ノート:ラインハルト・フォン・ローエングラム

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シスコンについて[編集]

言葉は悪いですが「シスコン」の部分に対し記述がろくになされていないのは何故なんでしょう?中立的に書くのはかなりむずかしいかもしれませんが、ラインハルトの行動する動機として、作品全体がそれなしには成立していない箇所について触れない、というのはいかにもおかしな記述のように感じられます。 一般的に(皇帝に姉を奪われた時のような)ラインハルトのような立場におかれた人間は、「社会」あるいは「世界」に対し、自分を「適応」させようとします。ですがラインハルトの「幼児性」がそれを拒否し、自分ではなく、「世界」の側を自分に都合の良いように書き換えることを選ばせたわけです。それがタイトルにある「英雄」にラインハルトをさせたわけですから。 皇位を簒奪しようとするのは、「常人ならしないこと」という風に作中きちんと描かれており、あえてそれをさせる動機として設定されているわけです。この点に触れないのは「銀河英雄伝説」という作品に触れていないのと同じだ、と思うんですが。オラン・ペンデク 2007年7月4日 (水) 13:22 (UTC)[返信]


専制と独裁について[編集]

作中表記とヤン(作者)の指摘した専制についての記事作成者のミスリードについて訂正文案

  • ヤンもラインハルトを最も理想的な専制君主と評した(この評価には「専制政治」を理解していない一部の者から

作者が独裁と専制を混同しているという的外れな非難もあるが、事実としてはヤン(というよりは原作者である田中芳樹)の指摘の通り、 中世的封建国家の民意によらず成立した独裁権をさす権力体制であり、専制君主、専制者という表現が正しい</ref>)。 同時にヤンはラインハルトが有能で民衆から絶大な支持を得ているがゆえに民主政治の最大の敵と目していた。

  • しばしば当サイトの銀河英雄伝説の説明表記において現実の組織や名称、言語と比較して誤記・誤断と勝手に断じている表現が散見されるが、そもそもが架空の創作物であり、現実との差異を指摘すること自体がナンセンスである。

帝国語はドイツ語が源流というのも勝手な憶測でしかない

銀河英雄伝説においては、登場人物のヤンの見解が、作者の田中芳樹の見解を代弁していると見られる事に留意すべきです。ヤンはラインハルトが民衆の支持を得ている事を以て理想的専制君主としていますが、専制政治とは民衆の支持を必要としない体制であり、民衆の支持によって成り立つのは独裁政治である事。 またヤンは大胆な改革を迅速に進めるのを専制政治の長所としていますが、専制政治というのは無能な(改革を行うような能力の無い)君主が血統によりその地位に就く事がしばしばあるものであり、大胆な改革を進めるのに適した体制ではありません。(しばしば民衆の圧倒的支持を背景に、少数意見を無視して)大胆な改革を行えるのは独裁政治の長所です。以上により作者の田中芳樹が、銀河英雄伝説執筆当時において、専制政治と独裁政治を混同していたのは、明らかと考えますが、如何? 利用者:PATMAN 2008年2月4日 (水) 16:05 (UTC)[返信]
さらに追加するなら、銀河帝国の体制が専制であるとすれば、ナチス・ドイツの体制は民主制(ワイマール憲法に則っています)です。ラインハルトを理想的専制君主と評価するのは、ある意味ではヒトラーを理想的民主主義者と評するに等しいです。ヒトラーを理想的民主主義者と評価する人間がいたら、ヒトラーを理想的と評価する事の是非だけでなく、民主政治と独裁政治の違いがわかっていないと批判されても仕方ないでしょう? それと同じ事です。利用者:PATMAN 2008年2月4日 (水) 16:18 (UTC)[返信]

凄い早業!随分とお暇な方がいらっしゃるようで。。。 当人に直接確認できないのに「明らか」とまでは言いきれない。また銀河帝国は身分制国家であり制度としては専制のままである事は明白。それに腐敗した民主主義に対する対比として「民衆の支持を得た独裁政治的手法の」専制君主がドラスティックに改革を行いやすいという意味でヤンが評価しているのであり、「専制政治全般」に対する評価をしているのではない点を見落としている。

