ノート:ホツマツタヱ/過去ログ1

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中立的な観点から疑問ということでノート参照とあるのですが、ノートが存在しないですね。恐らくはホツマツタエを偽書とする立場の方からの疑問ではないかと思いますが、「松本氏が確信するに至った」という表現なら、ぎりぎりセーフのような気もします。

ホツマツタエ自体の評価はだいたい「定まっている」のではないかと思いますが、ファンも多いですし、いろいろ興味深い記述もあります。そのあたりとか、ミカサフミとの関連、ホツマ文字のことなど、書きたい人はいるのではないかと思いますが「中立的な観点」のテンプレートが入っていると、みなさん書きづらく思われるかも知れません。

私もこの項目をウォッチしていた訳ではないのでここまでの経緯が分かりません。その付近、どうなのでしょうか?大きな問題がなければ「中立的な観点から疑問」という状態にしておくのではなく、できるだけ中立的な立場の解説に編集していく方向のほうが良いのではないかという気もするのですが。--Lumi 2006年12月25日 (月) 10:42 (UTC)


ホツマツタヱは、従来の歴史観を揺るがす内容を持つので、後世の江戸時代になって作られた偽書といった疑惑を向ける人が現れ、そのような説が支持されていた一時期もあったようですが、宮内庁が保管する最古の写本が平安時代のものであるため、江戸時代に横行した、神代文字捏造ブームに絡む偽書疑惑は、ほぼ否定されていると思われます。ノートで議論することなく、書き込んだ記事を取り消している方がいるようですが、望ましい解決方法ではないと思います。203.168.92.153 2007年1月1日 (月) 23:02 (UTC)

「従来の歴史観を揺るがす」ものが偽書で無いという確たる証拠があるなら、歴史学者はこぞって秀真伝に熱中しているはずです。そのような話はついぞ聞きませんが、私が知らないだけですか? -- NiKe 2007年1月1日 (月) 23:19 (UTC)
従来の歴史観を揺るがすものだからこそ、歴史学者の先生方は、なかなか表立って動けない状況にあるのです。ただし、研究を重ねて集められた情報は、テレビなど複数のメディアを通して繰り返し採り上げられ、理解者やホツマツタヱのファンは急激に増えていってますから、そちらの方向からしだいに解決されていけばよいと、多くの関係者の方々は、なんとかこの問題が軟着陸することを期待していると思われます。私が今回書いた記事は、過去に偽書と指摘され誤解されてきた幾つもの項目が、じつは誤った見当違いの指摘だったことを理解して、正しい認識に導ける状況を作ることを目的にしたものです。もちろん、すでに各種メディアを通して一般に伝えられ、ネット上にも載せられている内容で構成されています。それから、私が書いた、稚日女尊に関する由緒ある玉津島神社の伝承内容を記した記事を、やはりノートで適切な議論をすることなく一方的に勝手に取り消している方がいるようですが、 このような身勝手な行為を繰り返せば、百科事典の記事を損なう行為を繰り返していると受け取られる結果を招きかねません。203.168.92.153 2007年1月1日 (月) 23:59 (UTC)
Wikipediaは啓蒙の場でも、新説発表のページでもありません。「各種メディアを通して一般に伝えられ」た情報を記載するのは問題ありませんが、その場合も出典は明らかであるべきですし、その情報に考察や評価が付け加えられるべきではありません(ネット上の情報はほとんどが余り信用されない、ということも指摘しておきます)。さらに言えば、歴史学者が採り上げないような学説をまともな学説のように記述するべきではありません。
ところで、私が貼った{{要出典}}に対する出典提示はあのリンク1つですか? あれしかソースが無いのであれば、記事の文章は事実といえないと思いますが。 -- NiKe 2007年1月3日 (水) 02:53 (UTC)
飲み込みが悪い方のようなので、具体的に書いておきますが、ホツマツタヱの研究に関しては、他の歴史および考古学の研究とは、まったく違った配慮が必要になります。まず、歴史学者の研究の範疇に入らないため、彼等の意見を採り上げるべきではありません。なぜならば、歴史学者達の間に定着した認識では、天照大神などの神々は、神話の世界の架空の存在であって、人として生きてなどいないことになっているため、天照大神にまつわる歴史など存在しないと考えているからです。また、考古学の範疇にも入らないため、彼等の意見も採り上げるべきではありません。なぜならば、天照大神などの神々の墓が、遺跡として発見されていない以上、言及のしようがないからです。つまり、既成の学問の範疇に入らない存在としての、取り扱いの難しさがあります。ホツマツタヱという文献を解読した結果を紹介したものを、歴史学や考古学の新説発表と混同することは、無用の混乱を招きます。歴史学の範疇に入らない以上、歴史学者が採り上げないことを理由に、まともな学説ではないと指摘することは無効です。今後、歴史学者達が、天照大神が人として生きた歴史的事実を研究テーマにするようになれば、また話は違ってくるかもしれませんが、今はまだ歴史学者達にとって天照大神は物理的に実在しなかった神様なので、残念ながら議論の対象にできないのです。したがって、残されているのは、ホツマツタヱを文献として研究している専門家が書いたものに、ウィキペディアの記事が即しているかという点になります。無用な混乱を招く錯誤した処置を、早急に修正していただきたいと思います。203.168.92.153 2007年1月3日 (水) 15:39 (UTC)
宮内庁保管本はゆえあって未公開のままですが、発見の経緯や日時、携わった人々がはっきりしており、専門家の間にその存在がほぼ知れ渡っている周知の事実であるため、記事にしてもなんら問題はありません。天照大神に捧げられる衣装については、すでにリンクされている著名な研究者のサイト内や、各種メディアで触れられています。道鏡による日本書紀の改竄の二つも、リンクされたサイト内で、当時の文献に記録が残っているとに言及されています。研究者の間で周知の知識とされている以上、記事にしてもなんら問題はありません。203.168.92.153 2007年1月3日 (水) 15:39 (UTC)

NiKeさんの仰るとおり、この文章はwikiに相応しいとは思えません。1つはホツマツタヱは現在歴史書として評価されていないということ。「考古学者たちの間で見直しが進んでいる」と言いますが公式に発表されたものではありません。もう1つはあまりにも肯定派の意見ばかり取り上げられている点です。百科事典は「公式の見解」を「中立的立場」で書くものであり、一部学者の学説を記載するものではありません。よって、公式にホツマツタヱが認められるまでは「真偽が未だはっきりしていない」という点をもっと前面に出した記事にすべきであると思います。

宮内庁保管本の存在によって、典型的な江戸時代捏造説などはほぼ否定されていると思いますが、日本書紀編纂時の資料として使われた時点で、ホツマツタヱがなんらかの編集や改竄を受けているかもしれず、どこまで内容が信頼できる文献かは、まだまだ論じる点が残されていると思います。特に天皇の不自然に長すぎる在位期間など、日本書紀と同じ暦になっている点は、おおいに疑問の余地があるのではと感じます。ネット百科にどういう形でどこまでをどう書いておくかは微妙ですね。あくまでも神代時代の文字で書かれているとされている興味深い文献という位置付けで、神社の縁起の伝承と同じような扱いに留めるのが良いのかもしれません。203.168.92.153 2007年1月3日 (水) 23:46 (UTC)
歴史学では神代の時代扱いでずっと来てしまってますから、今のままでは神話の域から出ることはなく、どうすることも出来ない印象があります。かといって、かなり重要な弥生時代の情報を現代まで保持している文献という見方が定着してきてますから、記事にしないわけにもいかないようで、非常にややこしい問題を抱えていると思います。古墳などを扱う考古学の方向からのアプローチは、ホツマツタヱが書かれた当時の遺跡などが発掘されているので、進展する可能性があると思いますが、おっしゃるとおりなかなか発表がありませんね。また、宮内庁のこの文献を扱っている方面からは、必ず公開するような話が漏れてくるようですが、これもなかなか一般公開できないなんらかの事情があるようです。後日皇室の方が二岐温泉を訪れて、旅館の建物に『大丸あすなろ荘』と命名するなど、まったく無関心ではない様子ですが、いつまでも答えが出てこないまま、時間だけ過ぎていくのは困りますね。203.168.92.153 2007年1月3日 (水) 23:46 (UTC)
御指摘のとおり、中立的立場を取る必要があると感じて、反対派の代表的主張が載っていると思われる『ホツマふたたび』にリンクを貼るとともに、『神代文字捏造ブームと偽書疑惑』の項目を独立させて内容を充実させました。疑問視される問題点について一通り私なりに調べられる範囲で書きましたが、結果がほぼ肯定派一色の内容になってしまいました。これは、否定派の方々がまともにホツマツタヱを研究しておらず、稚拙なレベルの短絡的な指摘で終わっていることが主原因と思われます。文字の組み立て、音韻体系、仮名遣い、ヲシテで書かれた他の文献、書かれた媒体、などに触れましたが、「言葉の表現が新しいので江戸時代に捏造された可能性が高い」といった指摘については、どの言葉がどう江戸時代的で新しいのか、まったく意味不明で私には論理的に理解できない指摘なので、まともに書くことが出来ませんでした。他の方が否定派の視点から内容を補ってくださることに期待して、しばらく加筆を控えて様子を見ようと思います。203.168.92.153 2007年1月3日 (水) 23:46 (UTC)

定義部分の修正

どうもノートを拝見している限りでは、肯定側の方も冷静で話し合える方とお見受けしましたので、否定的な意見を持っている者ではありますが、中立的文章の提案をいたします。否定側肯定側双方からの、よりよい編集を期待しております。 --ろう(Law soma) 2007年1月4日 (木) 01:27 (UTC)

宮内庁が保管していると云う文献が公開されない限りは信憑性は低いでしょう。--以上の署名のないコメントは、60.46.58.176会話/Whois)さんが 2007年1月5日 (金) 08:55 (UTC) に投稿したものです。


