キンタ・ダ・ボア・ヴィスタ

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キンタ・ダ・ボア・ヴィスタ
旧サン・クリストヴァン宮殿
1820年頃に描かれたサン・クリストヴァン宮殿

キンタ・ダ・ボア・ヴィスタポルトガル語: Quinta da Boa Vista)は、ブラジルリオデジャネイロ北部サン・クリストヴァン (São Cristóvão) 地区にある広大な公園。19世紀のブラジル皇室が暮らしたサン・クリストヴァン宮殿の庭園の一部である。現在、旧サン・クリストヴァン宮殿には国立自然史博物館が入っている。また公園は、2000種以上の動物がいるリオデジャネイロ動植物園が置かれている。

概要[編集]

最初、キンタ・ダ・ボア・ヴィスタの地はイエズス会の農場の一部であった。1759年以降、ブラジル植民地英語版からイエズス会が追放されると、土地は分割されて複数の地主に切り売りされた。19世紀初頭に農場の一部を、裕福なポルトガル人商人エリアス・ロペシュが購入した。彼は1803年頃、農場の丘の上にマナー・ハウスを建てた。この丘からグアナバラ湾の素晴らしい眺めが見られることから、キンタ・ダ・ボア・ヴィスタ(眺めのいい公園)の名がついた。ナポレオンの侵攻から逃れるためブラジルへポルトガル宮廷がやってくると、摂政王太子ジョアン(のちのジョアン6世)に、1808年、ロペシュは広大な農場を献上した。リオデジャネイロ市街からほど近いこのマナーハウスをジョアン王子は気に入り、幾度も滞在した。

1816年から1821年にかけ、イギリス人建築家ジョン・ジョンストンが邸宅の改修と改築を行った。宮殿正面には、イギリスの第2代ノーサンバーランド公ヒュー・パーシーから贈られた、美しい装飾を施された門が設置された(現在、この門は動植物園の正門となっている)。生まれ変わった宮殿は、サン・クリストヴァン宮殿(Palacio de São Cristóvão)として知られるようになった。

1817年にペドロ王子(のちの皇帝ペドロ1世)と皇女マリア・レオポルディナが結婚後、夫妻はサン・クリストヴァオン宮殿で暮らした。夫妻の子供たち、マリア・ダ・グロリアフランシスカペドロ・デ・アルカンタラらがこの宮殿で生まれ、1826年にはここで皇后マリア・レオポルディナが死去した。

1822年のブラジル帝国樹立後、ペドロ1世は宮殿及び公園の再設計と拡張を続けた。メイン・ファサード左の塔、宮殿の三階を付け足したのはフランス人建築家ピエール・ペーゼラであった(いずれも新古典主義建築)。イタリア人画家マリオ・ブラガルディが宮殿内各部屋の内装を担当した。王座の間や大使の間のトロンプルイユは彼の手による。

サン・クリストヴァオン宮殿で育ったペドロ2世は、1869年に庭園の再設計を命じた。フランス人造園家オギュスト・グラジオーがこの計画に着手し、人工湖、橋、洞窟、古代神殿の模型といった当時のロマン主義流行にのっとった造型をつくった。

帝政廃止で共和制が始まると、皇室の亡命で宮殿と庭園には主がいなくなった。1891年、宮殿は政治家らが共和国憲法を書く場所に使用された。1892年、リオデジャネイロ自然史博物館理事長が、市内のカンポ・デ・サンタナにある博物館をサン・クリストヴァン宮殿へ移した。宮殿の内装は取り払われたが、一部は、王座の間を再編して設置しているペトロポリス大聖堂内の皇室霊廟のような別の博物館でみることができる。

座標: 南緯22度54分21秒 西経43度13分28秒 / 南緯22.90583度 西経43.22444度 / -22.90583; -43.22444