ノート:ダライ・ラマ/スムパケンポ

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スムパケンポ『パクサム・ジョンサン』の記述[編集]

スムパケンポ『パクサム・ジョンサン』は、1747年に成立したチベット仏教史のひとつ。 以下のテキストが公刊されている。

  • sum pa ye shes dpal 'byor, chos 'byung dpag msam ljon bzang, ken su'u mi rig dpe skurn khang, 1992(松巴堪欽『松巴佛教史』甘民族出版社, ISBN 7-5424-0085-8
  • 蒲文成・才譲訳『如意宝樹史』甘粛民族出版社, 1994, p.467

歴代デプン寺座主の項で、歴代のダライラマについて詳細な記述がある。

(原文)de rjes rgyal dbang lnga pa blo bzang rgya mtsho ste/(中略)dgung lo drug steng 'bras spungs su byon nas paN chen rin po che la gtsug phud phul te se 'bras kyi khrir phebs/ brgyad steng yang de nyid las dge tshul dang nyer gnyis steng bsnyen rdzogs kyi sdom pa smad 'bul rgyun ltar bzhes te bstan pa bdag por gyur/ (中略)yang khong bod kyi spyi bla chen por song gshsi phyogs ris med par (中略) p.588
(和訳)そのあとは、勝自在5世ロサンギャムツォで、(家系についての記述,中略)、御年6歳にデプン寺にいらっしゃって、パンチェン・リンポチェに「はじめての髪」を献じて、セラ・デプンの法座にお就きになった。8歳で沙弥戒を受け、22歳で比丘戒は低地率の伝承を承けて、「宗教の長」となった。(中略)また、彼は「チベットの全宗派の大ラマ」であるので、宗派をとわずに、(以下、諸宗派の様々な宗教家たちと、かれら一人一人から受け継いだ教えの名称を列挙)。
継為第五世達頼洛桑嘉措。(中略)年六歳時, 入哲蛙寺, 向班禅活仏献出髪新, 登色拉、哲蛙寺法座。八歳従班禅承沙弥戒, 二十二歳時, 按"下律伝承"比丘戒, 成為教法之主。(中略)雖身為全藏区的大教主, 但無門派之見, (後略)

・ダライラマ5世より以前の座主たちに対しては、ダライラマ2、3、4世を含め、「宗教の長」とは呼んでいない ・ダライラマ五世につづくツァンヤンギャムツォとイェシェギャムツォの二人の座主は、いずれもダライラマとして即位し、10数年の在位ののち廃位させらた人物(後ツァンヤンギャムツォが正式の6世、イェシェギャムツォが偽の六世と位置づけられた)だが、スムパケンポはこのふたりのいずれに大しても、ダライラマをさす「勝自在(rgyal dbang)」とはよばず、「宗教の長」とも呼んでいない ・七世ケサンギャムツォの記述は、以下のとおり

bod spyi'i mgon dam pa yin kyang da ltar gtso bor dge ldan pa'i bstan pa'i bdag po mdzad de 'gro kun rdzogs ldan gsar ba'i dga' ston la bkod bzhin du bzhugs pa 'di yin la/ p,591
彼は全チベットの聖なる保護者であるが、いまは主としてゲルク派の「教えの長」をなさって、一切の生き物たちが「ゾクデンの新しい宴」(?)にいることができるようにしている(?)
他是全藏区的救主聖士, 現主要以格魯派教主身份, 正式為安置一切衆生于圓劫新宴而精進不懈。(p.469)