ウィングフット・エア・エクスプレス墜落事故

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Wingfoot Air Express.jpg
事故当日、離陸するウィングフット・エア・エクスプレス
事故の概要
日付 1919年7月21日
概要 火災による墜落
現場 アメリカ合衆国シカゴ
乗客数 2
乗員数 3
負傷者数
(死者除く)
27
死者数 13(うち地上10)
行方不明者数 0
生存者数 2
機種 グッドイヤー タイプFD
運用者 グッドイヤー
出発地 グラントパーク
目的地 ホワイトシティ遊園地
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ウィングフット・エア・エクスプレス墜落事故(Wingfoot Air Express Crash)は、1919年7月21日アメリカ合衆国シカゴ上空で飛行船が火災を発生して墜落した事故で、乗員1人と乗客2人と破片が墜落した銀行の従業員の10人が死亡し、27人が負傷を負った事故である。

ウィングフット・エア・エクスプレスはグッドイヤーの所有する飛行船でシカゴ市内のグラントパークからホワイトシティ遊園地(White City amusement park)に乗客を運んでいた[1]。1919年7月21日午後4時55分頃、乗員3人と乗客2名が搭乗した飛行船はシカゴ上空、高度1200フィート(370m)で火災を起こした[2]。乗員3人はパラシュートで脱出し、パイロットと機関士1名は無事であったが[3]、機関士1名はパラシュートに火が移り死亡した。乗客のホワイトシティ遊園地の広報会社の社員は脱出できず死亡し[4]、シカゴ・ヘラルド・アンド・イグザミナーのカメラマンはパラシュートで脱出したが、両足を骨折し、後に病院で死亡した[5]

シカゴのジャクソン通りとラザール通りに面したイリノイ信託貯蓄銀行ビルでは大きい天窓のあるメインホール付近に150人の従業員が働いており、炎上した飛行船の破片が天窓を破って落下し、10人の死者と27人の負傷者が出たと報じられた。

この事故によってシカゴは市の上空の飛行規則を整備し、グラント公園の滑走路が廃止され、シカゴ・エア・パーク(後のシカゴ・ミッドウェー国際空港)が作られることになった。

出典[編集]

  1. ^ Ellen O'Brien (2001年6月). “1919, July 21: Dirigible (Balloon) Crash”. Deaths, Disturbances, Disasters, and Disorders in Chicago. Chicago Public Library. 2006年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月27日閲覧。
  2. ^ “The Great Tragedy”, The Columns of the Illinois Trust & Savings Bank, Chicago [special memorial issue]: 3, (1919-07), オリジナルの2006-06-20時点によるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20060620205331/http://www.chipublib.org/004chicago/disasters/text/balloon/3.html 
  3. ^ “Wild Plane”, タイム (タイム), (1993-09-04), http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,745991,00.html 
  4. ^ Gary Krist (2012). City of Scoundrels: The 12 Days of Disaster that Gave Birth to Modern Chicago. ニューヨーク: Crown Publisher. pp. 14. ISBN 978-0-307-45429-4. 
  5. ^ “11 Killed, 27 Hurt in Blazing Blimp's Fall in Chicago” (PDF), ニューヨーク・タイムズ, (1919-07-22), http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?_r=1&res=990DE0DC1638E13ABC4A51DFB1668382609EDE