ノート:ヒカルの碁/過去ログ2

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

2007年2月19日までの議論は ノート:ヒカルの碁/過去ログ1に移動しました。今後は新しい項目をたててください。 --ねこぱんだ 2007年2月19日 (月) 16:42 (UTC)

議論のまとめと経過(要約)[編集]

「概要」について、主に囲碁に関する記述に出典が不足しているのではとの問題提起がなされる。提案を受けて、文献や情報源の確認作業を実施。大まかに以下の点について修正。

  • 出典情報の付加(新聞3、雑誌1、ウェブサイト1)
  • 出典に合わせ、表現の一部を変更(雰囲気漫画等)
  • 一部記述の除去(登場人物の棋風がわかる等)
  • 2008年1月14日版からの一部復帰(九つの星の用語解説等)

修正案の提示後、一ヶ月の意見募集を経て、ページに反映(2008年3月1日

議論参加者:KM-0901,らりた,Giftlists

詳細議論内容:下記の節を参照

要約作成--Giftlists 2008年3月1日 (土) 08:15 (UTC)

「概要」の要出典(独自研究の可能性)について[編集]

1[編集]

らりたさんによって要出典マークが付け足されていた2箇所のうち、一つについては、わかる範囲で脚注をつけてみました。(正直なところあれだけ冗長な説明は不要だと思いますので、適当に圧縮していただければ幸いです。
他、独自研究らしいと思われるとのKM-0901さんの指摘について、該当箇所と思われる部分について私見を。「(将棋漫画に比べて囲碁漫画は個性の表現が難しく」「個性の表現が難しく」については、確かに独自研究な印象を受けるので、出典が無ければ削っていいように思います。また「上級者になると、登場人物の棋風(碁を打つ際に見受けられる打ち手の特徴や癖)がわかるようになるという。」 は、使用された棋譜を打った棋士が、登場人物ごとに統一(固定)されているわけではないので、登場人物の棋風がわかるようになるというのは根本的に矛盾しているかと。ここの一文は削っていいように思います。気になったのはこんなところです。--Giftlists 2008年1月23日 (水) 06:15 (UTC)
反応ありがとうございます。僕は作品はジャンプで読んでいたので単行本は友人に借りたものを流し読みしただけですが、コメントアウトした部分はほぼ独自研究のみのように見えます。「初心者にも分かる程度の基本ルールの説明にとどまり」とか「技術解説もほとんど放棄していた」「実際対局を飛ばしても話がわかるように工夫されてはいる」「専門用語を追うだけの雰囲気漫画である」「盤面の状態は厳密に考証されており」「作中のセリフを読むだけで対局の進行状況が手に取るようにわかる」「二度おいしい作品」。これらの評価を下したのはどなたでしょうか? 現段階ではWPのユーザーが勝手に下したものなのか、それとも何か出典があるのか分からない状態です。
「登場人物の棋風がわかる」に対して、Giftlistsさんの仰る事はごもっともです。ですが、今回僕が問題にしているのはWP:VWP:ORのことであってそういった類のものではないわけです。もし仮に作者などが「登場人物の棋風がわかるように書いた」などと発言した出典があれば、我々がいくら根本的に矛盾していると思ってもWP:Vの問題はその出典を提示すればクリアです。このような観点からしてコメントアウトした記述は掲載するのに不適当であると判断しました。このレベルになるといちいち{{要出典}}を貼りまくるのは逆に嫌がらせなのかなと思ったものでコメントにしました。とりあえず{{出典の明記}}に変更して1週間程度様子を見てから対処しようかと考えております。--KM-0901 2008年1月23日 (水) 13:02 (UTC)
KM-0901さん、こんばんは。解説ありがとうございます。細部に入る前に私見を言いますと。まず、履歴で確認してみたのですが、該当の部分は一年以上前に加筆されていますが、その後、多くの人の手がこのページに加えられていながら特に問題提起がされた形跡がありません。一年以上半ば容認されてきた内容について、1週間程度の様子見でばっさり切り捨てるというのは些か乱暴な気がします。仮に全ての内容について出典があったとして、その出典を掲示できる人物が、この短期間にこのページを閲覧する可能性は低くないでしょうか。
私の考えとしては、安易な全削除よりも、広範囲の人間で丁寧に校正をし、より正しい形に加除訂正すべき内容に思います。
で、私でわかる部分について。「初心者にも分かる程度の基本ルールの説明にとどまり」これは著書の内容、単行本のコラム、碁ジャスの解説、アニメのGOGO囲碁、黒歴史のイゴエモン辺りから、問題のない記述に思います。
