ノート:ものづくり

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すみませんが、歴史の部分はあまりにエッセイ的であり、またこの項目で扱うのに適当ではないので削除しました。佐賀藩の下りは、佐賀藩に一部転記します。--Aotake 2007年2月2日 (金) 07:46 (UTC)[返信]

ものづくり」という言葉は外来語の「生産」や「製造」と違って、歴史的アイデンティティーのある言葉です。したがって「日本古来の文化」と「現代の日本の製造業」の関係を表すために、歴史の記述は重要です。エッセイ的かどうかは判りませんが、エッセイ的なのが不可なのなら、そうでないように直すのがwiki的だと思うのですが・・・。
あと、下記の要出展の指摘ですが、疑問に思った点をもう少し具体的にお願いします。
『一方「ものづくり」は大和言葉なので、日本古来からの精神性、歴史性を感じさせる{{要出典|イメージ、「感じさせる」について}}。』
『そこで企業のポリシーを技術の高さではなく、より精神的、歴史的なもので表すことが広まった。最近よく見られる「○○ウェイ」というのがそれである{{要出典}}。』
pipimaru 2007年2月2日 (金) 15:22 (UTC)[返信]
では、まずお書きになっていた歴史的行為が「ものづくり」と呼ばれる行為であることと、現代日本の製造業と関係があるとする論の出典をお示しください。ちなみに、私の手元にある国語辞典では「ものつくり」のみが項目となっており、定義は1. 耕作すること、2. 小正月の祝いの行事となっていることを、念のため確認しておきます(広辞苑・旧版日本国語大辞典)。個人的には、少なくとも古代、中世についてなさっていた記述はお書きになろうとしている、現代もてはやされている「ものづくり」なるものの説明として妥当な内容とは思えません。出典を貼った部分ですが、ウィキペディアはウィキペディア自身の意見を述べる場ではありませんので、「日本古来からの精神性、歴史性を感じさせる」といった主観的記述を、それを述べている人物を示さずに記すことは望ましくありません(Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性をご参照ください)。誰が、どこで、このような意見を述べているかを示してください。また、トヨタウェイなどについては、例えばトヨタウェイというのはトヨタ自身が海外(とくに米国)に進出しその中で練り上げてきた自社の考え方をマニュアル化したものの名称なわけで、「日本の製造業の強さは日本の伝統文化、あるいは固有文化に源を発するという考え方が広まった。そこで企業のポリシーを技術の高さではなく、より精神的、歴史的なもので表すことが広まった。」という解釈(とくに「そこで」というつながり)には出典がほしいところです。--Aotake 2007年2月2日 (金) 15:59 (UTC)[返信]
ぐれぐれもお気を悪くされないで頂きたいのですが、少々勘違いされてはいないでしょうか。ものつ(づ)くり、とは「物作り」の読みです。広辞苑などに出ている「ものつくり」とは別の言葉です。参考[1][2]
その点は確認していただくとして、回答します。「日本古来からの精神性、歴史性を感じさせる」という指摘については、「ものつ(づ)くり」または「モノつ(づ)くり」をgoogleか何かで検索して適当なページを開いていただくか(歴史や精神論と関連付けられて使われていることに留意していただきたく)、最新のイミダスや現代用語の基礎知識に本項目と(おそらく)似たような記述があるかと思います。ネット上では、例えばこの[3]ページの総長あいさつから、歴史的なニュアンスのある言葉であるということが理解できるかと思います。
○○ウェイですが、たとえばこのページ[4]で「トヨタのモノづくりの考え方である「トヨタウェイ」・・・」という記述があります。トヨタウェイはあくまで「モノづくりの考え方」です。従って「そこで」の繋がりですが、次のようになります。「トヨタウェイ」は「モノづくりの考え方」、「モノづくり」は「大和言葉であり日本古来からの精神性、歴史性を感じさせる言葉」です。pipimaru 2007年2月3日 (土) 15:19 (UTC)[返信]
申し訳ありませんが、勘違いはいたしておりません。広辞苑などの例を出したのは、「ものづくり」ということばにPipimaruさんがお書きになっているような歴史的意味付けをすることが自明ではないことの例です。「歴史的アイデンティティ」というのが何を指しているのか私にはわかりませんが、「ものづくり」ということばに歴史があるのならば、まずはそれを示すのがいちばんわかりやすいことですし、一般的な日本語の辞書にはそれが説明されていないようなので、出典を教えてほしいということなのです。ちなみに、いまイミダスと現代用語の基礎知識を調べてきましたが、検索した限りにおいてはものづくりに相当する項目はどちらもありませんでした。これという項目があるようでしたら、項目名まで明示してお示しください。
さて、先にリンクを貼りましたのでお読みになっていただいてると思いますが、中立的な観点、検証可能性、独自の研究の発表の禁止はウィキペディアの三本の柱であり、Pipimaruさんがお書きになっているような価値判断を含む記述の場合、誰がそのような意見を述べているのかをはっきり示すべきです。現代日本における「ものづくり」という表現の用いられかたは充分ウィキペディアで扱う価値があるとはおもいますが、あくまで製造をものづくりと言い換え、そこに日本の伝統を反映させようとする行為を客観的に記述しなければならないのであり、ウィキペディア自身の記述として「『ものづくり』ということば、行為に日本の伝統が反映されているのだ!」と語ってしまってはまずいのです。
なお、お示しになった梅原猛の挨拶は、日本人はものづくりに優れていると賛美はしていますが、ものづくりということばに日本古来の精神性が感じられるとはどこにも書いてありません。別の適切な出典をお示しください。とりあえずここがクリアされないと、「そこで」についてのPipimaruさんの論理も成り立たないので、まずはこの点について信頼できる情報源をお示しくださればと思います。
(追記)私が書いているうちに追記されたようですね。上は職業能力開発総合大学校図書館へのリンクなどを加えられる前に書きました。さっと見ましたが、私の意見はいまのところかわりません。というよりも、足してくださったリンクではむしろ、現在使われている「モノづくり」は「新しい単語だろう」と言っていますね。梅原猛の挨拶についてもやはり歴史的ニュアンスがあることばであるとは読み取れません。「歴史的ニュアンスを付加しようとして用いられている」なら納得できますが、そう書くためにはまた別の出典が必要ですね。--Aotake 2007年2月3日 (土) 16:25 (UTC)[返信]

