ノート:シャクシャイン

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シャクシャインの乱への統合の提案[編集]

記事内容を拝見しましたが、シャクシャインの乱に書いてある内容と大差ないように思えます。シャクシャインの乱の方が若干詳しく書かれておりますし、人物だけを分けておく必要はないかと思います。リダイレクトも検討してください。--山稜ふいご 2006年10月20日 (金) 02:15 (UTC)[返信]

シャクシャインの乱とシャクシャインは統合する必要はないと思います。もし、統合するのであればコシャマインの乱コシャマインについても統合を検討する必要があると思います--腹黒権兵衛 2006年10月25日 (水) 17:23 (UTC)[返信]
おそらく山稜ふいごさんは、分量的問題から統合を提案なさっているものと思います。という前提での話ですが、私としては迷うところです。理想をいえば双方充実してほしいところですが…。S kitahashi(Plé)2006年10月25日 (水) 18:56 (UTC)[返信]
では、双方を充実されるという方向で進めるということでよいのではないでしょうか?山稜ふいごさんの意見を求めます。--腹黒権兵衛 2006年10月26日 (木) 02:39 (UTC)[返信]

インデント戻します。現状の記事内容では大部分が同じことを記述しているのに過ぎませんので統合の提案をさせていただきました。たまたまこちらの項目が目に留まりましたが、コシャマインの戦いなどアイヌ関連の歴史だけでなく、同様の項目についても統合の提案させていただくこともあるかもしれません。シャクシャインの戦いを読んで、その関連項目として興味を持ったシャクシャインをクリックして、そこで表示される内容が今読んだシャクシャインの戦いとほとんど変わらなかったらクリックする意味はありませんよね。そういうことなんです。しかし逆に、シャクシャインの項がシャクシャイン本人について、シャクシャインの乱の項がその歴史的事柄についてと、記事の上で双方各々が独立した記事として意味のある充実された内容でしたらそれが一番望ましいことですので、もちろん統合の提案は取り下げいたします(どなたか判断されてそのようでしたらテンプレートを外していただいても異論はありません)。これ以上の加筆ができれば自分でも充実させるところですが、残念ながら私自身には双方について、ここに記述されている以上の知識を持ち合わせておりませんので悔しくもあります。--山稜ふいご 2006年11月3日 (金) 10:24 (UTC)[返信]

このページと「オニビシ (アイヌ)」「バラヤケ」「マカノスケ」について、「シャクシャインの戦い」への統合を提案します。いずれも「1つのページ中で一緒に解説すべきにも関わらず、必要以上に細切れにされてページが作られている場合」に該当すると思われるためです。--Syamoriwka 2011年6月20日 (月) 05:55 (UTC)[返信]

逆に「シャクシャイン」に統合するということも可能と思います。「シャクシャインの『戦い』」なのか『乱』なのか、呼び名は色々ありまして、「シャクシャイン」であればそのような表記の揺れはなく、統合には適していると思います。--零細系統保護協会 2011年6月30日 (木) 10:11 (UTC)[返信]
コメント頂きありがとうございます。内容的にも「シャクシャイン」のページに統合した方が良いかもしれません。異論がなければ、来週末頃の統合を予定しております。--Syamoriwka 2011年7月1日 (金) 12:27 (UTC)[返信]
作業が遅れてしまい失礼いたしました。今週末頃の統合を予定しております。--Syamoriwka 2011年7月19日 (火) 15:06 (UTC)[返信]

「シャクシャインの戦い」と「オニビシ」「バラヤケ」「マカノスケ」の統合はおかしいと思います。 それは「関ヶ原の戦い」に「石田三成」や「徳川家康」を統合しようというのと同じなのでは? 「シャクシャインの戦い」以前に「オニビシ」との抗争があったことや、「シャクシャインの戦い」に「バラヤケ」「マカノスケ」などが参加したことのみを簡潔に記述して、「オニビシ」「バラヤケ」「マカノスケ」は独立した項目として存続させるのが適当だと思います。--ezozinn 2011年7月27日 (水)

コメント頂きありがとうございます。私の勉強不足もあり再検討の結果、統合提案自体を取り下げたいと思います。回答が遅くなってしまい失礼いたしました。--Syamoriwka 2011年7月29日 (金) 17:46 (UTC)[返信]

アイヌ視点から物事の見解がなされている箇所があるのが不可解です。出展を提示していただけませんか?[編集]

ページにはこのように記載されています。

"以前からアイヌは和人から不当な交易、砂金採掘の圧迫を受けており、高まっていたアイヌの和人への不満がこの件により爆発した。これは、皮肉にも対立していたシベチャリとハエを一つにまとめるものであった。"

この文章は当時の和人側の資料で記載されているのでしょうか? 不当な交易、迫害、和人への不満などといったものがアイヌと和人同士の交易の中にあった可能性は否定しませんが、当時アイヌは文字を持っていなかったのに、不自然に断定されているのがいささか不思議なのです。

現代の研究家がそう言ってるので、そうに違いない。という論法で編集なさっていませんか? 一時削除しますが、出展を加えていただければ編集を元に戻して下さって結構です。60.33.38.213 2013年6月5日 (水) 11:59 (UTC)[返信]

  • 「現代の研究家がそう言ってるので、そうに違いない。という論法」ではなくても、本件の主旨を示す出典を示しつつ、記述は可能でしょう。面倒なので私は改めて文献をあたりませんが、北海道の歴史関係の書籍にはこういう主旨の話はバカスカ出てきます。バカスカ出てくるということと、歴史的真実であるかはまた別の問題ですよ。--零細系統保護協会会話2013年6月9日 (日) 16:56 (UTC)[返信]