「技術解説もほとんど放棄していた」これは解釈が難しいですが、作中では序盤を除いて技術解説は無いのは事実ですね。ただ「放棄」というネガティブな表現は、改稿の余地ありと思います。アニメは敢えて作中での囲碁用語の解説等の挿入は避けたようですが(単行本14巻)。また作中には確かにほとんど解説はありませんが、その分前述のコラム等ではルール解説等をわりと熱心に書かれていましたので、そういう点を補足するのもありかなと考えます。
「実際対局を飛ばしても話がわかるように工夫されてはいる」については、発行部数と、日本の囲碁人口という、検証可能なデータ同士で確認すれば、読者が囲碁を知らない人のほうが多いのは明らかです。無理やりに出典を明記するとすると、監修の日本棋院のヒカルの碁の公式説明文『碁をする、しないに関係なく子供たちの間で超人気の本作品』あたりでしょうか。ただ、ヒカルの碁の読者が、囲碁を嗜み盤面理解ができる人ばかりでないというのは、ほぼ自明なので、こんな細部まで、出典がいるかなあというのは、ちょっと懐疑的です。「対局を飛ばしても」という表現にややネガティブ印象を受けないこともないので、言い換え案があれば、修正はありかと思いますが。
「専門用語を追うだけの雰囲気漫画である」については、個人的に好きな表現ではありませんのでノーコメント。
「盤面の状態は厳密に考証されており」については、棋譜は日本棋院が監修していることから事実で問題ないでしょう。実際に盤面の考証担当だった日本棋院の職員で、週刊碁の編集の古瀬村さんが「ネームとの整合性を整えるのは黒子の仕事とはいえ大変でした」と語ってもいます。
「作中のセリフを読むだけで対局の進行状況が手に取るようにわかる」については、「対局を飛ばしても~」と同様なので割愛。ただ「手に取るように」は、やや過剰表現な気はします。
とりあえず、私でわかる範囲はこんなところでしょうか。--Giftlists 2008年1月23日 (水) 15:51 (UTC)
まず前半。猶予期間は延ばしても構いませんし、各種依頼で広く意見を募るもの良いかと思います(修正依頼ですかね)。ただ、これはあくまで個人的見解ですが、誰も疑問を提起しなかったのは問題を感じなかったからというよりは単に個人感情で黙認していたのではないのかとも思えます。そういう記事はフィクション系にはゴロゴロしていて各種PJ参加者も苦労してますから。
後半。まず、WP:VWP:ORWP:NPOVが言っていることから入ります。我々がWPから掲載を許可されるのは「事実ではなく検証可能」事項です。ですので、残念ながら「この記述は正しい」とか「これは違う」といったことを我々編集者の主観で判断するわけには行きません。記述を存続する唯一の方法は、「確かどっかで見た」ではなく、確実に出典を示すことです。もしご存知でしたら脚注で追加願います。原作に明記されていることにまでいちいち何巻何ページと記せとまでは言いませんが、作品に下された評価は外部の情報源を使わないと入手不可ですし、しかも評価というのは少しデリケートな内容です。信頼性の向上を始めとするあらゆる理由から、徹底しなければなりません。ということを前提に以下個別の案件について説明です。
「基本ルールの説明に~」について。少なくとも、著書内容とGOGO囲碁では「作中では基本ルールの説明にとどめている」という意味の文字列やセリフはなかったかと思います。以前コメントしたように単行本は借り物で手元にはありませんが、作者が「基本ルールの説明にとどめている」といっているという事であればあたかも他者がそう評したような文面では良くないですね。碁ジャスの解説も申し訳ないですが未確認ですので、確認できるようなら文面の訂正と脚注の追加をお願いします。
「技術解説も~」今のところこれに関する出典はないということになりますね。我々の解釈は載せられません。アニメが用語解説を避けたことは出典ありということになりますか。本編ではないので脚注明記かな。
「実際対局を飛ばしても~」発行部数や囲碁人口では根拠にはできませんね……。日本棋院の公式説明文ですが、日本棋院は、記事にもあるように本作の人気に乗じたイベントなども展開しており、どちらかといえば本作の人気を煽りたい立場ですよね。従って、あまり情報源として推奨できるものではないでしょう。そして、「自明」というのは我々読者の大半はそう思うでしょうけれども、そうは思わない方もいらっしゃるでしょうし未読者は「自明だから」とか言われても信用しません。さすがに誰が見ても「1+1」の答えは「2」のようにはいきませんから、要出典です。
「~雰囲気漫画である」重ねて言いますが、個人的な感情はできうる限りで排除すべきです。
「作中のセリフを読むだけで~」これも出典なしですかね。というか見るからに主観な匂いがします。
こんな感じでしょうか。……一応言っておきますけど僕自身は「ヒカルの碁」好きですよ? でもそれとこれとは別問題です。--KM-0901 2008年1月24日 (木) 11:07 (UTC)

