ノート:カロリング帝国

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

存在時期の範囲について[編集]

以前の版ではカール大帝の戴冠からカール3世の退位・死までをカロリング帝国の存続期間としていましたが、153.213.81.56さんの2018年11月11日 (日) 06:18‎版で創始期はピピン3世、終焉期はルイ5世まで含みを持たせた記述となりました。

出典として挙げていただいた文献をすぐ読むことができないので、失礼ながらあくまでも確認させていただきたいだけなのですが、これは終焉期に諸説あるという点も含めて「カロリング朝フランク王国」の存続期間の定義ではありませんか?冒頭部分の末尾で触れている通り、「カロリング帝国」の「帝国」は君主の帝号に依った呼称なので、そのまま考えるとフランク・ローマ皇帝が存在した時期のみをさすべきではないのでしょうか。重ねて申し上げますが、これは単なる確認です。実際に出典文献で「カロリング帝国」の期間がそう記述されているのであれば、全く問題ありません。よろしくお願いします。--McYata会話2018年11月10日 (土) 23:10 (UTC)[返信]

少し調べてみました。
  • ミシェレ「フランス史」は戴冠以前の8世紀後半からヴェルダン条約(843)までをカロリング帝国とする。戴冠によって帝国が誕生したのではないことを強調する。
  • エーヴィヒ「カロリング帝国とキリスト教会」は戴冠以前の8世紀後半から10世紀初頭までをカロリング帝国とする。始点としてランゴバルド王国併合(774)を重視する。カロリング帝国とはカロリング家の帝国であってカール大帝以降のローマ皇帝の系譜とは異なるものであることを強調する。
  • 山川「ドイツ史」は戴冠以前の8世紀後半からヴェルダン条約(843)までをカロリング帝国とする。始点としてザクセン戦役開始(772)を重視する。
  • ミネルヴァ「西洋史」は戴冠以前の8世紀後半からヴェルダン条約(843)までをカロリング帝国とする。始点としてザクセン戦役開始(772)を重視する。山川「ドイツ史」に同じ。
  • シュルツェ「西欧中世史事典」は戴冠以前の8世紀後半を始点とし、800年の戴冠によってカロリング帝国とカロリング朝ローマ帝国が同一視されるようになったとする。終点は不明。
  • ロイン「西洋中世史事典」は、帝国は戴冠以前の8世紀後半から存在し、ヴェルダン条約(843)によって分裂し、カールの死後60年(874)までには完全に消滅していたとする。
  • ケンブリッジ「フランスの歴史」はヴェルダン条約(843)までをカロリング帝国とする。始点は不明。
  • EU教科書「ヨーロッパの歴史」はカロリング帝国は戴冠以前の8世紀後半から存在するとする。終点は不明。
  • 「ブリタニカ大百科事典」はカロリング帝国の節で帝国計画令(817)からベレンガーリオ1世の死(924)までを扱う。
  • 「日本大百科全書」はヴェルダン条約(843)までをカロリング帝国とする。始点は不明。
  • 「世界大百科事典」はヴェルダン条約(843)までをカロリング帝国とする。始点は不明。
  • 調べた限りで、800年や888年をカロリング帝国の始点や終点とする事典・辞典・専門書は見つからなかった。
  • カロリング帝国を800年~888年とする出典は Wikipedia 英語版にも見つからなかった。
  • 「帝国」を「君主の帝号に依った呼称」と解釈するのは基本的に誤りです。
  • 2018年11月11日に追加された年代と出典は2018年11月11日時点での仏語版 Wikipedia の内容と合致するので仏語版からの翻訳と思われる。
  • 参考に、Wikipedia は各語でバラバラ。
  • 冒頭部末尾の『前者とは(中略)異なる』は初版にも翻訳元の英語版にも見当たらず。
--K.Frankie会話2021年1月4日 (月) 08:29 (UTC)[返信]