少し整理しましょう。Aotakeさんの意見は以下のように解釈してよろしいでしょうか。

  1. 「ものづくり」という単語は最近の造語で、歴史性や精神論とは関連の無い言葉である。
  2. 歴史的な意味づけを加えているのはPipimaru個人の私的研究である。
  3. 全く同じ論旨の文章が無ければ出展として認めない。

pipimaru 2007年2月3日 (土) 22:03 (UTC)[返信]

私の意見は、基本的に中立な観点と検証可能性を満たした記述にしてほしいというだけのことです。Pipimaruさんの加筆について、削除した歴史の部分については、記事内容と直接関係のないものと思いますし、出典を求めている部分については、検証不可能な内容になっているので、出典を示してほしい、というだけのことです。削除の部分については、いまの議論の中心ではないのでひとまず保留して、出典を求めている部分についてお話をしましょう。
歴史的な意味づけを加えることについて、前回も書きましたが、現代において「ものづくり」という言葉を用いている人々が、そこに歴史性などを反映させようとしてこのような語の選択を行っているという解釈については、検証可能な情報があるだろうと思います。ですが、例えば「日本古来からの精神性、歴史性を感じさせる」について、「ものづくり」という言葉を耳にした、目にした人が「日本古来からの精神性、歴史性」を感じるかどうかということそのものは、読者からみれば検証不可能です。Pipimaruさんが感じるかどうかも、検証不可能です。検証できるのは、例えば、Pipimaruさんがなにかの媒体に「私は~のように感じる」とお書きになっているときに、「Pipimaruは~と感じると述べている」ということです。ですから、誰がどこでそのようなことを述べているのか、出展を示してください、と申し上げています。
ものづくりということばが最近の造語かどうかは、私は資料を充分集めていませんので、現段階ではどのような意見が主流なのかわかりません。ですが、古い言葉であるといっている資料が今のところ示されておらず、信頼できる情報源とはいえませんが、お示しいただいた資料の中で「最近の造語」と考えている論がある以上は、今は「最近の造語とする見解がある」ということしか書けないでしょう。繰り返しになりますが、ものづくりという言葉を使う現代の人々が、思想的背景をもって、あるいはそこに「歴史性」を求めて語彙選択を行っているということと、製造・生産という意味で「ものづくり」ということばを用いることの歴史は別個であり、そこをはっきり論じ分けてほしいと思います(あと、言い損ねていましたが、「製造」は江戸時代には用例があるようですし、「生産」も史記にもともとある語ですから、これらの言葉にも「歴史」はあります)。
削除した歴史の部分も、例えば「梅原猛は、日本のものづくりの源流を縄文時代に求めている」ならば検証可能ですが、「日本のものづくりの源流は縄文時代にある」は検証不可能です。お分かりいただけますでしょうか。
なお、まったく同じ論旨の文章がなければ云々、というご発言をみると、そもそも「出典」の意味とウィキペディアの中立的な観点や検証可能性の方針について、まだ充分にご理解いただけていないように思います。ウィキペディアは、すでに発表されている情報や論を寄せ集めるプロジェクトです。もういちど、方針をお読みいただければと思います。それと、細かいことですが、投稿のときに「これは細部の編集です」にチェックを入れていらっしゃるようですが、これは誤字脱字などを修正するときにマークするもので、内容に関する変更や、ノートページでの発言のときにもチェックすると、ウォッチリストなどで見過ごす原因にもなるので、ご配慮いただければと思います。--Aotake 2007年2月4日 (日) 09:16 (UTC)[返信]