議論に参加させていただきます。らりたです。
最初に言いますと「未読者は『自明だから』とか言われても信用しません。要出典です。」というのはあまりに無理がある論法であると思います。当該作品を読めば解ることを「読んでない人には解らないから要出典」というのはどうでしょうか。「数字を知らない人は『1+1』が「自明である」とかいわわれても信用しません」といっているのと同じようなものではないでしょうか。

  1. 「技術解説もほとんど放棄していた」
    • 基本中の基本であるアタリのことすら作中では解説していません。ほとんどというよりもほぼ全くといっていいかと思われます。
  2. 実際対局を飛ばしても話がわかるように工夫されてはいる
    • 実際問題、ある程度以上棋力がある人(私は大体初段です。)でも作中の盤面の状態・人物のセリフなどだけから(外部情報を入れないで)どのような局面であるかを推察するのは非常に難しい(実質ほぼ不可能)であると思われます。作中で出てくる盤面の状態は部分であることが多く、また途中経過もかなり飛ばしています。局面はあくまで人物のセリフなどから「優勢だ」・「劣勢だ」などと判断するしかない状態です。「対局を飛ばしても話がわかるように工夫されてはいる」というよりも「盤面を追って話を理解するのは困難」といえます。
  3. 専門用語を追うだけの雰囲気漫画である
    • これは誤りであるとは言いませんが、雰囲気漫画という言い方が悪いですね。
  4. 作中のセリフを読むだけで対局の進行状況が手に取るようにわかる
    • 上にも書きましたが、表示される盤面を見ただけでは対局の進行状況はまず解りません。「セリフを読むだけで」ではなくてセリフを読まないとわからないという状態かと思います。


私からの意見としては上の1・2・3・4をまとめて「囲碁の知識が無い者、初級者には囲碁の対局の状態というものを理解させるのは困難である。この作品ではルール解説や対局の盤面は軽く触れるに留め、登場人物のセリフによって局面を理解させる方法を執っている」などと書いた方が良いのではと思います。
あと「将棋漫画に比べて囲碁漫画は個性の表現が難しく」はそもそも「『世界初』と銘打たれるほど囲碁漫画は珍しいジャンルだったうえ」であるのに「個性の表現が難しく」なんてジャンルとしての比較が出来る訳がないのであって、問答無用で消してしまって良いと思います。らりた 2008年1月24日 (木) 12:03 (UTC)

KM-0901さん、らりたさん、こんばんは。段落をもどしますね。
細部は前回書きましたので、大きな2点について申し上げます。
まず、何度もKM-0901さんが仰っている独自研究の解釈について。
抽象的に書くとかえってわかりにくいかと思いますので一例をあげます。(これ別ハンでどっかで使った気もしますが、まあいいです)。最終回が大雪で終わる小説があったとします。そして作者が新聞のインタビューで「最終話は東京の自宅で200X年1月5日に書いた」と発言しています。そして同日の東京の天気を気象庁のデータで確認すると「30年ぶりの大雪」。この場合のWikiの記述として

  1. 最終話は、30年ぶりの大雪が東京を襲った日に書かれた
  2. 最終話が書かれたのは、奇しくも30年ぶりの大雪が東京を襲った日だった
  3. 最終話が大雪のシーンで終わったのは、書き上げた日が30年ぶりの大雪だった影響である

