ノート:から揚げ/過去ログ2

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信頼できる情報源とは言えない出典について

歴史の項目最終段落について、信頼できる情報源とは言えない部分について問題提起を行います。以下の内容となります。また、前提としてWikipedia:信頼できる情報源を参照していただければわかりますが、「一次資料」は注意して取り扱い、「二次資料」をウィキペディアの記事の参照先とするのがwikipediaの基本方針です。また、情報源の評価の一つ目として「その二次資料は複数の独立した一次資料を利用していますか?」が掲げられていることを前もって記載させていただきます。

①唐揚げは一般的に小麦粉や片栗粉をまぶした食材を油で揚げた料理を指し、日本にやってきたのは、戦後中国から引き揚げてきた人たちが大陸の調理方法を持ち込んだのが始まりと言われている
②戦後(1950年代以降)には一般の主婦が読む料理書に唐揚が記載されるようになったもので、「それまでの揚げ物と大きく違ったのは下味をつけるということ。中国料理から取り入れられた技術なので唐揚になったというのが通説のようです。
内容①について、「唐揚げは一般的に小麦粉や片栗粉をまぶした食材を油で揚げた料理」としたうえで、「日本にやってきたのは、戦後中国から引き揚げてきた人たちが大陸の調理方法を持ち込んだのが始まりと言われている」としています。江戸時代からの資料を見れば明らかなように「小麦粉や片栗粉をまぶした食材を油で揚げた料理」の一次資料、もしくは一次資料を参照した二次資料の出典と極めて食い違っています。そもそも「言われている」というのは何次資料による出典か?また、Wikipedia:信頼できる情報源の「その二次資料は複数の独立した一次資料を利用していますか?」に応えられるものか?
②についてですが、これも同様です。「1950年代になると一般の主婦が読む料理書に「唐揚げ」が登場」「それまでの揚げ物と大きく違ったのは、ニンニクや醤油で下味をつけるということ」を技術としたうえで「中国からもたらされた技術だから唐揚げというのが通説のようです」と述べています。「通説のようです」とは具体的に何次資料に当たる出典でどこからの情報を出どころとするものか?また、それはWikipedia:信頼できる情報源の「その二次資料は複数の独立した一次資料を利用していますか?」に応えられるものか?

また、以下の問題を含んでいます。

  • 本人自身が「言われている」「通説のようです」と述べているなど、だれからの伝聞か不明であり何次資料かも不明な出典。伝聞を載せているだけであり、参考資料としての一次資料も記載されておらず、一次資料に基づく本人の意見とすら解釈できない。
  • 慎重に取り扱った一次資料、もしくは一次資料を参照した二次資料に該当しない出典
  • 確実に一次資料、および二次資料を参照している、すでに提示されている江戸時代等の出典との①「食材に小麦粉や片栗粉をまぶした調理が戦後中国からもたらされた」②「1950年代に一般の主婦が読む料理書に登場したとする唐揚げはニンニクや醤油で下味をつけるということを技術としたうえで同じく中国からもたらされた」といった点での歴史的事実レベルでの明らかな不適合
  • 歴史項目の1段落目で小麦粉をまぶした食材を油で揚げた料理の歴史が語られる一方、最終段落で小麦粉や片栗粉をまぶした食材を油で揚げた調理法は戦後中国からもたらされたなどの明らかな記述の齟齬による読者へ与える混乱

以上の理由により、該当の記述は歴史の項目として妥当ではないと判断します。また、利用者:Daunton会話 / 投稿記録の編集履歴、もしくはこれまでのノート等の書き込みを参照していただければわかると思いますが、この手の信頼できる情報源とはとても言えない「中国起源説」を冒頭から概要から歴史から一まとめにすることもなくバラバラとばら撒く行為。例えば、その資料は中国に何ら言及していないにもかかわらずその記述の直後にいちいち「Aはこの料理法を中国からもたらされたものとしている」のような記述を一つ一つつけていこうとするに近い編集方針により記事全体に混乱が生じております。一次資料、二次資料について述べても、(ガイドラインに反し一次資料、二次資料が伴っていなくとも)検証可能性があればいい意見は載せていいが彼の定型句のようですが、歴史、文化で一つ一つこれをやられたどうでしょうか。これまでの彼の編集方針から見てもその意図は明らかでしょうということを同時に提起させていただきます。--ニアミス次郎会話2016年5月13日 (金) 02:22 (UTC)

