ノート:フランシスコ (ローマ教皇)/過去ログ11

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当面の課題[編集]

きぶそんさん、ジャコウネズミさん、さぱしあさん、Sasaki-TAさん、Michael tiaraさんたちが大枠をお作りになったこの項目での、差しあたりの課題は、これくらいですね。スペイン語がおわかりになる方にお手伝い頂ければ、あと1日で完成原稿としての初版が完成するのではないでしょうか。

1) Mary Uniter of Knots の定訳はあるのか?
2)「司教時代」にある2つの要出典が埋まっていない。
3) Guillermo Guerin はスペイン語でどう読むのか?
4) Argentina City Postgraduate School (EPOCA) の訳語は?
5) をうまく「仮リンク」等にできないか?
6) Orlando Yorio Francisco Jalics はどう読むのか?
7) 画像にある Adolfo Pérez Esquivel の特に最後はどう読むのか?Tizizano会話2013年3月18日 (月) 12:23 (UTC)
こんにちは。使わなくなって久しいのでかなり怪しい者による発音だとまずご了承ください。アルゼンチンに限らずスペイン語母語話者の間ですと、"Guillermo Guerin"を「ギジェルモ・ゲリン」というカナ表記に近い発音をする方がおそらく圧倒的多数なのかな、と個人的には思います。ただしブエノスアイレスでどうなのかは知りません。少数派としては「ギリェルモ」「ギイェルモ」が個人的には思い浮かびますが、「ゲリン」はどこでもおそらく同じなのかなと…。その他の個人名についてはこちらにカナ表記をいくつか確認しました。個人的にはスペイン語の発音ルールからいくらか外れているような気もするカナ表記もありましたが、例えば"Verbitsky"はスペイン語圏の名前ではないように見受けられますので(私が知らないだけという可能性もありますが…)、検証可能性を満たす出典のカナ表記に倣ったほうが無難なのかな、という気がします。"Guillermo Guerin"についても、カナ表記している出典が見当たるのであればそちらに習ったほうが無難だと思います。出典同士で表記が食い違っているのならば話は別ですが。--Henares会話2013年3月18日 (月) 12:51 (UTC)
すみません、あまり詳しい者ではないのですが、わかるところだけ書いてみます。
2)「司教時代」にある2つの要出典が埋まっていない。→この節の文は、英語版も不正確のような気がします。英語版で引用しているスペイン語のサイト[1]を参照すると、「ベルゴリオは1992年にブエノスアイレスの補佐司教に指名され、同年6月27日にアントニオ・カラッチーノ枢機卿とともに アウカの名義司教に叙階され」ではなく、「1992年5月20日に(教皇ヨハネ・パウロ2世によって)ブエノアイレス補佐司教およびアウカの名義司教に指名(選任)され、6月27日にアントニオ・カラッチーノ枢機卿(ブエノスアイレス大司教)によって司教に叙階され」が正しいようです。また、ジャコウネズミさんが訳してくださった principal consecrator は、英語版のen:consecratorを参照すると「司教叙階のときの主席聖別者(=司式者)?」のような意味(日本のカトリック教会での正確な訳語がわかりません…)だと思うのですが、先の引用元にはそのようなことは書かれていません。6月27日の叙階式の共同聖別者(co-consagrantes) として二人の司教の名前が書かれているだけです。おそらく英語版の with Cardinal Antonio Quarracino, Archbishop of Buenos Aires, serving as principal consecrator は、「アントニオ・カラッチーノ枢機卿(ブエノスアイレス大司教)「主席聖別者(?)」として(司教に叙階した)」ということを説明しているのだと思いますが、 serving as principal consecrator のところは引用元に書かれてないので「主席奉献者として奉職した[要出典]。」の部分は削除してもいいと思います。また、「アルゼンチンの東方典礼カトリック教会の教区統治者となった。この職掌は高位聖職者を欠いていた」の部分は、さきにTizizanoさんが紹介したカトリック中央協議会のサイト[2](URLが少し変わってますが)から引用して「アルゼンチン居住の裁治権者をもたない東方典礼カトリック教会信者の裁治権者(を兼任した)」とすればいいのではないかと思います。
3) Guillermo Guerin はスペイン語でどう読むのか?→「ギジェルモ・ゲリン」でいいと思います。
6) Orlando Yorio Francisco Jalics はどう読むのか?→Orlando Yorio は「オルランド・ジョリオ(ヨリオ?)」、Francisico Jalics は英語版にリンク(en:Franz Jalics)があり、ハンガリー人のようです。「フランツ・ジャリクス」と読むのでしょうか?
7) 画像にある Adolfo Pérez Esquivel の特に最後はどう読むのか?→すでに本文で「アドルフォ・ペレス・エスキベル」となってるので解決したみたいですね。
また、「アパレシーダ文書」は、2007年にベネディクト16世がブラジルのアパレシーダ(en:Aparecida、「アパレシーダの聖母」と呼ばれる聖母の出現地)を訪問したのにあわせてラテンアメリカ・カリブ地区司教会議が行われ、そのときの文書(声明?)のようです(Documento de Aparecida)。 --Lorettibarrend会話2013年3月18日 (月) 14:04 (UTC)
もう1点気がついたので失礼します。何度もすいません。w:Dirty war #Participation of members of the Catholic Church on both sidesの仮リンクですが、単純に{{main}}を使わずに
''詳細は「{{仮リンク|適当な日本語の記事名|en|Dirty war #Participation of members of the Catholic Church on both sides}}」を参照''
と書けば
詳細は「適当な日本語の記事名英語版」を参照
といった具合に、{{main}}を使ったのとほぼ同じように仮リンクが表記されます。とはいっても、こうまでして無理に{{main}}の形式に合わせる必要はないかもしれませんが。--Henares会話2013年3月18日 (月) 14:36 (UTC)