3は独自研究なので論外です。また2は一見よさそうに見えますが「奇しくも」が独自研究になります。(作中の雪が、現実の雪に影響を与えたかは定かではありませんので、偶然を匂わせる言葉はWikiにふさわしくありません)
そして1番です。作者は「大雪の日に書いた」と明言してはいません。このことによって一部の雑草とりの方は、独自研究を拡大解釈して安易に削除と考えてしまうかたもいらっしゃいますが。しかし、インタビューにより書いた日と場所は「検証可能なデータ」としてあり、そして気象情報が「検証可能なデータ」としてあります。この2つに裏打ちされて書かれた1は「可」と考えます。
小説でなく、漫画的な例をあげると。

  1. 主人公は、黄色い私服を多く着用している
  2. 主人公は黄色が好きなので、黄色い私服を多く着用している
  3. 主人公の誕生日は9月20日で、風水的に黄色がラッキーカラーなので、作者は黄色い私服を多く主人公に着用させている

3は論外。2は「黄色が好きなので」が独自研究。1は、別に作者が「主人公に黄色い服をたくさん着せています」と言っていなくても、作中から判断が可能であり、これは出典がないから削除というのは、拡大解釈だと考えます。
Wikiは、既存の文献をつぎはぎして、つなぎ合わせるだけのものではありません。検証可能なデータに基づいて、執筆者がまとめあげるものです。その際に2や3のように独自研究が混ざってしまった場合は、その部分のみ上手に抽出して取り除くのが、雑草とりの重要な仕事かと思います。と、一般論を書いて、本題に入ろうとしましたが、ちょっと時間がないので、補足だけ。
今回の内容について、「ヒカルの碁の読者は碁を打てない人も多い」「ヒカルの碁はジャンプの掲載順や発行部数からそこそこ人気があった」。これは、まあ、出典を出せという類のものではないかと思いますが。出せと言われれば前回あげたところでしょうか。(しかしこの2つに出典表記がいるかは、正直なところ疑問です)
そして上の2つから「ヒカルの碁は、碁を打てない(or盤面を理解できない)読者でもストーリーや進行を理解できる(or楽しめる)」等の記述やそれに類する記述は、許容範囲というのが私の見解です。少なくとも異論があるようでしたら、井戸端等で広く意見を求めるのはやぶさかではありません。
ただ問題の部分について、KM-0901さんが仰るように、一部に批評的な記述、執筆者の思いが混じっているようには感じます。ですのでKM-0901さんも一緒にそういう点を修正して手直ししていくのが、方向性として健全な気はします。ここは私見ですが。--Giftlists 2008年1月24日 (木) 13:00 (UTC)

競合してしまったのですがとりあえずそのまま投稿します。僕の説明が上手くないのでしょうか。まず僕の指す「作品を読んで分かること」と「作品を読んで解釈できる事」とは違います。皆さんが記事の文面に対して仰ることは間違ってはいません。しかし、それは僕や皆さんの個人の解釈で見たら間違っていないということになります。例えばらりたさんは囲碁のレベルとして大体初段ということで、らりたさんから見て「セリフから局面を理解するのは難しい」と判断されていて、おそらくそれは間違いないのでしょう。しかしそれはWP編集者個人の作品解釈(独自研究)だからそもそも載せてはいけない(WP:ORWP:NPOV)。ではどういう場合に載せられるのかと言うと、そういう内容の公式発言を著名な人間がした記録を提示するとか、ある程度知られている出版社からの書籍に書かれていたことを提示するとか、そういうことです(WP:V)。なぜならWPは「まだ人類の(公式の)知識となっていない事柄」を拒んでいるから。「1+1」の例はまあ具体的にいうと「義務教育レベルでそれ以外の答えがありえないもの」という意味なんですが、作品の評価は個人の主観に関することなので別の答えがありえないということはないです。ですから誰が評価したものなのか分からなくては困る。WP執筆者の感想でしかないのならなおさら困る。
「該当作品を読めば解ること」についてですが、正確に議論したいので具体的に「解ること」と「解る根拠」を示していただけますか。
これは他の方からの受け売りでもあり、僕の経験上の実感でもありますが、WPの規定をかいくぐってきちんとした百科事典というものを書き上げるのは学術研究の進んでいないサブカルチャーでは非常に難しい。あまり多くを書けないことがざらにあります。似たような議論を機動戦士ガンダム00でもしたことがあります。僕の説明のみでは分かりにくいかもしれないので良ければ過去ログをご覧下さい。--KM-0901 2008年1月24日 (木) 13:15 (UTC)