①は講談社の料理情報書『服部幸應の「食のはじめて物語」』での料理評論家・料理学校協会会長の服部幸應氏、②はプレジデント社のからあげ専門書『からあげ練習帳』での郷土料理・伝承料理研究家の奥村彪生氏という公表された出版物での著名な専門家によるからあげについての見解ですので、信頼できる情報源の出典です。
一次資料二次資料云々についても、もし複数の独立した一次情報源を使っていないとしても除去の理由にはなりません。Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源にもその答えが出てます「複数の独立した一次情報源を使った二次情報源?[1]」。それが推奨されるということと、それじゃないと除去されるということは違うのです。
なお、同じようなからあげの解説は、『からあげWalker』『最強!からあげ本』『唐揚げのすべて』『からあげちょい足しレシピ本』などのからあげ専門書や#出典情報源文献一覧での文献など多数にあり少数派でもありません。
挙げられているWikipedia:信頼できる情報源の文は、「一般的に、「一次資料」は注意して取り扱い、「二次資料」がウィキペディアの記事の参照先として依存する素材庫になります。<改行> ある個人または団体が、ある意見を持っていることを記述する場合の最良の示し方は、直接そうした意見を引用し、引用した文の一番最後にハーバード方式または脚注・リンクの埋め込みを使って引用元を示すことです。」のとこですね。
内容については、ウィキペディア編集者が情報源の内容を査読する必要はないし、むしろそれは避けねばならないことです。ウィキペディア三大方針のWikipedia:検証可能性にもある通り、「編集者はその種の調査をしないよう強く求められ」ており「ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」であり「査読に相当する機能はウィキペディアの外部に求めよ」です。別の資料と食い違ったとしても、別の観点があるならどちらも記述しておけばよいのです。というか、別の資料と違うから除去なんてのも避けねばなりません。これまた三大方針のWikipedia:中立的な観点にあるように、「ウィキペディアの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません」であり「ウィキペディアの作業をする上で私たちが受け入れている解決策は、「人類の知識」は(意義のある、出版されている)全ての異なる観点を含む、というもの」です。
>例えば、その資料は中国に何ら言及していないにもかかわらずその記述の直後にいちいち「Aはこの料理法を中国からもたらされたものとしている」のような記述
どこのことをいってるのでしょう?書くなら具体的に書いてください。当方Dauntonの編集方針は出典に忠実にであり全て出典ある記述です。もし気にいらないものがあったとしても、そういう出典情報源があるのです。「中国起源説」なる言葉は利用者:ニアミス次郎会話 / 投稿記録さんまたは利用者:Anea02会話 / 投稿記録さんの造語で、上の文やノート#出典を削除する行為などや編集姿勢を見てもわかる通りとても中国や唐揚げ記述を消すことにこだわっておられる人で、IPが出典情報源に書かれてもいない日本由来やら中国由来やら勝手な区分分類をして他の編集者に独自研究を指摘されることもありましたが、からあげというよりそういう方面のことに固執しておられ、要はそれが達成できてないから混乱してるということなのでしょうけど、当方はそんな言葉も分類も編集したことありませんし、頻発している出典情報源に書かれてもいないことを記述するなんてこともなく、出典に忠実なだけです。--Daunton会話2016年5月18日 (水) 23:18 (UTC)
コメント信頼できる情報源に当たるか、歴史的な資料を伴うものかという、提示された出典に対しての質問から逃げ、意見だから載せていいという発言に終始することは予想していたことでした。
  • 出典として自ら提示したものであるのにもかかわらず質問を受けても誠実に答えない
  • 「信頼できる情報源」の定義及び評価にあるような慎重に選ばれた一次資料を満たすものでも、複数の一次資料を参考にして学術的見解を述べた二次資料でもない
  • そもそも論として「唐揚げは一般的に小麦粉や片栗粉をまぶした食材を油で揚げた料理を指し、日本にやってきたのは、戦後中国から引き揚げてきた人たちが大陸の調理方法を持ち込んだのが始まりと言われている」が事実関係としておかしいということすら理解できない(理解する意思がない)
  • 本人がただ「~言われている」「が通説のようだ」と述べただけのその前提となる根拠の提示されている話ではない。
いかに信頼できない情報源かを自ら証明しただけでしょう。
また、論より証拠ということでDauntonによる2016年5月3日 (火) 23:14版の編集を付けておきます。--ニアミス次郎会話2016年5月20日 (金) 02:31 (UTC)
ちゃんと答えてますよ「①は講談社の料理情報書『服部幸應の「食のはじめて物語」』での料理評論家・料理学校協会会長の服部幸應氏、②はプレジデント社のからあげ専門書『からあげ練習帳』での郷土料理・伝承料理研究家の奥村彪生氏という公表された出版物での著名な専門家によるからあげについての見解ですので、信頼できる情報源の出典です。」と信頼できる情報源に当たると。これが本提起への答えです。さらにウィキペディアの三大方針も示してウィキペディアの方針や掲載基準も説明し、それも満たしてるので問題ないことも説明した通りです。
そもそも信頼できる情報源というのは情報源の内容について真実かどうか編集者が査読して判断するということではありません。「「信頼できる情報源」の定義及び評価」ってのは「信頼できる情報源」ページの「用語の定義(事実、意見、一次二次三次資料)」「情報源の評価(注意すべき論点)」という項目のことですかね、複数の一次資料云々についてもWikipedia‐ノート:信頼できる情報源での答えを示した通り、除去理由とはなりません。
「論より証拠」というのは「「Aはこの料理法を中国からもたらされたものとしている」のような記述」についてのことですかね、「1928年「軍隊調理法」では、豚肉に澱粉を付けて揚げる調理を「豚肉空揚」として、同じく「魚空揚」では「本調理は支那料理(現・中国のこと)の一種」と記載されており」などの記述がありますが、すべて出典ある記述です。利用者:ニアミス次郎会話 / 投稿記録さんはこの記述のうち「魚空揚で本調理は支那料理の一種と記載されてる」という部分だけ消し記述しないといった編集姿勢があります。--Daunton会話2016年5月25日 (水) 20:02 (UTC)
賛成 利用者‐会話:Dauntonにおいて、Daunton氏がニアミス次郎氏から提示された「前者は「食材に小麦粉や片栗粉をまぶした調理が戦後中国からもたらされた」と言っているのに対し、後者は1950年代に一般の主婦が読む料理書に登場したとする唐揚げはニンニクや醤油で下味をつけるということを技術としたうえで同じく中国からもたらされたと述べており、この両者の時点で食い違っております。①、②は何次資料による出典ですか?また、それらはいかなる複数の一次資料を使用した二次資料としての出典ですか?」という質問にあるいは答えられるかどうか見ていましたが、どうやら答えられず、そのようなものはなくてもいいという返答でしたので、提案している部分の文章の除去に賛成します。Wikipedia:信頼できる情報源のページでは情報源について、「「一次資料」は注意して取り扱い(上記参照)、「二次資料」がウィキペディアの記事の参照先として依存する素材庫」と明記しています。そこから一段落おいて「ある個人または団体が、ある意見を持っていることを記述する場合の最良の示し方は~」としています。これは意見についても一次資料を参照にするべきとも取れますし、別の事柄として記載しているようにも見えます。しかしながら情報源の評価の項目の一つ目には「その二次資料は複数の独立した一次資料を利用していますか?」を初めてして情報源が二次資料の使用であることを前提として記述されています。少なくとも基本的に二次資料であることが情報源としてきわめて重視されていることは間違いないでしょう。そもそも「だと言われている」というのは意見なのか。
何より問題なのは言っている内容が極めて疑わしい点でしょう。
1.唐揚げは一般的に小麦粉や片栗粉をまぶした食材を油で揚げた料理を指し、日本にやってきたのは、戦後中国から引き揚げてきた人たちが大陸の調理方法を持ち込んだのが始まりと言われている
「日本にやってきたのは、戦後中国から引き揚げてきた人たちが大陸の調理方法を持ち込んだのが始まりと言われている」これはさすがにないでしょう。戦前には「小麦粉や片栗粉をまぶした食材を油で揚げた料理」はありませんでしたか?説明が必要ですかと聞きたいくらいです。
2.「1950年代になると一般の主婦が読む料理書に「唐揚げ」が登場」「それまでの揚げ物と大きく違ったのは下味をつけるということ。中国料理から取り入れられた技術なので唐揚になったというのが通説のようです。」も1950年に主婦の調理本に登場した唐揚げは、下味をつけてあげる調理法は中国からもたらされた技術だから唐としていますが、いわゆる「から揚げ」料理に「唐揚げ」の文字があてられるようになったのは、日本で下味をつけ衣をつけてあげる料理が見られるようになった遥かにあとであることは複数の出典から確認されていますし、それ以前に江戸時代にもあるものですので、この時点で単に誤りですよね。ほかにも同じ「ような」ことを言っている本が他にもあるとのことですが、そもそも提示されている二人は言っていることがまるで異なっていますよ。
合意を得たいのであれば、最低限戦前には「小麦粉や片栗粉をまぶした食材を油で揚げた料理」はなく、「戦後中国から引き揚げてきた人たちが大陸の調理方法を持ち込んだのが始まり」であるという根拠を示すべきでしょうね。
そうすると、意見としていっているんだから真偽はどうでもいいんだとかおなじみのことを言いそうですが、それならば該当の記述を除去することへの賛同が揺るぐことはありません。誰がどう見ても客観的に誤っている記述をルールを拡大解釈して守っているようにしか見えないからです。以前ニュースポストセブンをソースに「唐揚は奈良時代からあり、それが現在の唐揚げの由来である」みたいなことを書いていましたが中国、中国をキーワードに放言を集めて意見と強弁しそこら中に入れようとしているようにしか見えません。--122.216.31.10 2016年5月19日 (木) 11:14 (UTC)
Dauntonの会話ページでのことについては、会話ページでウィキペディアの方針を提示して答えた通りで、その他のことも上でウィキペディアの方針を提示して答えた通り、除去理由にはなりません。なお「合意を得たいのであれば」とありますが本件は「信頼できる情報源とは言えない部分について問題提起」であり、合意を得る必要があるのは利用者:ニアミス次郎会話 / 投稿記録さんです。言うまでもありませんがウィキペディアでは編集加筆する際に事前合意を得ておかねばならないなんて決まりはなく、出典のないまたは出典に書かれていなかったり違ったりする独自研究や検証可能性を満たしてない出典の記述なら除去できます。
なお「以前ニュースポストセブンをソースに「唐揚は奈良時代からあり、それが現在の唐揚げの由来である」みたいなことを書いていましたが」とありますが、そんなこと書いてませんよその記述は「から揚げはいまひとつ起源がはっきりせず諸説あるが、大元は奈良時代にさかのぼる遣唐使を通じ食物を油で揚げる技法が伝わり、江戸後期から明治時代にかけて広まって、一般に「唐揚げ」と書かれるのはこのためという説や、江戸時代初期に中国から伝来した普茶料理で唐揚げと呼ばれていたという説が説明されている」です。もちろん出典付き記述でしたが、「中国をキーワードに」消すことにこだわっておられる編集姿勢の編集者が除去を繰り返してる状態です。--Daunton会話2016年5月25日 (水) 20:02 (UTC)

