チャーイケーオ

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チャーイケーオ
เจ้าฟ้าสิงหราชธานี ชายแก้ว
戴冠 1759年
退位 1774年
出生 1742年
死亡 1789年1月5日
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チャーイケーオ王子あるいはシンハラーチャターニー王子はラムパーンの国主。カーウィラの父である。

伝記[編集]

即位したときはいわゆる、ラムパーンなどの地域は混乱期であり、チャーイケーオは国主の座をめぐって暗殺されそうになり、家族共々、友好国であったプレーに逃げ込んだ。チャーイケーオはプレーで250人の兵を組織すると、ラムパーンに攻め込んだが失敗し、弟を一人失った。

その後、この混乱を制す為にビルマは軍を送りラムパーンを制圧、チャーイケーオを再び王位につけ、国主の座を簒奪しようとした者達を投獄・処刑した。1766年のビルマのアユタヤ攻略においてはチャーイケーオはビルマ側を支援、アユタヤの陥落に一役買った。

しかし、1774年息子のカーウィラがビルマから離反し、アユタヤ王朝の跡を継いだタークシンの元へつき、その元でシャムによりラムパーンの国主となり、チャーイケーオは実質、ラムパーンの国主ではなくなった。なお、チャーイケーオは後に、カーウィラによってビルマから救出された。

子孫[編集]

チャーイケーオには10人の子供が居た。

参考文献[編集]

  • Ongsakul, Sarassawadee, History of Lan Na, trans. Chitraporn Tanratanakul, Chian Mai: Silkworm Books, Thai text 2001, English text 2005, ISBN 9749575849
  • The Chiang Mai Chronicle 2nd Edition, trans. David K. Wyatt and Aroonrut Wchienkeeo, Chinag Mai: Silkworm Books, 1998, ISBN 9747100622

関連項目[編集]

先代
ティップチャック
ラムパーン領主
1759年-1774年
次代
カーウィラ