なお銀河英雄伝説はSF小説でありエンターテイメント作品であって学術論文ではない事にも留意が必要である。ヒトラー云々は単なる個人的感想で自由研究。根拠薄弱。編集合戦は好まないが、もう少し読解力と慎重さを持たれる事をお勧めする。返答不要。以上。 --125.4.48.120 2008年2月4日 (月) 16:24 (UTC)[返信]

文章を書く人は書いたもので判断されるのは当然の事。世の中には「口べた」という人間もいるので、直接会った会話のほうが書いたものよりも信頼できるという事は成り立ちません。話し言葉のほうが書き言葉より信頼できるソースであるというなら、その根拠を示して頂きたいものです。また「エンターテイメント作品」だからこそ「考証への突っ込み」もまた「エンターテイメントを楽しむ方法のひとつ」として存在するのであり、「作品への批判は許さない」という偏狭な態度は感心できない。「田中芳樹」の欄でのノートでも述べたが、貴殿は田中芳樹に盲従するあまり、田中芳樹の主張すら勝手に捏造している。猛省を求めたい。利用者:PATMAN 2008年2月4日 (水) 16:30 (UTC)[返信]
>貴殿は田中芳樹に盲従するあまり
「盲従する余り」の根拠を述べよ。私は「無知」・「明らかな間違い」とまでは言い切れないという両論併記をしているのであって、独裁と専制を混同している可能性を全否定したり、あなたのように該当部分を全文注釈化などしていない。あなたこそ持論に盲従している。猛省を求めたい。
繰り返し要求する。「盲従する余り」の根拠を述べよ。--125.4.48.120 2008年2月4日 (月) 16:39 (UTC)[返信]

『「民衆の支持を得た独裁政治的手法の」専制君主がドラスティックに改革を行いやすいという意味でヤンが評価しているのであり、「専制政治全般」に対する評価をしているのではない点を見落としている。』…明らかに田中芳樹が書いてもいない「民衆の支持を得た独裁政治的手法の」という部分を勝手に付け足して、事実の捏造を行っていますね? このような捏造を行っうような態度は、田中芳樹に対する非難を許さないという姿勢としか思えませんが。あなたの言う通り、エンターテイメント作品でしょう? 考証の間違いに対する突っ込みくらい有り得る話として、寛容に見られないのでしょうか? 利用者:PATMAN 2008年2月4日 (水) 16:43 (UTC)[返信]


>明らかに田中芳樹が書いてもいない「民衆の支持を得た独裁政治的手法の」という部分を勝手に付け足して、事実の捏造を行っていますね?

とあるが、これはあなたに読解力が無く、専制と独裁についての充分な知識を持っていないのは実はあなた自身である事を示している。以下に証明する。


まず問題の部分はヤンとフレデリカの会話の行で、フレデリカが「専制国家と共存するのか?」という疑問を呈したのに対してヤンが、「専制自体は絶対悪ではなく、ドラスティックな改革が出来るなどの利点があり、専制国家だからと言って頭ごなしに共存を否定すべきではない」と言っている。ただし直後に「一個人の資質に全人類を委ねるべきではない」と専制を否定している。つまり帝国と同盟の共存の道を否定すべきではないという例え話として言っている事は明白である。

次に『「民衆の支持を得た独裁政治的手法の」という部分を勝手に付け足して』という事だが、確かに田中氏は文言として「民衆の支持を得た独裁政治的手法の」とは書いていない。しかし物語の描写は明らかにそうである。そもそも、あなた自身が専制と独裁の区別が付いていないし、独裁にも色々ある事を理解していないのだ。専制とは身分等で制度的に市民が政治から遮断された「政治体制」の事であり、この場合の独裁とは「政治の手法」の事である。銀河帝国が専制体制である事は旧王朝・新王朝双方で変化がない。フリードリヒ4世もラインハルトも専制君主である。しかし専制君主が必ずしも全権を掌握しているとは限らない。