2016年5月の編集保護

基本的に、ノート合意文が問題ある改編されたので、改編をさらに加筆修正していく再改編で対応したが、合意改編だとして差し戻されたので、今度は当該箇所をノート合意文通りに戻す対応にしたが、なぜかまた改編版に差し戻され、ノート合意文通り版と改編版との編集合戦という構図です。
つまりこれまでの経緯をおおまかに言うと、上の「#出典を削除する行為など」でのノート議論中において、

「空揚」という呼び名は江戸時代にはなかったが、空揚げそのものは当時からあった。17世紀後半、もしくはそれ以前の文献とされる「南蛮料理書」には「魚の料理。何魚なりとも脊切り、麦の粉をつけ、油にて揚げ、その後、丁字の粉、にんにく磨りかけ、汁よき様にして煮〆申也」とある。また、1747年の「料理歌仙の組糸」には「てんぷらは何魚にても、うどんの粉まぶして油にて揚げるなり」、「菊の葉てんぷら又は牛蒡蓮根長いも其外何にてもてんぷらにせん時は、うどんの粉を水醤油ときぬりつけて揚るなり」とあり、衣揚げの初見とされる。これらは食材に小麦をまぶして揚げる調理で、川上行蔵は現代における空揚げと位置付けており、清水桂一も同様である。また、小麦粉を水と醤油でといた衣をつけて揚げる竜田揚げの衣揚げもみられる。その後、一時「衣かけ」とも呼ばれていた。これは1793年の「魚鳥献立集」や1805年の「素人庖丁」に見られる。1889年「言海」や、1908年「国史大辞典」といった辞典でも「からあげ」の記載は見られないが、1915年「大日本国語辞典」や 1921年「言泉」で登場し始め「空揚げ」として、「揚げ物に衣をつけず揚げること、もしくはその揚げたるもの」として見られるようになるものの、 1928年「軍隊調理法」では豚肉に澱粉をまぶして揚げたものを空揚げと表現しており、 1937年「団体家庭基本料理法」では下味をつけてから揚げたものを空揚げとしており、素揚げ以外を含む調理として見られるようになっていく。 以後、1970年代の初版の日本国語大辞典や第二版の広辞苑といった辞典などにおいても空揚げと記載され、唐揚げの表記はほぼ使われていない。衣が無いか少ないなど衣が「空」であることから「空揚」と表記され説明される。

