サクベ

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ユカタン州ジビルチャルトゥンのサクベ
チチェン・イッツァ、サクベ6の跡
カバーのサクベの終点に立つアーチ

サクベ(sacbe[1]、複数形 sacbeob サクベオブ)とは、先コロンブス期マヤ遺跡に見られる、地面より高くつくられた、石と漆喰または石灰の粉を使って舗装された直線的な堤道をいう。

サクベという言葉はユカテコ語で「白い道」を意味し、サク(白い)とベ(道)の複合語である。古代マヤでも同じ語が使われていたらしい[2]

概要[編集]

サクベは物資の輸送、歩道、儀式の行進、政治領域の維持などに利用されたと考えられている[3]

低地マヤは熱帯の密林の中にあり、その中を歩くのは容易ではない。とくに雨季にはほとんど旅行は不可能になる。サクベはこの問題を解決し、一年中商業・政治・軍事的な移動を可能にする[4]

サクベは広いところでは10メートルの道幅があり、地面から1メートルから3メートル高く作られた[4]。現在ではその多くは埋まってしまっている。

サクベの多くはひとつの都市の中の建造物または建造物グループどうしを結んでいる。その多くは水源をひとつの端とする[5]チチェン・イッツァのサクベはセノーテとカスティーヨを結んでいる。

都市と別の都市を結ぶ長距離のサクベも作られた。有名なウシュマルカバーを結ぶサクベは20キロメートルほどあり、終点にはアーチが建てられた。コバーヤシュナを結ぶサクベは100キロメートルもある長いものだった。1990年代の研究によると、ユカタン半島西北のティホスペイン語版(現在のメリダ)から東端のプエルト・モレロスに至る半島を横断するサクベが存在した可能性があり、その長さは300キロメートルに及ぶという[6]

サクベは形成期中期の紀元前600年-300年ごろのものがもっとも古い[7]ディエゴ・デ・ランダはイチュカンティホ(ティホ)とイサマルを結ぶ「非常に美しい道路」や、チチェン・イッツァのセノーテ近くの道路について言及している[8]

脚注[編集]

  1. ^ グアテマラ・マヤ言語アカデミーの正書法では sakbe
  2. ^ Shaw (2008) pp.4-5
  3. ^ 青山(2015) p.45
  4. ^ a b James O'Kon, Sacbe, The Old Explorer, http://www.theoldexplorer.com/index.php/maya-technology/sacbeob 
  5. ^ Shaw (2008) p.78
  6. ^ Shaw (2008) p.90
  7. ^ Shaw (2008) p.5
  8. ^ Shaw (2008) p.8

参考文献[編集]

  • Shaw, Justine M. (2008). White Roads of the Yucatán: Changing Social Landscapes of the Yucatec Maya. University of Arizona Press. ISBN 0816526788 
  • 青山和夫『マヤ文明を知る事典』東京堂出版、2015年。ISBN 9784490108729 

外部リンク[編集]