で、競合したGiftlistsさんのコメントも踏まえて。許容範囲というのは個人によって違うので(僕もかつてそいういう概念を持っていたこともありますが)あまりよろしくないと思います。すくなくとも「許容範囲」という曖昧な理由を提示してまで存続しなくてはならない重要な情報ならいずれどこか情報源が出るはずです(というのが普段僕がご一緒する方々の見解です)。「一緒にそういう点を修正して~」について。もちろんそのつもりです。僕の手元に情報があるのなら自分で対処します。しかし僕の手元には無いから今のところどの程度勝手に推敲して良いのか解らない状態です。今議論に参加していただいている皆さんが出典を示せないからといって即削除という気はありません。この議論を見かけた方がこの件について考えてくれたらいいと思いますし、できる限り詳しい人を呼び集める努力はします。それでもどうしようもなかったらそのときはしょうがないですけど。いままで井戸端を眺めていた感じでは、「個別記事の案件はコメント依頼に持ってけ」といわれる事が多いので出すならコメント依頼だと思いますが、持ちかけても構いません。しかし少なくともPJ:COMICWP:ANIMEの参加者さんたちは「作品分析や評価面には出典があったほうがいい」と言うような気はします。あと余談ですが、改行コードタグはWPでは非推奨です。--KM-0901 2008年1月24日 (木) 13:45 (UTC) (追記)僕が基本方針三本柱にこだわる理由は利用者ページのほうにもあるのでそちらの記述で説明に変えさせていただきます。それから議論が必要な編修に「細部の編修」は使わないで下さい(Help:細部の編集参照)。--KM-0901 2008年1月25日 (金) 04:53 (UTC)

らりたさん、KM-0901さん、こんばんは。 前半部分の編集案については、らりたさんの案に賛成で、(将棋漫画に比べて囲碁漫画は個性の表現が難しく、青年誌を含めても皆無に近く少年誌での連載はこれが初めてだった) の部分を削除で問題ないように私も思います。後半部分については、元の表現をなるべく残しつつ、らりたさんが提示してくださった草稿を加え、KM-0901さんが仰るようにわかる範囲で出典をつけ、独自研究と思えるものを省いてみました。

    • 囲碁自体については、作中では初心者にもわかる程度の基本ルールの説明に留め[1]、用語やルールの補足的なコラムを作外で掲載する形を採っている[2]。対局の盤面についても、作中では軽く触れるに留め、登場人物のセリフによって局面を理解させる手法を採用している[3]。だが盤面の状態は、ネームとの整合性を保つよう、日本棋院の職員により校正が厳密に行われていた[4]。なおプロ棋士にも、国の内外を問わず愛読者が多い[5]
  1. ^ 単行本1巻参照
  2. ^ 単行本1巻で用語等のQ&A。単行本2巻で基本ルールの解説。碁ジャスキャラクターガイド等
  3. ^ 単行本1巻~23巻参照
  4. ^ 2006年9月週刊碁編集古瀬村氏の発言より
  5. ^ 作者の海外取材記事のなかで、韓国や中国の多くの棋士・関係者がヒカルの碁を読んでいてくれたとある(単行本17巻)。また、韓国の有名棋士である曺薫鉉氏は、ヒカルの碁の韓国でのアニメ放映に尽力したことで知られている(中央日報2004年5月28日)。日本においては、『ヒカルの碁勝利学』で知られる石倉昇棋士、日本棋院常務理事の藤沢一就棋士等が愛読者として知られる。他に作者がプロ棋士3人に好きなキャラクターを質問したところ全員が伊角と答えたエピソードもある(単行本23巻)。また監修の梅沢棋士は、インタビューで連載当初は周囲のプロ棋士の仲間でジャンプを買って人気アンケートを送っていたとも明かしている(イノベーティブワン2005年5月11日)

とりあえず、ご意見があったものは全て詰め込んでみたつもりですが、出来上がったものを見る限り、私もらりたさんのご意見と同様で、当該作品を読めば解ることについては脚注表記は省略したほうが、より見易いような気がします。少なくとも単行本が出典のものは、(よく読みこまないとわからないような細部の指摘を除き)、省いていいように思うのですが。また私の悪癖で、本文もやや冗長ぎみになっていますので、もう少しシェイプアップできるようにも思います。いかがでしょうか?--Giftlists 2008年1月25日 (金) 13:02 (UTC)