 ノートで議論もせずに、いきなり中立的な観点から書かれていないとレッテルを貼るなど、どうも最初から乱暴で不適切なことをする人がいると感じていましたが、現在トリックを用いて読み手を騙すような編集になってきてしまっているようにも見えます。記事の改竄または荒らし行為が認められると判断して、編集を禁止する措置を取るように、要請する必要があるのでしょうか。
 日本史学会の苦しい立場を、誰がどのように代弁するのが適当なのでしょう。古事記・日本書紀・ホツマツタヱ3書に登場する天照大神などにまつわる伝承内容は、歴史学では現実に起こったことではなく、神話の中の出来事という解釈しかできないため、研究対象外になります。今まで知られてきた歴史から一気に数百年以上、弥生時代の昔まで遡ろうにも、時代が古すぎて、他に歴史的資料などが存在しないし、裏づけとなる考古学的な資料も不足しているため、内容の真偽を研究できず、明確な答えなど出せない状況にあるのです。きちんとした学術的研究を行った形跡がなく、また、そのような研究を行える状況にもないにもかかわらず、学会の名前を持ち出して、ホツマツタヱがあたかも歴史学の研究対象であるかのような錯覚を読者に与える記事を書けば、読み手を騙していることになりかねません。12世紀初期に成立した類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)に、「『ヲシテ』はことのほか貴重で大切なものだからおろそかにすべきでない」という意味の記述が認められるので、ホツマ文字を用いて書かれた文献が、すでにその頃社会的に認知されていたことは確かなようです。そして、鎌倉時代に建てられたと思われる厳重に封印された部屋から、大量の木簡の写本が出てきて宮内庁が大切に保管していることも、研究者の間ではよく知られています。にもかかわらず、そういった事実を無視して、江戸時代に誰が言い出したのか、後世に捏造された偽書と乱暴に断じた、事実誤認の可能性が高い見解が、まともに研究されないまま広まってしまっているのが現状です。偽書という言葉が独り歩きしていますが、天照大神などに関する記述の信憑性を見定める判断材料が揃わないため、歴史学の立場からは肯定も否定も出来ないまま、宙に浮いてしまっているのです。今では誰もがこの一件に当惑して避けて通っているのが実情ではないでしょうか。もちろん「近世以降に神道関係者により書かれた偽書である」などと書いても、類聚名義抄の記述や、昭和42年の木簡発見から高松宮殿下が二岐温泉を訪れて旅館大丸屋に『大丸あすなろ荘』と命名するまでの経緯をよく知っている、ホツマツタヱの研究を慎重に見守ってきた歴史学者は誰も信じないため、日本史学会で認められることはまずないと思います。今では学会に所属する研究者のほとんどが信じていないような記事を、百科事典に勝手に作文して書き込んで、学会の名前を持ち出してきて権威付けすることで、あたかも信頼性がある主張のように見せかければ、権威付けのトリックを用いて読者を騙していると読み手から受け取られかねません。このような形で読み手を何重にも騙して、白を黒とし、自分達の主張を見かけだけ優位に立たせるような記述を書き加える編集は、一歩間違うと荒らしとみなされる可能性もあると思います。
 また、日本語学界が、事実誤認の可能性がきわめて高いと思われる、日本史学会とまったく同じ見解を持っていると、認めるに足る研究資料も見当たらないように思います。ホツマ文字は48文字などと言われることがよくありますが、これは、四十九(ヨソコ)神の座席図を五十一文字で表わしているフトマニ図用に作られた基本文字四十八文字の事を指していて、それ以外に、特殊ヲシテ文字を詳細に分類して後世発生したものまでまとめてフォント化すると219文字程度になります。フトマニ図を通してこの文字がまず四十八文字作られて、その後増やされていった経緯を探る試みを知らない勉強不足の人が、勝手な判断で疑問があると騒いでいるだけのようです。本格的な研究をしている言語学者は、アワの歌に記され、占いに用いるフトマニ図に書き込まれている、神様の名前を表す特別な文字(音)が48種類なのであって、ふだん長歌(ワカ)などを書き記すときに使われていた文字の数はもっと多いことに、すぐに気が付きます。占いに用いる神様の名前の数と、普段話している言葉の音韻の数がまったく同じなどということは考えにくく、音韻体系について語るなら、占い用の神様の数49に限定された考え方をせずに、ふだん日常的な物事の表記に使われていた全ての文字を見て判断する必要があることぐらい、理解できない筈がありません。そういった基本的なことをまともに調べもせずに『ホツマ文字は48文字であり音韻体系が新しすぎる』などと、稚拙な間違いを研究論文に堂々と書いて学会で発表することはまずありえないし、この種の短絡的な勘違いが、そのまま学会で認められることもないでしょう。もちろん翻訳の専門家だった松本善之助氏など、ホツマツタヱを詳しく研究している方々が、上代特殊仮名遣いについて知らないなどということもありえず、偽書かどうかを判断する初期段階で、この問題を議論していないわけがありません。けっきょく、ホツマ文字がどのようにして成立したかまともに研究したことがない人が書いた、信頼性がまったくない作文にすぎない可能性が高いようです。もちろん、ホツマツタヱに向けられる批判の多くが、神様の数と音韻の数を同一視して混同したとんでもない見当違いの見苦しい作文と、同レベルの稚拙なものになっているのが実態のようです。そこに、学会名を持ち出してきて、権威付けによって偽書と断じた記事内容にあたかも信頼性があるかのような錯覚を与える書き方をすれば、読み手を騙すことにもなりかねません。どうしてこのようになってしまったかというと、『神代文字捏造ブームと偽書疑惑』の項で、私が批判とそれに対する回答を、一問一答形式で分かりやすく書いておいたものを、勝手に引き離して箇条書きにして、文章としてのつながりを絶ってしまったからです。私は、まったく信頼性のない、誰でも容易に間違いと気付くような批判が今まで繰り返されて、ホツマツタヱが誤解されてきたことを端的に示すために書いておいたのです。ところが、批判とペアになった回答を分離する編集をしたことによって、箸にも棒にもかからないような稚拙な間違った批判内容が、あたかも正式に学会から認められた事柄であるかのように、読み手に錯誤した認識を与える結果を招きかねない記述へと書き替えられて、内容が変質してしまっているのです。学会名を持ち出す権威付けトリックと絡めた、他人が書いた記事の改竄行為は、白を黒に摩り替える常套手段の一つと受け取る人が多いことを、忘れないほうが良いと思います。
 ホツマツタヱの伝承内容は、歴史学の研究対象に出来ないし、取り扱いが難しい文献だと、前もってこのノート内で指摘して注意しておいたにもかかわらず、それを無視して日本史学会の名前を持ち出して、読み手を騙すトリックまがいとみなされかねない問題性のある記事の編集を幾重にも試みていると、人の警告を無視して悪質な記事の改竄行為を繰り返して、故意に事実を捻じ曲げて、自説を有利に導こうとしているとみなされかねません。もちろん、よほどのことがない限り、良識のある方はまずこんな乱暴なことはしないと思うし、2ちゃんねるのホツマツタヱ関係のスレッドからこの記事に対してリンクが張られていたことと、今起こっている問題の関連性を考える人も、少なからずいると思います。--203.168.92.153 2007年1月6日 (土) 14:44 (UTC)
私の編集が203.168.92.153さんのおっしゃるような意図でなされたものではないことを、まずもって表明しておきたいと思います。批判と回答を分離したのも、単に読みやすさを考慮した結果です。納得できないのでしたら、元に戻していただいて結構です。また、中立性のテンプレを貼ったのは私ではありません。学会の名前を出したのは、軽率だったかもしれませんが、私の知っている限りではそうだというだけのことです。いずれ、ここは百科事典であり、学問の世界における成果を書くところですので、読者がホツマツタヱに関して否定側の意見を知らずに頭から記事を評価の固まったものと受け止めることは避けなければなりません。私の不勉強もあると思いますが、トリックとまでおっしゃるのでしたら203.168.92.153さんには是非「ホツマツタヱの研究を慎重に見守ってきた歴史学者」について、信頼できる資料を提示していただきたいと思います。
良心的な歴史学者であれば203.168.92.153さんのおっしゃるように「歴史学の研究対象に出来ないし、取り扱いが難しい文献」だとして手をつけないことも想像に難くありません。もし、一本でも査読のある歴史・考古学系学術雑誌にホツマツタヱについて評価した論文が掲載されていれば、私の編集記事は撤回いたしますし(なお学術団体とは、日本学術会議協力学術研究団体のこととします)、定義文に「取り扱いが難しいと評価を忌避されている」と明記することができます。もしかしたら神道学や民俗学からのアプローチでは評価されているかもしれませんし、その場合そのように記述することも可能です。
しかしこのままでは、歴史書としては「偽書」としか評価できません。ここは、203.168.92.153さんの意見を書く場所でもなければ、私の意見を書く場所でもありませんので、学術団体所属の研究者の意見を教えてください。お願いいたします。--ろう(Law soma) 2007年1月9日 (火) 08:00 (UTC)
 天照大神のイミナが本当に若仁(ワカヒト)だったかどうかなどについて、歴史学者が語ることは不可能なようです。歴史学者が記述内容の真偽にまったく言及できない文献である以上、正式な場で語られることはなく、正式に認められた歴史書とはなりえないようです。もちろん、歴史学者の立場から、偽書と断じることもまず不可能なようです。上にも書きましたが、神社に伝わる縁起を記した書などと同じ扱い、という視点から書いておけば、肯定派からも否定派からも、まず異論は出ないように思います。--203.168.92.153 2007年1月13日 (土) 07:05 (UTC)

インデント戻します。とりあえず学界云々の記述を改めました。しかし、これだけは強調しておきますが、 現在の文章では、学術的に評価の割れている(と肯定側が主張する)一学説を、肯定側の意見が大部分を占める記事により、あたかも定説であり評価されているかのように読者に思わせるものとなっている 点は改める必要があります。

中立性については、定義の部分で一般的でない旨を記載することで担保できると考えますので、更なる議論を待ちます。--ろう(Law soma) 2007年1月10日 (水) 03:29 (UTC)

全般的に事実と意見の混用が見られましたので、情緒的な表現は削除し、意見である部分はそうであると分かるように、また事実として確定している部分は断定的に表現するように修正しました。--うまやど 2007年1月10日 (水) 13:46 (UTC)

ヤマト言葉

一部の研究者の間ではともかく、ホツマツタヱが記紀の原書であるかどうかすら定説になっているとはいえません。またホツマツタヱの内容は古ヤマト言葉で書かれていると思われるため、その内容(解釈・現代語訳)も定まっているとはいえません。文章中では人名などを記紀に準じた表記となっていましたが、ホツマツタヱの原文に即して、ヤマト言葉を優先して記述する様変更しました。この変更によっても、中立性を回復することができると考えます。--うまやど 2007年1月10日 (水) 10:39 (UTC)

