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キリルス・クレーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キリルス・クレーク
基本情報
生誕 (1889-12-03) 1889年12月3日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 ヴォンヌ
死没 (1962-03-26) 1962年3月26日(72歳没)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 エストニア・ソビエト社会主義共和国 ハープサル
学歴 サンクトペテルブルク音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家

   

キリルス・クレークエストニア語: Cyrillus Kreek1889年12月3日 Võnnu - 1962年3月26日 ハープサル)は、エストニア作曲家

経歴

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1989年、ロシア帝国・ヴォンヌ(Võnnu)[1]で生まれた。サンクトペテルブルク音楽院で音楽教育を受けた後、地元ハープサルで、次いでタリン音楽院で教鞭を執った。郷里であるエストニア西部の民謡を蒐集して録音し、またそれらに和声付けするのに一生を捧げた。

1962年、ハープサルで死去。

作曲作品

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合唱曲の作者として知られ、エストニア語訳された「死者のためのミサ」に曲付けした《レクィエム ハ短調》(1927年)がとりわけ名高い。4つの《ダヴィデの詩篇》Esti Dal(夕べの歌)はキングズ・シンガーズによって録音されている。

外部リンク

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脚注

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  1. ^ レーネ県ヴォンヌ。