今日は少々時間がありましたので、KM-0901さんが編集された箇所(2008年1月22日 (火) 11:05の版)について確認してみました。出典がわかるものを列挙しておきます。
    • 「両方とも、藤原佐為の立場を指した表現である。」 を削除されていますが、単行本の作者発言が出典です。出典がなくとも翻訳すれば明白ですが。
    • 「少年漫画としては異色の囲碁漫画」 を削除されていますが、アニメ化記念記者会見(2001年9月)で週刊少年ジャンプの高橋編集長の発言「囲碁がテーマの異色作」が出典です。これは一例で探せばいたるところに出典はみつかります。正直なところ、これは出典明記がないからといって消す類の表現には思いません。
    • 「緻密で繊細な作画と熟考されたストーリーで人気を博した。」 を削除されていますが、日経プラスワン(2001年10月)に、「喜怒哀楽の細かな表情を描き分ける筆力」が人気の秘密との集英社編集部の発言があります。また手塚治虫文化賞の選考委員のコメントに「キャラクター配置も豊富で、エピソードも丁寧に、ドラマの進行と共に配置されている」(一例を抜粋)とあり、削除された箇所の表現を充足していると考えます。人気を博した……は、あらゆる所に出典があるので割愛。
    • 「九つのとは碁盤の目にある九つの黒い点を指し、作中で主人公が碁盤を宇宙に碁石を星に見立てて碁を打つ場面がある。この辺りの話は連載版でも描かれている。」 を削除されていますが、こうしたものこそ、脚注にするべきものかと思います。
以上、4点については、特段の理由がなければ、復活を希望します。
また、昨日の第一案でうっかり削ってしまったのですが、元の文章の大意を汲み取ると碁を知らないものでも本作を楽しめるというのが、執筆者が一番表現したかったことかと私見では思いますので、このニュアンスの表現は、復活させて組み込むべきと思います。なお、碁を知らない層にも楽しめるの出典は、「もちろん、囲碁を知らなくても楽しめる」(2001年9月ファミ通)、「囲碁が分からない人でも楽しめる物語」(同日経プラスワン)等あります。これも探せばかなり出てきますが、手元で確認できるものだけ、とりあえず。
それと、アニメでは盤面の描写が増えていることも追記したほうがいいかなとちらっと思いましたがが、これはアニメの項目のほうがいいかもしれませんね。
なお前回の書き込みで、前半部分については、カッコ内をまるごと削除と書きましたが、正確には「個性の表現が難しく」の部分削除です。訂正します。
また別件ですが、子供だけでなく女性や大人層等の幅広い層に人気(朝日新聞2003年5月)があったことは、概要に足してもいいのかなと思います。
とりあえず、こんなところでしょうか。--Giftlists 2008年1月26日 (土) 10:27 (UTC)

【追記】上記2つで述べた意見をふまえ、現段階で私が考える概要全体の修正希望案をまとめてみました。あとは他の参加者さんのご意見等を待ちます。ただ、やはり細かな出典表記は記事を冗長にするだけで、不要に感じます。--Giftlists 2008年1月26日 (土) 16:48 (UTC)

