ノート:チベット仏教

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分割提案[編集]

四大宗派に関する解説がすでに分割されているのに、ゲールク派の内部活動であるシュクデン派についての記述が突出して、分割すべき場合の「ページ中で特定の説明だけの分量が多く、明らかにバランスを失している場合」に該当すると思われます。--サンギェ・ドルジェ122.163.150.111 2009年11月2日 (月) 20:11 (UTC)[返信]

反対 分割してしまったら、シュクデン派がスタブになってしまいます。見出しをつけました--青木(おおぎ)高 2009年11月2日 (月) 20:18 (UTC)[返信]
Wikipedia:分割提案に代理掲載しました。--青木(おおぎ)高 2009年11月2日 (月) 20:40 (UTC)[返信]
賛成 シュクデン派はチベット仏教の中でもかなり特異な一派であり(新カダム派〈ニュー・カダンパ・トラディション〉にいたっては、自らはチベット仏教ではない、とすら称している)、チベット仏教の項目であまりに分量をとるのは問題と思います。スタブになったとしても、成長させていけばよいことだと思います。--218.217.18.103 2009年11月3日 (火) 14:31 (UTC)Sie[返信]
賛成 提案者です。シュクデン派のページが不十分な状態のページになってしまうとのことですが、考え方としては、シュクデン派はあくまでゲールク派内部の運動なので、ゲールク派のページに移すというのも可能かと思います。トップページにあの分量の記述があるのはどうしても不自然ですので。また、シュクデン問題についての情報源としては、http://www.dalailama.com/ にかなりの公開された情報ソースがあり、ページを書きかけの項目として徐々に成長させることも可能です。 --サンギェ・ドルジェ122.163.150.111 2009年11月3日 (火) 19:28 (UTC)[返信]
署名は正しくしましょう。Wikipedia:署名もお読みください--hyolee2/H.L.LEE 2009年11月4日 (水) 06:06 (UTC)[返信]
コメント シュクデン派はゲルク派の中から登場した運動ではありますが、現在では独立性が強くなっている(ダライ・ラマの権威を否定している、チベット仏教そのものからの離脱を表明している、など)ため、ゲルク派の項で説明するよりも独立した頁を作るのがふさわしい、と考えます。なお、私のようなログインなしの利用者の場合、Wikipedia:署名に示された通りの手順を踏むと、署名は上記のような表示となりますので、これが正しい署名方式だと理解しております。--220.145.51.67 2009年11月4日 (水) 12:48 (UTC)Sie[返信]
賛成 現在の記述は「概要」の域をこえてるので分割に賛成します。--Dalaibaatur 2009年11月4日 (水) 14:27 (UTC)[返信]
賛成 セラ寺から追放され、ゲルク派からの独立を主張しているケルサン・ギャツォ率いるNKTは、シュクデン派の中では表立って活動している特殊な事例であり、シュクデン信奉者の本体はあくまでゲルク派内部での活動であることを見逃してはならないと思います。ゲルク派信奉者や研究者の中で臭いものにフタをしたい人々が、シュクデン派がゲルク派とは全く関係のないもののような言い方をするのは、公平性を欠いたものだと思っています。今後、ダライ・ラマの英文サイトの記述をもとにシュクデン派に関する記述を充実させようとした時に、ゲルク派信奉者やシュクデン信奉者からの反対が起こり、編集合戦が起こる可能性があります。このような場合、ゲルク派のページに含めるのがよいか、新規ページを作るのがよいか、という選択肢で、Wikipedia の運営方針の観点からの意見を青木さんに伺いたいです。ところで、署名の件については、アカウントを作りました。(手続き的なことに疎くてすみません。覚えて行こうと思います)--サンギェ・ドルジェ 2009年11月4日 (水) 14:21 (UTC)[返信]
コメント 賛成票は何度も投票しないでください。議論かく乱と思われる場合があります。--青木(おおぎ)高 2009年11月4日 (水) 14:31 (UTC)[返信]
コメント 青木さん、了解です。コメントタグがあるのですね。置き換えました。ところで、前コメントでの質問についてアドヴァイスをいただければと思います。--サンギェ・ドルジェ 2009年11月4日 (水) 14:54 (UTC)[返信]
私はそれほどチベット仏教に詳しくないので、アドバイスできる立場にありません。すみません。--青木(おおぎ)高 2009年11月4日 (水) 14:57 (UTC)[返信]
コメント ここまでの議論を総合すると、シュクデン派のページを独立した項目として建てた上で「書きかけの項目」とし、ゲルク派のページからは概要レベルの記述とともにリンクを張るというのが折衷案のように思えますが、いかがでしょうか?引き続き皆さんのコメントをお待ちしています。--サンギェ・ドルジェ 2009年11月4日 (水) 15:20 (UTC)[返信]
コメント サンギェ・ドルジェ さんの2009年11月4日 (水) 15:20の「折衷案」に賛成します。--219.116.134.141 2009年11月5日 (木) 12:49 (UTC)Sie[返信]
コメント サンギェさんの折衷案に賛成--Dalaibaatur 2009年11月6日 (金) 09:07 (UTC)[返信]
コメント シュクデンのページを作る実作業に移りたいのですが手続き的なことがよくわかりません。経歴不継承ってどのような状態を指すのか?--サンギェ・ドルジェ 2009年11月28日 (土) 10:46 (UTC)[返信]
Wikipedia:ページの分割と統合#分割の手順をご覧下さい。私もできる限りお手伝いします。--青木(おおぎ)高校生 2009年11月28日 (土) 10:48 (UTC)[返信]
すみません、シュクデン派じゃなくてシュクデンですか?みなさんシュクデン派への改名に賛成したんだと思うのですが。直すのであれば移動機能をご利用ください。--青木(おおぎ)高校生 2009年11月28日 (土) 10:58 (UTC)[返信]