一方、1932年に現・三笠会館の支店で、中国の鶏の揚げ物をヒントに考案された「若鶏の唐揚」が、日本の外食メニュー初のから揚げ登場とされ、「からあげ専門店発祥の地」を掲げる大分県宇佐市は、戦後まもなく「若鶏の唐揚げ」を提供した中華料理店・来々軒をからあげ専門店発祥の起源としており、これらの店と料理は人気を博した。現代では唐揚げという表記が一般化しており、店や商品等での使用も多い。現在新聞協会は、なぜ空揚げ表記に決定したのか正確にはわからないとしつつ中国由来の食べ物ではなくその連想を避けるため(拘束力もないゆるいルールであるが)空揚げで統一しているが、実際の新聞記事では唐揚げも用例がある。NHKでは、戦後のテレビ放送では最初は「から揚げ」という書き方のみ認めていたが、「当用漢字音訓表」の改定により「空揚げ」が認められ、後にその方が自然と感じる人が多数という実態により「唐揚げ」も許容するようになった。「唐揚げ」表記は『普茶料理抄』(1772)や『日常実験料理』(1942)にも登場するが(『日本料理由来事典』)、前者は豆腐を小さく切り油で揚げ、さらに醤油と酒で煮たもの、後者は小麦粉もしくは片栗粉をまぶして揚げてから、あんをかけたもので、中華料理として紹介されている。「唐揚げ」という表記は中国大陸の調理が持ち込まれたものであるか中華風のものと説明されることもある。

という文案が合意文になり、この合意文通りに2016年4月12日‎にから揚げ記事を編集していたのですが、
  • 2016年4月26日 (火) 08:38にIPユーザー202.229.98.215がこの合意文を改編する編集を行う[2]

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  • 4月26日 (火) 08:38(とそれ以降)の編集を利用者:Daunton会話 / 投稿記録が2016年5月3日 (火) 23:14に修正し出典からの加筆や中立的な観点から別観点の加筆や除去された出典ある記述の復帰等を行う(併せてついでに合意文やノート議論とは別件の、通常の加筆編集も行う)[4]

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  • 2016年5月4日 (水) 00:11にIPユーザー202.229.98.215が利用者:Daunton会話 / 投稿記録の5月3日 (火) 23:14の編集を差し戻す[5]。このとき「由来説の混合、可読性を損なう過剰加筆、考えにくい説の単なる羅列記載等々。また、合意を含む内容の大幅な改編を行う場合ノートで文案提出、合意形成を得てください」と言っているが、そもそもの発端である自身が4月26日 (火) 08:38に行った合意を含む内容の大幅改編ではノートで文案提出しておらず合意形成も得ていなかったので、矛盾している。

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  • 利用者:Daunton会話 / 投稿記録が2016年5月11日に「出典ある記述の大量除去行為」であるとして差し戻し返し[6]、別件の通常の加筆も行う[7]。差し戻し理由の詳細はノートに書く[8]

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  • 利用者:ニアミス次郎会話 / 投稿記録さんが同日、「ノート上で合意していた文章に対しても再び記述破壊的な編集。問題の多い大幅な編集に伴う前もった文案の提出も拒絶。荒らし」として‘202.229.98.215による2016年5月4日 (水) 00:11時点の版’に差し戻す[9]。「ノート上で合意していた文章」と言ってるわりに合意文通りにしようとせず、差し戻すのは合意文が前もった文案提出もなく大幅改編されてて問題も多い改編版で、これまた矛盾している、なおWikipedia:安易に荒らしと呼ばない違反である。

 ↓

  • 利用者:Daunton会話 / 投稿記録が同日、「出典ある記述の大量除去行為」としてまた差し戻すが[10]、合意文改編を加筆修正する方向からノート合意文通りに戻す方向に転じて差し戻す[11][12]。編集理由や質問などノートに書き[13]、何度もノート対話に応じるよう告知する。

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  • その後も、ノート合意文が前もった文案提出もなく改編されてた‘202.229.98.215による2016年5月4日 (水) 00:11時点の版’に差し戻す利用者:ニアミス次郎会話 / 投稿記録さんと、ノート合意文通りに戻し別件の通常加筆もしてた‘Dauntonによる2016年5月11日 (水) 23:10の版’に差し戻す利用者:Daunton会話 / 投稿記録との編集合戦。なお利用者:Daunton会話 / 投稿記録はノートでの対話を求めていたが、利用者:ニアミス次郎会話 / 投稿記録さんは個人会話ページ利用者‐会話:Dauntonに書き込み続け、ノート対話に応じず、から揚げ記事の編集内容の要約欄に「利用者‐会話:Dauntonかなり問題のあるユーザー[14]」「利用者‐会話:Dauntonからも明らかに問題のあるユーザーの荒らし行為に対処[15]」などと書き他人の会話ページへのリンクを貼る。

 ↓

  • 2016年5月13日 (金) 00:43に編集合戦を理由に編集保護となる。
という経緯です。
なお余談ですが、これに先立ち、ノート「#出典を削除する行為など」では別の部分(冒頭導入部)の合意文もあったのですがそちらは編集加筆や改編が行われていき現在の形になったもので安定しており、利用者:大和屋敷会話 / 投稿記録さんが2016年4月26日 (火) 09:05[16]に「冒頭肥大化の法則に対処」し修正して以来、編集参加するすべてのアカウント・IPユーザーの認知も経て論争も起こっていないもので、ノート合意文とは変わっているが現在の冒頭導入部の

から揚げ(からあげ、空揚(げ)、唐揚(げ))とは、食材に何も付けず、または小麦粉、片栗粉、プレミックス(調整粉)のから揚げ粉をまぶして油で揚げた料理・調理である。下味の有無は問わない。家庭料理・中食(外で買って家で食べることを前提とした販売形態)・各種外食産業など幅広い場で食べられる日本で主要な惣菜料理の一つである。英語では「fry」(フライ)で、料理名ではフライドチキン、フライドポテトなど「fried~」となる。中国語では何もつけず揚げるから揚げは「清炸」(チンチャ)、衣をつけるのは「乾炸」(カヌチャ)。

はコミュニティの合意状態にあります。
しかしその編集過程において、編集合戦となった合意文同様やはりこの冒頭導入部の合意文も合意文通りに2016年4月12日‎にから揚げ記事を編集していたのですが、最初に合意文を改編する編集を行ったのは利用者:ニアミス次郎会話 / 投稿記録さんであり[17](このとき「除去された事実に基づく記述の修正」と言っているがこれは(ノート議論合意を得ずに)事前に自身が編集していた記述に差し戻したということ[18][19])、問題が指摘され大幅に改編されててもノートでの前もった文案提出や事前合意形成なく改編されていました。そこで度々加筆修正が行われ、現在の形となりました。差し戻し合戦でなく、加筆修正等編集を重ねていく方向で落ち着いたものです。--Daunton会話2016年5月18日 (水) 22:56 (UTC)
一番上の出だしの「基本的に~」のとこで、「合意改編だとして差し戻されたので」と書きましたが、合意改編という書き方だと「合意された改編」かと誤解されかねませんね、正しくは「合意文の改編」(もちろん合意も得てない改編)ですので、この「合意改編」は「合意文の改編」に訂正しておきます。--Daunton会話2016年5月25日 (水) 20:02 (UTC)