拝見しました。言い出した以上僕が労力を割くつもりでしたが、わざわざ動いてくださって申し訳ありません。以下、上記リンクの「修正希望案」にそったコメントです。
解説本文はだいぶよくなったと思います。とりあえずそのまま出して構わないくらいだと思います。
脚注1は「ここまで言わなくても作品に興味のある方は読めば解るからいいかな」と思って削ったものですが、復帰と言うことであれば本文中で良いかと思います。「藤原佐為にちなんで韓国では~」という感じで。
脚注2・3は省いちゃまずいでしょうか? 「~アメリカ等で翻訳されている」くらいにしたら曖昧な感じも出なくなるかと思います。
脚注4~8は、例えば4なら「2001年9月のアニメ化記念記者会見、週刊少年ジャンプの高橋俊昌編集長(当時)コメント」くらい簡潔にしてもよいと思います。7はおそらくジャンプに掲載されたものかと思いますが、できれば号数があると良いかと思います。ただ、なかったらそのままでとりあえずクリアです。
脚注9は本文に組み込み、10・11と14は、分かりました、省きましょう。厳密に言えば僕が求めていた物とはちょっと違うので、いずれ僕が個人的にもう少し有力なものを探してきます。
脚注13は、わざわざ書かなくても良いような気がします。表現方法の違うメディアをそこまで細かく対比してもなあとも思いますし。
脚注17ですが、本文の「プロ棋士にも~」から別段落にして本文に組み込んだ方が良いかもしれません。
脚注18・19も本文でよいかと思います。19はやはり蛇足かなと思って削ったものですが、復帰を希望されるならここは特にこだわりません。
とまあこんな感じなんですがいかかでしょうか?--KM-0901 2008年1月28日 (月) 05:44 (UTC)
KM-0901さん、こんばんは。確認ありがとうございます。
脚注1、19については、なるほど。そういう意図なら了解です。出典が無いのが理由なのかなと誤解していました。
脚注2、3は省いて構いません。脚注に小ネタというか豆知識というか、時が経つと忘れられてしまいそうな事を書き留めておくのが、私が好きなだけですので。
脚注4~6は個人的にいらないかなあとも思っているのですが。脚注7は本誌ではなく賞の公式サイトです。朝日にも載りましたが。
脚注10,11,14は、正直なところ白川先生がじゃあ今から説明をはじめるよと席に座った途端に場面転換。で、場面が戻ったら、今日はこれでおしまい、さようならーというパターンで、ヒカルは描かれてなかった間にルールは覚えたということにして、作中で以後も説明無し。なので、省いているのは明白かなあと今でも思うのですが。たぶんKM-0901さんが、求めていらしたものは、外部記事で確認できるものですよね。客観性ということでは、それも一理ありますので、なんとかそれらしいものがないかなあということで、似たような表現を見つけてきました。2002年1月11日の毎日新聞の記事で、ヒカルの碁という漫画でいくら子供が碁に興味を持ってくれても、そこから先は棋院の仕事。ちゃんと囲碁のルールを覚えさせて定着させる努力を棋院はするべき、のような趣旨の記事が掲載されたのですが。その中の一文で『漫画はあくまでも囲碁を素材にした物語であり、囲碁のルールブックではない点だ』というのがあります。この一文が、ヒカルの碁はルール解説はしていないという客観的な出典にならないでしょうかね。
脚注13は、わざわざ書く必要は無いかなあと思いましたが、アニメではかなり詳細に盤面描写はしてあるんですよね。流れがわかるくらいに。なので「作中では軽く触れるにとどまり」という本文だと、アニメでは微妙に間違っていることになってしまうのが悩ましいところです。これは本文のほうの言い回しを再考する必要があるかなとも思います。
それと、前回は消す方向と言った前半部分についても、ちょっと訂正。
例の「囲碁漫画は個性の表現が難しく」 の部分ですが。
朝日新聞の2000年9月9日の夕刊のインタビューで、囲碁漫画がこれまでなかった理由を、担当の高橋さんの談として紹介しているのですが。『サッカーなどに比べて地味になりがち。動きとしても碁石を置いているだけで、バリエーションが少ないから』というのがあります。おそらくこれか、これに類似する高橋さんの別の発言が出典かなあと。名古屋在住のほったさんや、口下手な小畑さんの代わりに、取材はほとんど饒舌な高橋さんが答えていましたから。なので、「将棋漫画に比べて」の部分を削り、「囲碁漫画は地味になりがちであり、また動きのバリエーションも少ないため」にして、出典をつけとくと一応の形になるかなあと。
そして、最大のペンディング事項だった最終部分。「碁を覚えると作中のセリフを読むだけで対局の進行状況が手に取るようにわかるようになっており、二度おいしい作品になっている。」 なのですが。
2001年9月5日号のダカーポに、『棋譜は、将来「ヒカルの碁」を通じて囲碁に興味を持ったときに読み返してさらに深く納得できるよう、梅沢由香里四段の監修のもと日本棋院により製作された、本物の棋譜となっている』という一文があります。これが「碁を覚えたあとに読むと、二度おいしい作品」の出典になるかなあと。この記事も高橋さんにインタビューして書かれていますので条件は満たしているかと。ですので、修正案にはもりこまなかった「碁を覚えてから読むと二度おいしい」の表現は復活させてもいいかと思います。ただ個人的な本音をいえば、記事を担当されたライターさんがあまり好きではないので、出典表記するならばできたら別のソースを探したいところです……。私も今月中、時間がある時にぼちぼち探してみます。--Giftlists 2008年1月29日 (火) 15:11 (UTC)
【追記】中立性、客観性という意味では、まずいかと思いましたので、一言だけ。「作中の観客の解説にでてくる囲碁の専門用語を追うだけの雰囲気漫画である」の部分について、私は「好きな表現ではないのでノーコメント」とお茶を濁しましたが。これも「おそらくあれだろうなあ」という出典が存在します。高橋さんがほぼそれに近い発言をインタビューで……。出典を示さないでおけば消える流れになるだろうなと思って敢えて黙っていましたが。ややエゴかなと思いましたので、報告だけ。--Giftlists 2008年1月29日 (火) 16:15 (UTC)

