ノート:スヴャトスラフ・リヒテル

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リバートについて[編集]

Dr jimmy氏によるこの編集をリバートしました。「日本の音楽ファンにもなじみ深い存在となった」はベートーヴェンの「テンペスト」の録音(日本盤、企画品番: TOCE-13035)のライナーノートに記載されている大木正純氏による解説を参考に記したものです。「ファンをがっかりさせた」は私がこの項目の編集に関わるようになる以前からあった記述だと記憶しますが、そもそも世界的なヴィルトゥオーソのリサイタルがキャンセルになればファンががっかりするのは自明のことですし、今手許にあるソフィア・リサイタルの録音(海外盤、企画品番: 420 774-2)のライナーノート(Uwe Kraemer氏による独語解説のMiriam Verhey-Lewis氏による英訳)にも同様の記述があるのを確認できます。したがって削除の必要のない記述ですので復帰致しました。--sergei 2009年12月29日 (火) 14:51 (UTC)[返信]

信頼できる情報源に基づいて記述されたものであることについては了解いたしました。ただ、そうであれば、リバートをするのではなく、出典を明記して復帰するのがルールではないでしょうか。速やかに追記して下さいますよう、お願いします。--Dr.Jimmy 2009年12月30日 (水) 01:08 (UTC)[返信]

昨日のこの編集ですが、上部雑音についての記述は私が編集に関わるようになる前からあった記述なのでわかりませんが、ほかは全て典拠のある事実です。作業は年明けにでも行いますので、それまで削除しないように。

ところで、この項目にある記述の中で私が最も怪しいと考えているのは、ボリス・パステルナークが「リヒテルの才能の大きさを目の当たりにした」ために音楽家の道を断念したという部分です。ボリス・パステルナークは1890年の生まれで、リヒテルよりも25も年上になります。リヒテルが生まれる1年前には『雲の中の双生児』という処女詩集を出版しており、この頃にはすでに文学を本業としていく決意を固めていたものと思われます。

昨年末に大幅改稿に取り組んだ際にはWikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいの精神に則って取り敢えずそのままにしておいたのですが、いずれ何とかしなければと思っていたものです。このたび削除や出典要請をした人たちがどうしてこの記述をそのまま放置したのか、極めて疑問に思います。この方たちは本当にリヒテルのことをよくご存知なのでしょうか? --sergei 2009年12月31日 (木) 06:17 (UTC)[返信]

