ノート:デビルマン

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漫画がTVアニメ化されたわけではなく、別内容のものが同時進行だったというのが実態だったと思うのですが。あと、OVAもあった筈です。どなたか詳しい方よろしくお願いします。--KZY 2004年8月6日 (金) 09:35 (UTC)[返信]

アニメ版は見たことが無いのであまり詳しくは書けませんでした。後世への影響などもっと詳しく書きたいところです。らりた 2004年8月6日 (金) 13:20 (UTC)[返信]

ダンテ神曲からの影響について一言触れたいのですが、場所は「影響」でいいものかどうか。--Hamichan 2005年8月8日 (月) 11:50 (UTC)[返信]

「影響を与えた作品」「先行作品」「素材」てなとこでどうでしょうか。「影響」にまぜるのはあまりよくないような。あるいは「影響」を「他の作品との関係」「反響」の二節に分割して、神曲からの影響は前者に書くのでも。--Aphaia 2005年8月8日 (月) 11:53 (UTC)[返信]
そうですね。「影響を与えた作品」あるいは「背景」等がいいかも知れません。「神曲」と、ハレンチ学園に書いたー行を追加したいと考えています。--Hamichan 2005年8月8日 (月) 13:45 (UTC)[返信]
永井豪が影響を受けたのは、子供の頃に読んだという『神曲物語』みたいなリライト本だそうです。その中にあった「魔王サタンが氷に半身を埋めている図」に衝撃を受けたとか。『永井豪の世界文学講座 ダンテ『神曲』』 にそのエピソードが収録されています。書名は書いていないものの、時期からして繁野天來の『ダンテ神曲物語』でしょう。図書館で借りてみると上記の絵(ドレ画)も収録されていました。--Charon 2005年8月8日 (月) 13:52 (UTC)[返信]
たしかに神曲の項目には繁野天來の『ダンテ神曲物語』とありますね。さて、だんだん私の考えが固まって来たのですが、今ある「影響」を一緒に、「ゲーム」の後辺りに出したいと思い始めました。--Hamichan 2005年8月8日 (月) 14:47 (UTC)[返信]

少々お待ち下さい。これを書いた当時はかなり確信を持っていましたが、いざこの情報を利用されるとなって再度確認してみると、ひょっとしたら別の本かもしれないと不安になってきました。神曲の記事中では確定したようなことを書いているので修正しなければ……

まず、永井氏自身は、漫画版『神曲地獄篇』上巻のあとがき([1])で、“子供文庫「ダンテの神曲物語」”に強い影響を受けた、と書いています。要するに子供向けにリライトしてあって、ドレの絵が収録されており、その中に、地獄の最下層コキュートスにて氷に半身を埋めている魔王の挿絵があった、という本です。1945年生まれの永井氏が子供の時にすでに年代物の旧字旧仮名の本なので、大正か明治の本ということは確実です。私が図書館でこの条件に合致する本を探してみたところ、繁野天來『ダンテ神曲物語』がまさにそれでした。借りてみると確かに子供でも読める平易な本で、ドレの魔王を描いた絵も入っています。しかし、いま国会図書館の蔵書検索で「神曲物語」と入れてみると、

『こどものダンテ 神曲物語』 蘆谷蘆村著 警醒社書店 大正14年刊

という本が存在することがわかりました。子供文庫というレーベル、かつ『ダンテの神曲物語』という「の」が入った題名そのものの本は存在しない(か、国会図書館にも入ってない)ようなので、微妙に記憶違いが入っていると思われます。しかしこちらの方が条件にあてはまる。その他にも、『神曲物語』を冠した本は複数あります。というわけで繁野天來説は確証を持てなくなりました。--Charon 2005年8月9日 (火) 12:13 (UTC)[返信]

見直すべきでは?[編集]

