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ノート:カリスマ的支配

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転記提案

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マックス・ヴェーバーによる支配の三類型のうち、合法的支配伝統的支配の一つであるカリスマ的支配は、数か国語に項目があり、社会学の用語として記事の発展が見込めます。また、キリスト教用語としてのカリスマも2000年間使われてきた歴史と学問的裏付けのある、重要な聖書の語句、現役の概念、神学用語です。ギリシャ語としてももっと古い歴史がある現役の用語です。現在カリスマにある社会学用語を、多言語にリンクした社会学の用語としてのカリスマ的支配に転記することを提案します。--イザヤ 2011年2月22日 (火) 13:18 (UTC)[返信]

現代の日本語での一般的な用例としては、「カリスマ」の主たる意味はキリスト教用語としての意味ではないでしょう。その意味で、提案されている転記は不適切ではないかと思います。言語間リンクは記事内容に応じて張り直せば良いのであって、それ自体は理由にはならないでしょう。言語間リンクにおいて重要なのは概念の同値性と、その概念を当該言語では一般にどう表記するのか、ということでしょう。--Jms 2011年2月23日 (水) 14:43 (UTC)[返信]

この語は2000年一貫して賜物、好意、恩寵の意味です。さらに紀元前のコイネー時代から普遍的、世界的に使われてきた歴史的、学問的裏付け、蓄積があるのであり、今更日本語だけでいくら頑張っても意味の変更はあり得ません。ここはウィキペディア日本語版であって日本ウィペディアではありません。社会学用語としてのカリスマは支配のカリスマに限定されていますが、カリスマの語が成立するには、1.カリスマの授与者、2.カリスマの受領者、3.カリスマの種類の要素が必要です。このうち、社会学においては、3のカリスマの種類を支配のカリスマに限定して用います。従って、社会学の用語としてのカリスマについて言及するにはカリスマの種類をCharismatische Herrschaftとして、支配のカリスマと指定しなければなりません。この種類はいくらでも交換可能です。種類の指定として、支配のカリスマではなく、奴隷のカリスマとすることもできますし、ある人間には奴隷となるべく奴隷のカリスマが与えられたとする論を立てることも可能です。また、日常におけるどんな能力でもカリスマと呼ぶことができます。種類を指定しなければなりません。--イザヤ 2011年2月23日 (水) 22:02 (UTC)[返信]

ウィキペディアは百科事典であって辞書ではなく、説明されるのは概念であって単語ではありません。「今更日本語だけでいくら頑張っても意味の変更はあり得ません」というのは単語についての言明であって、百科事典においてはナンセンスです。現代日本語における「カリスマ」の用例から言えば、それはキリスト教用語としてのカリスマというよりは社会学用語としてのカリスマにより近い概念 (あるいは、より一般化された概念) を指し示すのに用いられているのですから、カリスマから社会学的意味を排除するのは日本語の百科事典として不適切でしょう。なお、「ここはウィキペディア日本語版であって日本ウィペディアではありません」というのはおっしゃりたい意味がわかりません、わたくしは現代日本語での用例を述べているだけであって、それはまさしく日本語版はどうあるべきかという根拠の一つとなるものでしょう。--Jms 2011年2月23日 (水) 22:22 (UTC)[返信]

それは種類の問題だと説明しました。日本語の一般用法としては種類は交換可能なものとして用いており、社会学のように限定したものとして用いていません。社会学においてはマックス・ヴェーバーの支配の三類型の一つです。支配の三類型の下位カテゴリに位置します。社会学の概念として用いるならば、それは支配のカリスマに限定されます。よって、百科事典として正確に記述するならば、社会学用語としての支配のカリスマの項目は必要であり、そこに社会学用語の支配カリスマの説明が充実することは当然です。社会学が意味を指定し、一般的でない用い方をしているともいえます。カリスマの種類の用例であれば、いくらでも交換可能ですし、増やせます。日本でよく使われるカリスマ○○というのは決して誤用ではなく、むしろ本来の賜物の意味に近いのです。上の説明を確認してください。--イザヤ 2011年2月23日 (水) 22:31 (UTC)[返信]