記事シューデン派執筆のための情報源[編集]

現状の、記事の文面と注に欠けているようなので紹介しておきます。
○ドルジェ・シューデン神の起源について

  • ウィキ英語版「Tulku Dragpa Gyaltsen」[1]
  • ドルジェ・シューデン神の起源(その2,邦文)[2]
  • 山口瑞鳳「ダライラマ五世の統治権: 活仏シムカンコンマと管領ノルブの抹殺」『東洋学報』第73巻 第3・4号(1992)

個人的には、以下のような項目をより詳しくしりたいですね。
○シューデン信仰の広まりと現状
・歴史的にシューデン神がどのように信仰されてきたか。
・ダライラマ14世による「禁止」の実体
  ダライラマ14世は、具体的には何をどう「禁止」したのか?
  亡命政府による「禁止令」のようなものが存在するなら、その文面の提示がベター。
・「禁止令?」は亡命社会とチベット本国でどのように受容されているのか
○シューデン派の創始者・発足・その後の活動
情報源ある方、追加とか執筆とか、よろしくお願いします。--Dalaibaatur 2009年11月6日 (金) 09:33 (UTC)[返信]

シュクデンの起源に関する初期の研究では、

  • Nebesky-Wojkowitz "Oracles and Demons of Tibet"

に含まれている記述が古典的な知名度をもっていますが、近年のシュクデンに関する学術的な論評はこの論文を参照しているものが多いです。Dalaibaatur さんの挙げてくださった関心のあるポイントについて詳しい記述がなされていますので、一読をお勧めいたします。

  • The Shuk-Den Affair: Origins of a Controversy By Georges Dreyfus, Williams College (1999) [3]

記事本文執筆、追々やっていこうと思っています。--サンギェ・ドルジェ 2009年11月6日 (金) 11:57 (UTC)[返信]

現時点での問題点[編集]

  • 全体的に、冗長な記述が見られたり、フラグメンテーションが起こっているなという印象を受けるので、推敲を進めて行く必要性を感じています。

また、「チベット仏教はインド直系の仏教であり北伝仏教の影響はほとんど受けていない」ですとか、「密教の性的実践への批判とカダム派・ゲルク派による改革」などの批判歴史学的観点から見るといささかイデオロギー的な印象を受けるので、公正な学術的視点からの再記述を行っていく必要があるかと思われます。チベット仏教は歴史的に、在家集団と出家者集団、中国系仏教とインド直系仏教という対立構図を常に抱えながら発展してきていますし、チベット人の語る歴史は概して自宗派のイデオロギー的に満ちたものなので、そのあたりに意識的になって議論していかないと、偏ったものになってしまうと思っています。 --サンギェ・ドルジェ 2009年11月5日 (木) 20:45 (UTC)[返信]