 あなたが研究者と書いている方々が、具体的にどのような研究者を指すのか分かりかねますが、ホツマツタヱが記紀の原書であるかどうかは、三書対照を研究の基本と心得る『ホツマツタヱの研究者』の間では、ほぼ定説化しているようです。このことは、著名なホツマツタヱの研究者によって書かれた本を数冊読めばほぼ明らかなことです。「一部の研究者の間ではともかく」と書くことは、この事実に反するのではありませんか? もしも、あなたのいう研究者の全体集合が、歴史の研究者すべてのことを指すのであれば、ホツマツタヱの伝承内容の真偽を、歴史の研究家の立場からは、研究できないことがほぼ明らかなため、言及する論文や著書が無いのに、一部の研究者と記すことは不適切と読み手から受け取られることになりかねません。歴史書や発掘資料を研究する歴史の研究者と、神話の伝承にすぎないホツマツタヱを中心にして、三書対照に頼って神代の時代の出来事を読み解こうとするホツマツタヱの研究者は、明確に分けて考える必要があり、両者の混同は無用な混乱を招くだけのようです。
 ヤマト言葉によってウィキペディアの記事を書くことに、私は反対です。日本語表記の百科事典は、専門家ではない一般の人が、普通にすらすら読める日本語で記されているべきです。もちろん、ヤマト言葉は現代に通用する、一般の人が普通に読んで分かるような日本語ではありません。「ハナキネとアマテルカミとの会話であると誤認する取り違えが生じた」などといきなり書かれているものを読んでも、おそらく9999/10000の人が、その意味を読み取ることが出来ないでしょう。フォーナイン以上の判読不能表記を、一般大衆向けの百科事典上ですることは適切と思えません。これは特に、ネット検索した場合に問題が出てきます。ヤマト言葉の表記では、素戔鳴尊と天照大神のキーワードでこの文章はヒットしません。また、キーワード検索で抽出された文章の断片を斜め読みしても、意味がまるで拾えないケースが、他の箇所でも出てくることが考えられます。私が書いた文章を、多くの人が探し出して知識として活用することが出来ない記事へと、勝手に書き換えてしまっては困ります。一般のホツマツタヱの研究書と、百科事典の記事は違うものだということを忘れないでください。また、日本語で書かれた百科事典内の他の記事との間に、三書対照を踏まえたリンクなどを張り巡らせる場合にも、当然日本語で行うべきであり、カタカナ表記のヤマト言葉などを用いていては、混乱を招くだけだと思います。
 漢字仮名混じり文の日本語の表記が、記紀などから生まれてきたことを考えると、漢字への置き換えは基本的に、記紀を参考にして行うのが良いと思われます。読み手の理解を助けるために、ホツマツタヱ原文の記述を、カタカナなどの現代日本語の表音文字に適当に置き換えて、カッコなどを添えて補うのはオーケーだと思いますが、ホツマ文字そのものではない、カタカナ表記のヤマト言葉を、優先して書くのは適切でないと思います。パソコン用のフォントにすると219文字もあり、音韻の数が現代の日本語より遥かに多いホツマ文字を、カタカナ表記に置き換えることはとうてい無理があるため、必ず矛盾が生じます。このような不自然な行為を前面に押し出して研究していたことが、ホツマ文字の音韻は48しかないなどという、短絡的な錯誤を生み、仮名遣いがおかしいといった誤った指摘を流布される、無用な混乱を招く原因になってきた経緯があるようです。このため、便宜的に原文をカタカナ表記に置き換えることも、避けて通ったほうが望ましいのに、ヤマト言葉の表記を中心にするのは無理がありすぎて、内部矛盾の発生を消しきれません。出来れば、私が用いている特殊なリアルタイムOSを用いたコンピューターシステム同様、ホツマ文字219文字のパソコン用フォントをOSが標準でサポートすべきでしょうが、それは今後を待つことになると思います。将来ホツマ文字をWindowsのOSなどがサポートした場合、記事中のカタカナ表記部分はホツマ文字で置き換えて表記されることになると思いますが、そうなると、今ですら一般の人が読んで「アマテルカミ」などと書かれていてもさっぱり意味が拾えず、聞き慣れないカタカナ言葉にいちいち引っかかって、まともにすらすらと読みこなせる人がほとんどいないような奇異な印象を受ける記事が、ますますもって、判読不可能な文章に化けていってしまいます。百科事典は一般大衆が読むためのものです。ごく一部の研究者だけが読みこなせればいい専門書とは異なります。日本語として読んで知識として活かせるように表記された文章に、参考文献参照用の表音文字などを補う方式ならば、将来ホツマ文字が百科事典内で使用できる環境に移行した場合にも問題は発生せず、後世ホツマ文字の本格的な研究者が絶えてしまっていたとしても、まったく予備知識がない編集者でも比較的楽に記事を修正していけるだろうと思います。いちおう、分かりやすいようにパソコン用フォントを紹介しているサイトへのリンクを張っておきます。--203.168.92.153 2007年1月13日 (土) 07:05 (UTC)
『ホツマツタヱの研究者』の間で定説化していることを否定するものではありません。しかし、一般的な歴史学者については、そうとはいえないということを申し上げております。この点について意見のずれはないと理解しております。
ヤマト言葉で表現することに反対される理由がよくわかりません。修正を見ていただいてもわかるように、併記するスタイルをとっております。「などといきなり書かれているものを」といわれていますが、接続できるように工夫しているつもりです。カタカナ表記のヤマト言葉などを用いていては、混乱を招くだけだとは思いません。一般的に、ホツマツタヱが記紀の原典であるとの合意はなされていないからこそ、ホツマツタヱの記述を正確に伝えることが誠実な姿勢であると考えます。
「漢字仮名混じり文の日本語の表記が、記紀などから生まれてきたことを考えると、漢字への置き換えは基本的に、記紀を参考にして行うのが良い」とありますが、記紀による漢字表記そのものがそもそも妥当であるとすることは危険ではないですか。あなたの記述された和歌姫の記事や、その他の記事からも、記紀がホツマツタヱに比べて不完全であることは明白です。なぜ、そのような記紀について、氏名の表記方法だけは信用に足ると考えるのでしょうか。
神代から景行天皇までの記述は、ホツマツタヱの方が信頼できるのであれば、それに即した表記をしておいた上で、一般人の理解を助けるということしかできないでしょう。もっともおっしゃるようにヲシテで直書きすればよいのですが、さすがにそこまでは望めません。なんといってもほとんど人が読めません。
「ハナキネとアマテルカミとの会話であると誤認する取り違えが生じた」についてはおっしゃることはもっともだと思います。あれだけでは一般人はよくわからないと思います。あなたの書かれた文章をできるだけ生かしたかったので、なんとか文脈を整えました。何度も、(記紀にいう○○)という追記がうっとうしいかと思い省略したところがありますが、しつこく書いたほうがよいのかもしれません。--うまやど 2007年1月13日 (土) 07:44 (UTC)
「併記するスタイル」のおかげでだいぶ見やすくなっていると思います。--Hotsuregua 2007年1月13日 (土) 12:40 (UTC)
カタカナ表記はあくまでも、ホツマツタヱを読み解くのを補助する仮のものにすぎず、正式な表記ではありえないだろうし、日本語版ウィキペディアの表記言語である、現代の日本語として正式に認められたものでもないという問題があるようですね。昔の日本語は一音一意だったみたいなので、音韻は今の日本語よりもかなりたくさん必要だったようです。ホツマ文字の字形をさらっと観察しただけでも、hiという音は少なくとも、『ヒ・火・人・日』と4種類は意味を区別して発音されていたと思われます。それを、『ヒ』たった一文字でカタカナ表記していては、正しく意味が伝わらないケースも出てきそうです。失われた音韻は、現在の日本語の方言の発音の揺らぎに残っている痕跡や、日本語のルーツとなった他の言語を話している地域に残っている音、たとえば朝鮮半島や太平洋の島々の言葉などを調べることで、ある程度までは予想がついて、再現していくことも可能です。一例として「『ホゾ』を噛む」(「ヘソを噛む」の意味)などは、太平洋の島々の音韻体系から伝来したものですよね。昔はおへそのことを、『ホゾ』ともヒアリング出来るような発音をしていて、それがそのまま現代まで生き延びて残っている、かなり珍しい分かりやすいケースのようです。200を超えるホツマ文字の音韻体系は、とてもカタカナに置き換えて表記しきれるものではありませんから、正式な音の表記方式として、再現可能なホツマ文字の音韻体系全てに対応出来る、発音記号のセットを組んだほうが良いかと思います。記紀の漢字を用いた記述などを出発点に、宮中で生まれ育った日本語表記が、完璧なものと主張するつもりはありませんが、言語は意思疎通のために使われている慣習であり、慣習に則った表記が求められます。『ワカヒメ』という表記は、ホツマ文字を仮の音に置き換えた、正しく原文を反映できない仮の表記にすぎないのに対して、和歌姫と表記することは、現代の和歌という日本語や、和歌山県などの表記に則った、正しい現代語訳と心得ています。ただし、大きな家の跡継ぎに対して『若大将』などと呼ぶことがあるように、ワカヒトやワカヒメのワカには、『若』の意味があり、この文字を当てて意訳したくなる気持ちはありますね。言語の慣習は破る楽しさがあり、生きた言葉が発展していく自由度を大切にすることも必要ですから、もともと当て字にすぎない、神社に祭られた方の名前の漢字を、絶対に守らないと駄目なんて言い張ることは、このようなケースでは避けて通る必要がありますね。でも、「ハナキネとワカヒルメの会話」なんてヤマト言葉をカタカナ表記したものを並べてしまうと、古語や歴史を学んだ大卒の高校の先生クラスでも、すらすら読める人は珍しいと思います。ウィキペディアで認められていない、仮にすぎない表記方式で、大卒のある程度きちんとした教養を備えている人でも、すらすら読みこなせない記事へと書き換えてしまっているとみなされてしまうと、困ったことになりかねません。日本語版ウィキペディアの表記言語のルールを正しく守って日本語で書き、理解と資料参照の参考にするために、原文を音で表したカタカナ、よりも、出来ればホツマ文字全てにきちんと対応できる発音記号を添える方式のほうが、より良いように思います。WindowsのOSは今後、標準で使える文字数が大幅に増えていく様子なので、最終的には、日本語表記に続いてカッコ内にホツマ文字とその発音記号を添えることで、正しい表記方式が完成すると思います。もちろん、現代の日本人はそのような豊かな音韻の体系の言葉を発音できないし、正しくヒアリングも出来ないので、発音記号をマウスクリックすると、その音を聞くことが出来るようにしてあればベストだし、これをパソコン上で行うことは、英語の発音再生などでソフト的には実現しているので、ヲシテの世界でも可能でしょう。私が使っているコンピュータのシステムは規約があって公開できませんが、ヲシテの世界の発音を簡易的にシミュレーションできています。環境が整っていきつつあるようですから、そろそろ、秀真の研究者達は、ホツマ文字の音韻体系が50程度しかないなんて言われる誤解を招いた、カタカナ表記病から離脱して、正式なヲシテの音韻体系の世界に戻る時期が来ていると思います。そうそう、『ホツマツタヱ』という、仮の音に置き換えたヤマト言葉のカタカナ表記も、私はルール違反と感じるので反対です。この事典には、認められている正式な表記言語、現代の日本語を用いて『秀真伝』と正しく書いて、それにカタカナか発音記号で読みを添えておくべきだと思います。--203.168.92.153 2007年1月13日 (土) 19:45 (UTC)
「カタカナ表記はあくまでも、ホツマツタヱを読み解くのを補助する仮のものにすぎず、正式な表記ではありえない」これは同意します。しかし、「日本語版ウィキペディアの表記言語である、現代の日本語として正式に認められたものでもない」の根拠を教えてください。おっしゃっていることは、カタカナは現代の日本語として正式に認められていないという主張だとお見受けしますので。
ホツマ文字の音韻体系は多様であるという主張のようですが、その根拠はなんですか?私が知る限り、上代特殊仮名遣を根拠に古代の日本語の音韻が複雑だったといわれていることは承知しています。一方で、上代特殊仮名遣説は記紀およびその後の文献を根拠としています。学会はヲシテ文献を認めていない以上、ヲシテ文献についても上代特殊仮名遣説が検証に耐えるかどうかまだわからないのではないですか?ヲシテ文献からは216文字の異字体が認められていますが、それが発音の違いを表すとの研究がなされたのでしょうか。同音異義語を分別するための表意的な表現という可能性もあります。ホツマツタヱを研究対象としてホツマ文字の音韻体系は多様であると断言できる根拠を教えてください。
「記紀の漢字を用いた記述などを出発点に、宮中で生まれ育った日本語表記が、完璧なものと主張するつもりはありませんが、言語は意思疎通のために使われている慣習であり、慣習に則った表記が求められます。『ワカヒメ』という表記は、ホツマ文字を仮の音に置き換えた、正しく原文を反映できない仮の表記にすぎないのに対して、和歌姫と表記することは、現代の和歌という日本語や、和歌山県などの表記に則った、正しい現代語訳と心得ています。」についてですが、
「記紀の漢字を用いた記述などを出発点に、宮中で生まれ育った日本語表記が、完璧なものと主張するつもりはありません」、これはよろしいのですね。次に、「言語は意思疎通のために使われている慣習であり、慣習に則った表記が求められます。」ですが、あなたがこだわっているホツマツタヱが真書であるという主張は、慣習の変更を求めることですよ。記紀よりも古い文献が見つかった以上、それ以降の慣習に影響があることは自然なことです。また、そうでないならホツマツタヱと力説する必要はないでしょう。記紀で十分だからです。「『ワカヒメ』という表記は、ホツマ文字を仮の音に置き換えた、正しく原文を反映できない仮の表記にすぎないのに対して、和歌姫と表記することは、現代の和歌という日本語や、和歌山県などの表記に則った、正しい現代語訳と心得ています。」ようするに慣習に沿っているからいいということですね。その慣習自体に影響のある発見だから「世紀の大発見」であり「学会がやりたがらない」んだと思いますが。記紀以来の慣習だからそうすべきという説には同意できません。記紀に関する文章をカタカナ表記するのはけしからんというのなら、理解できます。しかし、ホツマツタヱの表記に関しては、慣習はできあがっていません。
論点は、「カタカナ表記はあくまでも、ホツマツタヱを読み解くのを補助する仮のものにすぎず、正式な表記ではありえない」一方で、「記紀に準拠した漢字表記も、誤りの多い記紀を出発点とした慣習であって、ホツマツタヱの真意を表すのに適当ではありえない」。こういう状況で、どう表記すべきかです。
そこで、本来はヲシテで表現すべき、これが第1義です。技術的にできるのならそうしてください。Wikipediaのシステムレベルでの対応が必要かもしれませんが、不可能ではないのではないかと思います。
次に、そうなるまでの次善の策としては、カタカナが主か、漢字が主かということになります。ホツマツタヱは漢字・漢文の到来以前の文献です。そもそも漢字・漢文以前のものの表記に対して漢字表記が正しいという正当性の根拠がありません。本居宣長が生きていれば「それは漢ごころであって、直ちに去るべし」というでしょう。次に、「和歌姫」とかいて「若姫」の意味を含んでいることを想像できる人はいません。「秀真」とかいて「東国」の意味を含んでいることは想像できません。漢字を補足として利用することは賛同しますが、「秀真(ホツマ)」「和歌姫(ワカヒメ)」といった表現は、掛詞のニュアンスを捨てています。さらに、記紀の用語を援用することで、誤訳である記紀の概念に縛られることになる。以上の3つの根拠により同意できません。
「ホツマ(東国・秀真の意味)」「ワカヒメ(若い姫、和歌の姫などの意味)」「アマテルカミ(実名はワカヒト、記紀にいう天照大神)」というのがホツマツタヱに則した表現です。回りくどくていやかもしれませんが、現状の学問の到達状況では、これが妥当だと考えます。
203.168.92.153さんの気持ちはよくわかります。しかし、学問・事実にもとづいて中立的に表現するとこれくらいが限界ではないでしょうか。--うまやど 2007年1月14日 (日) 01:11 (UTC)
いろいろな発言があるようですが皆さん長文なため何が言いたいのかわかりにくいです。もっと簡単明瞭な発言なら助かるのですが。本文についても学問・事実にもとづいて一般人にわかりやすく簡潔に書こう、という方向なら賛成です。--Hotsuregua 2007年1月14日 (日) 01:34 (UTC)
 論点は、漢字表記かカタカナ表記かにあるのではなく、現代の日本語で解説を書くのか否かです。正確にヲシテを音で表すなら、カタカナ表記ではなく新たに発音記号を用いるべきだと私が書いたことを、完全に無視しているようですが、これでは、まともな議論をしていると考える読者は少ないと思います。
 すらすら読める日本語で書かれていた解説を、まともに読みこなせる人がほとんどいない、知識として活用できないような記事へと、身勝手に改変する迷惑行為をしないでください。ヲシテの便宜上の置き換えにすぎない、当時の音韻体系をほとんど無視した出鱈目なカタカナ表記を中心に、一般の読者が判読困難な解説文へと作り変えるなどもってのほかです。百科事典の記事を読むのは、一部の専門家だけではありません。また、専門家のために存在しているわけでもありません。日本語版ウィキペディアは、古いヤマト言葉が入り乱れた解説記事を書いてよい特殊な専門書ではないので、故意に乱用することはルール違反とみなされかねません。現代の日本語で記事を書くことは日本語版ウィキペディアの最低限のルールの筈ですが、この種の基本的なルールを守れないようなら、記事の編集を差し止める必要があると判断されることになりかねません。
 ホツマ文字は、文字が作られるルールが理路整然としていて、音韻体系と直接リンクしていることは、ホツマ文字の研究者達の間で定着している認識であり、これについて、議論の余地は無いと思います。故意に無理解を装って、人に曲解を押し付けようとしているように受け取られかねません。表音文字は音を表していますが、その音を切り捨てる発想の主張は、論理的妥当性を欠いていると思われます。日本人は何よりも言霊を大切にしていたことを無視して、音が文字に置き換えられていった過程を考えようとしなければ、当時の和歌の世界の本質は永遠に見えてきません。秀真伝が書かれた時代から今日までの音韻体系の変化を、赤ん坊が音素をカテゴリーに分類するヒアリング能力を獲得する、脳神経系の発達成長過程と照らし合わせながら、シミュレーションしていく検証なども現在行われていて、かなり具体的なことが分かってきています。当時の音韻体系を正しく復活させるには、発音記号による表記が必要という人の話を、妥当性を欠いた勝手な言い分で無視して、今後も不適切なカタカナ表記を中心に古いヤマト言葉もどきの記述が入り乱れた、一般の人がまともに読めない記事へと改変していく迷惑行為を続けるおつもりなら、編集差し止めの措置を取るよう要請する必要も出てくると思います。
 和歌といった言葉は、現代の日本語として定着していて、この表記についてこの場で議論する必要性をまったく感じません。もちろん天照大神といった日本語も、表記の妥当性を議論する必要など皆無と思います。ホツマツタヱの伝承内容を、現代の日本語に意訳して解説している文中では、天照大神と現代の日本語で表記しておけば、それで十分です。便宜的で不適切な「アマテルカミ」といったカタカナ表記の記述に、わざわざ逐一置き換えてまで、一般の人がすらすら読めない古いヤマト言葉が入り乱れた難解な文章へと、改竄していく必要性など見当たりません。日本語の解説文は、日本語で分かりやすく書かれているべきです。勝手な理屈をもっともらしく並べて、無用な混乱を招かないようにお願いします。「本来はヲシテで表現すべき、これが第1義です」とはどういうことですか。たとえ将来Windowsがヲシテ文字を標準でサポートしたとしても、どうかヲシテで解説文を書かないでください。ヲシテ文献の解説をヲシテで書いてあっても、ほとんどの現代人には読めません。現代の日本語で記事を書いてもらわなくては多くの人が迷惑します。--203.168.92.153 2007年1月14日 (日) 12:02 (UTC)
「便宜的で不適切な「アマテルカミ」といったカタカナ表記の記述」とありますが、ホツマツタヱの原文を読んだことはおありでしょうか。原文は漢字で書いてありません。少なくとも「ホツマ辞典」に当たってください。p.21です。アマテル・アマテルカミ・アマテラス・アマテラスカミの表現で、ホツマツタヱ 0-1,0-8,4-24,8-17,8-45,11-2,12-4,14-7,15-1,15-3,16-67,16-72,17-2,17-92,22-7,23-2,23-78,24-6,26-45,27-32,27-87,28-10,28-19,28-27,28-49,28-51,29-29,29-41,29-53,29-54,33-8,33-10,33-11,33-14,36-15,36-18,39-52,40-56 が出典です。
下のほうに議論はまとめましたので、問題があればそれぞれについてお願いします。また音韻についての根拠を明確に示してください。それがあれば、わたしもあなたの意見を理解できます。--うまやど 2007年1月14日 (日) 15:11 (UTC)

