ジョン・アースキン (第21代マー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第21代マー伯爵[注釈 1]ジョン・アースキン英語: John Erskine, 21st Earl of Mar1668年9月没)は、スコットランド貴族、軍人。1634年から1654年までアースキン卿儀礼称号を使用した[3]

生涯[編集]

第20代マー伯爵ジョン・アースキンとクリスチャン・ヘイ(Christian Hay、1668年5月24日没、第9代エロル伯爵フランシス・ヘイ英語版の娘)の息子として生まれた[3]

1640年にはスコットランド軍で戦っていたが、1641年にチャールズ2世側に寝返り、1645年9月13日のフィリップホフの戦いにも参戦した[3]。チャールズ2世側についた結果、24,000マーク英語版の罰金を課された[3]

1654年に父が死去すると、マー伯爵の爵位を継承したが、父の代に没収された領地は1660年の王政復古でようやく返還された[3]。王政復古の時点ですでに目が見えなくなったが、1661年1月1日のスコットランド議会英語版開会式で宝剣を持つ役割を務めた[3]

1668年9月に死去、息子チャールズが爵位を継承した[3]

家族[編集]

1641年、エリザベス・スコット(Elizabeth Scott、1621年11月 – 1647年7月23日以前、の娘)と結婚した[2]

1647年10月8日、メアリー・マッケンジー/ジーン・マッケンジー(Mary Mackenzie[3]/Jean Mackenzie[2]、1668年5月没[3]/1674年9月15日以降没[2]第2代シーフォース伯爵ジョージ・マッケンジー英語版の娘)と再婚、2男3女をもうけた[2]

注釈[編集]

  1. ^ 1572年没のジョン・アースキンは1565年にマー伯爵の爵位を回復したが、1875年の貴族院裁決と1885年の議会立法の結果、爵位復活と爵位創設の両方が行われたものとみなされ[1]、本記事の人物は中世創設の爵位では「第21代マー伯爵」、1565年創設の爵位では「第4代マー伯爵」となる。また、『クラクロフト貴族名鑑』など1435年没の第12代マー伯爵アレクサンダー・ステュアート英語版を正式な伯爵として数えない文献もあり[2]、その場合は本記事の人物が中世創設の爵位における「第20代マー伯爵」となる。

出典[編集]

  1. ^ Round, John Horace (1911). "Mar, Earldom of" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 17 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 665–666.
  2. ^ a b c d e "Mar, Earl of (S, 1114)". Cracroft's Peerage (英語). 18 March 2013. 2019年11月10日閲覧
  3. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 235–236.
スコットランドの爵位
先代
ジョン・アースキン
マー伯爵
1654年 – 1668年
次代
チャールズ・アースキン