偽の典拠が付された記述[編集]

IP:118.19.103.223氏が2010年7月4日 (日) 09:26に投稿された文章、IP:220.214.128.138氏が2011年4月16日 (土) 12:19に投稿された文章は、refタグをつけて一見典拠があるようにみえますが、実際にその文献をあたってみると、IP氏の記述の典拠とはなっていません.そこで全文をノートに移動したうえで、記事からは削除します。IP氏またはIP氏の記述が「正しい」とお考えの方には、あらためて「典拠のページ数」、その典拠に実際に収録されている「典拠となる文章」の提示を求めます。


  1. 偽典拠を付された文章 2010年7月4日 (日) 09:26の版
  2. 偽典拠を付された文章 2011年4月16日 (土) 12:19の版

「拷問の一例」として紹介されている刑罰はIP氏が典拠として挙げた文献では、実際には国事犯に対する刑罰であり、「総本山にそむいたもの」にたいする処罰ではない。いいかえると、IP氏が挙げた文献には、IP氏の文面の典拠となるような記述はない。--Dalaibaatur 2011年1月25日 (火) 22:35 (UTC) 上記記事の初出をRyo625氏としていたのは誤りでした。お詫びして修正します。Dalaibaatur 2011年5月1日 (日) 01:33 (UTC)[返信]

記事の訂正ありがとうございます。出典及び記事の大部分は過去にどなたかが執筆されたもので、私が書き加えたのは

「このようなセクト間の権力争いは現代においても継続しており、ゲルク派保守主義の立場から、他宗派及び宗派内の穏健派に対する弾圧、暴力が現在でも行なわれるなどの例がある。上述したシュクデン崇拝問題はその一例である。僧侶同士での襲撃、暗殺なども実際に行なわれている。」

という部分です。出典が明記されていたので、自分で資料をあたることなくそのまま再録していました。 不勉強ながら勝手に記事を執筆し、不正確な記述を行ない、読者に誤解をあたえることになったかもしれません。

お詫びしますと共に、再度、記事の訂正に対しお礼を申し上げます。 --Ryo 625 2011年1月29日 (土) 20:35 (UTC)[返信]

Ryo 625さんも、2010年7月13日には、上記の偽記事を削除する編集を行っておられました。勘違いをお詫びして訂正します。Dalaibaatur 2011年5月1日 (日) 01:33 (UTC)[返信]

Dalaibaaturさんは記述が無い、と言っていますが、1904年 河口慧海『西蔵旅行記』にはしっかり記述されています。 Dalaibaaturさんの参照しているのは1994年や1983年のものをはじめ、いくつかある内容が相当簡素化されて再出版された西蔵旅行記ではありませんか?--220.214.165.219 2011年3月10日 (木) 15:21 (UTC)[返信]

あなたのご覧になっている「1904年の河口慧海『西蔵旅行記』」には「総本山にそむいた者」に対する刑罰として「しっかり記述されてい」るのですか?私の手元の版では「国事犯に対する刑罰」になっているのですが。あなたが「しっかり記述されている」と称しておられる版の出版社・発行年・問題の文章が実在するページ番号、実在する文面のご提示をよろしくどうぞ。--Dalaibaatur 2011年3月16日 (水) 04:54 (UTC)[返信]
IP氏へ。繰り返しに成りますが、典拠があると主張するなら、「典拠のページ数」、その典拠に実際に収録されている「典拠となる文章」の2点の提示を求めます。Dalaibaatur 2011年5月1日 (日) 01:33 (UTC)[返信]
IP:222.1.133.208氏が2011年6月11日 (土) 00:04に「出典と同等の内容の記述を削除する荒らし行為の差し戻し」と称して行った編集では、上記でもとめている「典拠のページ数」、その典拠に実際に収録されている「典拠となる文章」の2点の提示がなく、あいかわらず検証可能性を満たしていないので、削除いたしました。--Dalaibaatur 2011年6月10日 (金) 20:36 (UTC)[返信]