フリードリヒ4世は専制君主ではあるが実質的権力はなく、権力や武力は各門閥貴族や軍部などに分散しており、各々の勢力の拮抗によって成り立っている一種の分割統治である。ラインハルトは武力と民衆の支持によって諸勢力を討ち滅ぼし、帝国宰相として独裁権を確立し、その後で帝位を簒奪して皇帝になった。つまり政治手法は独裁で、国家の政治制度は専制なのだ。

ちなみに君主が全権を振るう事を親政と言い、臣下が全権を振るう事は独裁という。物語の中でもラインハルトが帝国宰相だった時の描写は「ローエングラム独裁体制」であり、皇帝に即位してからは「皇帝親政の体制」と書かれている。またビュコックは副官のファイフェルが「救国軍事会議のクーデターが成功していれば良かった」と言った事に対して、「帝国の専制主義と同盟の軍事独裁政権が覇を競うのは救いがない」と述べている。ここからも田中氏が独裁と専制の区別が全く付いていないとまでは言い切れない事が分かる。

「独裁」と一口に言っても独裁にも色々ある。あなたの言う独裁とは恐らくナチスの様なファシズムの事だと思うが、それだけが独裁ではない。手法としての独裁、制度としての独裁制、個人の行う独裁、集団で行う独裁。。。色々あるのだ。例えば同じファシズムでも、ナチスは全権付与法という法制度でヒトラー総統に全権を集中させており、ヒトラーは第三帝国の元首である。一方ムソリーニは実質的には独裁者であるが、制度上はイタリア国王に忠誠を誓う首相であり、イタリアの元首は国王である。これらは民衆の支持に依拠しているが、クーデターなどで全権を掌握し民衆の支持に依拠しない独裁制も多く存在する。また独裁者個人が行う独裁もあれば、軍事独裁政権のように軍部という集団で行う独裁もある。他にもプロレタリア独裁や開発独裁など、独裁の定義も手法も制度も様々あるのだ。

以上の点を様々に勘案した結果、ラインハルトの政治を一言で要約すると「民衆の支持を得た独裁政治的手法の専制君主」となるのであり、決して捏造ではない。「民衆の支持を得た独裁政治的手法の」の箇所を「捏造」と思ったという事は即ち、あなたが上記した専制・独裁についての知識を充分に持っていない事を意味する。知識も持っていないのに、田中氏の考証を「無知から来る明らかな間違い」と言い切る事は出来ない筈である。

しかし田中氏自身に確認する事は出来ないので、「無知から来る明らかな間違い」とは言い切れないという表現に留め、間違いである可能性を示した箇所も削除しなかったのだ。これが田中氏への「盲従」なのか?

>「作品への批判は許さない」という偏狭な態度

これこそ、あなたの捏造である。そんな事は私は一言も言っていない。田中氏への批判は専制と独裁云々以外にも科学的考証や軍事的考証など色々あったが、それらについては私はコメントしていない。確かに「おや?」と思う部分もあるからだ。つまり私は作品への批判を許さないのではなく、「独裁と専制の区別が全く付いていないと言うのは言い過ぎだ」と指摘しているに過ぎない。ここから、あなたが読解力を持っていない事も明らかである。

またエンターテイメント云々については、ドラマの展開上いちいち上記したような厳密な定義を説明は出来ないのである。小説は作者が言いたい主題を表現する為のものであり、ドラマの展開上・描写上の都合で分かりやすく読みやすく表現する為に、中には専制と独裁がゴチャ混ぜになったかのような箇所も存在する。しかし全体を通してみた場合、専制と独裁を全く混同しているとまでは断言出来ない。それが学術論文と小説の違いである。また設定への突っ込み云々も単なる言い訳である。それならば私のように「専制と独裁の区別が付いていない箇所もある」程度に留めればよい。「専制と独裁の区別が全く付いていない」と言い切ってしまっては、単なる作品への突っ込みに留まらず田中氏への中傷になってしまう。区別が付いていない可能性を載せて、後は読み手の判断に任せればよいのだ。そういう姿勢の事をこそ「寛容」と言うのである。 --125.4.48.120 2008年2月5日 (火) 04:46 (UTC)[返信]