交換可能ならまとめて説明すべきでしょう。カリスマ的支配への転記というのは、転記をするだけで分割ではない、という意味でしょうか。それならわかりますが、その場合提案する必要性はありませんし、またキリスト教用語と対比させる必要性もありません。そこで、いわゆる分割を提案なさっているのだと解釈しましたが、単なる転記でを意図していらっしゃるのでしょうか。--Jms 2011年2月23日 (水) 22:39 (UTC)[返信]
  • 反対 ここは日本語版ですので、日本語としてのカリスマという言語が表す意味や使用状況の変換・事情等が誤用・転用をふくめ加味されることは不自然ではありません。そしてその事情を解説するものとして、「カリスマ」ページでの「カリスマ的支配」はそれはそれで必要かと思われます。何より英語版の「en:Charisma」ページでもマックス・ウェーバーのカリスマ的支配は引用付きで解説されていてキリスト教用語として特化された記事にはなっていません。こちらは支配の類型として、いまだ未作成の合法的支配伝統的支配との兼ね合いで、社会学内で記事内容を充実させていくことが相応しいかと思います。できれば、いずれも独立記事としてスタブ状態でないように成長することを望んでいます。--ジャムリン 2011年2月23日 (水) 22:41 (UTC)[返信]

現在、カリスマにある有意義な情報を転記することで、この記事をすぐにスタブ状態ではなく、成長させられます。カリスマ的支配の項目の必要性を認識しながら、転記に反対される理由がわかりません。むしろ、社会学がカリスマの語を支配カリスマに特化した語として用いているのです。何度も説明しているように、キリスト教用語でなくても、カリスマは賜物、好意、恩寵の意味です。社会学はカリスマの種類を限定して用います。--イザヤ 2011年2月23日 (水) 22:57 (UTC)[返信]

