ノート:サピア=ウォーフの仮説

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「サピア=ウォーフの仮説」と「ダブルスピーク」の関係[編集]

「サピア=ウォーフの仮説」と「ダブルスピーク」を関連付ける出典をお願いします。Uryah 2007年1月17日 (水) 11:05 (UTC)[返信]

これは直接的には英語版の関連項目Newspeakから追加しました。外部の出典ではないですが、ダブルスピーク#語源の説明が関連付ける根拠になっていないでしょうか。「関連する項目」というものは正誤を明確に判断できるものではないので、Wikipedia:検証可能性という意味での出典は挙げづらいです。ちょっと今手元に本がないのでアレですが、スティーブン・ピンカー「言語を生み出す本能」、同「人間の本性を考える」に記述があったような気がするので調べておきます。--DoWhile (会話) 2007年1月17日 (水) 18:35 (UTC)[返信]
応答ありがとうございます。
でですが、全然関係なくはないようですね。でも、いまひとつしっくりきません。しっくりこない理由は、サピア=ウォーフの仮説は人間の素朴な感覚そのものを把握する概念(仮説ですが)なのに対して、ダブルスピークは「いつわったり歪めたりする修辞技法」、恣意的・意図的な手法を指す概念だと理解するからです。
自分も、なにかあったら調べてみます。ありがとうございました。Uryah 2007年1月18日 (木) 13:22 (UTC) (自発言、文意変更)Uryah 2007年1月18日 (木) 14:12 (UTC)[返信]
広く当記事をお読みの方へ : サピア=ウォーフの仮説 と似ている 論考 として、『日本語の文法を考える』 大野晋 岩波書店 ISBN 4004200539 P51 - 72 4 何をとらえて名づけるか をご参照。Uryah 2007年1月27日 (土) 23:18 (UTC)[返信]
追記 : 和辻哲郎『風土』岩波文庫 ISBN 4-00-331442-5 P258 - 262 のヘルデルの精神風土学についての記述、人の 感覚・想像力・理解・感情や衝動・幸福感 についての記述が、サピア=ウォーフの仮説 と似ている 考察だと思います。よろしければ、ご参照。Uryah 2007年2月22日 (木) 14:46 (UTC)[返信]
追記 : 認識 2007年9月12日 (水) 09:57 の版 心理学での認識過程 Uryah 2007年10月24日 (水) 11:42 (UTC)[返信]
  • 「現実世界はかなりの程度社会の言語習慣の上に無意識的に作り上げられるのであり、それぞれの社会は独自の言語を持つから、社会が異なれば世界も異なる。ある言語にあるものを指す言葉がなければ、それはその言語の話し手の思考や世界観の一部にはならず、ある意味では知覚されない。」から、全体主義国家が政府に都合の悪い概念を人の思念から追いやるために制定したのが、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」に出てくるen:Newspeak
  • 「現実世界はかなりの程度社会の言語習慣の上に無意識的に作り上げられるのであり、それぞれの社会は独自の言語を持つから、社会が異なれば世界も異なる。ある言語にあるものを指す言葉がなければ、それはその言語の話し手の思考や世界観の一部にはならず、ある意味では知覚されない。」から、たとえば 大規模解雇 を ダウンサイジング と言い換えるなど 故意に呼び変えて通用させるレトリック・修辞技法 がダブルスピーク。
というわけですね。関連項目の項に、en:Newspeakも追加しておきます。Uryah 2007年2月17日 (土) 16:12 (UTC)[返信]

言語本能説[編集]

本文 批判の節 は空白のままなので、下記を記述しておきます。

生成文法を提唱したノーム・チョムスキーに付いて学んだスティーブン・ピンカーの著書『言語を生みだす本能』は言語本能説に立ち、人の思考は普遍的な心的言語で行われるものである、人は、生得的に持つルール(文法)の上に、母語の文法を習得していくのである、と考察し、サピア・ウォーフの仮説言語的相対論)を批判する考察を展開している。

Uryah 2007年2月5日 (月) 11:51 (UTC)[返信]

典拠をお願いします[編集]

2007年2月22日 (木) 16:42 時点の下記 事例 の節の記述の出典を、記述した方、それぞれお願いします。たしかに、そう言われてふんふん、と頷けそうな気はしますが、誰がそう言っているか、典拠をよろしくお願いします。典拠が見つかるまで、ここノートに移動しておきます。Uryah 2007年2月23日 (金) 10:36 (UTC)[返信]

  • 「日本人にとって解りやすい事例としては「わび」「さび」がある。(来日前に事前に予習することもなく)この言葉を知らないまま日本に来た欧米人は、茶室などで日本人が時折見せる「わび」「さび」の観念にもとづいた一連の行動がまったく理解できずひどく戸惑う。だからといって欧米語の単語に翻訳して彼らに提示することは不可能である。彼らの言語体系には、「わび」「さび」に対応する単語がそもそも存在しない、つまりその概念・認識・知覚自体が存在しないからである。彼らに「わびWabi」「さびSabi」の単語(記号)を覚えさせ、さらにそれがどのような概念群と結び付けられているかを時間をかけて体系的に説明・吸収させることで初めて日本人の「わび」「さび」にもとづいた行動が理解・認識・知覚できるようになり、やがては自分でも類似の行動をとることができるようになる。
  • また、この考えを支持する事例としては、企業の販売促進部門においては、販売推進担当者が、新しい概念・新しい用語・言語カテゴリーを意図的に作り、それをTVや雑誌などのメディアに多額の資金をかけて流し、その特定の用語・概念が繰り返し人々の意識に届くようにし、それによって、マーケット自体がまったく存在していなかった状態(売り上げ0の状態)から、数十億~数百億円規模の巨大なマーケット(=購買行動)を実際に作り出す、ということが各企業で日常的に・実際に行われていること、などがある(新たにどのような単語・言語カテゴリーを作りだすかが販売推進を専門職とする人のひとつの腕の見せ所だ、ともされることがあるようである)。つまりこの事例でも、消費者(=人間)は言葉・概念を与えられることで世界の認識のしかたが変わり行動が変化している。」

サピア=ウォーフの仮説と社会構築主義の関係[編集]

2007年2月28日 (水)に、「サピア=ウォーフの仮説」と「社会構築主義」が関連付けられています。似ているような気もしますが、違うような気もします。詳しい方の検証可能性を満たした加筆をお待ちします。Uryah 2007年3月8日 (木) 15:21 (UTC)[返信]

ノート:社会構築主義の方で返答しました。Was a bee 2007年3月8日 (木) 19:14 (UTC)[返信]

span 節の削除[編集]

開き span タグだけで閉じタグがないという点で少々問題があったので、ひとまずすべての span タグを削除しました。表示上の問題などある場合は、該当する文章のみ span で囲うようにして方がよいでしょう。その場合、一律に lang="en" とするのではなく、適切な言語を選択してください。--福地健太郎 2009年7月17日 (金) 18:46 (UTC)[返信]

統合提案[編集]

言語的相対論に統合提案いたします。両記事を見ていただければわかりますが、同じ主題を扱っています。--ABCEdit会話2021年1月18日 (月) 14:04 (UTC)[返信]
チェック 統合しました。--ABCEdit会話2021年1月27日 (水) 09:18 (UTC)[返信]