ノート:カビネット
要出典範囲について。[編集]
「19世紀の初めにヘッセンの領主になった公爵のナッサウ」という記述はちょっとおかしいです。
- 19世紀初頭の神聖ローマ帝国解体時に「ヘッセン」を名乗っていた領邦はヘッセン=ダルムシュタット方伯領とヘッセン=カッセル方伯領の2つで、どちらもヘッセン家が領主でした。それぞれルートヴィヒ10世方伯とヴィルヘルム9世方伯です。両者とも君主号を改めますが、それぞれヘッセン大公とヘッセン選帝侯で、公にはなっていません。
- ナッサウ家はナッサウ公国を領することになりましたけど、その君主は「公爵のナッサウ」ではなくて「ナッサウ公」と表記するのが普通だと思います(公になったのはフリードリヒ・アウグスト公から)。ただしナッサウ公がヘッセンを領したことはないはずです。
- ちなみに普墺戦争(1866年)の結果ヘッセン選帝侯国とナッサウ公国はプロイセン王国に併合され、統合されてヘッセン=ナッサウ県になっています。ドイツ語版の一覧を見たところでは、歴代知事に公の称号を持った人物はいないようです。