報告 2), 3), 6), 7) はLorettibarrend様(Jálics Ferencの音訳はぎぶそん様の音訳にジャコウネズミが補筆)、4) はぎぶそん様、5) はHenares様とジャコウネズミ(適当な日本語の記事名)、といった具合で、1) 以外は、当座のケリが付きました。残る 1) ですが、en:Mary Untier of Knotsの標題部の通り、ドイツ語では"Wallfahrtsbild"又は"Gnadenbild"とのことで、「定訳」は日本語の出典を見つけてこない限り難しいかと存じます。--ジャコウネズミ会話) 2013年3月18日 (月) 16:09 (UTC)--(追記) 5) は日本語版に記事が有り、内部リンクが張られました。--ジャコウネズミ会話2013年3月19日 (火) 06:41 (UTC)

Heranesさん、Lorettibarrendさん、ジャコウネズミさん、きぶそんさん、ご教示ありがとうこざいました。ご指示に従い、微調整して参りました。「衆知を集める」という Wiki プロジェクトのすばらしさを実感させて頂きました。さて、差しあたり残ったのは、Maria Knotenlöserin ですが、バロック期のドイツの画家Johann Georg Melchior Schmidtnerの作品とのことですね。少し調べてみますと、関連する分野は美術史というよりはマリア学の方で、この「結び目を解くマリア」(英/Mary Uniter Knots;仏/Marie qui défait les nœuds)とは、聖母マリアに対するノヴェナ(ラテン語の「9つの」の意から9日間の祈祷)にある文言だそうです。[3]のサイトでは、“Prayer to the Virgin Mary as Untier of Knots”という祈祷文が紹介され、“Holy Mary, Mother of God and ours, with your maternal heart, untie the knots that upset our lives.”とあります。そうすると、件の「結び目」とは、われわれの生活にもたらされる「不都合、不和、難儀、悩み」などのマイナス要素の象徴のようです。さて、いかに日本語にしたものでしょうか?とりあえず、『憂いを解きほぐすマリア』の仮題を挙げておきましたが、定訳あるいは適訳がおわかりの方は、適宜ご変更下さい。
提案が3点ございます。
i) 「注釈」と「出典」も相当多くなってきたので、真ん中で2分割してはいかがでしょうか?
ii) 表でもジャコウネズミさんが更新の際の付記で暗示されていますが、カギ括弧のついた口頭で話された文は、わかり次第出典個所に原文が示されるとよいと思いますが、いかがでしょうか?
iii)「イエス・キリストを告白することと世俗性の拒絶」の節名と以降の説明、またの「カトリック・ヘラルド」によると『コミュニオンと対話』を開いた人物として好ましい印象を醸し出した」ところの意味の明確化、可読性の向上。
「イエス・キリストを告白しなければ、わたしはレオン・ブロワ(1846-1917年)の「主に祈らない人は、悪魔に祈る」ということばを思い出します。イエス・キリストを告白しなければ、悪魔の世俗性を、悪霊の世俗性を告白することになります。」([4])って、カトリック中央評議会の翻訳らしいですが、あまりにひどすぎる、意味不明の訳文なので、現在は削除され、キャッシュしか残っておりません。「イエス・キリストを告白しなければ、悪魔の世俗性を、悪霊の世俗性を告白することになります」という訳文は、まったく意味がわかりません。“When we do not profess Jesus Christ, we profess the worldliness of the devil, a demonic worldliness.” の最後の個所は、ほぼ同一のことを繰り返している修辞的反復であり、2回訳す必要もないと思います。この場合の“wordliness” とは“concern with wordly affaires to neglect of spiritual needs”の意なので、「悪魔の世俗性を、悪霊の世俗性を告白する」というところは、「霊的な関心ではなく、現世的な事柄への悪魔的な執着を告白することに等しいものです」くらいの意味ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
まだ探せていないのですが、枢機卿団に話した言葉は、英語のはずはなく、確実にイタリア語かラテン語だと思います。原文を示しておけば、後々この項目をご覧になった執筆者の方々が、適宜手を入れて下さると思います。Tizizano会話2013年3月18日 (月) 22:40 (UTC)
i) 注釈は一項が長いので分割せず、出典のみ2分割してみました。ii) 翻訳の際に出典原文の一部をコメントアウトで記入している件でしょうか。後の編集者が訳を検証したり、より的確な訳出に資することを意図したものですが、わたし個人の見解としては、ローカルルールにする必要まではないと思います。iii) 当該部分を推敲してみました。iv) ブロワの件はそれで正解です。出典を読めばブロワを引用して語った部分であることが分かります。逐語的にさほど間違った訳とは思いませんし、日本語で反復の修辞を伴って訳しても正解、また、意訳のし過ぎは百科事典として如何なものかと思うのですが、どうでしょうか。--ジャコウネズミ会話2013年3月19日 (火) 03:05 (UTC)
