デイヴィッド・リンジー (第3代クロフォード伯爵)

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第3代クロフォード伯爵デイヴィッド・リンジー英語: David Lindsay, 3rd Earl of Crawford1446年1月17日没(ユリウス暦))は、スコットランド貴族リンジー氏族英語版の一員。

生涯[編集]

第2代クロフォード伯爵アレグザンダー・リンジーと妻マージョリー(Marjory、1429年4月23日以降没)の息子として生まれ、1425年11月17日までに騎士爵に叙された[1]。1438年に父が死去すると、クロフォード伯爵位を継承した[1]

アバディーン州裁判所判事英語版(Sheriff of Aberdeen)を務めた[1]

スコットランド王ジェームズ2世(在位:1437年 – 1460年)の幼少期にはスコットランドの大貴族といえる立場になり、アバディーン州裁判所判事の官職をクロフォード伯爵家の世襲職(以降1511年まで世襲)にするなど権勢を誇った[1]

1440年代にセント・アンドルーズ主教英語版ジェイムズ・ケネディ英語版と対立して、セント・アンドルーズ主教領英語版に侵攻したため、ケネディに破門された[1]

1446年1月13日、リンジー氏族英語版と敵対するオグルヴィ氏族英語版との戦闘であるアーブロースの戦い英語版において、流血を避けるために仲介を試みたときに重傷を受けた[1]。戦闘は息子アレグザンダーがそのまま続行して勝利を収めたが、クロフォード伯爵自身は重傷により4日間苦しみ続けた末、17日にフィンヘイヴン城英語版で死去、息子アレグザンダーが爵位を継承した[1]。その後、破門が取り消されるまで埋葬が4日延期された[1]

家族[編集]

1423年3月、マージョリー・オグルヴィ(Marjory Ogivlie、1476年以降没、アレグザンダー・オグルヴィの娘)と結婚[1]、5男2女をもうけた[2]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 509–510.
  2. ^ "Crawford, Earl of (S, 1398)". Cracroft's Peerage (英語). 22 March 2005. 2020年7月6日閲覧
スコットランドの爵位
先代
アレグザンダー・リンジー
クロフォード伯爵
1438年 – 1446年
次代
アレグザンダー・リンジー