トゥルィ

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トゥルィ[注 1]ベラルーシ語: Тур)は、10世紀末のトゥーロフ(現ベラルーシ・トゥーラウ)の支配者として、年代記に記述されている人物である。

概要[編集]

原初年代記』の980年の項には、「海を越えてやってきたログヴォロド(ru)は、ポロツクで権力をもち、トゥルィはトゥーロフで権力をもっていた。トゥーロフの名はトゥルィの名によるものである。」という主旨の記述がある[1]。また、16世紀に編纂された『ウスチュグ年代記全書』(ru)[注 2]では、トゥルィはログヴォロドの兄弟と称されている。これ以外の年代記には、トゥルィに関する記述はない。

ヴァシリー・タチーシチェフ(ru)ヴァシリー・クリュチェフスキー、ウラジーミル・ザヴィトネヴィチ(ru)らの研究者は、年代記において、実在の人物であるログヴォロドと並んで、トゥルィの名が記述されていることを根拠として、トゥルィを実在の人物とみなしている。一方、アレクセイ・シャフマトフ(ru)、ミトラファン・ドウナル=ザポリスキ(be)などの研究者は、年代記の記述は、トゥーロフの名の由来に関する伝説を伝えるものであるとみなし、トゥルィを伝説上の人物とみなしている。

ピョートル・ルィセンカ(be)は、この、地生えの公であるトゥルィの名は、「Тур」を語根とするスラヴ語派の地名と通じるものであり、都市・トゥーロフの名は、実在の人物の名に伴って命名されたものであるとみなしている[2]

トゥルィが実在の人物であるかどうかについては、いまだ決定的な論述はない。しかし、もし、トゥルィが実在の人物であるならば、ポロツクの最初の公とされるログヴォロドと共に、公として、ベラルーシ国家の根底を築いた最初期の人物ということになる。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ トゥルィの表記は國本哲男の訳による。
  2. ^ 書名はロシア語: Устюжский летописный сводの意訳。なお書名はウスチュグ(現ヴェリキイ・ウスチュグ)に由来する。

出典[編集]

  1. ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』89頁
  2. ^ Лысенко П. Тур // Энцыклапедыя гісторыі Беларусі. У 6 т. — Т. 6. — Кн. 1. — Мн., 2001. — С. 539.

参考文献[編集]

  • 國本哲男他訳 『ロシア原初年代記』 名古屋大学出版会、1987年。

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