あらすじがあまりに細部に渡って書かれています。十行以内で簡潔にまとめるのが妥当と思いますが。ご意見いただきたいです。

確かに長いですね。ここはファンサイトでなく「百科事典」という意味合いを考えれば、具体的な描写そのものは思い切って省いて、ヒーローもの+ゴシックホラーの前編、社会学的なSF+モダンホラーの後編…とでもいうようなカラー違いを表記するのが良いかと。その上で、当時革新的だった表現である、牧村美樹の死=「マンガのキャラクターが肉体を持った存在として死を経験する」のをもっとも先鋭的な一つの到達点として描いた、というような評価へ収めるようなまとめが適格かと思われます。
必要に応じて『ハレンチ学園』以降の一つの作家的総決算という時代考察や、作家的には『バイオレンスジャック』『手天童子』など「生」をテーマにした作品へ流れたり、『凄ノ王』では死を描かずして精神的な「傷」によって肉体を表現するような展開を見せた…というような評価を入れてもいいかも知れませんね。
テレビアニメ版に関しては、永井豪の作家性とはやや別として筆を改めるべきでしょう。ただし、1972年当時なりの永井豪のエッセンスと社会性は十二分に含まれており、同時にスタッフのこめたものを書き込む形がいいかと。OVA版はそのあたりまとまった評価はしにくいですね。ふりーく北波2006年3月10日(金)3:37
評価については自己の意見を評価として記述しないよう論者と文献、放送番組など根拠・ソースを明記して願います。Izayohi 2006年3月11日 (土) 00:36 (UTC)[返信]

あらすじを戻しました。ここはファンサイトではないので、この項目を読むのはファンでもないし、読んだことのある人とも限りません。革新的だのなんだの言ってもストーリーが分からないことにはどうしようもありません。テレビの放映タイトルリストなど、ファンとかその手の人にしか役に立たないゴミデータよりは、余程役に立ちます。革新的だの先鋭的だのいうファンによる素人評論・持ち上げなどは全く役に立ちません。あらすじの方が遙かに役に立ちます。ファンの歪んだ眼鏡を通さないものを見せるべきです。--Harolder 2006年4月20日 (木) 05:10 (UTC)[返信]

ここは「百科事典」ですよね。知りたいことの窓口だと思うのです。検索テーマの概要と資料、それにネットの強みであるリンクができれば十分ではないでしょうか。あらすじは物語のさわりだけでいいと思います。だからこそのあらすじなのですから。そこから興味を持った方々が、ファンサイトに行けばいいのです。はっきり言って、長いあらすじは誰も読みませんよ。簡潔に表現してこそのあらすじなのですから。--以上の署名の無いコメントは、瀬戸ひろし会話投稿記録)さんによるものです。2006年8月1日 (火) 06:40
私は全部読みましたよ。テレビで少し知っていた程度の作品なので、こんなストーリーだったのかとよく分かりました。「物語のさわりだけ」と「簡潔に表現する」ということは全く異なります。少なくとも、最初から最後まで書いてないとどんな作品かすら分かりません。あらすじ以外のセクションに関しては、本当に何の役にも立たないデータの羅列が多く、読むに耐えませんね。そんなものを見て、この作品の何を分かれと言いたいのか理解に苦しみます。ナレッジベースと勘違いされている方がおられるように思いますね。--Musubiyui 2006年8月1日 (火) 11:32 (UTC)[返信]

あらすじの長さはともかく、作中のセリフが多数引用されている部分は著作権上問題はないのでしょうか?また、セリフの引用を多用する事は百科事典としては相応しくないと思います。Muneco 2006年8月1日 (火) 13:56 (UTC)[返信]