問題点と修正加筆点

現状の、ノート合意文改編されてる‘202.229.98.215による2016年5月4日 (水) 00:11時点の版[20]’に戻されてる版(以下、現状の版と略す)の問題点を挙げます。その改編に対し加筆修正で対応した版はこれ[21]で、合意文改編修正でなく合意文通りに戻す方向にした版はこれ[22]です(なお同時に合意文議論とは別件の通常の加筆も行ってました)。しかし編集合戦となり、現状の版のとき保護対処となってます。なお先述のように、現状の版はノート合意文通りでもなく、当人の言っていた前もった文案提出や合意形成もなく編集されたもので、コミュニティの合意状態でもありません。
①>漢字表記自体は『和漢精進料理抄』(1697年)や『普茶料理抄』(1772年)において「空揚」よりも「唐揚」の方が先に出現している[9][10]。
だったのが現状の版では、
>「から揚げ」は、衣が無いか少ないところから「空」と説明されるものであり、「唐揚げ」よりも「空揚げ」の方が歴史は古い[9]。漢字表記自体は『和漢精進料理抄』(1697年)や『普茶料理抄』(1772年)において「唐揚」と記述されているが[10][11]、いわゆる「から揚げ」料理との関係を疑問視する説がある[12][13]。
と編集されている。「「空揚」よりも「唐揚」の方が先に出現している」という出典ある記述を除去しているうえ、「「空揚げ」の方が歴史は古い。漢字表記自体は『和漢精進料理抄』(1697年)~」となっているので1697年以前に「空揚」が出現してるかのような誤解を与える記述にもなってます。それに「空」の字の説明は「唐」の字の説明と共に両方記述するべきとノート議論「#出典を削除する行為など」でもされていたが、空の説明だけ記述して唐の説明を記述しないのは中立的ではありません(Wikipedia:中立的な観点)。「「唐揚げ」よりも「空揚げ」の方が歴史は古い」という記述も、これは笹原宏之氏の見解ですが出典原文では「古いようだ」であり推察に過ぎないのに断定して記述してるので問題あるうえ、誰がそう言ってるのか「笹原によると」と記述する必要もあります。ノート「#出典情報源文献一覧」での文献や後の編集[23]で追加した各種からあげ本・サイトでの別の異なる見解も複数あるからで、これも併記すべきでしょう。さらに笹原氏は同出典で「実際に街中で見かける表記は、「唐揚げ」がほとんどで食堂メニューでも同様」としていますので、こういうことはからあげの現状説明として概要部に記述しておくべきものです。「「から揚げ」料理との関係を疑問視する説がある」についても、肯定視してる複数出典もあるので記述するなら両論併記すべきです。
②>下味をつけてから衣をつけ揚げる調理法としては前述のとおり江戸時代から既にみられるものであるが[17]~(中略)~続いて戦後においても鯨の竜田揚げなど、醤油等で下味をつけてから衣をつけ揚げる料理としてのから揚げも国内で一般的にみられてきた調理法である[25]。
と加筆されている。これも出典元と違う記述や偏った取り上げ方をしており問題です。例えば「前述のとおり江戸時代から既にみられるものであるが」と記述されてますがその出典である「たべもの起源辞典」の「天ぷら」の項目では「衣に」味を付けるとなっているので違います。「戦後においても鯨の竜田揚げ~」にいたっては、出典の「懐かしい昭和の給食」での原文は、
「今ではめったにお目にかかれない鯨肉。当時は貴重なたんぱく源として、戦後の給食を代表する献立の一つに。味も好評だったが、「生臭い」「かみ切れない」との評も。鯨肉を使った献立としては、竜田揚げのほかに大和煮もあった。」
であり、全く違います。ほか詳細は前述した加筆修正で対応した版[24]の「「たべもの起源辞典」の天ぷらの項目によれば~(中略)~空揚げ」とも書く」と記載されている。」を参照。
③>現在新聞協会は、なぜ空揚げ表記に決定したのか正確にはわからないとしつつ中国由来の食べ物ではなくその連想を避けるため(拘束力もないゆるいルールであるが)空揚げで統一しているが、実際の新聞記事では唐揚げも用例がある[26][23]。NHKでは、戦後のテレビ放送では最初は「から揚げ」という書き方のみ認めていたが、「当用漢字音訓表」の改定により「空揚げ」が認められ、後にその方が自然と感じる人が多数という実態により「唐揚げ」も許容するようになった[22]。
だったノート合意文が現状の版では、
>国語学者・言語学者の笹原宏之は、「から揚げ」は、衣が無いか少ないところから「空」と呼んだものだ、と説明されるものであり、「唐揚げ」よりも「空揚げ」の方が歴史も古いようだとしている[9]。日本新聞協会は、唐揚げが中国由来 の食べ物ではないためその連想を避けるため空揚げで統一している[注釈 1 もっとも、『「空揚げ」と表記して我々が愛するあの「からあげ」は思い浮かびませんので、是非報道でも「唐揚げ」の表記をお願いしたいと思います。』として報道でも唐揚げの表記を要望いている日本唐揚協会によると、決定したのがかなり古いもので、なぜ「空揚げ」に決定したのかは正確にはわからないと述べたともしている。][26][9]。NHKは、戦後のテレビ放送では最初は「から揚げ」という書き方のみ認めていたが、「当用漢字音訓表」の改定により「空揚げ」が認められ、近年まで字幕スーパーでは「から揚げ」か「空揚げ」のみを採用していた。その理由として『この食べものが中国の「唐の国」とは直接の関係がないからというのが理由』とした上で、『「から揚げ」はてんぷらなどとは違って衣を付けずに(あるいは食材から出る水分をおさえる程度の片栗粉などをまぶして)揚げたもので、「衣が『空(から)』」だからこのように書かれたのでしょう。この調理法は、現代の「からあげ」に通じます。』としている。一方、『実態としては一般に「唐揚げ」と書かれることがたいへん多く、この基準もそろそろ見直さなければならない』ともしていたが、2011年3月20日に、漢字表記の規定を『①から揚げ ②空揚げ (「唐揚げ」とも)』としている。また、「空揚げ」という漢字表記を避けられ「唐揚げ」に移行していった理由として、「空(から)~」という言葉は「空威張り・空くじ・空元気・空手形・空回り」のように、いい意味で使われることが少なかったためだろうとしており[12]、笹原宏之も同様の主旨のことを述べている[9]。