Aotakeさんのおっしゃりたいことが漸く分かりました。確認しますが、合意を形成するのが議論の目的ですよね。

・まず、「一方「ものづくり」は大和言葉なので、・・」にある「ものづくり」は、『「ものづくり」という発音は大和言葉なんですよ』、という意味で使っています。もの・づくり、と読んでも結構ですし、Aotakeさんの指摘どおり古語の「ものつくり」として読んでも結構です。単純に『「ものづくり」は大和言葉』であって、製造や生産の意味を載せたつもりは無かったのですが、文章の瑕疵を指摘されたと解釈します。 製造や生産としての「ものづくり」は最近用いられるようになった用法で、いわば当て字のようなものです。Aotakeさんのご指摘どおりです。

以下のような文章に直すということでいいでしょうか。

「一方「ものづくり」は大和言葉から引用した発音なので、…」、あるいは「一方「ものづくり」は大和言葉にある発音なので、…」

・上の句を上記のように訂正するとして、下の句はそれでも変でしょうか。Aotakeさんの書かれたとおり、『現代において「ものづくり」という言葉を用いている人々が、そこに歴史性などを反映させようとしてこのような語の選択を行っているという解釈・・・』という意味を加えるために下の句を書きました。

たとえば以下のような文章に直すということでいいでしょうか。

『一方「ものづくり」は大和言葉から引用した発音なので、生産、製造という行為に歴史性などを反映させようとしてこのような語の選択を行った。』等。これを要約すれば、「大和言葉なので日本古来からの精神性、歴史性を感じさせる」でも問題ないと思うのですが。要は、「感じる」という検証不可能な動詞を使うのは不適切、ということですね。 pipimaru 2007年2月4日 (日) 14:08 (UTC)[返信]

そうですね。基本的には、感覚や考え方を絶対の事実であるかのように記述するのが不適切ということです。「漢語ではなく、大和言葉で表現することで、日本製造業の生産行為に日本固有の文化伝統を反映させようという意図もあった(出典)」というような形で、注または参考文献にこのような意図を示している資料が示されればいいのではないでしょうか。でも、しつこいですが、「ものづくり」に古代性を感じるのは自明ではなく、「…このような語の選択を行った。」を要約しても「…感じさせる」にはならないと思いますよ。(^-^;)--Aotake 2007年2月4日 (日) 16:30 (UTC)[返信]

ほとんど独自研究です。[編集]

大学でものづくりと名の付く科目を受講していますが構成学(造形)の科目であり、 この科目に日本の伝統文化に源を発するという考え方はほとんど感じません。 発祥はドイツのバウハウスだと思います。 複数の造形大学のサイトを見てみることをお勧めします。 ものづくりという単語がたくさん出てきますよ。 --123.222.134.217 2010年6月3日 (木) 11:33 (UTC)[返信]

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