ノート:カンナエの戦い

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Wikipedia:ウィキプロジェクト 戦闘の表記に従い、バトルボックスを設置しました。バトルボックス自体はミッドウェー海戦のものを流用し、表内の数字等は英語版ウィキペディアのカンナエの戦いに依存しています。そのため、以前からの画像(おそらく塩野七生氏のローマ人の物語を参考としていると思われますが)と数字や戦闘展開が合わないことになってしまいましたが、なにか解決策はないでしょうか?それと、両軍の戦力や戦後の影響についても加筆が必要と思われます。--Yakouhai 2005年8月5日 (金) 21:51 (UTC)[返信]

()付きで併記されたらいかがでしょうか。Moltke 2005年8月6日 (土) 10:19 (UTC)[返信]

なるほど、その場合は数字だけでなく、画像をもとにした戦闘展開も(多少違うため)併記した方がよいかもしれませんね。--Yakouhai 2005年8月6日 (土) 12:24 (UTC)[返信]

件の画像を作成した者です。問題になっている点に関し、暫定的な対応として、数字の削除を行いました。バトルボックスに兵数が記載されたので、図にまで入れる必要は無いかなと思います。Yakouhaiさんのご指摘の通り、図の参考とした資料は『ローマ人の物語』です。戦闘展開等、本文との整合性をより良くするにはどのような改変が必要か、ご指摘いただけましたら対応可能です。ちなみに原図はパワーポイントで作っています。ウィキペディアで共有できるアップローダがあれば、そこに上げておいて、どなたでも改変対応出来るようにしておく手もあるかなと思っています。Azu 2005年8月7日 (日) 10:16 (UTC)[返信]

戦況図のもととなっている塩野氏の説は、リデルハートの説を踏襲していると考えられ(参考資料から)、あるていどの整合性が認められます。さらに、英語版でも、カルタゴ歩兵(アフリカ人傭兵と表記すべきかも)の配置を確定していません。私の提案としては、両軍の布陣、戦闘展開を併記した上で、「右図はこちらの説を採用している」という但し書きを入れればよいのではないかと思うのですが。もしも画像を書き換える場合は、こちらの画像が参考になると思います。いずれにせよ、私は画像製作者のAzuさんの意向を尊重します。--Yakouhai 2005年8月7日 (日) 13:32 (UTC)[返信]

カンナエの戦いについて[編集]

このページの”戦後と影響”に「この戦いから特に包囲戦の有効性が強調されるが、ローマの敗因は包囲されたことによりパニック状態になり、有効な組織的対応が出来なかった為である事に留意する必要がある。もしローマ歩兵が包囲側の攻撃に耐え、そのまま前進し包囲網を突破し左右に展開出来たならば、逆に寡少なカルタゴ軍を包囲できたことになり、全く違った結果となっていたと考えられる[1]」 とありますが、歴史家モムゼンの見解をそのまま載せるのはどうかと思います。--Darius会話2013年3月21日 (木) 13:16 (UTC)[返信]

参考文献[編集]

塩野七生さんの著作は歴史書というより歴史を題材に取った物語なので百科事典の参考文献にはならないと思います。 --Ypacaraí会話2016年5月25日 (水) 13:24 (UTC)[返信]