く法的地位が存在しない」といった法律の解釈論から導かれたものであり、日本に一切の戦争行為に対する道義的責任の存在を否定するものではないといえる。 」の削除。
「日本の戦争犯罪は弾劾している」の削除。
「これが、パール=戦犯を許すという誤った認識を植え付け、戦争肯定論者の宣伝に使われる端緒となる(田中はその後、南京論争で松井石根の日記で意図的な改竄を行い信用失墜をしている)。 」の削除。

上記の「荒らし」は今後も繰り返される可能性があります。再出現の際はWikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Peace#編集傾向を読んでWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック#Peace系に報告なさることをお薦めいたします。--大六天 2008年3月5日 (水) 15:13 (UTC)校正--大六天 2008年3月5日 (水) 15:14 (UTC)

原爆慰霊碑の部分の記述について

(追記)今確認したら、記述が無くなっているようですね。私も「原爆慰霊碑論争」に任せれば良いかと思います。当初の段階では、「パールの誤った解釈を前提に記事を書いた」などとする主観的な記述があった事が気になって編集しました。--Mute 2008年3月19日 (水) 17:10 (UTC)ノートを経由せず編集したことが不注意であったことは申し訳ございません。しかし現在の記述は「中国新聞2006年8月」を、どう論拠にしたのか明確にされていないため、この点は「中国新聞による」部分の説明が必要では。「なおパールのこの認識は通訳が不適切な翻訳をしたためであるとされている。」の箇所は、「慰霊碑破損事件」の現在のwiki項目でも「なお、パールのこのような認識を持った理由として、通訳が不適切な翻訳を行ったためとの説もあるが定かではない。」となっており、当初の記述は、「パールの判断は不適切である」という論調になっておりましたが、当時、明確に広島側の見解を示していなかった事、英文が存在しなかった事から、「そうした解釈を持つことが誤りである」という論調をwikipediaで行うことこそが主観的であると感じます。「日本人が日本人に謝っている事」は、weでも「私たち」となり、日本人が作った慰霊碑で、日本語で日本人に謝っている、と取るのは誤訳の結果とは言い切れないでしょう。「広島側の見解」を相対化すべきであると思いますがいかがでしょう?--Mute 2008年3月19日 (水) 17:03 (UTC)

パールの碑文のそれが通訳の誤りであり、主語が明白なことは、中国新聞の数度にわたる連載のほかに、浜井広島市長の回想録や、被爆者や雑賀教授の講義の受講生の証言や雑賀教授本人の書簡、何よりも、浜井広島市長のパール発言以前の広島市議会や記者会見での答弁、浜井の後任の山田広島市長の公式見解で明白です。誤訳した当人ナイル氏であることも含め中国新聞の連載でも明白な事実です。--Miwa.SS 2008年3月19日 (水) 21:22 (UTC)
私がお尋ねしたいのは、あなたが今、仰られている事を示す明確なソースがwikipedia上に示されていたのか?と言う事です。しかもそれが「事後的解釈」でない事、パール氏が訪れた時期に、正式な英訳があったのかと言うことも重要です。碑文の日本語では、明らかに主語が存在していません。そして「For we shall not repeat the evil」は和訳して、原文に近づけても「私たちは過ちを繰り返しません」でしょうか。「私たちは」が追加されている上に、「世界中の人間の同意」が得られないまでも、この英文のみで「世界市民の中の広島市民として」の意味が含まれていると読み取るのは困難でしょう。なお田中正明氏の回想であるため、二次史料ですが「平和の宣言」では、問題としている要素が違っています。「ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落したものは日本人でないことは明瞭である。落としたものの責任の所在を明かにして、"わたくしはふたたびこの過ちは犯さぬ"というのなら肯ける」(小学館版91頁)つまり、原爆を落とした者の責任の所在を明らかにしないままで「何が「過ちは繰り返しません」か?」という意味が含まれています。そして「ただし、過ちをくり返さぬということが、将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、非常にりっぱな決意である。それなら賛成だ。しかし、それならばなぜそのようにはっきりした表現をもちいないのか」(小学館版92頁)と、記述の不明瞭さも指摘しているようです。ともあれ、私が言っていることは、貴方の主張の前提となるソースを明確に示さなければ、この項目の記述こそが「主観的」の謗りを免れないと言っているわけです。特に重要なのは、当時ナイル氏によりどういう翻訳が成されたかで、その点をご教授いただければ幸いです。なお「誤訳した当人ナイル氏であることも含め」の文章の意味は、ナイル氏が誤訳したというソース、もしくは認めたという物ですか?そうでしたらご説明を願いたい。最も、パール氏の解釈に同意する日本人が多くいたのは事実で、日本語を使える人間の中にも同意する人があった記述であり、「語学の問題」という断定は成り立たないでしょう。無論、広島側の主張を書くなと言っているのではなく、あまりに広島側の見解を絶対化しすぎた記述でなかったか?ということであり、私の主観では、広島側は多くの苦しい言い訳をしているように感じます。最も、原爆慰霊碑の項目に任せることは当然同意していますし、現在の記述で良いとは思います。(追記)weつまり「われわれ」と書いたのが日本人である事、原爆を投下した責任者が謝罪をしたという話が無いのもまた事実であり、やはり語学的問題と断定するのは大きな問題があると思います。(追記2)長々と書いてしまい失礼しましたが、単純に言えば、第三者により一方が明らかな誤りと論証されない限りは、広島側とパール側の主張を対等に両論併記せよ、という意味を越えるものはありません。Mute 2008年3月20日 (木) 08:43 (UTC)
Miwaさんの編集は、たいへん興味深いのですが、慰霊碑に「トルーマン」と貼られたのが83年とする事例、それが理由で説明板が作られたことなど、ソースを示していただけるとありがたいのですが。--Mute 2008年6月2日 (月) 09:14 (UTC)
広島大学で資料を見せていただいたので多分日本原爆大系だったと思うのですが。日付は今度また広島大学へ出張するまで確認できませんけど。トルーマン大統領の札貼り付け事件そのものは事実なのは間違いないところです。逆に提案なのですが現在パル博士分のほうをとりあえずコメントアウトしているのですがMute2氏の編集は重複する部分も多いと思うのですがどうでしょう?慰霊碑におけるパル博士の注釈部分をこちらに書いて、論争については慰霊碑のほうにまとめることにされてはどうかと思うのですが。いかがでしょうか?--Miwa.SS 2008年6月2日 (月) 09:23 (UTC)
お返事ありがとうございます。了解いたしました!そうですね、パール博士の注釈、特に「平和の宣言」の部分は、こちらの方が相応しいかも知れませんね。どういう形にするか考えて、随時移動しようかと思います。(追記)移動終了しましたので、ご確認いただければと思います。--Mute 2008年6月2日 (月) 09:26 (UTC)

