ドーラ・ブロンベルガー
ドーラ・ブロンベルガー Dora Bromberger | |
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ドーラ・ブロンベルガー作の静物画(1920年代) | |
生誕 |
1881年6月16日 ドイツ、ブレーメン |
死没 |
1942年7月28日 (61歳没) トロステネツ絶滅収容所 |
ドーラ・ブロンベルガー(Dora Bromberger、1881年6月16日 - 1942年7月28日)は、ドイツの画家である。ユダヤ人で、1942年に現ベラルーシ、ミンクス近くのトロステネツ絶滅収容所で殺害された。
略歴
[編集]ドイツ北部のブレーメンで生まれた。父親のダーフィト・ブロンベルガー(David Bromberger: 1853-1930)は、作曲家、ピアニスト、音楽教師で、妹のヘンリエッテ・ブロンベルガー(Henriette (Henny) Bromberger: 1882–1942)はピアニスト、音楽教師になった。
1912年に美術学校に入学し、1915年からミュンヘンにハンス・ホフマンが設立した美術学校で学び、その後パリの美術学校でも学んだ。1923年にブレーメンに戻り、作品をブレーメン美術館などの展覧会で数回出展し、1927年にはベルリンの展覧会に出展し、1928年にはニュルンベルクの現代ドイツ美術展で展示された[1]。 1928年に ブレーメンの女性芸術家・美術愛好家協会(Arbeitsgemeinschaft der Künstlerinnen und Kunstfreunde)の会員になった。主に表現主義のスタイルで風景や静物画を水彩や油彩で描いた。
ナチスが権力を掌握した1933年から、ユダヤ人に生まれたブロンベルガーは一家は1888年にプロテスタントに改宗していたが、様々な弾圧に耐えなければならなかった。ブレーメンの女性画家エルザベト・ノルテニウス(Elisabeth Noltenius: 1888-1964)と友人になり、彼女らからブロンベルガーは支援を受けた。兄弟の一人は1939年にキューバに移住した。第二次世界大戦が始まるとブロンベルガー姉妹は逮捕され、1941年に現ベラルーシのミンスクに移送され、1942年にマリー・トロスティネス絶滅収容所(Vernichtungslager Maly Trostinez)で殺害された[2]。
作品
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冬の村の通り (1914)
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寒い秋の日 (1916)
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“Dünengras”(c.1920)
脚注
[編集]- ^ Schulz, Fritz Traugott; Ausstellung (1928) (German). Katalog der Ausstellung deutscher Kunst der Gegenwart 1928 in Nürnberg in der Norishalle am Mariengraben, 12. April - 2. September 1928. Leipzig: Klinkhardt & Biermann. OCLC 933732304
- ^ "Revolt, They Said". www.andreageyer.info. Retrieved 2017-07-30.
参考文献
[編集]- Herbert Schwarzwälder: Das Große Bremen-Lexikon. 2., aktualisierte, überarbeitete und erweiterte Auflage. Edition Temmen, Bremen 2003, ISBN 3-86108-693-X.
- Inge Jacob: Dora Bromberger. In: Bremer Frauenmuseum.
- Inge Jacob: Bromberger, Dora und Bromberger, Henriette, gen. Henny. In: Frauen Geschichte(n), Bremer Frauenmuseum (Hrsg.). Edition Falkenberg, Bremen 2016, ISBN 978-3-95494-095-0.
- R. Krüss: Bremer Juden unter dem Nationalsozialismus. Bremen 1983.
- Rolf Rübsam: Die Brombergers. Schicksal einer Künstlerfamilie, Bremen 1992, ISBN 3-924444-57-9.