ノート:シュヴァーベン大公

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シュヴァーベン大公という表示は正確ではないのではないでしょうか?普通に「シュヴァーベン公」とするのが適切かと思うのです。また、大公であった場合、いつ大公となったのかも記載すべきではないかと思うのですがいかがでしょうか。私の方で調べがついたら、訂正しようと思っています。

シュヴァーベン大公のはじまり[編集]

歴史の項の最初、「シュヴァーベン大公は916年頃、ドイツ王ハインリヒ1世(捕鳥王)が在地貴族のブルヒャルト2世をシュヴァーベン大公に任命して始まった」となっていましたが、916年はまだコンラート1世の在位中です。「瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年」p.64,65からは、確かに916年以降シュヴァーベン宮中伯エルハンガーとコンラート1世が対立し、917年1月にエルハンガーをコンラート1世が処刑したのち、ブルヒャルト(2世)がシュヴァーベン大公になったと読み取れるので、ブルヒャルトがシュヴァーベンを手に入れた時期は916年もしくは917年で良いのだと思います。ただ、前述文献p.64からはブルヒャルトとコンラートはもともと対立関係にあったようで、この時期のブルヒャルトはコンラートの正式な任命と読み取ることもできません。ただ、ブルヒャルト2世は919年のハインリヒ1世によるシュヴァーベン制圧のあとは、ハインリヒ1世に従っているため、あとに続く文をハインリヒ1世による任命(あるいは追認)の理由となるよう、手直しをさせていただきます。もし、そのあたりをもう少し詳しくご存じの方がいらっしゃいましたら、加筆訂正をお願いいたします。ちなみに、上述の「大公」「公」の表記の違いは単なる翻訳の違いで、いつまでが「大公」で、いつからが「公」ということはなさそうで、バイエルン大公には最初に触れられています。--Jun324会話2015年2月21日 (土) 02:42 (UTC)[返信]