田中芳樹が独裁と専制の区別がついていないと思わしき箇所については、ヤンの台詞として語られている事。そしてヤンが歴史学者志望者であるという作品中の設定について忘れてはいけません。そういう事について詳しいと設定した人物に、間違った知識を語らせてしまった。これは失敗でしょう。私は田中芳樹を全面的に批判するつもりはありません。肯定する部分は肯定し、批判する部分は批判する。それだけです。「田中芳樹」の項の投稿履歴を見ればわかる通り、「日本の防衛費は世界的にみても5位以下であり、根本的に知識が不足している」などという意見に対しては、明らかに問題である事を述べてコメントアウトしたのは私です。あなたのように全面賛辞に偏るつもりはありません。利用者:PATMAN 2008年2月5日 (火) 12:17 (UTC)[返信]


わかったわかった。歴史学者志望者=歴史の専門家で間違いは絶対に認めないのだな。それがあなたの「寛容」か。はいはい。


>あなたのように全面賛辞に偏るつもりはありません
「田中氏への批判は専制と独裁云々以外にも科学的考証や軍事的考証など色々あったが、それらについては私はコメントしていない。」=私はそれらの批判はアリだと思っている。良く読んでね、中二病さんw。もういいよ。はぁ~真面目に返事して損したわ。はいご苦労さんww--125.4.48.120 2008年2月5日 (火) 22:26 (UTC)[返信]

上記の議論に関連してですが・・・[編集]

2点あります

その1

政治思想の部分について、独自研究のタグを貼らせていただきました。全体的に見ればそう言わざるを得ません。一部本編の記述に基づく見解もありますが、要出典のタグをつけたところ以外の記述者の主観と思われる部分を指摘します

  • 民主政治の腐敗によって困窮していた自由惑星同盟の国民すら救った面もある。
  • むしろ積極的に考える事を放棄していたようにも見えた。ただしこの点については、彼が20代半ばで早逝した事も考慮せねばならない(普通、その年代で己の老後や死後を真剣に考えるものはいない)。あるいは、老いて天寿を全うできていれば、自分の死後の政治体制についても構築しえたかもしれない。
  • まさしくラインハルト体制とは一代の例外であり、専制政治ではない独裁体制だったのである。
  • 古代ローマの帝政期前半の「元首政」のようなものであろうか?

その2

上記冒頭においての「登場人物のヤンの見解が、作者の田中芳樹の見解を代弁していると見られる事に留意すべきです。」も今もそう思うのでしたら、出典のほどをお願いします。PATMAN氏の主観でなく、ちゃんとした出版物に書かれた「ヤンの発言、思想は田中芳樹の代弁である」ということと、それを田中芳樹自身が認めているということを。たとえ出版物に書かれていても(徳間書店の銀河英雄伝説関連の本で書かれていたならともかく)、田中芳樹がそれを認めなければ所詮は「ヤンは田中芳樹の代弁するキャラという風に○○によって指摘されている」としか書かれませんし、であるならヤンの項目でならともかく、ラインハルトの項目でそれを引用して書くようなことではありません。--あな@34 2009年6月19日 (金) 11:33 (UTC)(追記)--あな@34 2009年6月19日 (金) 11:57 (UTC)[返信]

特定個人を名指しする事だけはやめて下さい。もしくは執筆者全員挙げて下さい。上記については私が執筆していない文章も含まれています。--PATMAN 2009年6月19日 (金) 14:35 (UTC)(修正)--あな@34 2009年6月19日 (金) 17:08 (UTC)[返信]
私が貴方を呼んだのは、あくまで「作者の田中芳樹の見解を代弁していると」の件です。貴方が[1][2][3][4]でやってるような上記の独自研究はここで聞かなくても、即座に全部削除してもよかったのですが、「本編での記述があるのに削除するのはおかしい」などといつぞやのようになり、PATMAN氏が不愉快な思いをされるかと思ったので、ここで議論しているのでお誘いしたまでのことです。IPで書きこんでる人間のノートに呼びかけてもまず来ないでしょうし、必要とあらば呼びかけます。--あな@34 2009年6月19日 (金) 16:50 (UTC)[返信]
なお上記の指摘が一部特定の人間による書き込みに見えるような誤解を招く書き方になったことについては、陳謝いたします。--あな@34 2009年6月19日 (金) 16:53 (UTC)[返信]
>PATMAN氏
質問部分を分けました。その2についてお答えください。その1については御自身に関係ないとおっしゃるなら無視してください。こちらで即座に削除しますので。--あな@34 2009年6月19日 (金) 17:08 (UTC)[返信]
逐一回答する義務は無いと思います。ノートで問題提起するという手順を踏まえている以上、お好きに削除されたらいいでしょう。ただし、独自研究ではないものを削除した過去を踏まえて頂く事、今回また過剰な削除があった場合には、その旨指摘させて頂く旨、申し上げておきます。--PATMAN 2009年6月20日 (土) 13:11 (UTC)[返信]

