チベット語のラテン文字表記法

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チベット語のラテン文字表記法(チベットごのラテンもじひょうきほう)は、チベット語ラテン文字で表記するときの表記法である。

チベット語の音声をラテン文字で記すための転写と、チベット文字表記をラテン文字化するための翻字の両方が必要になる。チベット語は通常チベット文字で表記されるが、チベット文字の正書法は表記と発音のずれが非常に大きいため、チベット文字をラテン文字に翻字しただけでは、チベット語正書法に通じた人間以外にはそれがどのような音を表すのかわからない。

翻字[編集]

ラテン文字への翻字は近年ワイリー方式がもっともよく使われるが、ほかの方式も使われる。

ACIP (Asian Classics Input Project)[1]の方式はワイリー方式によく似ているが、大文字を使用し、ワイリー式の ts, tsh が TZ, TS になるなど、わずかな違いがある。

アメリカ議会図書館(ALA-LC)[2]はかつて異なる方式を使っていたが、2015年4月にワイリー方式を拡張した方式に改正された[3][4]

古くから使われているものとしてダスの辞典の方式[5]イェシュケの辞典の方式[6]がある。

かつて日本の仏教関係の文献では、ダス方式を多少改めたもの(n̂, ḫ, çṅ, ḥ, ś) がよく使われていた。 日本チベット学会では、機関紙「日本西蔵學會々報」への投稿論文に対し、ワイリー拡張方式を推奨している。

母音については方式による違いがないので、ここでは子音についてのみ記す。

ワイリー k kh g ng c ch j ny t th d n p ph b m
イェシュケ k g c̀ʽ ny t d n p b m
ダス k kh g c ch j ñ t th d n p ph b m
旧ALA-LC方式 k kh g c ch j ñ t th d n p ph b m
ワイリー ts tsh dz w zh z ' y r l sh s h
イェシュケ ts tʽs dz w z ˱ y r l s h ʼ
ダス ts tsh ds w sh z y r l ç s h
旧ALA-LC方式 ts tsh dz w ź z ' y r l ś s h

音声転写[編集]

現在、音声転写は文献ごとに異なると言ってよく、国際音声記号を別にすると、国際的標準が存在しない。

中華人民共和国では、地名の標準として拼音に近い蔵文拼音が定められている。

ニコラ・トゥルナドルの教科書で使っている音韻転写[7]音韻論的に正確であるものの、一般の人間が使うには難しい点が多いため、大まかではあるがチベット文字との対応が比較的単純な簡易表記も用意されている[8]。この簡易表記でもまだ難しい点があるため、THL (The Tibetan and Himalayan Library) ではさらに大まかにしたTHL簡易音声転写(THL Simplified Phonetic Transcription)を提唱している[9]

ゾンカ語については異なる標準が定められている。

国際音声記号 k ŋ tɕʰ ɲ t n p m ts tsʰ w ɕ s j r l h ʔ
蔵文拼音 g k ng j q ny d t n b p m z c w x s y r l h
トゥルナドル k kh ng c ch ny t th n p ph m ts tsh w sh s y r l h '
THL簡易方式 k / g[10] kh / g[10] ng ch / j[11] ny t / d[11] n p / b[11] m ts / dz[11] w sh / zh[11] s / z[11] y r l h
国際音声記号 c ʈ ʈʰ ʂ
蔵文拼音 gy ky zh ch sh lh
トゥルナドル ky khy tr thr rh lh
THL簡易方式 ky / gy[10] khy / gy[10] tr / dr[11] hr lh
国際音声記号 a i u e o ɛ y ø
蔵文拼音 a i u ê o ai / ä ü oi / ö
トゥルナドル a i u e o ä ü ö
THL簡易方式 a i u e / é[12] o e / é[12] ü ö

トゥルナドル方式では、第一音節の母音の上下に線を引くことで声調を表し、降調になる場合は語末に「'」を加える。蔵文拼音やTHL簡易方式は声調を記さない。

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チョモランマ シガツェ タシルンポ ガンデン ドゥクチュ
ワイリー Jo mo glang ma Gzhis ka rtse Bkra shis lhun po Dga' ldan 'Brug chu
蔵文拼音 Qomolangma Xigazê Zhaxilhünbo Gandain Zhugqu
トゥルナドル cho̱mo lāngma shi̱katse trāshi' lhǖnpo ka̱ntän tru̱kcu[13]
THL簡易方式 Jomo Langma[14] Zhikatsé Trashi Lhünpo[14] Ganden Drukchu

脚注[編集]

  1. ^ ACIP”. 2015年6月19日閲覧。
  2. ^ ALA-LC Romanization Tables”. The Library of Congress (2015年). 2015年6月19日閲覧。
  3. ^ Summary of Proposed Revisions to Tibetan Romanization Table” (2014年12月2日). 2015年6月19日閲覧。
  4. ^ Tibetan Romanization Table Revision Approved”. The Library of Congress (2015年4月30日). 2015年6月19日閲覧。
  5. ^ Sarat Chandra Das; Graham Sandberg; Augustus William Heyde (1902). A Tibetan-English dictionary: with Sanskrit synonyms. Calcutta. p. xv ff.. https://archive.org/stream/atibetanenglish01dasgoog#page/n19/mode/2up 
  6. ^ Jäschke, Heinrich August (1881). A Tibetan-English Dictionary. London. p. viii. https://archive.org/stream/atibetanenglish00jsgoog#page/n12/mode/2up 
  7. ^ Tournadre (2005) Appendix 2
  8. ^ Tournadre (2005) Appendix 7
  9. ^ THL Simplified Phonetic Transcription of Standard Tibetan” (2010年2月1日). 2015年6月19日閲覧。
  10. ^ a b c d 無声字と有声字のどちらを使うかはチベット文字の綴りによって決まる(音節末では無声字を使う)
  11. ^ a b c d e f g 無声字と有声字のどちらを使うかはチベット文字の綴りによって決まる(音節末では無声字を使う)。無気音と有気音は区別しない
  12. ^ a b 語末では é と記す
  13. ^ 無気音と有気音の区別は第一音節のみにある。Tournadre (2005) p.36
  14. ^ a b 4音節の場合は途中で切る

参考文献[編集]

  • Tournadre, Nicolas; Sangda Dorje (2005). Manual of Standard Tibetan: Language and Civilization. Snow Lion. ISBN 1559391898 

外部リンク[編集]