と大幅改編されている。これも恣意的改編もあり問題あります。なお、日本新聞協会の記述の出典である日本唐揚協会の原文はこれ[25]で、笹原氏の原文はこれ[26]で、NHK放送文化研究所の原文はこれ[27]です。
まず「空」の説明は概要部でも加筆されてた重複ですが、歴史の項目なので概要部との重複はいいとしても、同じ歴史部にも既に「衣が無いか少ないなど衣が「空」であることから「空揚」と表記され説明される」という記述があるのでさすがに同じ項目内での重複(概要も入れて三重複)は不要でしょう。しかも笹原氏のこれは辞書での説明の話なのですが、そのことも抜け落ちてます(他の重複箇所でも同様)。日本新聞協会についての記述は原文では、
「日本新聞協会は言葉、日本語をオーソライズするところではなく、あくまで報道などでバラバラに表記すると混乱を招くため統一をしようという定めている」「何の拘束力も無く割りとゆるいルール」「報道上の「からあげ」は現在「空揚げ」」「唐揚げが中国由来の食べ物ではないためその連想を避けるため空揚げで統一したようだが、決定したのがかなり古いもので、なぜ「空揚げ」に決定したのかは正確にはわからない」「最近の議題としてこの「唐揚げ」「空揚げ」は会議でも議論が重ねられているということで、随時継続的に見直しをかけて行く」「NHK放送文化研究所「ことばQ&A」にて詳しく載っている」
とあるのに、それらの記述を消したり注釈にして分断・隠蔽したり、「統一したようだがなぜ決定したのか正確にはわからない」なのに断定調に記述したり、「「空揚げ」と表記して我々が愛する~略~報道でも「唐揚げ」の表記をお願いしたいと思います」というのも日本新聞協会の回答を受けてのものなのに「~要望している日本唐揚協会によると」とまるで元からそれを掲げてる協会みたいな書き方をしたりと恣意的で問題です。それに日本新聞協会自らの発表ではなく、日本唐揚協会がそう言っているという発表なので「日本唐揚協会によると」は最初に記述すべきでしょう。さらに、実際に新聞紙上ではどうなのかという笹原氏の、
「「空揚げ」だけでなく、やはり「唐揚げ」も記事の中に見られ、さらに新聞紙上の半分近い面積を占める広告欄では「唐揚げ」が優勢のようだ」
とある出典ある記述も除去して消してしまってるので問題です。NHKのも大幅に加筆してるわりに、
「まず漢字表記に限って言うと、日本の史料には「空揚(げ)」よりも「唐揚(げ)」のほうが先に出現していると言われています」「江戸時代に「普茶料理」(精進料理の一種)というものが中国から伝えられましたが、この当時日本で出された料理書には「唐揚」というものが見られるそうです」「ただし、これは「豆腐を小さく切り油で揚げ、さらに醤油と酒で煮たもの」で、この食べものが現代の「からあげ」と直接の関係があるのかどうか、よくわかりません。」
などの記述には触れず特定の部分を丸ごと記述し特定の部分を全く記述しておらず、図表を使って大きく説明されてるアンケートのことなどにも触れず中立的でなく、しかも「「から揚げ」はてんぷらなどとは違って衣を付けずに~」は原文では「その後明治以降になると、「虚揚」や「空揚」といった漢字表記の料理名(魚や肉を揚げたもの)が見られるようになります。これは、てんぷらなどとは違って衣を付けずに~」なので、これも違います。ほか詳細は加筆修正で対応した版[28]の「国語学者・言語学者の笹原宏之によれば~(中略)~和食では材料の持ち味を生かして1回で揚げることが多い。」と記載されている」と「一方、外食店において、1932年に東京・銀座の~(中略)~中華風のものと説明される」を参照。
>④「日本料理語源集」のからあげの項目では、唐風(材料に下味を付けて片栗粉をまぶして揚げる)に揚げるから唐揚、何もつけずに揚げるから空揚と説明されている[40]。
>江戸時代の料理書『素人庖丁』(1803年)などでは魚介類や野菜類の素揚や小麦をまぶして揚げたものを「煎出(いりだし)」「衣かけ」と呼んでいた[9]。
とあったのが現状の版では「何もつけずに揚げるから空揚」部分が消され、「江戸時代の料理書『素人庖丁』~「衣かけ」と呼んでいた」という記述も理由なく丸ごと除去されており問題です。
他に、「歴史」部は時系列順に記述した方がいいのでは。いきなり江戸時代というのもどうなのかと…そもそもその出典は天ぷらについてのものですし、じゃあそれ以前は?ともなります。それ以前の出典もあることですし。
なお、現状の版ではノート合意文の「「空揚」という呼び名は~」「一方、1932年に現・三笠会館の~」のうち後者が大幅に改編されてますが(なお合意時にIPユーザーは後者に不満を漏らしつつ合意してました)、実は前者にも特定の部分だけ取り上げて特定の部分は隠してたり中立的な観点でなかったり出典元と違う記述になってたりなど様々な問題点があります(詳細は加筆修正で対応した版[29]の「「空揚」という呼び名は江戸時代には~(中略)~「空揚」と表記され説明される」を参照)。
さらに先述したように、別件の通常加筆まで巻き込んでの強引な丸ごと差し戻しで、出典ある記述も大量除去するという問題行為も繰り返されてます(詳細は合意文通りに戻す方向にした版[30](右の版が後に左の版に差し戻され消される)の「から揚げがどのように日本に広まっていったのかについて~」以下全文を参照)。--Daunton会話2016年5月18日 (水) 22:56 (UTC)