ジャコウネズミさん、いろいろとお手数をお掛け致します。ジャコウネズミさんにお訳し頂いた iii)の部分はよくわかります。私が申し上げているのは、iv) の所です。この部分の原文は、“Quando non si confessa Gesù Cristo, mi sovviene la frase di Léon Bloy: “Chi non prega il Signore, prega il diavolo”. Quando non si confessa Gesù Cristo, si confessa la mondanità del diavolo, la mondanità del demonio.”[5] です。そして、レオン・ブロワの原文が出ている仏訳は “Quand on ne confesse pas Jésus Christ, me vient la phrase de Léon Bloy : « Celui qui ne prie pas le Seigneur, prie le diable ». Quand on ne confesse pas Jésus Christ, on confesse la mondanité du diable, la mondanité du démon.” [6] です。伊版と仏版では、ほぼ同じ語(la mondanità del demonio , la mondanité du diable)が用いられています。なぜ「悪魔」という語と“mondanità, mondanité” が隣接しているか言えば、言うまでもなく、サタン、リュシフェルには「現世の王子」(prince du monde)などの異名があるからです。教皇の発言は、現世的関心と悪魔を結びつける聖書的な伝統を踏まえた発言でしょう。確かに仏和、伊和辞典にも「〔宗〕世俗性;俗心」などの訳語があります。しかし、人口の1パーセントもキリスト者がいない日本で、どれだけの人間が「世俗性」という抽象的な言葉から、現世的関心と悪魔を結びつける聖書的な伝統を想起するでしょうか。上の方で申し上げました通り、私はカトリック信者であり、加えてメルキュール版のレオン・ブロワ著作集の愛読者です。それでも、表の説教の訳文では何を伝えたいのかほとんどわかりません。クリスチャンがほとんどおらず、キリスト教にも関心の薄く、聖書を読む人もまれな日本で、クリックして画面を見た瞬時にどれだけの人数の方が如上の消息が理解できるでしょうか。私がただ辞書的訳語を貼り付けた現今の中央協議会訳では、教皇の説教の真意は伝わらないのではないかと思うのは、そういう理由からです。Tizizano会話2013年3月19日 (火) 04:37 (UTC)
(インデント戻し)《言うまでもなく、サタン、リュシフェルには「現世の王子」(prince du monde)などの異名があるからです。》←これが日本語版Wikipediaにとって言うまでもないことではなく、言う必要があるとお思いだから訳文について危惧されているわけですよね。わたしとしては、引用文である以上は恣意的な訳は避けたいところであり、仰っている《 》部の出典をわたしはもっていないので、当たり前かもしれない注釈をつけてみましたが、Tizizano様ご自身による、注釈の充実又は平叙文部分での補足・加筆を考えてはいただけませんでしょうか。--ジャコウネズミ会話) 2013年3月19日 (火) 05:56 (UTC)--ジャコウネズミ会話2013年3月19日 (火) 05:57 (UTC)
なるほど、そうやって注釈を追記すれば、理解度が向上しますね。また、ご教示頂きまして、ありがとうございます。後ほど数行追加させて頂きます。Tizizano会話
わたしのほうでも、本文に書けそうな分を平叙文に追記致しました。--ジャコウネズミ会話2013年3月19日 (火) 06:41 (UTC)
お手数をお掛け致しております。「注釈3」を付加させて頂きました。注釈も2分割したいのですが方法がわかりません。教皇様も Twitter とかされるんですね。内の小教区の神父様も iPad とか持っていらして、信徒たちは大笑いしておりました。Tizizano会話2013年3月19日 (火) 07:10 (UTC)
{{Reflist|group="注"|2}} ですね>分割。 どうでしょう。プレビューで試したところあまり見栄えが良くないと思いましたが・・・。あと、閲覧者には幅の小さい画面環境の方もおられることにもご留意ください。--ジャコウネズミ会話2013年3月19日 (火) 07:23 (UTC)
C言語に精通されているジャコウネズミさんがおっしゃるなら、そうなのでしょう。ご判断にお任せ致したく存じます。しかし、アルファベット撲滅作戦(草取り)は、人海作戦で予想より短期間に終わったので、後は各分野に精通された方々がお手すきの時に加筆して頂ける状態になりましたね。復活祭の前に準備完了したのが何よりと存じます。cum oratione. Tizizano会話2013年3月19日 (火) 07:53 (UTC)