Hotsureguaさん、おっしゃる通りです。簡潔を宗といたします。インデントを戻して要点をまとめると、

  • 論点は、ホツマツタヱ中の古ヤマト言葉および固有名詞の表記について、記紀に準拠した漢字表記を主とするのがよいか、カタカナ表記を主とするのがよいか。
  • いずれにせよ、完全でないこと、および、両方の併記が必要であることについては合意が取れている。
  • あとは、いずれを主とすべきか、その根拠は何か、です。
  • カタカナを主とすべきであるという根拠は次の6つです
  1. ホツマツタヱが記紀の原典であることは学会で認められているとはいえず、予断を与えすぎる
  2. 古ヤマト言葉の意味は研究中であり確定していない。漢字表記は予断を与えすぎる
  3. 漢字表記することで、もとの言葉に込められた掛詞・ヤマト言葉のニュアンスが失われる
  4. ホツマツタヱは漢字渡来以前の文献であり、漢字で表現することは妥当でない
  5. 神代・人皇12代までについて誤記が多いと思われる記紀の概念に左右されることになる
  6. 結果として、ホツマツタヱが記紀と同程度の神話にすぎないと貶めることになる
  • 問題点としては次の3つです
  1. ヲシテには特殊表記が存在しており、カナ表記するとそれが失われる
  2. 記紀の表現は記紀およびそこから派生した祭神や人名、地名などに関して一般に通用している
  3. カタカナ表記から想像力を働かせるには相応の教養を必要とする
  • これらの問題点を補うために、表記に当たってはカタカナ単独ではなく、必要に応じて漢字および説明で補足を行うべき。
  • なお、ヲシテの音韻について研究はなされていない。
  • 理想的には、ヲシテ(ホツマ文字)で表記することが望ましい。

