ノート:アルダの年表

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「太陽の時代」の最後の部分、”多くのシンダールが東から出発して、”というのは、”東へと出発”ではないでしょうか。 これはシンダールがベレリアンドを捨てて、エリアドールへと入っていったことをあらわしていると思いますので、そうだと思います。 英語版の「Timeline of arda」も、この部分は間違っているように思うのですが。Pica 2006年4月11日 (火) 22:16 (UTC)[返信]

そうですね。departを自動詞に見れば英語版はいいみたいです。修正しました。--赤龍館 2006年4月12日 (水) 03:06 (UTC)[返信]

465年の「ケレゴルムとクルフィンの追放」と、 468年の「フィンロドとベレンの虜囚」は前後が逆だと思います。英語版もそうなっていますが、どなたかソースをご存知ないでしょうか。Pica 2006年5月16日 (火) 05:09 (UTC)[返信]

英語版の最後にある、Grey Annals: J. R. R. Tolkien (1994). Christopher Tolkien (ed.) The War of the Jewels, 3-170, Boston & New York: Houghton Mifflin. ISBN 0-395-71041-3. がソースのようです。どうもその年の項にそのようなことが書いてあるようです。--赤龍館 2006年5月16日 (火) 14:25 (UTC)[返信]
ありがとうございます。持っていないので確かめられないのが悔しいところです。これも良くある矛盾のひとつのようですね。いずれ「中つ国の正典」の項にでも、そのような矛盾をまとめていったら、トールキンの構想の変遷がわかりやすくなって、楽しいかもしれません。クリストファがすでにやっている気もしますが。Pica 2006年5月16日 (火) 16:26 (UTC)[返信]

カイア・アンドロスは、最後の陽動作戦で黒門にアラゴルンが向かう途中で奪還を指示していますね。--赤龍館 2006年8月4日 (金) 01:21 (UTC)[返信]

確認しました。書き足してみます。Pica 2006年8月4日 (金) 03:07 (UTC)[返信]

第一紀の年表で510年にトゥアゴンの死、511年ゴンドリン陥落となってますが、トゥアゴンはゴンドリンの陥落で亡くなったのではないでしょうか。英語版では510年にゴンドリンの陥落とトゥアゴンの死、511年にイドリルとトゥオルがゴンドリンの避難民を連れてシリオンの河口に到着となっているようですが。Agira 2007年1月31日 (水) 07:37 (UTC)[返信]

英語版が修正されたようですね。変更に異議はありません。--赤龍館 2007年2月18日 (日) 01:58 (UTC)[返信]