コメント 通りすがりついでにコメントします。普通宗教国家だ、国事犯≒総本山に反逆した人、なので国事犯に対する処罰として出典に書かれているなら別に虚出典にはならないんじゃないですか。言葉尻が気に入らないなら「総本山に背いたもの」というのを「国事犯」にでも差し替えればいいだけで、全体を消すのはいかがなものかと思います。Dalaibaaturさんも出典に国事犯に対する拷問として記述内容があることは確認済みなのですよね。--Kulole 2011年6月18日 (土) 18:39 (UTC)[返信]

典拠があると称しながら掲載ページを示していただけない、典拠だという文面の引用提示をもとめても応じていただけないまま、検証可能性を満たさない文章を繰り返し投稿なさるのがIP氏の問題点だと私は考えています。典拠だと称する文献を実際にご覧になっているのなら、自分の文章の典拠がその文献の何ページ目にのっているか提示したり、典拠とした文面を提示することは可能なはずです。それが行われてはじめて、問題の記述がきちんと「典拠から読み取れる情報」に基づけて記されているのか、あるいは執筆者による情報の歪曲や拡大解釈がなされているのか、IP氏の文面に対する私の「偽の典拠が付された文章」という評価が妥当かどうか、私を含むこのノートの読者のすべてが客観的に検証可能となります。
問題の記述を記事に載せたがっている人物および「別に虚出典にはならない」「全体を消すのはいかがなものかと」主張するKuloleさんには、あらためて「典拠のページ数」、その典拠に実際に収録されている「典拠となる文章」の提示を求めます。--Dalaibaatur 2011年6月19日 (日) 04:35 (UTC)[返信]
いまいち私のコメントに意味を飲み込めていないようですが、
  • 2011年1月25日のコメントで、Dalaibaaturさんは記載内容と同等の記述が国事犯に対する拷問として西蔵旅行記という文献に存在することを認めている
  • 宗教国家では、国事犯=総本山に喧嘩を売った人、と書いても別に何の誤解もない
  • 国事犯=総本山に喧嘩を売った人、というのが気に入らないならはっきり国事犯と書けばいいじゃん
というだけのことなんですけど。
この状況で記述を丸々削除するのは乱暴でしょう。
そもそもWikipedia:検証可能性は完全に満たされています。検証可能性はノートで議論するための話ではなく、記述に対して出典をつけることで、読んだ人が出典を確認し、読んだ人自身が妥当性を判断できる、ということを要求する指針ですよ。
私はわざわざ該当書物を確認する気はありませんが、Wikipedia:出典を明記するでもページ数まで要求されていないし、ノートページでも出典の記述を転写したら削除依頼の対象になります。
wikipediaのルールをもう一度よくお読みください。
--Kulole 2011年6月20日 (月) 10:37 (UTC)[返信]
「読んだ人」の一人である私が「読んだ人が出典を確認し、読んだ人自身が妥当性を判断」するために「典拠のページ数」または「典拠となる文面の引用提示」をもとめているのです。IP氏が典拠と称してあげている文献は刊行年や出版社がことなるバージョンが複数あるので。
典拠と称する文献を実際に読んでいるのなら、提示することが可能なはずです。IP氏またはIP氏の記述が「正しい」とお考えの方には、あらためて「典拠のページ数」、その典拠に実際に収録されている「典拠となる文章」の提示を求めます。--Dalaibaatur 2011年6月27日 (月) 06:56 (UTC)[返信]
あなたが私の主張をあえて誤って解釈しているのか本当に理解できていないのかわかりませんが、あなたは2011年1月25日 (火) 22:35 (UTC)の投稿で、このページに書かれていた記述内容と同等の内容が国事犯に対するものとして出典に記述されているのをみとめていますよね。
にもかかわらず、国事犯、総本山に背いた人、という些細な違いはあっても、出典の内容から大きく逸れているわけでもない記述を、偽出典だ、と言い張って全削除するのは中立性に欠けるといってるんですけど。
小差を論って記述を削除したい理由でもあるんでしょうか?
私としてはwikipediaのルールに照らし合わせてちょっとしたコメントを挟んだだけなのに、こんなイチャモン紛いの意見を吹っかけられるのは大変遺憾なのですが。--Kulole 2011年6月27日 (月) 13:40 (UTC)[返信]
>出典の内容から大きく逸れているわけでもない記述
であるかどうかを、私自身でたしかめたいので、IP氏に、典拠だと称する文献の何ページに記載されているのかを質問しています。
Kuloleは、「出典の内容から大きく逸れているわけでもない記述」と断言していますが、IP氏は典拠だと称する文献の掲載ページを示していません。Kulole さんはどうやって「出典の内容」をたしかめることができたのでしょう。不思議ですね。
IP氏およびKuloleさんの「国事犯」と「総本山」についての不思議理解っぷりについては、次節でチベットの実情に基づいて具体的に指摘しておりますが、国家が反逆罪を犯した大臣を処罰するという記述は、「総本山に背いた僧侶に対する総本山による処罰」の記述の典拠にはなりません。IP氏の文章は典拠のない文章であり、さらにはより悪質な偽の典拠を付した文章ということになります。そのような文章を全面的に削除しても、まったく問題ありません。
大臣やその奥方についての記述を僧侶に対する記述だと強弁するIP氏およびKulole の主張にはまったく同意できません。
小差を論って記述を削除したい理由でもあるんでしょうか?
「小差」どころか全文が完全無欠にデタラメなので全文削除なのです。--Dalaibaatur 2011年7月8日 (金) 07:24 (UTC)[返信]
この件については、Dalaibaaturさんの発言以後、反論無し&主反論者が不適切行為によりブロックされたことにより、Dalaibaaturさんの最終発言が現合意事項とみなされます。それを単純差し戻しする行為が続きましたので、合意事項軽視行為として対応いたしました。なお、この件についてIPアカウントで発言がありましても、ブロック破りアカウントとみなされる可能性がありますので、ご注意ください。--Los688会話2012年11月5日 (月) 13:58 (UTC)[返信]