Takelerさんへ

追加された記述について、修正しましたので、 その説明をします。

その1に、パールがインド国民軍に参加したという記述は、 年齢的にも、カルカッタ大学の副学長という立場で、 東京裁判判事には「穏健な人物として」採用されたことからも、 無理があると感じられます。

「レーリンク判事の東京裁判」という本は、「東京裁判とその後」の訳書ですが、 牛村圭氏は諸君2008年1月号の「中島岳志著『パール判事』には看過できない矛盾がある」で、 「初歩的な誤訳」「基本的な史実の誤り」「専門家がその史実誤認を見抜けなかった」点など、 過去完了すら誤訳していて、良心的な版元が絶版にした本とされます。 (そのため、中古で高価格になっています。)

粟屋憲太郎氏の解説には「このレーリンクの発言から、アジア太平洋戦争開始後、 パルがインド国民軍に関与したことが明らかになる。」とあるようですが、 どうなのでしょう?

出典は明確ですが、あえて「要出典」を付けたことをお断りいたします。

その2に、レーリンクは、パールが法治主義を曲げたとする論旨ではなく、 あくまでアジアの立場であった事を評価しており、 フィリピンのジャラニラは「アメリカナイズされた人間だった」と 否定的に扱っています。

粟屋憲太郎氏の主張についても、やはりパールの個人的思想を 評するに留まっていると思われます。

思想的にパールが反欧米である事は論を待ちませんが、 判決が中立でなかったとする具体的批判には当たらないと思われます。

「パールの思想的立場は中立ではない」という記述の方が 良いかと思い、修正させていただきました。 史料などございましたら、ご教授願えればと思います。 --Mute 2008年7月21日 (月) 03:26 (UTC)

要出典の解除について

「引用文の一部」に対して要出典タグが付与されているのは不自然ではないかと思い解除しました。誤訳や矛盾などの問題があると言う上記のやりとりは把握していますが、提示された出典自体の信頼性を問うのに要出典タグを付与するのは適切ではないと思います。要出典タグを付けるのではなく、それに関する記事の補稿、追加説明などで対応した方が良いのではないでしょうか。つくね 2008年10月27日 (月) 05:19 (UTC)

