ジクフ連盟
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ジクフ連盟(ジクフれんめい、ポーランド語: konfederacja dzikowska)は、ポーランド継承戦争中の1734年にジクフ(Dzików、現タルノブジェク近郊)でスタニスワフ・レシチニスキの支持者によって結成された軍事組織。アダム・タルウォが元帥を、王冠領大ヘトマンユゼフ・ポトツキが司令官を務めたが、ポトツキは1735年2月28日に解任された[1]。
連盟の合言葉は「ポーランド・リトアニア共和国の政治独立のためにザクセンとロシアと戦い、政治改革を行う」であった。チェコ人とハンガリー人、そしてシレジア人からの支持をとりつけようとしたが失敗した。またスウェーデン、フランス、オスマン帝国、教皇領にも大使を派遣した[2]。
連盟は1736年のクルピエとポドリア近くでの戦闘を最後に撃破された[3]。
脚注
[編集]- ^ Konopczyński, Władysław (1936). Dzieje Polski nowożytnej
- ^ Truchim, S. (1921). Konfederacja dzikowska. Poznań
- ^ Majewski, Wiesław (1987年). “Puszcza Zielona ostatnią ostoją Dzikowian”. Zeszyty Naukowe OTN. 2014年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月12日閲覧。