ノート:ウルトラハンド

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ウルトラハンドの発売日と売上台数[編集]

故・横井軍平の話(日経も文春も元ネタは1990年代のインタビュー)に依れば、ウルトラハンドは1966年(昭和41年)に発売されて140万個売れたそうですが、この話には疑義があります。

まず前者について。これは既に私が記事本文に反映しましたが、雑誌『オール大衆』1968年1月1日号48頁に依れば、「任天堂の新製品“ツィスター・ゲーム”や“ウルトラハンド”などが、盛んな人気を集めており」と書かれた後、「ウルトラハンドは低学年用のゲームだが、発売二ヵ月で40万個も売れたという」とあります。玩具の商品寿命は長くても1~2年であることを考えると、1966年発売としたら1967年12月の雑誌で「新製品」とは妙な話です。また、『ザ・会社シリーズ 任天堂』(朝日ソノラマ、1980年)に依れば、任天堂は1967年にアメリカのゲーム会社と提携してツイスターを室内玩具第1弾として発売し、これに次いで第2弾を任天堂オリジナルの商品として「ウルトラハンド」(文中は「マジックハンド」とあるが誤り)を発売したことになっています。『続 商魂の記録』(日本経済新聞社、1968年4月)でも同様の流れで書かれています。『任天堂の秘密』(現代出版、1986年)では大西康博(出版当時、任天堂取締役人事部長)の証言で「42年にウルトラハンドというのが出てきた。腕がぐーんと伸びて、その辺のものを取って遊ぶという奴ですな。その次の年がウルトラマシン。ピンポン球を利用したピッチングマシンのイミテーションで、これはかなりヒットしましたね」とあり、やはり1967年です。ウルトラハンドが1966年で、ウルトラマシンが1968年となると、辻褄が合いません。できれば、発売当初のプレスリリースや広告があればもっと確実なのですが。

後者について。これは上記の通り、『オール大衆』1968年1月1日号では「発売2か月で40万個」とあります。『ザ・会社シリーズ 任天堂』によれば、ウルトラハンドは「値段も手頃であったのか、他のメーカーから類似品が出るほど、ちょっとしたヒットとなった」とあるのに対し、ウルトラマシンは「飛ぶように売れた。(中略)43年中に80万セット、さらに翌44年には100万セットと、記録的な売れ行きを示した。」とあります。『任天堂の秘密』での大西康博の証言は上記の通り。もしウルトラハンドが短期間に100万個以上売れたなら、ウルトラマシンだけでなくウルトラハンドももうちょっと誇張してもいい気がします。私は、横井の話はウルトラマシンと混同しているのではないかと疑っていますが、ウルトラハンドがロングセラー商品だったとすれば100万個以上販売も辻褄が合うので、これは微妙な線です。できれば何か別の証言が欲しいところです。Darklanlan talk 2024年4月20日 (土) 01:20 (UTC)[返信]