本件の合意形成に向けて

ノートで合意された文を、変えていっていいとも変えてはならないとも思いませんが、どっちかでしょう。現状の編集合戦となっているノート合意文「「空揚」という呼び名は~」「一方、1932年に現・三笠会館の~」にあたる記述は、どっちでもない中途半端な状態になってます。すなわち、ある特定編集者が合意文改編し中立的でもない大幅加筆した状態で固定しようとしています。その改編時にノートでの前もった文案提出も合意形成もありませんでしたし、問題点も指摘されています。それをまた加筆修正しようとしたらノートでの前もった文案提出や事前合意形成を求め、それらがなく行われ問題点もある改編版に差し戻すのはダブルスタンダードで論理破綻してます。そういうことで差し戻すのならばノート合意文でなければおかしいでしょう。それで今度はノート合意文通りに戻したらなぜかまた改編版に差し戻し。この矛盾を当の利用者:ニアミス次郎会話 / 投稿記録さんに何度も質問し対応を求めたのですが、答えず無視で対話拒否されてるような状態です[31]。 とりあえず、編集合戦になっているこの合意改編部分はノート合意形成されてた文通りに戻すべきでしょう。--Daunton会話2016年5月18日 (水) 22:56 (UTC)

反対 ①「漢字表記自体は『和漢精進料理抄』(1697年)や『普茶料理抄』(1772年)において「唐揚」と記述されているが」という記述を1697年以前に「空揚」が出現してるかのように誤解する読み手はあまりいないと思いますよ。漢字表記自体はと断っていますし。明治以降みられるようになった空揚げが衣をつけてあげるという調理でも同じく空揚げ(資料から確認できる)呼ばれるようになり、戦後は川上行蔵氏や清水桂一の出典からも見られる通り衣をつけてあげる調理を「空揚げ」としていることからも元々素揚げを指す調理であった空揚げが現在「素揚げ、衣をつけてあげる料理の総称」になったというものは根拠がありますね。一方で、江戸時代に文献に一度登場した「豆腐を細かく切って醤油で似た調理」を唐揚げにしたものが現在の「素揚げ、衣をつけてあげる料理の総称」になったとするのは誰が見ても無理があるとしか言いようがないでしょう。いったいその空白期間に唐揚げがから揚げになったとするどのような根拠を示せるんですか?衣をまぶしてあげた調理の総称としてほとんど一貫して「てんぷら」としか呼ばれてませんが。ほかの編集者を説得することは難しいように見えますが。そもそも日本料理由来事典は普茶料理抄を参照している二次資料ですが、唐揚のほうが空揚より古い料理名のようで述べているだけですし、漢字表記自体はどうこうで別に誤った記述ではないでしょう。古いということにこだわっているようですが、それも表記と語源にありますし。こんなこと普通に考えりゃわかるでしょと言わせてもらいます。
②小麦粉を水と醤油でといた衣をつけることは下味をつけることではないんですか。また、小麦粉を水と醤油でといた衣をつけて揚げる竜田揚げの衣揚げと評価しているのは1747年の一次資料元にした二次資料の出典であり、味をつけて揚げるという発想が当時からあったことも明らかでしょう。そもそも衣を着けて揚げる調理の総称としててんぷらと呼ばれてきた歴史的経緯があるだけであり、てんぷらと書いてあるからどうこう言うのはナンセンスです。また、戦後鯨が日本人の重要な蛋白源になり、給食などで一般的に提供され作られ続けてきた調理であることは客観的事実として明らかでしょう。逆にどれだけ給食等で提供されていたか、一般的に提供され懐かしんでいる人間がいるかについてどれだけ説明すれば理解できるのか知りませんが(理解しようとする編集者だとは思いませんが)その段落に問題があるとは思えません。
③についてですが、単にNHK、新聞協会の統一してる(してきた)理由としての認識を述べた後、NHKがどのような理由で空揚げ(唐揚げ)としたかを述べているだけであり特に問題があるとは思えませんし、唐揚げ協会の認識を注意書きから引っ張り出したところで可読性が損なわれるだけでしょう。じゃあどうします?日本新聞協会は唐揚げが中国由来 の食べ物ではないためその連想を避けるため空揚げで統一している。もっとも日本唐揚協会によると、決定したのがかなり古いもので、なぜ「空揚げ」に決定したのかは正確にはわからないと述べたともしている。としますか?それとも日本新聞協会は唐揚げが中国由来 の食べ物ではないためその連想を避けるため空揚げで統一している。もっとも、『「空揚げ」と表記して我々が愛するあの「からあげ」は思い浮かびませんので、是非報道でも「唐揚げ」の表記をお願いしたいと思います。』として報道でも唐揚げの表記を要望いている日本唐揚協会によると、決定したのがかなり古いもので、なぜ「空揚げ」に決定したのかは正確にはわからないと述べたともしている。としますか?既に注意書きに書かれている蛇足でしかなく不要です。要はどういう理由で新聞協会という組織が空揚げに統一したのかを端的に説明していれば十分でしょう。普茶料理抄のほうが古いとやたら強調したいようですが、概要に漢字表記自体は~から書かれていますし、表記語源でも空揚げの時代より古いとかかれているよう見えますが。概要で書き、表記語源で書き、いったい何回古い古いと書きたいんですか。第3段落では、NHK新聞協会等が空揚げに統一してきた理由、NHKが変えた理由、一般レベルで表記が空揚げから唐揚げに変換したという実態に対するNHKの見解と無駄なく書かれているように見えますが。ここは他の方の意見も伺いたいですが現在の出典からの現状の記述は私は別に変える必要性を感じませんが。あなただけでしょう。
「信頼できる情報源とは言えない出典について」の項においても求められた質問に対して、出典を保有していればすぐに答えられるはずの簡単な質問にも答えないどころか、むしろ質問をしている側に対して対話を拒否していると非難していることからもわかるように不適切な行動が多いように思います。コミュニティ云々を言うのならDaunton氏はから揚げについてコミュニティの信頼を失っている編集者ではないでしょうか。それとノートで合意された内容が変更されたと連呼していますが、過去の履歴を見れば2016年4月23日 (土) 12:18‎で一旦落ち落ち着いたものを2016年4月26日 (火) 06:49‎に新たに概要と内容が対立する「歴史」を入れて記事全体を訳のわからないものにしたりとやりだしたのはDaunton氏自身だと思いますが。自分を被害者とするの結構ですが、自分の編集姿勢に対する反省はあるのでしょうか。5段落目に信頼できない情報源と解される部分は取り除くのが適切であるものの、概要、1段落~3段落までは特に問題のある記述とは思えません。現在の版からのDaunton氏の変更提案に反対します。--122.216.31.10 2016年5月19日 (木) 13:01 (UTC)