言葉はその意味や意義が変化することは様々にあります。日本語としては社会学的意味に偏向していて、逆にキリスト教用語が日本語においてマイナーになった場合はその通りに記述すべきでしょう。日本語としてはキリスト教用語的意味は、日本語のカリスマの語源である社会学的意味のさらに語源という状況ではないでしょうか。残念ながらクリスチャン用語として以外に「賜物、好意、恩寵」といった意味で理解・使用されている状況は、現在の日本語では少ないと思われます。--ジャムリン 2011年2月23日 (水) 23:09 (UTC)[返信]
いいえ。社会学的意味であれば、支配カリスマに限定されますが、日本語のカリスマの語はギリシャ語、キリスト教用語と共通した意味でも用いられています。社会学用語としてのカリスマ的支配が特化してその種類が限定されているのです。--イザヤ 2011年2月23日 (水) 23:18 (UTC)[返信]
あえて辞書についていえば、Bokemiannさんの指摘にもありますように、日本語の一般辞書・辞典類でもキリスト教の関連には、触れられていないものがほとんどであるのが現状です。--ジャムリン 2011年2月26日 (土) 13:24 (UTC)[返信]
◆転記なのか分割なのか、どちらでしょう。そこを誤解される提案 (転記の際に提案を要求するガイドラインがありましょうか) だから反対ないし反対寄りの意見が出ているのではないかと。転記 (転記元のカリスマの記述はそのまま残す) なのか、分割 (転記元のカリスマの記述は除去する) なのか、どちらの提案ですか。--Jms 2011年2月23日 (水) 23:11 (UTC)[返信]
社会学概念として、支配の三類型合法的支配伝統的支配、カリスマ的支配)と関連付けて記事を充実させていくべきであるので、カリスマの所にはそのまま残しませんが、カリスマから社会学用語に行けるような記述を残すつもりです。--イザヤ 2011年2月23日 (水) 23:18 (UTC)[返信]
つまり、分割提案ですか。転記ならば提案不要、という立場で確認しています。--Jms 2011年2月23日 (水) 23:21 (UTC)[返信]
英語版でも心理学的解説と社会的解説をあわせています。これは双方において意味合いがまたがることについての措置と考えられますので、カリスマページからカリスマ的支配記述を取り除くこと自体には反対します。つまり参照誘導は反対します。カリスマページに残したままの転記でしたら、反対しません。転記文が無ければ分割に足らないというようでしたら、分割自体に反対します。--ジャムリン 2011年2月23日 (水) 23:37 (UTC)[返信]
コメント 世界大百科事典でもキリスト教用語としてのカリスマは語源(狭義)としてごく簡単に触れられているだけです。Wikipediaは紙の百科事典ではないのだから、キリスト教用語としてのカリスマを幾らでも加筆できますが、しかし、それでも転記するとしたらキリスト教用語の方でしょう。また、カリスマ的支配などウェーバーの「支配の三類型」を立項することには大賛成ですが、それをカリスマからの排除として行なうことには反対です。あと、イザヤさんに苦言しておきますが、あちこちで記事を分割・乱立させていますが、本件に関してもおっしゃる意図はよく分かるものの、それならばなぜ「合法的支配」や「伝統的支配」の記事はいつまでたっても起こされないのでしょうか? これでは、カリスマからキリスト教と関係のない記述を排除したいという意図があると勘ぐられても仕方がないですよ。--Bokemiann 2011年2月26日 (土) 05:36 (UTC)[返信]
ユダヤ教における重要な儀式については関連記事を作成したといってBokemiannさんは私に抗議なさいましたが、この記事は関連記事を作成していないことで抗議なさるのですか。時間は有限です。私はいま多くのヘブライ語とギリシャ語の文献を何時間も読んでおります。--イザヤ 2011年3月1日 (火) 19:57 (UTC)[返信]
記事の成長については、充実された記事も編集されていることも存じてはおりますが、また一方においては、実際に成長どころか立項もされておらす、ご自身の提案に添った形で立項された記事がサブスタブ、スタブ状態のままで置いて、次々と提案されてはまた放置なされてることも多いイザヤさんがおっしゃられても、申し訳ありませんが説得力は感じられません。--ジャムリン 2011年2月26日 (土) 13:24 (UTC)[返信]
キリスト教プロジェクトでいろいろ議論している相手は、私の提案に賛成することもあれば、反対することもあります。しかし、ジャムリンさんは不思議な偶然からか反対しかなさったことがありません。私はジャムリンさんに時間をかけて説明して差し上げております。私の説明で納得できなければ、ご自分でギリシャ語を御調べになればいいでしょう。--イザヤ 2011年3月1日 (火) 19:57 (UTC)[返信]
ギリシャ語の意味を否定してなんかしていませんが?ギリシャ語とキリスト教用語と日本語における重要度と、その相違についてです。--ジャムリン 2011年3月1日 (火) 20:05 (UTC)[返信]
まだ草案段階ですが、Wikipedia:日本中心にならないようにのガイドライン化は必要でしょう。--イザヤ 2011年3月1日 (火) 20:14 (UTC)[返信]
実際問題として多義的な意味合いのある項目では、もちろんキリスト教中心にならないようにすることも重要ですね。英語版ですら、私が確認した版では、ことさらキリスト教メインにはなっていませんでしたし。--ジャムリン 2011年3月1日 (火) 20:22 (UTC)[返信]
反対の立場で議論することが多いことは、不思議な偶然でも何でもありません。多義的な項目をキリスト教POVをもって改定しようとすることに反対しているからで、キリスト教プロジェクト内のこととは争点が違うからです。そしてサブ・スタブ、スタブ記事の重要度や緊急性の低いむやみな細分化と乱立は、総合百科辞典としての利便性の意味から閲覧者に対して不親切極まりないと考えているからです。--ジャムリン 2011年3月2日 (水) 22:23 (UTC)[返信]