了解しました!実は私も、あまり良い対応と思っていなかったので、該当箇所を弱い強調にして、「要検証」を付け、訳書の問題へのリンクを最初にしました。慣れていないので、破線アンダーラインの使い方が分かると良かったんですけどね。上記のやりとりの通り、明らかに怪しいと考えていますが、その事への指摘もまた「独自研究」にあたる可能性があると思われるので、このような対応にしました。--Mute 2008年10月27日 (月) 06:46 (UTC)
確認させて頂きたいのですが、Muteさんが問題としているのは「パール判事がインド軍に属していた事があったか否か」と言う事実についてなのでしょうか?
そうであれば、要検証タグを付けるのではなく、その事実に対して疑義が存在する旨を記述する形の方が良いのではないかと思います。なぜなら、我々は出典そのものを修正・改変する事が出来ません。仮に要検証範囲の事柄が事実でなかったとしても、出版物そのものは無くなるわけではなく、それは「一つの記録」として存在し続けることになります。今回のような形での要検証・要出典の付与は、記事そのものではなく、記事で引用されている出版物に対して遡った言及であって、それを要出典・要検証タグで行うのは適切ではないと思います。また、その事への指摘自体が独自研究にあたる可能性を懸念されていらっしゃいますが、とりあえず書いて頂いて、その上でコミュニティの判断を仰ぐ方がより適切ではないかと思います。つくね 2008年10月27日 (月) 16:23 (UTC)
第一の嫌疑は「パール判事がインド国民軍に属していたという事が、原典や他の史料で確認可能か」です。当時の年齢、地位と照合しても、インド国民軍が存在した41年~45年、その後のカルカッタにも広がった反乱を考えて46年としても55~60歳で、この時パール判事はカルカッタ高等裁判所判事~カルカッタ大学副総長となっており、東京裁判判事に選ばれたのも、(未だインドの公文書は非公開ですが)本国で穏健な判決を下していた人物で、表立ってイギリスに反抗的行為は取っていなかったためとされ、どのような所属かにもよりますが、インド国民軍として活動していたとは考えられません。該当箇所をそのまま掲載するというのは、問題ある議論をwikipediaから広げる危険性があると思われます。
そしてwikipediaでの「独自研究」とは、通常考えられる意味ではなく、編集者が独自の見解を表明しないというルールです。従ってこれらの指摘も「独自研究」にあたる可能性があると認識しています。
しかし「一つの記録として残っている」と言っても、牛村圭氏が言う所の「良心的な出版社が絶版にした」本であり、出版社が「一つの記録として残す事」を拒否した物で、さらに訳書ですから正文ではありません。こうした内容は「信頼できる情報」にあたると言えるとは思えず、そのまま看過するのは悪質であると考えざるを得ません。そこで、ひとまず最も問題のある箇所を「事実が出てくれば全く問題ありません」という立場で、「要検証」としました。現時点でベストではないがベターであると思っていますが、いかがでしょうか?--Mute 2008年10月28日 (火) 00:39 (UTC)
お疲れ様です。Muteさんの述べられた論や事情については理解しているつもりですし、疑義としても個人的には筋の通った主張であると思います。そうですね……例えばこういう表現はいかがでしょうか?
(前略)彼は、日本人と共にイギリスと戦うインド軍に属していた事さえあったのです。彼は骨の髄までアジア人でした」と述べたと書かれている。レーリンクはその後も、パールとの個人的交流を続けた。
ただし、「レーリンク判事の東京裁判」には(出展にあるように)「初歩的な誤訳」「基本的な史実の誤り」などが指摘されており、またインド国民軍が存在した時期に、パールは既に50代後半と言う高齢であった事など、パールが実際にインド軍に属していたかどうかについては疑問の余地がある。
(パール判事に関係する)レーリンク判事の東京裁判と言う本が出版され、引用文の内容が書かれていると言う事は検証可能な事実であって、その出展に書かれている内容の信頼性とはまた別の問題でしょう。もしそれが何らかの政治的な意図の下に書かれたものであったとしても、それが書かれたと言う事そのものが何らかの判断材料になりえるわけですから。また同時に、その内容については信頼性に関する問題や、上でMuteさんが指摘しているような疑問が存在するのもまた事実です。ここは、両方の事実を記載した上で読者により多くの判断材料を与える、と言う形にした方が良いのではないかと思います。つくね 2008年10月28日 (火) 02:45 (UTC)
なるほど、その記述なら良いですね!参考になりました。では、斜め文字だけを残して、以下の注釈をつけてみましたので、ご確認下さい。
ただし、「レーリンク判事の東京裁判」には、上記の通り「初歩的な誤訳」「基本的な史実の誤り」などが指摘されており、またインド国民軍が存在した時期に、パールは既に50代後半という高齢であった事、この時期にパールはカルカッタ高等裁判所判事~カルカッタ大学副総長に就任していること、東京裁判判事に選ばれた理由は、表立ってイギリスに反抗的態度を取っていなかった事が理由の一つとされており、反英独立を掲げたインド国民軍にパールが実際に属していたかは疑問の余地がある。
もちろん、史実が証明されたらいつでも変更して下さい!ご指摘ありがとうございました!--Mute 2008年10月28日 (火) 05:06 (UTC)
より良い記述になっていると思います。お疲れ様でした。Muteさんの今後の執筆活動も実り多きものでありますよう。つくね 2008年10月28日 (火) 05:49 (UTC)
良かったです。良い指摘をしていただいてありがとうございました!ではまた!--Mute 2008年10月28日 (火) 06:10 (UTC)