著作権上の問題はあるかも知れませんね。百科事典として相応しいかどうかというより、文章の書き方でしょうね。--Musubiyui 2006年8月1日 (火) 15:33 (UTC)[返信]
なるほど、セリフの問題もありますね。宿題の読書感想文や作文では問題ないのでしょうが。このWPの「あらすじ」を参考にしたら如何でしょうか。私は同じコンセプトで多様化しているデビルマンを網羅すに対し、このデータは非常に重宝しています。百科事典なのですから。そもそも、「デビルマンて何?」と感じた人が、ファンサイトを見て付いていけず、とりあえず、取っ掛かりで分かれば良いのです。わざわざWPでデビルマンを検索する人には、セリフ付きで長文の作文が必要なのでしょうか。saimon--Saimon 2006年8月1日 (火) 14:36 (UTC)[返信]
この記事を参考に読書感想文が書ける。素晴らしいですね。この本を読んだことのないひとが、この本の内容を把握できているというのは、この記事が何も知らない人に対して十分な説明を提供しているということになりますね。全く知らない人からしたら、同じコンセプトといってもなんのことやらですし、ファンが勝手にまとめあげた「コンセプト」というのもあまり読みたくないですね。論評等であれば、出典も明記の上で書いていただくことになるかと思います。データ集が重宝しているというのは、ある程度知っている人ですよね。百科事典は全く何も知らない人が、どいういうものかを知るための説明が書かれているのが望ましいですね。無味乾燥なデータの羅列ではありません。ファンなど、既に知っている人のためのものではありません。窓口ならばリンク集にすればいいわけです。百科事典はリンク集ではないので、説明をちゃんと書くわけです。とっかかりでもなんでもなく、記事の中にしっかりと説明されていることが理想です。外部サイトは補助的なものでしかありません。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかを読んでいただいて、ウィキペディアはデータベースではないということを理解してください。 --Musubiyui 2006年8月1日 (火) 15:33 (UTC)[返信]

私の投稿が未熟なため、誤解を招いてしまったようです。ごめんなさい。ならば「あらすじ」というタイトルに問題があるのですね。前にも書きましたが、WPの『あらすじ』の定義を無視するという、WPにとって自己矛なことになっています。それにWPや書物の百科事典はデータベースではないことも分かっているつもりです。デビルマンの「あらすじ」は明らかにそれを越えています。文章やセリフの問題ではなく、一般に公開する[ネタバレ]の長文でいいのでしょうか。作家が編集者に見せる「あらすじ・プロット」なら最後まで書いてないとだめですよね。でも、800字が普通です。200字詰め原稿用紙2枚です。週刊誌の映画のあらすじだって、200字程度で上手く収めています。前の投稿で脱線したようですが、私が言いたいのは、{これは『あらすじ』なのか?}と言うことです。「ダイジェスト」だったらまた話は別でしょう。セリフの問題もありますが。ですが、「ダイジェスト」はWPに必要なのでしょうか。--Saimon 2006年8月1日 (火) 17:12 (UTC)[返信]

あらすじという項目の正確性も怪しいですね。ウィキペディアはそれぞれの項目を別々の人が勝手に書いていますから、意味的な衝突も起こるでしょう。ただ、ストーリーという節タイトルなども見たことがあります。少なくとも作品自体を殆ど知らない私が、この作品を理解する上で、あらすじ以外の節に何の意味も見出せないのは確かです。この文章ですらない箇条書きの山の中で、作品の何を理解しろと言うのでしょうか?--Musubiyui 2006年8月2日 (水) 00:19 (UTC)[返信]

「あらすじ」だろうが、「紹介文」だろうが、百科事典にプロットの全ては不要でしょう。お手持ちの百科事典は、どのように記載されているか、確認してみてください。--ゆきち 2006年8月1日 (火) 19:08 (UTC)[返信]

お手持ちの百科事典は、各作品のサブタイトルリストやキャストや登場人物紹介等で埋められておりますでしょうか?これらが無いとなりますと、全ての作品記事から、これらを削除させていただくことになりますがよろしいでしょうか?--Musubiyui 2006年8月2日 (水) 00:19 (UTC)[返信]

あ!Musubiyuiさんが無茶をいいだしてから、この記事、誰にも相手にされなくなっちゃった!それでいーの?--以上の署名のないコメントは、125.29.223.33会話/Whois)さんが 2006年8月13日 (日) 17:55 に投稿したものです。