--うまやど 2007年1月14日 (日) 03:37 (UTC)

逆のほうからも整理してみます。

  • 漢字を主とすべきであるという根拠は次の5つではないでしょうか。
  1. 記紀の表現は記紀およびそこから派生した祭神や人名、地名などに関して一般に通用している
  2. ホツマツタヱを利用して正当性に疑問をもたれている記紀の権威を高めることができる
  3. ホツマツタヱの解釈を記紀に準拠させることができる
  4. 漢字以外(カナやヲシテ)は漢字に比べて劣るものであるとの常識に準拠できる
  5. ホツマツタヱはただの神話にすぎないと刷り込むことができる
  • 問題点としては、カタカナを主とすべきであるという根拠に加えて、
  1. 戦後世代にとって記紀はすでになじみあるものとはいえない。
  2. 戦後世代にとって記紀は神話に過ぎないものであり、記紀を援用すると「記紀と同程度の神話に過ぎないもの」との先入観を与える
  3. ホツマツタヱのもつ豊穣さの半分以上は、記紀に訳出されていない。ホツマツタヱを記紀準拠で解釈することは、その豊穣さを捨てることと同じこと
  4. 漢字のほうが正しく、カナやヲシテが劣るとするのは、中華思想による呪縛。ヲシテ文献はそれからときはなつ力をもっている
  5. ホツマツタヱは神話ではなく、歴史書・正史として位置付けるべきもの。
  • 漢字表記を完全に否定するものではないが、問題点が大きすぎる。
  • ホツマツタヱが真書であるとするなら、ホツマツタヱを元にして記紀そのものを再度位置付けなおすということは必然です。ホツマツタヱを真摯に研究している研究者は漢字表記に否定的です。

--うまやど 2007年1月14日 (日) 04:15 (UTC)

私の視点からのものを並べて書いてみましょう。
A「論点は、漢字表記かカタカナ表記かにある」
B「論点は、新たに発音記号で表記する方式を採用し、完璧を期すべきか、従来のカタカナ表記に留めるべきかにある」
A「両方の併記が必要と合意が取れている」
B「音韻体系の取り扱いについて、まったく合意がなされていない」
A「あとは、いずれを主とすべきかが問題」
B「現代の日本語を用いて普通の人が易しく読めるように、ネット検索やリンクなどもしやすく書いておくべきか、従来からの専門的表記で書くべきかが最大の争点」
A「ヲシテの音韻について研究はされていない」
B「言霊の研究家、言語学者、文化人類学者、記号論の専門家などを中心に、多角的に研究されている」
A「理想としてはヲシテで表記すべき」
B「日本語で書くべき百科事典では、日本語を用いた解説が要求される。ヲシテの原文は必要最低限の引用に留めておくべき」
A「研究者は漢字表記に否定的」
B「音韻体系の研究者はカタカナ表記に否定的」
全ての話が食い違っていて、噛み合う部分がまるでないようです。--203.168.92.153 2007年1月14日 (日) 12:02 (UTC)
 私が、現代の日本語を中心に据えて普通の人が読みこなせる解説記事を書かなくては、ルール違反の迷惑行為になりかねないと明確に指摘している点を、完全に無視して、身勝手な自分本位の理屈を一見もっともらしく並べたてて、その実見事に論点を避けて、はぐらかして引っ掻き回しているのではありませんか? そうでなければ、ここまで実際に議論されている内容と違うことを、あなたがだらだらと何行にもわたって列記したりはしないと、判断する人が多いと思います。このような行為の程度が酷いとみなされれば、まともに議論する意思がないと受け取られることになります。『天照大神』は中学生でもわかる日本語ですが、これを『アマテルカミ』と置き換えて書いてしまうと、ほとんどの人がなんのことか理解できないようです。現代の日本語ではないから、すらすら読めないうえにネット検索や他の記事とのリンクも円滑に出来ない。そんな実用性のない記事に改竄されていっては困るし、不適切な仮の音に置き換えた表記は原文を正しく音で表記出来ていないから問題がある。話は非常に単純です。あなたは、誰もが読んで分かる、実用性のある生きた日本語を用いて百科事典の記事を書く意思があるのかないのか、きちんとイエスかノーか答える必要があるのではないでしょうか。もちろん、ノーという答えなら、日本語版ウィキペディアの記事編集のルールに反することになるようです。あなたが不必要に持ち出してきて、記事の中心に据えている古ヤマト言葉やカタカナ表記は、正しく原文を反映していないうえに、誰でも分かる現代の日本語でもないようです。そのような中途半端で曖昧などっちつかずのものをメインにして記事を書かれては、多くの人が迷惑するでしょう。日本語に意訳して解説されている記事から、原文を辿るために必要な、カタカナ表記をカッコなどを添えて補助的に使う形なら、日本語で書かれている記事とみなされる余地があると思いますが、その逆をやりすぎれば生きた現代の日本語で書かれた記事ではなくなってしまい、ほとんどの人が見慣れないカタカナ言葉にいちいち引っかかって、まともにすらすら読み進むことが困難な死んだ記事になってしまうようです。そのようなものは、一部の専門家の世界では通用しても、大衆向けの百科事典では歓迎されないようです。好むと好まざるとに関わらず、現代の生きた日本語は、記紀などの漢字使用に発して漢字かな混じり文として発達してきています。現代の日本語表記とは、一般的な現代の国語辞典に載っている言葉、ネット上などで一般的に流通している生きた言葉による表記を指します。ヲシテは、現代の生きた日本語ではなく、正しく発音したりヒアリング出来る日本人は誰一人存在しないと一般に思われているものなので、現代の日本語に意訳した解説文を不必要にいじりまわして、ヲシテを不完全にカタカナ表記したものへと次々と書き変えて前面に押し出すようなことをすれば、どんどん日本語としてまともに読めない記事になっていき、度がすぎれば迷惑行為になります。話は非常に単純です。現代の日本語表記はほぼ定まっており、これについて議論の余地などないと思います。もちろん、生きた言葉は数年単位でころころと移り変わるものだし、必要に応じて変化させていくことが可能だとは思いますが、現代の日本語で記事を書くという基本ルールからはみ出すことはできないと思います。
 具体的な一例を示すと、「アマテルカミのオシカとしてタマツミヤに遣わされたアチヒコに会ったとたん、ワカヒメは恋焦れてしまった」という、不完全なカタカナ表記のヲシテと現代の日本語が複雑怪奇に入り混じった、見苦しい怪文書の類では、一般の読者はちんぷんかんぷん、訳が分からなくなります。日本語に意訳した解説文は「天照大神の勅使として玉津宮に遣わされた阿智彦に会ったとたん、和歌姫は恋焦れてしまった」と、普通に読める日本語で書いておくべきです。それをわざわざ、読みにくい、今日では誰も正確に話せる人がいないと思われているカタカナ表記のヲシテ入り混じり文へと、故意に記事を改竄する必要性などありません。もしも、中学生向けの教科書に載せる解説文を書くなら、前者の怪文書ではなく、後者の日本語表記の記述を要求されることは、ヲシテ文献の研究者なら誰でも分かることで、この点について議論の余地はないと思います。もちろん、いまどきの中学生は「てんてるたいしん」と大真面目に読んでしまうことも珍しくないという、致命的な問題を抱えているので、カッコを付けて読みなどを示し、他の資料を参照できるように一通り道筋を付けておくのが親切でしょう。原文参照用のカタカナ表記のヲシテを記事に補う工夫なども、必要に応じてしておいたほうが良いと思います。--203.168.92.153 2007年1月14日 (日) 21:46 (UTC)
議論がかみ合いませんね。カタカナ表記が不完全という根拠は、特殊ヲシテ表記が消えるからであるというのが私の理解ですが、203.168.92.153さんの場合は、音韻が違うからです。「ヲシテは、現代の生きた日本語ではなく、正しく発音したりヒアリング出来る日本人は誰一人存在しないと一般に思われているもの」の根拠を教えてください。漢字表記した場合、音韻を正しく再現できるのでしょうか。
「天照大神」は現代の日本人にとって神様です。神格化された存在です。また多くの人にとっては「てんてるだいじん」って何?という存在です。記紀では、神代に属することとして神様として扱っています。しかし、ホツマツタヱでは「天照大神(アマテルカミ)」は神様でなく人間です。根本が違います。だから神様であるという予断を与える「天照大神(アマテルカミ)」という表現ではなく「アマテルカミ(記紀にいう天照大神)」という表現になるのです。
そもそも、「カミ」=「神」ではありません。『大言海』では、「かみ」のヤマト言葉の意味として、‘神’‘上’‘長官’‘頭’‘髪’‘紙’が立てられています。もちろん『大言海』はヲシテ文献を対象とする以前の理解でです。また、漢字の「神」の意味は『康煕字典』によれば、「目に見えないもの、大きな宇宙的な働き、鬼や魂のこと」です。これをみても、「カミ=神」はわずかにしか成り立たないことがわかります。
ましてや、ホツマツタヱが記紀の原典であるかどうかは、学会レベルで確定していません。アマテルカミ=天照大神であるかどうかは、まだ確定していないのです。あなたやわたしが信じるのは勝手です。しかし、中立的に事実に即して書くとあなたのような表記はできません。
「和歌姫」についていうと、ホツマツタヱを発見された松本先生の著書『ホツマツタヘ―秘められた日本古代史』でも「和歌姫」との表記はありません。「ワカ姫」との表記をされていることを明言しておきます。--うまやど 2007年1月15日 (月) 00:45 (UTC)
 「議論がかみ合いませんね」とお書きということは、 2007年1月14日 (日) 03:37 (UTC)の日時に、あなたが上のほうで箇条書きなさったものが、事実誤認だとお認めになるのですね。どうしてあんなにたくさんの、事実に反することを並べてお書きになったのか、その理由を正直に教えていただけませんか。多くの読者は、いくらなんでも故意でなければ、あれだけ事実と違うことを平然と書き並べられないだろうと推測し、あなたの言動の真意を疑問視しているのではないか思います。事実行われている議論とまったく違うことを、身勝手にずらずらと書き並べるのは、著しい迷惑行為になります。あなたの発言は事実誤認だらけで、お話にならない迷惑なものと判断して、今後は無視したほうが良いという結論を出すべきなのでしょうか。
 漢字で音が正確に表現できるなどと、私は一言も書いていませんが、なぜそのような見当違いの質問を私に向かってするのですか。ヲシテの文字体系を正しく表すのに、カタカナでは無理があるので、発音記号の意味を持たせた、アルファベットの使用を提案しています。また、私は現代の日本語に意訳した記事を書いていると、端的に説明しています。これを、どこまでも無視して、身勝手な話を、延々と書き殴り続ける押し問答を、今後も継続していくおつもりなら、これ以上の議論は無駄と判断するしかないと思います。
 「多くの人にとっては「てんてるだいじん」って何?という存在です。」とお書きですが、正月に神社に御参りして、神社に祭られている神様の名前を読む人が、どのくらいいるか知ってますか。てんてるだいじんと、多くの人が読むというあなたの話は、はたして信頼がおける事実なのでしょうか。私はこれもあなたが事実に反することを書いていると思いますよ。いまどきの中学生でも、天照大神はたいてい読めます。理由は陰陽道の漫画やアニメなどでしばしば登場し、描かれる機会が多いからです。希に読めない子がいて、時代の変化を感じる人がいるのは確かでしょうが、多くの人が読めないと書けば、専門家風を吹かして一般大衆を侮りすぎているなどと受け取られることにもなりかねないでしょう。あなたは事実誤認したことをあまりにも数多く書きすぎているのではありませんか。そんな人に百科事典の記事の編集を任せられるとはとうてい思えなくなってきています。
秀真伝原文の表記方法のルールを知らないレベルの方なのでしょうか。もしも、どうしてアマテル、アマテルカミ、アマテラス、アマテラスカミとチグハグな表記になっていて、統一されていないか理由がお分からないのなら、直ちに私の記事の改竄行為を中止してください。そんな認識レベルの方が勝手にいじりまわせば、他の皆さんが迷惑します。「学会レベルで確定していません」とお書きですが、歴史学会に所属する方々が、本格的に研究しようにも、他に判断基準となる資料がなく、確定させる手段も否定する手段も、現時点ではほとんど存在しないのです。言及出来ない方々の議論や意見を、この記事の編集に反映させるべきではありません。こう何度も書いているにもかかわらず、まだ学会がああだこうだと持ち出してくる意図は何ですか。まともに研究できないし、してもいないのに、あたかも学会で研究されて、議論が行なわれたうえで、さも「学会レベルで未だに確定していない」事実があるかのように、錯覚させる言葉を書き連ねて、この場を混乱させるのが目的なのですか。すでに縄文時代の遺跡からフトマニ図や菊の御紋章と繋がりを持つ環状列石の跡が見つかり、ヲシテ文字と見間違えそうなペトログリフが発見されていますが、これとて学会の関係者の多くはスルーしてきています。スルーしている事実を無視して、「学会レベルで確定していない」と書けば、ここでも事実誤認した情報を流布していると、読み手から受け取られることになるでしょう。どこまで事実誤認したことを書き連ねればあなたの気が済むのか、私に分かるように正直に教えていただけますか。度がすぎれば悪質とみなされかねない、好ましくない困った状況になりつつあると感じます。事実に反することを次々とあまりにも数多く書き込んで、この場を執拗に荒らしていると受け止めるべきなのでしょうか。--203.168.92.153 2007年1月17日 (水) 12:50 (UTC)