反対 まず導入部は合意形成云々言っていますが、導入部の記述は大和屋敷さんが「冒頭肥大化の法則に対処」を理由に整理してくださった文ではありますが別に「コミュニティの合意を得た」と表現するような話し合いは行われておらず、例えば英文の「fry」はともかく、何のなじみもなく使われることもない中国語の「清炸」「乾炸」などは導入部としては特筆性のない語でもあり、今のところ触れられていないだけで勝手に合意宣言されても迷惑なので、とりあえずそのような実態がないことを前もって書いておきます。
さて、現在のから揚げページの内容を過去の日付のに戻したいという提案ですが以下の理由により反対します。
  • 複数が何らかの形で編集に関与しているページであるが2016年5月4日 (水) 00:11の現在の内容になった編集から問題視しているユーザーが一人を除いていない点
  • またそれは利用者‐会話:Dauntonにおいても、ノートにおいてもたびたび問題視されているユーザーであり、また私自身が対応した際にも、自ら提示した出典に関する質問にも答えないなど不誠実とするに十分な根拠のあるユーザーである点
  • 過去に合意した内容が変えられたと主張しているが、それは現在の四段落を指しているものと思われるが、比較しても変えられているというほど大幅な改変は行われていなかった点。
  • また概要、歴史項目2、3段落の内容も出典から外れるものではなく、もしくは常識の範囲内にとどまるものであり特に問題のある記述は見受けられない点。
  • 過去のページに戻すよう主張している、かつ問題のある編集を繰り返してきた利用者:Dauntonより、概要を含めて微修正してきた複数のユーザーのほうが信頼がおける点。
また、提案に対し反対され合意形成を得られないことが不満であるのならば利用者‐会話:Dauntonでも言いましたが、「コメント依頼」でより多くの意見を集める手段も持っております。より客観的な多くの意見を求めるのならば提起することをお勧めいたします。それを否定するユーザーは一人もいません。--ニアミス次郎会話2016年5月20日 (金) 02:52 (UTC)
まず、これだけ質問しますが、ノート合意文通りにするということになぜ反対するのでしょうか?しかもついこの前されたばかりの合意を、舌の根も乾かぬうちに。そして「ノートで合意してた文」が改編されたからという理由を言ってたのに、ノート合意文通りではなく、ノート合意文が改編されてた現状の版へ差し戻したり、同様に「文案の提示」「合意形成」を求める一方で、それらがあったノート合意文ではなく、それらがなく勝手にノート合意文改編されてた現状の版へ差し戻すという言ってることとやってることが違うダブルスタンダードな行為もなぜなのでしょうか?お答えください。
それと「現在のから揚げページの内容を過去の日付のに戻したいという提案」ではなく、先述したように編集合戦となっているノート合意文部分を合意文通りにするという提案です。今回の編集合戦のようにノート合意がなかったことのようにされてたら、今回合意形成されたとしてもまたすぐ新たに作られた別アカウントやIPユーザーが別人のふりして改編してしまいかねません。先述したように現状の版はノート合意文が問題ある改編された版です。でそれを加筆修正したら、ノート合意文の破壊だとかいう理由で(なぜかノート合意文ではない改編版に)差し戻されたので、そうかとノート合意文通りにしたらまた改編版に差し戻す、いったいノート合意を重視しているのか無視しているのかどっちなんですか?量の問題じゃありませんよ。要はご自分の編集はノート合意を変えてもいいが他人の編集は自分の編集を変えたら差し戻す、というような自分勝手な状態になっています。現状のノート合意改編版にはDauntonが問題を指摘し(#問題点と修正加筆点参照)、Dauntonのノート合意再改編版には利用者:ニアミス次郎会話 / 投稿記録さんが問題だという。ならノート合意形成されてた文があるのだからその通りにしておけばよいことでしょう。
なお「複数が何らかの形で編集に関与しているページであるが ~ 一人を除いていない」とか「複数のユーザーのほうが」とのことですが、そもそもウィキペディアは多数決主義ではありませんし、別のアカウントやIP使って編集するという可能性もありますし、その5月4日 (水) 00:11から編集合戦してたのは利用者:ニアミス次郎会話 / 投稿記録さんとDauntonだけです(編集保護に関わったからあげ記事には関わってない編集者はいましたが)。「自ら提示した出典に関する質問にも答えない」ってのもウィキペディアの方針も示して答えてます。それが納得できない答えてないように見えるというならウィキペディアの方針は示している通りなので利用者:ニアミス次郎会話 / 投稿記録さんはウィキペディアの方針への理解がないということなのでしょう。「問題のある編集を繰り返してきた」についてもいやそれご自分のことでしょうとしか。なにしろそのアカウントでの初出時からノート議論中の部分を議論に参加もせず編集強行したり、ノート合意文を即改編(今回とはまた別件)したりといった問題ある編集してたのですから。また「出典から外れるものではなく、もしくは常識の範囲内にとどまるものであり特に問題のある記述は見受けられない」と言ってますが、つまりそういう出典ある記述は記載していいと言ってるわけですね、で何度も質問してるのに答えてもらってませんが会話ページで利用者:ニアミス次郎会話 / 投稿記録さんの言ってた問題点とはどの部分の記述がどう問題なのですか?具体的に全部挙げてください。--Daunton会話2016年5月25日 (水) 20:02 (UTC)
もう一か月近く経とうとしてますよ?返答せず無視してノート議論ほったらかしにせず25日の質問にお答えください(なお言うまでもありませんが25日の質問はそれ以前の編集合戦時から会話ページでもずっとお答えくださいと質問し答えを待ち続けてることです)。--Daunton会話2016年6月19日 (日) 14:54 (UTC)
対話拒否により議論終了とみなし、以前のノート合意文通りに処置しました。--Daunton会話2016年7月7日 (木) 15:06 (UTC)