一部記述について[編集]

また、オウム真理教などの、仏教系新宗教から多額の献金を受領していた事などから、チベット仏教の誤ったイメージが広まった。しかしチベット亡命政府樹立以降の積極的なチベット仏教側の情報開示、また、学者や正統的な僧侶によって一般向けの講習会も開かれるなどして、理解が深まりつつある。

チベット仏教絡みのページには上のような記述が散見されるのですが、具体的に何が誤ったイメージで、何の理解が深まっているんでしょうか?またその根拠は何でしょう?--Kulole 2011年6月18日 (土) 18:32 (UTC)[返信]

Kulole さんの奇妙な主張[編集]

Kulole さんが

>普通宗教国家だ、国事犯≒総本山に反逆した人、なので(2011年6月18日 (土) 18:39 (UTC)
>宗教国家では、国事犯=総本山に喧嘩を売った人、と書いても別に何の誤解もない(2011年6月20日 (月) 10:37 )
>国事犯=総本山に喧嘩を売った人、というのが気に入らないならはっきり国事犯と書けばいいじゃん( 2011年6月20日 (月) 10:37 (UTC))
>国事犯、総本山に背いた人、という些細な違い(2011年6月27日 (月) 13:40 (UTC))

と奇妙な主張を繰り返し記入しておられますが、チベットにはあてはまりませんので指摘しておきます。 チベット仏教には4大宗派があります。

  1. ゲルク派
  2. サキャ派
  3. カギュ派
  4. ニンマ派

ゲルクを除くみっつの宗派は、さらに細かい分派にわかれています。IP氏は、河口慧海西川一三木村肥佐男らの著作を自分の文章の典拠だと主張していますが、この三人がチベットを旅した20世紀の初頭から中頃にかけてのチベットには、宗派を越えた単一の「総本山」などありません。それぞれの宗派や分派ごとに総本山がありました。また彼らがチベットを訪問した時のチベット政府は1642年から1959年までラサに本拠地をおいていたチベット政府ガンデンポタン」で、4大宗派やその分派とはまったく別組織です。--Dalaibaatur 2011年6月19日 (日) 09:03 (UTC)--Dalaibaatur 2011年6月28日 (火) 14:47 (UTC)[返信]

報告'Kuloleは不正アカウントの使用により無期限のブロックとなりました(Wikipedia:投稿ブロック依頼/Truesight)'。いろんなところで問題を起こしているようです。--124.26.52.96 2011年12月26日 (月) 15:43 (UTC)[返信]