大変失礼いたしました。203.168.92.153さんが、そこまで音韻にこだわりをもたれているとは想像がつかずあなたからみると見当違いのまとめになり憤慨されたようです。上のほうで箇条書きしたものは、私が考えるカタカナ表記よりも漢字表記がよいとする人の考えをまとめたもので、あなたの考えに近いと思いましたが、大変な思い違いでした。
私の意図は下にも書きましたが、現在、ホツマツタヱはようやく疑似科学の段階から学術的な評価を得られる段階に差し掛かっていると考えております。203.168.92.153さんもわたくしも、「ホツマツタヱ」が真書であるという評価を世間から獲得することが、当面の目標なのではないでしょうか。
あなたの議論にまったく何の根拠もないとは決して申しません。しかし、「真書なのかもしれない」とおもってwikiを見た人が、粗雑な議論や学術的に評価に耐えない典拠に基づいた記述をよめば「やはり、偽書だ」と思われると思います。これは損失です。
おっしゃるように学会ではホツマツタヱをとりあげようとする学者がでてこない。それだけに、学者でも納得できるような議論を展開する。私は大学や大学院でホツマツタヱを研究しようとする学者の誕生を期待して、編集に参加しています。ですから、203.168.92.153さんが憤慨される可能性はあるが、厳しい議論をしております。
学術的に検証に耐える根拠に基づく議論の展開をしましょう。「ホツマツタヱ」が真書であるということをまず獲得しましょう。それ以降の差異は、その後です。 --うまやど 2007年1月17日 (水) 13:53 (UTC)
 粗雑な議論だとか、いろいろ好き勝手な自分本位の理屈を書き並べているようですが、先日問題があると私が指摘した、「ハナキネとアマテルカミとの会話であると誤認する取り違えが生じた」という記事を、見事にスルーして放置しておくつもりなんですね。普通の人がさっと読んでもまず意味が拾えない、ネット検索にヒットしない、日本語で書かれているとほとんどの人が思わない状況のまま、放置されては読者の方々が迷惑します。あなたは、この問題点について十分理解したように書いていたと思いますが、それにもかかわらず、読めない記事へと改竄した内容を、問題がない状態へと戻さないのはなぜですか。事実と違うことをノートに書きまくるだけでなく、記事のほうも問題性があることを認めながら、放置しているように見えますが、これは何故なのですか。「粗雑な議論や学術的に評価に耐えない典拠に基づいた記述」という悪口が、誰に向けられたものかは知りませんが、このような理屈が、多くの人にとって可読不能の問題性のある記事へと改竄されている現状を、放置しておく正当化の口実になるとは、私には思えません。自分は「厳しい議論」をしているとあなたは自負しているようですが、事実と異なる記述をノートの中に並べ立てることが、本当に評価に値する「厳しい議論」なのでしょうか。私は事実に反する嘘を書き並べいると思われる、あなたの非行には問題性がありすぎるのではないかと指摘していると思っていますが、それを自分は「厳しい議論」をしているのだという、身勝手な事実に反する認識へと、話を巧みにすり替えてしまっているのではありませんか。どうして事実に反することを並べ立てる議論をしている現状を無視して、厳しい議論をしているという、みごとに自分にとって都合の良い認識へと摩り替えてしまえるのか、原因をよく考えてみる必要があるとは思いませんか。誰がやろうとも、この場に繰り返し嘘を書き並べることは好ましくなく、粗雑な議論うんぬん他人に言いがかりをつけて悪しざまに言って迷惑をかける以前の、自分自身で解決しなければならない問題行動だと私は思いますよ。--203.168.92.153 2007年1月17日 (水) 15:48 (UTC)


私はあなたの悪口をいっているのではないことをわかっていただけないことが残念です。「ハナキネとアマテルカミとの会話であると誤認する取り違えが生じた」という記事については、問題は、どう誤認されるのかを、読んでいる人が検証できないことにあります。ある程度、前後の文脈を補足して、簡単に、記紀ならこう読んでしまう、一方ではホツマツタヱではそんな誤読は生じないということに、読んだ人が納得できるような表現にすべきです。真偽にとって大事なところなのですから。カタカナを漢字に直せば、この欠陥が解決されるとは思いません。--うまやど 2007年1月17日 (水) 16:50 (UTC)
 ほとんどの閲覧者にとって可読不能記事になっていること、ネット検索で拾えない記述の文章へと改竄改された点が問題だと指摘している話を、勝手に「誤認」というスジ違いの話にすり替えて、「検証不能」という言葉を並べて誤魔化そうとしているのではありませんか。あなたは、『天照大神』『素盞嗚尊』といった一般的なキーワードでネット検索してもこの部分がヒットせず、知識として生かせない状態に改竄されてしまった問題について、先日問題点を理解して同意して、改善策についてあなたのほうから言及していたと思います。あの前言は撤回するのですか。こういうやり取りになってしまっては、話をすり替えて誤魔化すなど見苦しいと、人から侮られることになるとは思いませんか。いずれにしろ、私が書いた時点では、記事にこのような問題は生じていないと考えていたのに対して、記事が書き換えられた後で、あなたは解決不能なことだと思っていることはよく分かりました。つまり、この件については課題解決の見通しが立っていないにもかかわらず、記事を勝手に編集して、最もしてはいけないことのひとつ、可読不能記事への改竄をしてしまったと、受け止めてよろしいのですね。--203.168.92.153 2007年1月17日 (水) 18:19 (UTC)
うまやどさんの整理によってだいぶ見やすくなりました。たいへん助かります。噛み合う部分は探せば見つかると思います。中立的な観点に沿って書く、読者の見やすいように書く、という目標をはずさないように議論していけばきっと着地点が見つかるのでは。それに、現状でも噛み合う部分が多少あるような気がするんですが...気のせいですかね。--Hotsuregua 2007年1月14日 (日) 12:59 (UTC)
203.168.92.153さんは、音韻にこだわってらっしゃるんですね。音韻の話を除けば、私の整理のようになると思います。ホツマツタヱについて「言霊の研究家、言語学者、文化人類学者、記号論の専門家などを中心に、多角的に研究されている」の根拠を示してください。学会論文なのでしょうか。あるいは書籍ですか。それにヲシテは日本語だと思います。おそらく、203.168.92.153さんの前提はヲシテは今とは異なる音韻体系にあるので、日本語ではないという理解なのですね。--うまやど 2007年1月14日 (日) 13:24 (UTC)
「現代の日本語を用いて普通の人が易しく読めるように、ネット検索やリンクなどもしやすく書いておくべきか、従来からの専門的表記で書くべきかが最大の争点」については、私は
現代の日本語を用いて普通の人が易しく読めるように ・・・ カタカナ
ネット検索やリンクなどもしやすく ・・・ 当面、記紀準拠
従来からの専門的表記 ・・・ 記紀準拠のこと
と理解しています。カタカナ表記の方が新しいでしょ?松本・池田先生の研究の後半からじゃないですか。記紀準拠表記はそれこそ安聰本がそうでしょ。--うまやど 2007年1月14日 (日) 14:00 (UTC)
それと、203.168.92.153さんも沢山書き込まれているんで、ちゃんとアカウントつくりましょう。IPアドレスからは中国地方の方のようですが。--うまやど 2007年1月14日 (日) 14:00 (UTC)

秀真文字の音韻

203.168.92.153さんが、ホツマ文字、彼の意図を汲んで書くなら「秀真文字」の音韻にこだわりがあるようですので、節を改めて、論を展開していただくことにいたします。彼の記述の関連部分をぬきだすと:

  • ホツマツタヱの音韻について多角的に研究されているという根拠【指摘により追加】
言霊の研究家、言語学者、文化人類学者、記号論の専門家などを中心に、多角的に研究されている
  • ホツマ文字の成立過程
ホツマ文字は48文字などと言われることがよくありますが、これは、四十九(ヨソコ)神の座席図を五十一文字で表わしているフトマニ図用に作られた基本文字四十八文字の事を指していて、それ以外に、特殊ヲシテ文字を詳細に分類して後世発生したものまでまとめてフォント化すると219文字程度になります。フトマニ図を通してこの文字がまず四十八文字作られて、その後増やされていった
  • 古代日本語の音韻が多様であった根拠
昔の日本語は一音一意だったみたいなので、音韻は今の日本語よりもかなりたくさん必要だったようです。ホツマ文字の字形をさらっと観察しただけでも、hiという音は少なくとも、『ヒ・火・人・日』と4種類は意味を区別して発音されていたと思われます。それを、『ヒ』たった一文字でカタカナ表記していては、正しく意味が伝わらないケースも出てきそうです。
  • 失われた音韻の再現方法
失われた音韻は、現在の日本語の方言の発音の揺らぎに残っている痕跡や、日本語のルーツとなった他の言語を話している地域に残っている音、たとえば朝鮮半島や太平洋の島々の言葉などを調べることで、ある程度までは予想がついて、再現していくことも可能です。
  • ホツマ文字と音韻体系と直接リンクしている根拠
ホツマ文字は、文字が作られるルールが理路整然としていて、音韻体系と直接リンクしていることは、ホツマ文字の研究者達の間で定着している認識であり、これについて、議論の余地は無いと思います。
  • 音韻変化のトレース研究
秀真伝が書かれた時代から今日までの音韻体系の変化を、赤ん坊が音素をカテゴリーに分類するヒアリング能力を獲得する、脳神経系の発達成長過程と照らし合わせながら、シミュレーションしていく検証
  • ヲシテの音韻をヒアリング出来る日本人は誰一人存在しない根拠
ヲシテは、現代の生きた日本語ではなく、正しく発音したりヒアリング出来る日本人は誰一人存在しないと一般に思われているもの

それゆえに、彼の主張である

  • カタカナ表記病から離脱すべき理由
ホツマ文字の音韻体系が50程度しかないなんて言われる誤解を招いた、カタカナ表記病から離脱して、正式なヲシテの音韻体系の世界に戻る時期が来ている

がなされていると考えます。以上について、根拠を示してください。文献でも何でも結構です。現状では、203.168.92.153さんの独白にすぎません。--うまやど 2007年1月15日 (月) 06:52 (UTC)

 貴方は私が書いた文章を勝手に無視して、自分勝手な言い分を押し通すための作文を繰り返しているのではありませんか。そのような行為は迷惑です。上のほうで私が書いておいた、A「ヲシテの音韻について研究はされていない」 B「言霊の研究家、言語学者、文化人類学者、記号論の専門家などを中心に、多角的に研究されている」という文章を、あえてこの場に記さなかった理由を教えていただけませんか。地球語の研究者のサイトに対しては、すでにリンクが張ってありますが、そういった事実も綺麗に無視するおつもりですか。人が書いた文章を勝手に自分の都合が良いように切り貼り編集し直して、身勝手な理屈を並べ立てる人物は、虚偽認識を流布しているとみなされて嫌われかねません。「現状では、203.168.92.153さんの独白にすぎません」は、事実なのですか。それとも貴方が勝手に他人の発言を再編集して捏造した、虚偽認識なのですか。あなたが書いた文章に関する事実確認です。責任を持ってイエスかノーか明確にお答えください。
 「正しく発音したりヒアリング出来る日本人は誰一人存在しない」ゆえに、私の主張にすぎないなどと結論するのは、事実誤認の流布行為ではないのですか。今では正しく読み書きできる人がいないと一般に思われている、記紀に書かれている古い日本語の音韻体系だって、ちゃんと研究されてきた事実がある以上、研究不能と考えるのは、論理的妥当性を欠いているのではありませんか。間違った認識を流布するのは、迷惑行為とみなされかねません。
 私は「あなたは誰でもが読める日本語で記事を書く意思があるのかないのか答える必要がある」と先日指摘した筈ですが、見事に綺麗にスルーして、自分勝手な事実誤認を大量に含んだ作文を繰り返しては、はぐらかして逃げまくっているようにも読めます。上の「ヤマト言葉」の展開も、非常に良くないものになってきているようです。議論の余地がない悪質な人物の書き込みと判断してよろしいのですね。--203.168.92.153 2007年1月17日 (水) 12:50 (UTC)


大変失礼いたしました。「言霊の研究家、言語学者、文化人類学者、記号論の専門家などを中心に、多角的に研究されている」については、私のミスで記述をもらしました。上記に追加いたしました。
「あなたは誰でもが読める日本語で記事を書く意思があるのかないのか答える必要がある」については、ヲシテの発音が「正しく発音したりヒアリング出来る日本人は誰一人存在しない」説を実証してください。私はその説にたちませんし、ヲシテ文献の分析からは特殊ヲシテ表記がすべて音韻の差を表すとのことは実証されていません。カタカナ表記で十分誰でもが読める日本語で記事を書くことができると考えております。あなたの説が正しい可能性もありますが、あなたのホームページ上ではともかく、ここは公の場であり、そこまで成熟した議論だとは思えません。
私は、読んでいただけばわかるようにホツマツタヱは真書であるとの考えです。現在、ホツマツタヱはようやく疑似科学の段階から学術的な評価を得られる段階に差し掛かっていると考えております。203.168.92.153さんもわたくしも、「ホツマツタヱ」が真書であるという評価を世間から獲得することが、当面の目標なのではないでしょうか。
あなたの議論にまったく何の根拠もないとは決して申しません。しかし、「真書なのかもしれない」とおもってwikiを見た人が、粗雑な議論や学術的に評価に耐えない典拠に基づいた記述をよめば「やはり、偽書だ」と思われると思います。これは損失です。私は大学や大学院でホツマツタヱを研究しようとする学者の誕生を期待して、編集に参加しています。ですから、203.168.92.153さんが憤慨される可能性はあるが、厳しい議論をしております。
学術的に検証に耐える根拠に基づく議論の展開をしましょう。「ホツマツタヱ」が真書であるということをまず獲得しましょう。それ以降の差異は、その後です。
私は誠実に記述しておりますが、203.168.92.153さんはしょっちゅう恫喝されています。困ったものです。一番最後にも書きましたが、どうしても主観的にいきたい場合は、「ホツマツタヱ」の項目と、「秀真伝」の項目を分離した上で、「秀真伝」の項目で主張を展開していただいてはいかがでしょうか。--うまやど 2007年1月17日 (水) 13:28 (UTC)
 事実に反することを執拗に並べ立てて、人にとんでもない迷惑をかけたのではなかったのですか。何が恫喝なのですか。「困ったものです」とは何事ですか。自分の言動が、あまりにも不自然すぎる迷惑行為だと、繰り返し指摘されている理由が、本当にお分かりにならないのですね。事実に反することを山ほど書き並べたてて、私を困らせているのはあなたなのでしょう。自分が「困らされた」被害者だという意味のあなたの記述もまた、身勝手に思い込んでいる事実誤認だとは思いませんか。あなたは正しいことが書けない人物だと、私が確信してもよろしいのですね。そして今度は、舌の根も乾かないうちに、主観的だという言葉を連発して、人に対してレッテルを貼りつける非行を行おうというのですか。ここまでやれば、もう始末が悪い人物と確信されても仕方がないと思いますよ。しかも、日本語で記事を書く意思があるのかどうかという質問に対して、またしてもはぐらかして、イエスかノーかで答えることを避けましたね。あなたのような方とは、議論の余地がないと判断します。これはあなたに原因があって、あなたが招いたことだと思います。「学術的に検証に耐える根拠に基づく議論の展開をしましょう」と、一見するともっともらしいことを書いているようですが、実際に行われている議論との間に、あまりにも落差がありすぎるように感じます。誰でも、事実に反することを数多く書き連ねれば、良識を疑われて抗議や非難を受けることになると思いますよ。客観的な話としてよく考えてみてください。事実に反することを執拗にノートで並べ立てている人が改竄した記事のなかで紹介されている文献を、誰が真書だと信じるというのでしょう。「ホツマツタヱ」が真書であるという認識を獲得することは、現状ではまず不可能です。天照大神の生前のエピソードが正しい伝承だと証明できる人など、現時点では誰もいません。世の中には、出来ることと出来ないことがあります。天照大神が最後にお隠れになった穴でも発見されて、その御遺体から遺伝子サンプルによる照合で、現在の皇室と血の繋がりがあることが証明できたら、神様ではなく生きた人だったんだと、伝承の一部は証明されることがあるかもしれませんが、今の時点ではそれは夢の話です。そうそう、私は、あなたが指摘しているような、「特殊ヲシテ表記がすべて音韻の差を表す」などと、無茶なことを書いて主張した覚えは一切ありません。漢字が伝来して以降に作られたとされるヲシテ文字もあるようだし、意味だけ違って発音は同じだった可能性のある文字が、幾つもあるように感じます。たしか、hiと読めるヲシテ文字は8つぐらいあって、機織の梭(ひ)にも特別な文字が与えられていたと思いますが、それらは考慮に入れずに、4つの文字の使い分けについてしか、私が言及していない事実を見れば、あなたの指摘は間違っていることが分かると思います。ここでも勝手に事実に反する認識を作って、相手にそれを押し付けることで、議論に無用な混乱を招いて、私に迷惑をかけているように見えますが、これもあなたの非行の一つと受け止めてよいのでしょうか。人が書いてもいないことを主張していると指摘するような、間違いだらけの発言を次々と並べまくってしまい、まともに正しい議論を行う能力が備わっていないとみなされていることを正しく悟って、百科事典の編集から手を引くことをお考えになったほうがいいのではないでしょうか。普通の人は、ここまで間違ったことを次々と連続して並べたてて、迷惑だという指摘を受けても、さらに執拗に迷惑をかけ続けたりはしないと思います。--203.168.92.153 2007年1月17日 (水) 17:02 (UTC)

現代の日本語で表記してあった記事が、不完全なカタカナヲシテ混じり文に改竄された問題について。

「日本語版ウィキペディアは、誰でもが読みこなせる現代の日本語で記事の本文を表記しないと、迷惑行為とみなされる」と指摘したにもかかわらず、紀元前にまで遡りかねない古ヤマト言葉と、原書の秀真文字を不完全に置き換えたカタカナヲシテ表記を用いて、超難読記事へと改竄する行為が行われました。「あなたは誰でもが読める日本語で記事を書く意思がおありなのですか」といった意味の質問を、私は何度か試みましたが、当人はこれに対する回答を避けて、身勝手な事実に反すると思われることを並べ立てては、一般の人が判読出来ない記事へと書き換えた行為が、あたかも正しいものであるかのように主張しています。また、私との間で意見が調整出来ていないにも関わらず、ほとんど意見に食い違いがないと箇条書きにして主張して、事実誤認へと読者を誘導する試みをしてみたり、私が書いてもいないことを、あたかも主張しているかのように流布するなど、執拗に迷惑行為を繰り返し試みているように読める、異常な状況になってきていると感じます。