「それまで削除しないように。」って・・・そういう言い方はないでしょう。上で申したことはご理解いただけていないようで、非常に残念です。それから、ボリス・パステルナーク云々の部分は、気がついた人が確認なり修正なりすればよいでしょう。様々な知識や観点を持った編集者が、それぞれできる範囲で編集を行うのがWikipediaであって、まるで「パステルナーク云々の箇所に疑問を持たないような編集者は、この記事をさわるな」とでも受け取れるような発言の方に、むしろ極めて疑問に思います。--Dr.Jimmy 2010年1月3日 (日) 02:56 (UTC)[返信]
コメント出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります
Dr jimmyさんの除去方法は、ノートでの説明がないので最適ではなかったかもしれませんが、そもそも今回は、記述の際に出典を示さなかった為に、執筆者の主観に見える事が原因です。
また、出典を示さない事は、著作権法的にも問題があります。
Wikipedia:出典を明記するをご一読下さい。-- 2010年1月11日 (月) 15:52 (UTC)[返信]
出典はすでにこの場において示しています。私はたかだか「ファンをがっかりさせた」という自明な事実の記載を復帰させるためにわざわざ本文にまで出典を記す必要はないと考えたのでそのままリバートしたのですが、本文にも明記するべきだと考えるなら、そう考える人が行えばよろしいのでは? すでに資料は教えて上げているのですから。
私は基となる資料を参考にはしましたが丸写ししたわけではないので、著作権法は関係ないと思いますが。著作権法は著作物の表現を保護するもので内容を保護するものではないと理解していますが、違うでしょうか? --sergei 2010年1月11日 (月) 16:08 (UTC)[返信]
(追記)多分誤解されているので少し補足しておきますが、上の2009年12月31日 (木) 06:17 (UTC) の発言の第一段落は主に出典要請等を行ったWikied氏に宛てたものです。自分の考えではDr.Jimmyさんが削除した箇所にはノートで出典を示すだけで十分だと思っています。まあほかの部分を加筆する序でにでもやっておこうかとは思っていますが。
どうせこのノートに何か記すんだったら、上で指摘しているパステルナークに関する情報でも寄せてもらえないでしょうかね? でなければサーバ・リソースの無駄でしかないと思うのですが。--sergei 2010年1月11日 (月) 16:21 (UTC)[返信]
「たかだか」「自明な事実の記載」「ノートで出典を示すだけで十分」っての見て思ったんだけど、ファンと言うのはあくまで不特定多数の集団なんですよ。極端な例を言えば、「日本人は米国が好きだ」って記述するのと全く同じで。つまりWikipedia:言葉を濁さないに反する。だから、そう記述したい場合には、○○は「日本人は米国が好きだ」と評しているみたいな形にしないといけない。世間一般、常識的に考えて自明なことなら出典を一々つける必要は無いけど、ファン(あるいはそれに類する狭い範囲の集団)にとっての自明なことなんて、自明な事実とは言い難い。その辺のズレじゃないかな。
ファンの意見とかって、その集団に属する人間から見れば当たり前のことなんだけど、これって単なる事実として証明できるような物じゃないんですよ。「○○はXXと言ってる」とかなら証明できるんだけどね。出典は示したから必要があると思う人が書け、とかそう言うレベル以前の問題として、「ファンの意見」などという曖昧な物を、証明を必要としない確固とした事実と断定してしまう所に問題があると思います。
Dr jimmy氏については、「思うところがある」って言ったように、私もフィクション分野でしばしば、それを知っている人間なら自明なこと、当たり前のことを除去されてきたから、気持ちはわかるんだけどね、、でも、気持ちの問題と、是非は全く別物なんだ。素直に問題を認識して、出典付けて記述を復帰させるのが最も賢い方法だと思ってます。--EULE 2010年1月16日 (土) 03:37 (UTC)[返信]
(追記)そもそも「出典を必要としない自明な情報」の、自明とは、ウィキペディアを見る人にとって自明なことであり、その情報を発した者、対象にとって自明なことではないです。--EULE 2010年1月16日 (土) 03:46 (UTC)[返信]
後でいろいろまとめてコメントするつもりなんだけど取り敢えず少しだけ。
常識的な日本語解釈では、音楽家のファンというのはコンサートやレコード、CDなどで演奏を聴くことを楽しみにし、それができなくなった場合にがっかりする人たちのことを指します。ですからコンサートが頻繁にキャンセルになってファンががっかりするというのは、「ファン」という言葉の定義そのものに含まれていることです。例えば私はマイケル・ジャクソンの音楽のよさが全く理解できないのですが、彼が亡くなってファンがとても悲しんでいるということは、私を含めてファンでない人にとっても明らかな事実です。
ただし、文章表現の方法論としてそのような自明な事実にわざわざ言及する必要があるのか、ということには議論の余地があるでしょう。このケースでは言及した方が望ましいと考える根拠として資料を提示しましたが、そうした文章表現の方法論の根拠として使用しただけの資料を本文中に記載する必要があるとは考えませんので、自分では記載しませんでした。
かつてボブ・ディランがエレキギターを抱えてステージに立った時、ファンはとてもがっかりしたのですが、そのことは当時のファンが彼にどのようなことを求めていたのかを知らないと理解できないことで、ファンでない人や当時を知らない若いファンにとっては明らかな事実ではないでしょう。ウィキペディアを見る人にとって自明でないことというのは、こうしたことをいうのだと思います。--sergei 2010年1月16日 (土) 12:20 (UTC)[返信]
なるほど。じゃあ、私から言えることはとてもシンプルで「自明な事実をわざわざ言及する必要は無い」です。普通、自明な事実にわざわざ言及するということは、それが必要な要素であることを強調します。当たり前ですね。無論、氏がそのことを既に言っていることも理解してます。なら、次に重要なのは、それが何故、必要であるか(何故、言及されたか)を示す必要があるんですよ。例えば、がっかりしたファンがCD叩き割って本人に送りつけたとか、何かそういう有名なエピソードにでも続いていれば、そういうエピソードを説明するための重要な要素として言及していれば、問題は無いです。でも、どうやらこのノートで示したという出典を見ても「単にそういう記述があったから」程度の話みたいですし、これを除去されて、ここまで問題視されたのは正直、理解できかねます。
正直、前回の発言は忘れてください。恥ずかしい。私が想定していた以前の問題でした。--EULE 2010年1月16日 (土) 12:45 (UTC)[返信]

加筆・修正を行いました。ほとんどの記述はCDのライナーが情報源で、本当はモンサンジョンあたりを読み込んで書いた方がいいんでしょうけど、まあ取り敢えずこれで勘弁して下さい。上で提示したのと一つは異なる資料を用いました。それから上部雑音の件に加え、弟子入りを断った際のエピソードも自分が書いたものではないので情報の出所がわかりません。

パステルナークの件は、リヒテルの才能を目の当たりにして音楽の道を断念したという部分はやはり怪しいので削除しました。上の説明に加えていうと、パステルナークはスクリャービンに師事していますのでスクリャービンの才能を目の当たりにして音楽の道を断念したという可能性はかなり高いと思いますが、そのスクリャービンはリヒテルの生まれた一月後に他界していますので、パステルナークの進路決定の過程にリヒテルが関与し得る余地はほとんどなかったと思われます。さらにいうと、リヒテルとパステルナークの交流が始まったのはおそらく早くてもリヒテルがモスクワ音楽院に入学した1937年以降のはずで、一方ボリス・パステルナークによると彼は1930年代にはソ連政府によって活動を制限されていたとのことなので、その頃にはすでに文学者としての名声がソ連政府にとっても無視できない存在にまで高まっていたとみていいでしょう。