ざっくりスリム化させてもらいました。まあカウントすると2438字→1561字で、半分にもなっていないのですが。-co.kyoto 2006年11月10日 (金) 22:29 (UTC)[返信]

2008年3月21日 (金) 08:35 202.32.178.40による差し戻しについて[編集]

上記の差し戻しはその前の投稿のその前の版との差分の「ドタバタギャグ」しか目に入らず、「単なるギャグ作品への書き換え荒らし」だと勘違いしたことが原因です。勘違いとはいえいたずらに版を増やしたうえ、上記の投稿者を一時的にでも荒らし扱いしたことをお詫びいたします。--202.227.43.8 2008年3月21日 (金) 08:51 (UTC)(IPアドレスが変わっているかもしれませんが202.32.178.40です)[返信]

漫画版の登場人物について[編集]

登場人物の途中で突然、漫画版『AMON デビルマン黙示録』が出てきてびっくりしました。これはオリジナルを下敷きにしているとしても他漫画家による別作品ですよね?そう言うのを一緒に説明していいものなんでしょうか?また入れるとしても、せっかく登場人物の冒頭に作中で名前が登場し…と説明しているんだからそこにもどういうものか書いておいてほしいです(一応最後の影響節やさらに下の方の派生漫画作品で書いてはありますが、そこまで読まないと素性が判らない)。--123.230.204.37 2011年5月6日 (金) 15:28 (UTC)[返信]

お返事が遅くなり恐縮ですが、なるほど、これはどうやら別項目に記しておけばよく、不要ですね。特に異論が無ければ除去でよさそうですが、いかがでしょう。--Hman会話2012年7月13日 (金) 10:01 (UTC)[返信]

ストーリー[編集]

ストーリーに書かれていた、ほとんど盗作のダイジェストを、私なりに「あらすじ」に大胆編集しました。 今後読む人のことよりも、自分が宇宙の中心の「かまってちゃん」による監修だったようなので、実害は無く百科事典としての情報の質が上がったと思いと思います。 内容を知ったかぶりしたいだけの、極端に要約しながらもディティールがリアルなダイジェストは、感動や戦慄の「体験」を単なる情報や知識に変えてしまうので原作が台無しです。 「知りたい」のでは無く「体験したい」方は原作をどうぞ。 思いも寄らない展開に疑問を抱きながらめくる次のページに展開する物は・・・ その、コマ割が生み出す、ページをめくって「おおぉぉ」という体験は、ここではは再現できません。

あのー。これじゃストーリーを説明していませんよ。よくありがちな、販促用の、さも興味を引ければそれで良い感じのあらすじになってしまっています。ウィキペディアは百科事典なのですから、終わりまで説明していいですし、むしろ冒頭部だけでは説明になりません(ネタバレは禁止されていません)。閲覧者に原著の体験を促す必要なども無いのです。数千年後のどこかの国の閲覧者に、「かつて日本にはこんな漫画が有った」と伝えるものと考えればいいんじゃないですか。相応の拘束力のあるWikipedia:あらすじの書き方でも明記されていますし、Wikipedia:ウィキプロジェクト_アニメ#あらすじでも、Wikipedia:ウィキプロジェクト_漫画#あらすじでも、そういった感じの運用が求められているのは一目瞭然です。このガイドライン等についてご不満の向きには、ガイドラインのノートページなどで改訂を提議することも、理屈の上では可能です。ただし日本語版だけがあまり独自の方針を執る訳にもいかないので、実際は難しいでしょう。--Hman会話2012年4月2日 (月) 15:28 (UTC)[返信]
すぐにお返事を頂ける状態にない様ですので、一端差し戻させて頂きます。もしご納得頂けないのでしたら、コメント依頼を募り、ウィキペディアのガイドラインに照らしてカットすべきかどうかを協議しましょう。--Hman会話2012年4月6日 (金) 03:00 (UTC)[返信]