私が秀真伝に記された和歌姫の伝承を、現代の日本語で解説する記事を書いた理由を、まずこの場で明らかにしておきましょう。廃棄王女とされた和歌姫のエピソードが、外交目的で編纂されたと考えられている記紀には、削られて記載されなかったことによって、秀真伝では男性として描かれている天照大神が、後世女神と誤認される事態が生じて論争になっている可能性を指摘することで、「この点からも、秀真伝の研究は注目に値しますよ、皆さん試しに読んでみてはどうでしょうか」という意図を持っていました。

ここで問題にしている、原書の秀真文字を不完全に置き換えた、カタカナ表記を用いた、一般の方に可読不能な記事とは、次のようなものを指します。「アマテルカミのオシカとしてタマツミヤに遣わされたアチヒコに会ったとたん、ワカヒメは恋焦れてしまった」この状態では、歴史や古文を教える大卒の高校の先生ですら、まともに読みこなせる人がほとんどいません。これを私が書いていたように、現代の日本語に意訳すれば、「天照大神の勅使として玉津宮に遣わされた阿智彦に会ったとたん、和歌姫は恋焦れてしまった」と、普通の中学生でも楽に読んで意味が分かる形で紹介できます。私が和歌姫の伝承を選んだ理由は、このような分かりやすい日本語による解説が楽に書ける部分だったからです。原文を直接乱暴にカタカナ表記に置き換えて、日本語と中途半端に混ぜ合わせた文章は、次のような非常に見苦しいカタカナ英語入り混じり文と似たようなものです。「ユーのディスクリプションはジャパニーズのウィキペディアではアクセプトされないものだとシンクられる」まともな日本語で書かれているとはとうてい解釈できない表記です。それだけでなく、もしもカタカナ表記部分に知らない単語があった場合、辞書を調べようにもカタカナ表記では元のスペルが分からないこともあるため、ケースによってはお手上げ状態の可読不能記事になってしまいます。ヲシテ文献を日本語と中途半端に混ぜ合わせたカタカナ言葉入り混じり文も、同じように、日本語で書かれているとはみなせない、一般の読者がまったく聞き慣れないカタカナ言葉が並んだ、読みこなせない文章になっているうえに、ネット検索にかからず、容易に原書を調べることも出来なくなりかねません。そういう問題性を抱えた記事へと改竄する行為をどう扱うべきなのか、皆さんの御意見をお聞かせください。

専門書ではないウィキペディアに、大卒程度の教養を持った人が読みこなせないような記事を、本文として載せることには反対です。中学生でも普通に読める日本語を用いて、私がきちんと意訳して書いておいた記事を、あえて可読不能な記事に書き換える行為は、知識として活かせる状態にあった百科事典を、死んだものへと故意に改竄するものだと思います。日本語版ウィキペディアの表記言語で記事を書く意思があるのかどうか、確認する質問を何度も繰り返したにもかかわらず、どこまでも身勝手な、事実に反する内容を多分に含んでいると思われる理屈を並べ立てて、いつまでも問題の解決を図ろうとしない迷惑行為を、放置しておくべきではないと考えています。カタカナヲシテ入り混じり文に、漢字や補足説明などを添えれば、いちおう読めるように出来なくはないようですが、正しい日本語を用いて読める記事を書くかどうかということと、どのような説明を本文に添えるかということは、また別の問題だと思います。ノートの『否定側の最低限ライン』のなかには、「妄想に走るのではなく」といった、尋常ではない言葉も飛び出してきています。実際の議論の内容に反する書き込みが、迷惑だからやめて欲しいという要請を無視して執拗に繰り返されて来ましたが、それだけでなく、他人が書いた記事を妄想呼ばわりする形で、誹謗中傷する意図を持った尋常でない認識を流布する悪質な行為がエスカレートして、このノートが正常な議論の場ではなくなっていくことが懸念される事態になりつつあるように思います。宮内庁保管本に対する不必要な疑念の発生などがすでに認められますが、特定のサイトの記事などを妄想呼ばわりする誹謗中傷行為などの横行によって、さらに今後無用な混乱を招くトラブルへと発展していく危険性があることは、想像に難くありません。--203.168.92.153 2007年1月17日 (水) 20:40 (UTC)

否定側の最低限ライン

肯定側の議論が白熱しており興味深く拝見しております。私はどちらかというと否定側です。個人的には平安時代以降に纏められ、集大成は江戸時代だが、元ネタは記紀以前に遡る可能性のある文書を含むもの(先代旧事本紀と同様)と思っております。

さて、ウィキペディア日本語版の公式な方針である中立的な観点から言えば、疑似科学であろうとも「主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明すること」で対処しようとするものであり、本項目のように疑似科学とまでは言えなくとも熱心に否定論を唱えている正当な学者が一部に存在する説の場合、その事実は冒頭で明記すべきであろうと思います。

否定説が圧倒的多数である九州王朝説のように、冒頭で否定側の存在を明記し、本文中で否定側意見も紹介すれば、全体のトーンが肯定意見で埋め尽くされていても中立的な観点は担保されると考えますので、そこだけは削除しないで頂きたいと思い、その点を合意事項にしたいのですが、ご意見をお願いします。--ろう(Law soma) 2007年1月16日 (火) 02:08 (UTC)

ろう(Law soma)さんが手を加えた冒頭の説明文は、中庸を得た、バランスの良い形になったと思います。ただちょっと長く感じますけどね。まあ両論ある微妙な題目ですから、私は納得できます。--Hotsuregua 2007年1月16日 (火) 09:51 (UTC)

否定側の主要学説がLaw somaさんの書かれたもので押さえられているのなら、私も同意します。冒頭第1段落は、少なくとも江戸時代まではさかのぼれる古文書であるとの記述。第2段落は、学説ではこうだとの記述。第3段落は、真書であるならこうだとの記述。順序としてもよいのではないでしょうか。--うまやど 2007年1月16日 (火) 13:58 (UTC)

定義が長くなりますが、第3段落の真中にあった真偽の決着がついていないなどの記述は、第4段落をもうけて定義の結論にもってゆきました。このあたりで中立的ではないでしょうか。定義にも書きましたが、そろそろ学問的評価が待たれている段階だと私は思います。疑似科学的な記述はあがらないほうがよいのですが。--うまやど 2007年1月17日 (水) 01:05 (UTC)

概ね御同意頂けたものと思います。なお、否定側の主要学説は、単に「神代文字」を否定するものであることがほとんどで(近著では、言語学者北大名誉教授の大島正二の「漢字伝来」など)内容に踏み込んでいるものはほとんどありません。
私は神代文字には否定的ですが、古代からの伝承が何らかの形で記録されることはあり得たとは思っています。ただ、現在の実証主義史学では、(宮内庁本の公開がなければ)これ以上の考察は不可能だと思います。せめて文体研究などから推古朝文体であるか否かでも研究されていれば、仮にヲシテが後世の創作であっても記述内容について信憑性があるかどうかが判断できると思うのですが。
ただ繰り返すようですが、中世~近世は日本神話を体系化しようと色々な試みがなされた時期ですので、本書が真書なのか偽書なのかの判断には慎重を期す必要があることは言うまでもありません。--ろう(Law soma) 2007年1月17日 (水) 05:37 (UTC)
宮内庁本の有無については、検証不能ではないでしょうか。ソースは「古田史学の会」です。古田史学は、「和田家文書」(いわゆる「東日流外三郡誌」)を宣伝し,評価してきたことから、信用を失っています。
文体研究は、本来しなければならないもののひとつですね。ホツマツタヱの中でも前半(カミヨ)と後半(ヒトノヨ)で随分文体や語彙が異なります。ですから全体が推古朝文体になるとは思えませんが、最後のほうは類似性があってもおかしくありません。もっとも、景行天皇から推古天皇まででも少なくとも500年くらいの時間が経っていると思われます。
私の第1印象は、随分漢文の読み下し文のような文なんだなです。後世の偽作じゃないかと直感いたしました。しかし、漢文の読み下し文の文体の起こりはなんだったんだと考えると、「ヲシテの文体 → 漢文読み下しの文体」、も否定しきれるものではないと思うのです。延喜式の祝詞も、ヲシテからすると「随分後世の漢文の影響を受けた文体」のように見えます。なんといっても五七調じゃないし。
妄想に走るのではなく、学問に足るレベルでヲシテ文献を研究する学者の登場を心から待っております。本当は、日文研・国学院・皇學館がちゃんと取り組まないといけないものだと思います。--うまやど 2007年1月17日 (水) 06:00 (UTC)
全く同意します。先代旧事本紀のように偽書扱いであったものが、少なくとも古代からの伝承を元に平安時代初期に纏められたものと評価された場合もあり、研究が望まれるところです。それには神道学を学術レベルで研究している両大学あたりが最適なんですけれどね。--ろう(Law soma) 2007年1月17日 (水) 06:22 (UTC)
わたしはホツマツタヱ、ミカサフミ、フトマニの3文献は、学問的再評価の段階にきたと考えています。それゆえ百科事典であるwikiのホツマツタヱの記述は、主観を排し、できるだけ事実に即した記述とし、どうしても主観的な内容も記述したい場合は、明らかにそれとわかる形で併記する(現在のスタイル)で記述することを希望します。これがどうしても守れない場合は、「ホツマツタヱ」の項目と「秀真伝」の項目を分離し、あいまいさ回避のページをはさんだ上で、主観的な記述は「秀真伝」の方に移していただくようお願いいたします。--うまやど 2007年1月17日 (水) 12:23 (UTC)
宮内庁保管本に触れたネット上の記事は多数ありますが、そのうち二所のリンク先を示してあります。もちろん、その元が旅館の主人の談話となってしまうので、最終的には一つの出所からの一つのメディアを通してネット上に広まった情報が、複数サイトに書き込まれ、ホツマツタヱの研究者の間でよく知られるようになったようです。そこで、皇族の方が旅館に命名した一件を持ち出してきて、たった一人の人物の証言だけで、この話が出来上がっているわけではないことを示してあります。--203.168.92.153 2007年1月17日 (水) 12:59 (UTC)
勝手な思い込みで、偏った一方の視点からだけの注釈を付けてしまっている人がいるようですが、かえって情報が入り乱れて混乱する可能性もあります。肯定派否定派両方の視点から目配りした記事をお願いします。--203.168.92.153 2007年1月17日 (水) 13:55 (UTC)