最初の提案から1週間後まで待って出典の提示がないようでしたら、出典が無い部分についてすべて削除いたします。本編で記述があろうと、記述者による出典の提示の無い記述は削除しても文句の言えない所ですので。レンネンカンプの件は、最終的に言えば記述者が出典を明記しなかったのが原因であり、私が削除にあたって本編を読解してなければならないというのは義務では無いと思いますので、過去を踏まえることなど一切ありませんので勘違いなさらないでください。もう一度言いますが、記述に関しての出典の明示は記述者の義務です。『「独自研究で無い」もしくは「独自研究である」ことを証明する』義務はこちらにはありません。貴方も今回の部分の記述に絡んでいるなら、今のうちに出典を出されてはいかがでしょうか?(あるなら)--あな@34 2009年6月21日 (日) 02:48 (UTC)[返信]

本編内記述があるものを含めて、すべて除去しました。なお他の方による、出典を明示したうえでの復帰を妨げるものではありません。--あな@34 2009年6月27日 (土) 04:40 (UTC)[返信]

Applemacmama氏の投稿に関して[編集]

>(ウィキペディアのこの作品に関する解説でよく「現実の○○では~」と実際の組織や人物等と比較する記述 が散見されるが、そもそも架空の創作物に対して現実との差異を指摘すること自体がナンセンスであり、指弾者の低レベルな自己満足に過ぎない。これは本作品 に限らず、アニメやマンガなど、創作物全般における同様の比較言及に対して指摘できることである)</ref>。

再度復帰させるというならこれらの事を書かれた公的な出典を求めます。必要なのはこれが真実なのかどうかではなく、これらのことが他で書かれているという事実です。文章としても低レベルで見るべき価値もないですが、出典に基づいたものであるなら記述する価値はあるかも知れません。そうでないなら、この記述自体単なる Applemacmama氏によるwikipediaに関する独自研究にすぎません--あな@34 2009年7月2日 (木) 02:30 (UTC)[返信]

仮に出典があったとしても、そのような記述は本項目には不要です。架空の事例を扱ったものすべてにそのような記述を追加するってのは馬鹿馬鹿しいことですし。そのような内容を百科事典に記載する必要があるとすれば、もっとメタな項目に記載するものでしょう。たとえば「フィクション」あたり。(ウィキペディア内部ではなく世間一般で) 銀河英雄伝説関連で特に顕著に見られるのであれば「銀河英雄伝説」に記載するってのもありでしょう。しかし、本項目には不要です。--iwaim 2009年7月3日 (金) 00:29 (UTC)[返信]
もちろんこんな記述は不要でしょう。必要か不必要かを議論するよりは、出典があるかないかを問うた方がてっとり早いので、出典だけを求めました。--あな@34 2009年7月3日 (金) 10:11 (UTC)(修正)--あな@34 2009年7月3日 (金) 10:37 (UTC)[返信]

次に記述が復帰された場合は、保護依頼をしようかと思ってます。もしくは対話拒否等荒らし行為とみなし、ブロックしてもらうかですが --あな@34 2009年7月15日 (水) 13:12 (UTC)[返信]

また同様の投稿があったので、投稿ブロック依頼しましたWikipedia:投稿ブロック依頼 2009年7月。編集保護については今回はしませんでしたがこれについては意見を募りたいと思います(同様の投稿を行ってるのはApplemacmama氏だけじゃありませんので…)。--あな@34 2009年7月22日 (水) 17:07 (UTC)[返信]