ノート:ダライ・ラマ/河口慧海
河口慧海
[編集] 『チベット旅行記』(三),講談社学術文庫265、(1978)より
今より四百年ばかり以前にゲンズン・ズプという人があった。そのゲンズン・ズプは新教派の開山のジェ・ゾンカーワの弟子であるが、このゲンズン・ズプが逝れる自分に、乃公は今度どこそこに生まれて来るといったそうです。ところがその名指しした場所に生まれた者があって、生まれて暫くすると自分の寺に帰りたいと言い出した。
その寺とはどこかと聞くと、タシ・ルフンプー寺であるといったそうです。してみればゲンズン・ズプの生まれ変わりに違いない、なぜならば遺言とその子供の言うことが一致して居るから、というて連れて来て育てることになり、だんだん生い育ったところでそれが第二の法王になられた。その方が死なれて第三代、第四代まで非常に確実な世であったです。(中略)第五代の法王はンガクワン・ギャムツォ(言力海)という方で、(中略)つまりこの法王からしていよいよ政教一致ということになったからです。この法王まではいわゆる宗教ばかりの法王であって少しも政治を執らなかった。(pp.175-176)
『チベット旅行記』(四)講談社学術文庫266、(1978)より
しからば法王は俗人であるかというに決して俗人でない。妻君もなければまた酒も飲まずしてちゃんと小乗の比丘の守るべき事を守って居らるればこそ、セラあるいはレブンあるいはガンデンというような大きな寺の僧侶がみなこの法王の具足戒を受けるのです。(pp.50-51)
『チベット旅行記』(四)講談社学術文庫266、(1978)より
チベットの最高僧を師とす
ところがここに最もよい教師というのは前大蔵大臣の兄さんでチー・リンポチェという方がある。これは父違いの兄さんでシナ人のお子だそうです。このチー・リンポチェはやはりセラ出身の方で七歳位から僧侶になられたそうですが、この時には六十七歳であって、その前年にガンデンのチー・リンポチェというチベット最高等の僧の位に就かれた。このチー・リンポチェという意味は坐台宝という意味で、新教派の開山ジェ・ゾンカーワの坐られた坐台がガンデンという寺にある。その坐台へ坐ることの出来るのはチベットでただ二人。それは法王とそのチー・リンポチェとである。しかし法王は常に其坐に坐れる訳じゃない。チー・リンポチェはガンデンに住んで居れば〔法式の時は〕いつもその坐に坐られるのです。
で法王は生まれながらにしてその位置を占めて居るのですが、このチー・リンポチェは仏学を学んで博士となった後に、ほとんど三十年も秘密部の修行をしなければならん。修学というよりむしろ修行である。その修行の功徳を積み学識と徳行との二つが円満に成り立ったところで、チベットではこの人よりほかにこの坐台に坐るべき方はないという高僧になって始めて、法王の招待によってこの位に就かれるのです。けれども屠者、鍛冶屋、漁師、番太の子供はその位につくことはもちろん出来ない。普通人民の子供でありさえすれば、誰でも五、六十年の修行を重ねて学徳兼備の高僧となればこの位に就くことが出来るです。(p.86)