ノート:アッピウス・クラウディウス・カウデクス

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家族について[編集]

こんにちは。毎度の事ですいません。
家族についてですが、参考元として示されている史料はスエトニウスの皇帝伝ティベリウスのラテン語版のようです。ちょっとラテン語はめんどくさいので英語版の資料を見てみましたが、58節ではアウグストゥスの話をしているようで、冒頭の2-3節でクラウディウス氏族について語っているようです。そこでは氏族の業績を列挙しているようですが、はっきりとは家族関係は語られてないように思われます。プブリウス・クラウディウス・プルケル#家族の部分にも書きましたのでご覧頂けると話が早いかと思います。
出来ればカエクスが祖父というのをどこで見かけられたのか教えて頂けるとありがたいです。家族関係ははっきりと分かりにくくて・・・スエトニウスも何か根本的に間違って理解してるかもしれませんし・・・毎回申し訳ありませんが、よろしくお願いします。--Mogu777会話2017年12月13日 (水) 15:53 (UTC)[返信]

カエクスが祖父というのは、他言語版にも記載されていますね。例えばドイツ語版だとJonah Lendering: Appius Claudius Caudex . In: Livius.org (English)を引用しています。資料の明記無しに、祖父はカエクスとしている記事も多いです。親子関係と言うのは、他の人物の記事でも矛盾点を見つけたことはありますし、Fastiの名前だけから、「親子である」と断定したり、「親子と思われる」とあったりして、難しい点はありますね。父がケントというのは、その時点のケントの記事から引っ張ってきています。--Hkusano会話2017年12月14日 (木) 03:37 (UTC)[返信]
と言った矢先ですが、リンク先を読んでみたら、祖父がカエクスとは書いてないですね。本人の業績と直接関係ないので、削除してしまっても良いのではないでしょうか。--Hkusano会話2017年12月14日 (木) 03:45 (UTC)[返信]
ご教示ありがとうございます。やはりカエクスが祖父である決定的な資料はなさそうですね。当時の人からすれば素性はおまけみたいなもんでしょうし、記録が書かれた時点からですら数百年前の人物ですからしょうがないですね。ドイツ語版のリンクはこれでしょうね。やはりただC.f,だから父はガイウスとしているだけっぽいですね。カウデクスが石頭というのは面白いので追加しておきます
カエクスが340BC生まれでケントの最終経歴が213BCのディクタトルなんですよね・・・ちょっと無理がありそうで。カエクスもかなりゴリゴリの貴族主義で山っ気が抜けないくそジジイっぽいので若い後添えもらって70くらいで産ませたとか、連れ子の可能性もあるかもしれませんが。曾孫としてもちょっと怪しいですし。もう少し調べてから、仮説扱いにするなり、もう少し表現を和らげようと思います。ありがとうございました。--Mogu777会話2017年12月14日 (木) 10:45 (UTC)[返信]
度々すみません。参考文献を間違えていました。ドイツ語版でカエクスが親としているのは。" T. Robert S. Broughton: The Magistrates Of The Roman Republic. Vol. 1: 509 B.C.–100 B.C."ですね。但し、To the officials of this year and the sources ともあるので、単に祖父の名前がアッピウスというだけかもしれません。ちょっと本文を書き換えます。--Hkusano会話2017年12月15日 (金) 06:42 (UTC)[返信]
こんにちは。ドイツ語版とブロートンを確認してみましたが、ブロートンには見た限り親子関係に触れているところはないと思います。上の英文はZu den Amtsträgern dieses Jahres und den Quellen vgl.の英訳ですかね。恐らく264年の執政官であることのソースとして書いてるだけじゃないでしょうか。
ブロートンは基本的に親子関係なんかは書いてくれてないです。ただその年ごとの政務官と簡単な業績だけしかないです。非常に助かりますけどねそれだけでも。上記リンクからブロートンは1巻だけ全文ご覧になれますし、もし英米の大学にご関係がおありならダウンロードも出来るようです。確認される時にオススメです。--Mogu777会話2017年12月15日 (金) 09:22 (UTC)[返信]