その代わりにリヒテルがパステルナークの葬儀で演奏したというのはどうも確からしいので、このことを書き加えておきました。出典は英語版にあったもので、閲覧に課金されるため自分では確認していないのですが、取り敢えず英語版の編集者を信用しておくことにします。

この項目の以前の状態は確かに出典が十分とはいえませんでした。ですからそれを指摘するのは構わないのですが、この項目の品質向上を目的として行うのなら、それなりのやり方があるはずです。独自研究の除去を目的としているのなら記述の中身を判断した上で行ってもらいたいもので、2009年12月29日04:01 (UTC) のわずか1分のうちに同じ内容の編集を3件も行っているのを見れば、単なる言葉狩りとしか受け取ることができません。「ファンをがっかりさせた」という語句のみを問題として削除したり出典を要求したりするというのは、この項目全体を見れば瑣末なことに過ぎません。「ファンをがっかりさせた」という事実は「頻繁にコンサートをキャンセルし」たことと「ファン」という言葉の定義から直ちに導かれる帰結です。出典の記載が望まれるのは、「ファンをがっかりさせた」の部分に対してではなく、むしろその前段の「頻繁にコンサートをキャンセルし」の部分に対してだったはずです(今回私が出典を記載したのはそうした趣旨によるものです)。例えばこの編集にしたところで、「とてもプロの仕事とは思えない出来であり」という部分に出典がないのに「ファンをがっかりさせた」という語句だけ除去しても独自研究が解消されたことにはならないはずです。

それから、Wikiedさんの編集はいろんな項目で目にするのですが、項目全体の記述の中からどうしてその部分を選んで出典を要求しているのかがよくわからず、かねてから私はWikiedさんは内容をよく理解せずに行っているのではないかと疑念を抱いていました。今回の編集でその疑念は決定的になりました。音楽分野を主な活動領域とする人がパステルナークについてよく知らないとしてもそれは仕方のないことですが(私自身もあまり詳しくありません)、ロシアの音楽家の項目の編集に手を出そうとする人が、スクリャービンとリヒテルという世代の異なる音楽家二人の名前が並んで記されていることに何の疑問も抱かなかったのだとすれば、それは看過できることではないと思います。今回の編集がどのような意図によるものだったのかよくわかりませんが、信憑性に疑義があると思った記述を選んで出典を要求したつもりだったのなら自らの不明を恥じるべきだし、よくわからないけど全体に出典が足りていないと思って適当に場所を選んで要求したのなら、そんないい加減なやり方をせず{{出典の明記}}を一つだけ貼って出典を要請する意図をノートで説明するべきです。

なお、2008年末に私が行った大幅な改稿はほぼ全面的な書き換えに近いものでしたが、それ以前にあった記述で現在も残っているもののほとんどは、現在無期限ブロックされている利用者によるものです。無期限ブロックされるような人が書いた記述だから信用できないと見なすか、曲がりなりにもプロの音楽家なのだから(いや、それも自称に過ぎないという見方もあるでしょうが)それなりに価値のある記述かも知れないと考えるかは悩むところです。パステルナークの件が誤りだった可能性が高いことを考えれば除去した方がよさそうにも思えます。没後に残されたというショパンの作品10の4の練習曲のビデオにしても、私はそれがどのようなものであるのか確認できていません。確か彼はロシアの若手作曲家などと交流があるというようなことをどこかで述べていたので、あるいはもしかすると一般に市販されているものではなく彼が個人的なつてを頼って入手したものである可能性もあります。

このようにいろいろと悩むべきことが多いので他の利用者に協力してもらえるのならそれは大変有り難いのですが、そういう問題点を解決する意志も能力もなさそうな人にノートに何の説明もなく本文をいじくり回されるのは、正直いい気分がしません。もちろん、百科事典というものはある事柄についてよく知らない人が詳しく知りたいと思った時に利用するものですから、よく知らない人の立場からみて内容がわかりにくかった場合に改善すべき点を指摘してもらうのは結構なことなのですが、それには相応しいやり方というものがあるはずです。執筆者への嫌がらせを目的にしてやっているのでないのなら、もっと執筆者が気持ちよく対応できるようなやり方を工夫していただきたいものです。--sergei 2010年1月22日 (金) 17:00 (UTC)[返信]

◆典拠の不明な不確かな記述を削除しました。私はWikipedia:編集方針の「他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」という規定を割りと重視しているのですが、本件に関しては残しておかない方がいいと判断しました。--sergei 2010年2月8日 (月) 13:36 (UTC)[返信]