ノート:シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ

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普通、辞書や論文などでは「イルトゥト(ゥ)ミシュ」(iltutmish)と綴られていると思うのですが、インド側で書かれた史料では「イルトゥミシュ」(iltmish)と綴られるのが一般的だったんでしょうか? アラビア語版ではإلتمشとしていますが、ウルドゥー語版ではالتتمش、同じくスウェーデン語版と英語版ではIltutmish/Shams-ud-din Iltutmish となっていて「イルトゥトゥミシュ」の方を採っているようではありますが。

もう一点。冒頭で「イルトゥトゥミシュ」を「テュルク語で「威霊を得た者」という意味」としていますが、 古ウイグル語をはじめとするテュルク語で「イル・トゥトミシュ」(il tutmïš)は「国(il)を保てし(tutmïš)」という意味になるはずですので、「威霊を得た者」というのは誤りだと思うのですが・・・ Haydar 2007年3月1日 (木) 11:00 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

この人物の表記について、

  • イレトゥミシュ(32頁に掲載されている系図にはイルトゥトミシュの表記を括弧付で併記):佐藤正哲、中里成章、水島司『ムガル帝国から英領インドへ』(世界の歴史14, 中央公論社, 1998年)
  • イルトゥートゥミシュ:サティーシュ・チャンドラ『中世インドの歴史』(小名康之、長島弘訳, 山川出版社, 1999年)
  • イルトゥトゥミッシュ:辛島昇編『南アジア史』(2004年)
  • イルトゥトゥミシュ:荒松雄『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』(未來社, 2006年)
  • イルトゥトゥミシュ:小谷汪之編『南アジア史 2』収録(世界歴史体系, 山川出版社, 2007年)
  • イルトゥトゥミシュ:フランシス・ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』(小名康之監修, 創元社, 2009年)
  • イルトゥトミシュ:小名康之 「奴隷王朝」『南アジアを知る事典』収録(平凡社, 2002年)
  • 「ドーソン原文ではイレトミシュとあるが、イルトトミシュと読む。」:C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』4巻・注釈、5頁(佐口透訳注,東洋文庫, 平凡社, 1973年)
  • ラルミシュ:イブン・バットゥータ『大旅行記』4巻・本文、357頁(家島彦一訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1999年)
  • イーレトミシュ:イブン・バットゥータ『大旅行記』4巻・注釈、399頁(家島彦一訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1999年)
  • イルトゥミシュ:『蒼き狼と白き牝鹿』(コーエーより発売された歴史シミュレーションゲーム)

と、インド史に関する学術書、事典では「イルトゥト(ゥ)ミシュ」(Iltutmish)が最も多く、次いで「イ(ー)レトゥミシュ」の表記が使われています。 2週間以内に反対が無ければ、挙げた資料の中で一番多く使われている表記に従って記事名を「シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ」に変更したいと思います。いかがでしょうか?--オオミズナギドリ 2011年12月17日 (土) 11:37 (UTC)[返信]

改名案に賛成します。
自分も調べ切れている訳ではありませんが、「イルトゥトミシュ」の呼称については長らく議論になっていたようで、荒松雄先生が『インド史におけるイスラム聖廟 --宗教権威と支配権力--』(東京大学出版会、 1977年)の36-37頁、注(4)で解説されているとおり、イルトゥトミシュ存命時代前後に作られたクトゥブ・ミナールアジメールのモスクなどの刻文資料でも既に表記にぶれがあるそうで、例えばクトゥブ・ミナールの同じ刻文内でも「イルトゥトミシュ( التتمش Iltutmish)」や「イルトゥミシュ/イレトゥミシュ」( التمش Iltmish/Iletmish)といった具合に ت -t- がひとつになったりふたつになったりしているようです。
また、奴隷王朝(後期)の同時代資料と言えるジューズジャーニーの『ナースィル史話』(Ṭabaqāt-i Nāṣirī)といった歴史書でも、1881年に Major H. G. Raverty が出版した英訳本では I-yal-timish としてはいますが、脚注では ايلتميش I-yal-timiīsh や ايلتتمش I-yal-titmish といったように原典でも表記にぶれがあったことを説明しています(vol. 1, p.597)。同じく半世紀程前に ʿAbd al-Ḥayy Ḥabībī が出した校訂本では التتمش(Iltutmish)で表記をほぼ統一していますが脚注での指摘によれば写本原本では ايلتمش Īltumish/Iyaltamish だったり التمش (Iltmish/Iletmish)だったりと場所場所によって表記にぶれが生じているようです。
1950年にトルコの研究者ヒクメト・バユル Hikmet Bayur という人が Iletmiş/Iletmish(イレトゥミシュ) という発音であったという説を唱えて、他の研究者からも賛同がいくつかあったとのことです。荒先生自身はヒクメト・バユル氏の説に説得力があると感じて「イレトゥミシュ」にして来たようですが、インド現地の刻文資料などでの表記のぶれを実見して以降はいずれの読みが正しいのか決めかねていると同書(1977年)では述べておりまして、同書での表記については今までの先生自身が使って来られた「イレトゥミシュ」Iletmish をそのまま利用して、結論は招来に残したい、と文を結んでおられるようです。
その後の荒先生の見解はどうなったかはまだ調べ尽くしていませんが、近年の論文や辞書類での表記は「イルトゥトゥミシュ」系のものでほぼ統一されているようですので、研究者の間ではなんらかのコンセンサスが得られているのかも知れません。(イスラーム百科事典を見ましたら、Simon Digbyという研究者が "Iletmish or Iltutmish?" というそのものズバリといった感じの論文をものしているようですが、自分はまだ確認出来ていません。(Simon Digby, 'Iletmish or Iltutmish? A reconsideration of the name of the Dehi Sultan', Iran 8 (1970), 57-64) --Haydar 2011年12月23日 (金) 21:38 (UTC)[返信]
名前の表記についての補足と例示にお礼を申し上げます。本文の加筆を行うにあたって、「名前の表記は刻文と史書内でも一定していない」という旨の文を加えるとともに、上記での指摘に従って「テュルク語で「威霊を得た者」という意味である」という一文の削除を考えています。--オオミズナギドリ 2011年12月31日 (土) 17:26 (UTC)[返信]

反対意見が出なかったので移動を行いました。--オオミズナギドリ 2011年12月31日 (土) 17:26 (UTC)[返信]