ノート:バルバロッサ作戦

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バルバロッサ作戦 なのか 独ソ戦なのか。文章をみると総括的な部分が多く独ソ戦の記事であるかの印象を受けます。0null0 15:13 2004年6月19日 (UTC)

独ソ戦とおなじ内容であるから一つにまとめたほうがいい様に思えますが・・・。

独ソ戦の前半部がバルバロッサ作戦に相当するのですが。--Los688 2005年5月27日 (金) 14:20 (UTC)[返信]

外部リンク[編集]

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文章の矛盾[編集]

文章に矛盾を感じます。

「赤軍の開戦初期の大敗の原因は単純だった。彼らはドイツの攻撃を予期せず、防御のための準備を行わなかった。 さらに悪いことには、赤軍の大部分は独ソ国境に集結させられていた。」

上の引用した文章では、集結していたのはソ連軍の攻撃か防御か、どちらかの準備になりますが。 防御の準備でないと断言するなら、攻撃の準備になるのですか?

ならば、ドイツ軍は国境に集結した侵攻準備中のソ連の大軍を攻撃したことになるようにも読めますが。

見解を統一して文章を整理されるようにお願いします。 --Puutin 2008年12月10日 (水) 12:51 (UTC)[返信]

平時の戦力を国境付近に集中させていたのであれば、縦深防御や機動予備確保が行えず、電撃戦に対応できない防御体制しか取れなかった、という意味ではないでしょうか。--Himetv 2008年12月10日 (水) 13:58 (UTC)[返信]

「彼らはドイツの攻撃を予期せず」とまで書いて「赤軍の大部分は独ソ国境に集結させられていた」とも書いてあります。 「攻撃を予期せず」と書いているのですから防衛的な戦術が失策だったと言う意味と読めません。 「赤軍の大部分は独ソ国境に集結させられていた」の部分はドイツの攻撃を予期していないのに大軍を集中させていたのなら普通 に読めばソ連軍のヨーロッパに対する侵攻作戦準備とも受け取られかねない書き方です。 文章が整理されないと、どのようにも理解できかねると思います。 --Puutin 2008年12月10日 (水) 16:13 (UTC)[返信]

少し手を加えてみました。現代のロシアで攻勢に出る計画があったとされる論文が作成される余地があり、なおかつ定説として開戦準備の不十分さに言及することに注意して作成しました。--Himetv 2008年12月10日 (水) 17:11 (UTC)[返信]

どうも、ありがとう御座いました。両論併記ということで納得致しました。 個人的な見解を少し書いて終わります。修正の要求ではありません。

「これはソ連を承認しない諸国に対し国土は寸土であっても渡さないといった硬直化した思想」 とありますが、ここで言う国土とはロシアに発生した革命政権に侵略された東ヨーロッパの土地のことなのです。通俗的な言葉を使 えば植民地です。

ソビエト連邦とは、それを覆い隠す言葉に他なりません、ソビエト崩壊後は独立した国々も多くありますが、今もって苦しんでいる 国々もあるのです。

ソビエト連邦を通常の国と同じように考えるのは多くの誤解を生じると思います。東ヨーロッパの実情に詳しくないと、単に戦争の かけひきの説明とはいえ、この地域の人々の感情を傷つけているかも知れませんので、その点の御考慮を頂ければ幸いです。 --Puutin 2008年12月10日 (水) 17:59 (UTC)[返信]

引用について[編集]

ジューコフ将軍とティモシェンコ将軍の意見が図上演習の結果によりスターリンに採用されていた結果である(学習研究社 「歴史群像」)」のような記述は引用の条件を満たしていませんので下記を参考の上正確な引用を心がけてください。http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%87%BA%E5%85%B8%E3%82%92%E6%98%8E%E8%A8%98%E3%81%99%E3%82%8B#.E6.9B.B8.E8.AA.8C.E6.83.85.E5.A0.B1.E3.81.AE.E5.AE.9F.E4.BE.8B.EF.BC.88.E5.92.8C.E6.9B.B8.EF.BC.89