2[編集]

こんばんは。ひととおり手元で確認できるものはしましたので、第2稿を。出典が確認できたものは、なるべく元の形を残すようにしておきました。(雰囲気漫画は微妙に表現を変えましたが)。脚注は合意が得られそうなものと、私が勝手に出典明記が必要と誤解して付け足してしまったものを中心に削って、通常のシンプルな形に。一ヵ月後くらいにまた確認しにきて、何かあったら修正します。ひとまず、私が手元で確認できそうな事は終了です。では。--Giftlists 2008年1月30日 (水) 15:16 (UTC)

返事が送れて申し訳ないです。なかなかスリムになったかと思います。ところで、リンク先の修正案は第一稿も第二稿も著作権を放棄してこちらへの転載・改変などを許可していただいたということでよろしいのでしょうか? 今後参考にすることもあるかと思いますので確認しておきたいです。--KM-0901 2008年1月31日 (木) 06:45 (UTC)
KM-0901さん、こんばんは。そもそもその目的でまとめたものですので、改変転載ご随意にどうぞ。ただ、まあ、半ば予想はしていましたが編者が集まりませんね。加筆編集のピークの時期を過ぎているので仕方がありませんが。過疎期に超少人数での合意で、最盛期にまとまったものを大きく変えると、意図せずに思わぬ偏りを生む気もして内心不安なところもあります。まあ、修正は焦らずのんびりと人を待ってからのほうがいいでしょうね。
と言いつつ、今回、概要を修正していて横道で気になった点。私は既読者なのでこれまで気に留めていなかったのですが「主人公ヒカルと佐為の出会いと別れや」は、ネタバレという観点では、少々グレーのような気も。一部のヤマ場の内容でもあるわけですし。といって修正案はぱっと思いつきませんが。該当文は、簡潔に過不足なくまとまっている良文ですので、文のリズムを崩さずに上手な言いかえができるといいのですが。--Giftlists 2008年2月1日 (金) 11:09 (UTC)
便宜的に節を分けました。確かに「別れ」は核心のネタバレですね。文意としては「一部と二部があるよ」と言いたいだけなので「別れ」だけ取り除いても大差ないとは思いますが。
人数の件は今は保留して置きましょう。僕個人も今は私生活の都合で毎日コメントできる状態にないので、すぐに人を呼んで本格的な記事のマスターアップに取り組んでも進行責任がとれないです(他の記事でも僕が進行中の議題があったのですが1月中旬からはとりあえず進行を他の方にお任せしてコメントだけしてるような常態です)。--KM-0901 2008年2月1日 (金) 12:26 (UTC)

こんばんは。一ヶ月経過しましたが、特に大きな変更希望等ないようですので、1月30日の草案を反映させたいと思います。また反映後にこのページを過去ログ化したいと思いますが、いかがでしょうか。特にご意見等なければ、反映は今週末に行う予定です。--Giftlists 2008年2月29日 (金) 15:17 (UTC)

ご苦労様です。Giftlistsさんの行動力で予想以上に早く(というか僕が何もしないうちに)ある程度の情報源も集まり、言うほどひどい状態ではなくなったので、過去ログ化してもいいように思います。もたもたしていて申し訳ないです。--KM-0901 2008年3月2日 (日) 10:33 (UTC)