ノート:シネティアラ21

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「熊谷市における近年の映画館事情」の転記について[編集]

熊谷市映画館の項目があるので、こちらではなく熊谷市のなかで記述した方が好ましいと思うのですがどうでしょう。--Natalia 2007年10月21日 (日) 11:59 (UTC)[返信]

  • 以下草案です

映画館

市内には、シネティアラ21ワーナーマイカルシネマズ熊谷の2つのシネマコンプレックスがある。

1990年代、市内には現在とは別の2つの映画館があった。シネプラザ21、そして富士見劇場である。富士見劇場は、スクリーンはひとつのみの昔ながらの映画館で、東映が配給する映画のみを上映しており、シネプラザ21はそれ以外の配給元の映画を上映していた。当時、生活圏内の市町村に熊谷市以外は映画館は存在せず(現在は、隣接する深谷市にチネ・フェリーチェという小規模映画館があり、2008年にはその反対に隣接する鴻巣市にシネマコンプレックスができる予定)、市外からも客が来ていた。しかし、富士見劇場は、老朽化もあって閉館し、東映系を引き継いだシネプラザ21は、熊谷市内唯一の映画館となった。

2000年11月16日、マイカル国道17号沿いに熊谷サティを出店、最上階にワーナー・マイカルによるシネプラザ21の倍の規模を備えたシネマコンプレックス「ワーナー・マイカル・シネマズ熊谷」を併設していた。モータリーゼーションの進んだ現在、大通り沿いにあり、大型駐車場(シネプラザ21にもタワー式の駐車場が併設されていたがRV車は利用できなかった)を備え、買い物もできるとあって大盛況となった。一方でシネプラザ21は、それまでの客が奪われ、大幅に客足が減った。翌年にマイカルは経営破綻したが、開業して間もないこともあって熊谷サティおよびワーナー・マイカル・シネマズ熊谷の客足は衰えず、会社更生のための整理対象店舗のリストに載ることは無かった(これによりダイエー熊谷店が2002年12月31日撤退に追い込まれている)。そして、2003年9月30日、営業元の鷹の羽興業は、1年後にシネマコンプレックス(現在のシネティアラ21)を熊谷駅東再開発ビル(ティアラ21の仮称)に開館させることを発表し、シネプラザ21を閉館した。

2004年11月20日、ティアラ21が開業し、シネティアラ21も同時開館した。熊谷駅と直結していることや、ティアラ21内の他の商業テナント店舗と連動した割引制度などの導入を売りにしていた。それからおよそ3年近く、大手チェーンと地元系合わせて2館あるシネマコンプレックスは現在も営業している。

--Natalia 2007年10月21日 (日) 12:32 (UTC)[返信]

いいとは思うんですが、もう少しスリムにしないとかな?って気がしますが・・・--61.194.81.26 2007年10月23日 (火) 07:54 (UTC)[返信]


映画館

市内には、シネティアラ21ワーナーマイカルシネマズ 熊谷の2つのシネマコンプレックスがある。

1990年代、市内には現在とは別の2つの映画館があった。東映配給の映画を上映する富士見劇場(市役所通り)と、それ以外の映画を上映するシネプラザ21(星川通り)である。当時は近隣市町村にこれら以外の映画館は存在しなかったために、市外においても集客力を有していた。しかし富士見劇場は老朽化のため閉館し、東映系を引き継いだシネプラザ21はその時点での熊谷市唯一の映画館となった。2000年11月16日に、マイカル国道17号沿いに熊谷サティを出店すると同時に、シネプラザ21の倍の規模を備えたシネマコンプレックス「ワーナー・マイカル・シネマズ熊谷」を併設した。大型車も利用できる大型駐車場を備え、買い物もできるとあって盛況となったが、一方でシネプラザ21はそれまでの客が奪われていた。また翌年のマイカル経営破綻の際にも、開業して間もないこともあって熊谷サティの客足は衰えず会社更生のための整理対象店舗のリストに載ることは無かった。そして2003年9月30日、シネプラザ21営業元の鷹の羽興業は、1年後シネティアラ21をティアラ21(当時はいずれも名称未定)に開館させることを発表し、シネプラザ21を閉館した。翌年11月20日、ティアラ21が開業し、シネティアラ21も同時開館した。熊谷駅と直結していることや、ティアラ21内の他の商業テナント店舗と連動した割引制度などの導入を売りにしていた。それから現在に至るまで大手チェーンと地元系合わせて2館あるシネマコンプレックスは営業を続けている。

--Natalia 2007年10月24日 (水) 10:27 (UTC)[返信]

転記しました。--Natalia 2007年10月25日 (木) 08:32 (UTC)[返信]