ウィニフレッド・ナイツ
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ウィニフレッド・ナイツ Winifred Knights | |
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ウィニフレッド・ナイツ作「セント・マーチンの生涯から」 | |
| 生誕 |
1899年6月5日 イギリス、ロンドン |
| 死没 |
1947年2月7日(47歳没) イギリス、ロンドン |
ウィニフレッド・マーガレット・ナイツ(Winifred Margaret Knights、1899年 - 1947年)は英国の画家である。代表作は現在ニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレワにある"The Marriage at Cana"「カナの婚宴」と、現在テート・ギャラリーが所蔵しているローマ奨学金の受賞作"The Deluge"「大洪水」などである[1]。
ナイツの作風はイタリア15世紀ルネサンス(クワトロチェント)の影響を強く受け、1920年代における宗教的主題の再活性化の動向の中で独自の位置を占めた。同時代の画家としては、スタンリー・スペンサーやエドワード・ワズワースらが宗教的・象徴的主題を探究しているが、ナイツの幾何学的秩序と静謐さはよりイタリア的伝統に近い。
経歴
[編集]ウィニフレッド・ナイツは1899年6月5日、南ロンドンのストリーサムに生まれた。1912年よりダリッジのジェームズ・アレン女学校に学び、1915年からスレード美術学校に入学する。ヘンリー・トンクスやフレデリック・ブラウンの指導を受け、1915–17年、さらに1918–20年にかけて本格的な美術教育を受けた。在学中から構図力と精神性の高い画面構成で際立った評価を得ており、スレードでも最も将来を嘱望される学生の一人とみなされていた。
1917年1月、ロンドン・シルバータウンで起きたTNT大爆発を目撃したことは、彼女の精神に深い衝撃を与えた。この体験により一時休学し、ウスターシャー州の親族の農場で静養する。戦後スレードに復学すると、戦争と平和、都市と農村、男女の社会的役割といった主題を、象徴的かつ宗教的含意をもって描くようになった。
1919年には《Leaving the Munitions Works》を制作し、《Mill Hands on Strike》でスレード・サマー・コンポジション賞を受賞する。翌1920年、代表作《The Deluge(大洪水)》によって、ブリティッシュ・スクール・アット・ローマ絵画部門の奨学金を獲得した最初のイギリス人女性となった。この受賞によりイタリアに渡り、ローマ南方のアンティーコリ・コッラードに滞在する。
ローマ滞在期(1920–25年)は彼女の作風を決定づけた重要な時期である。初期ルネサンス、とりわけピエロ・デラ・フランチェスカに学んだ幾何学的構図、静謐な人物配置、明晰な光の扱いが顕著となる。1923年に完成した大作《The Marriage at Cana(カナの婚宴)》は当初テートに受け入れられなかったが、のちにニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレワに収蔵された。なお、1922年には《Italian Landscape》(1921年)が当時のテート・ギャラリー(現テート・ブリテン)に購入されている。

1924年には同じくローマ奨学生であったウォルター・トーマス・モニントンと結婚。1926–27年にロンドンへ戻り制作と発表を続ける。1928年から33年にかけては、カンタベリー大聖堂ミルナー記念礼拝堂のための祭壇画《Scenes from the Life of St Martin of Tours》を制作し、宗教画家としての評価を確立した。1929年にはニュー・イングリッシュ・アート・クラブ会員に選出されたが、同団体の展覧会には参加していない。
1933年には、実業家ステファン・コートールド夫妻が取得したエルサム・パレスの内装装飾に、モニントンとともに参加し、装飾芸術の分野にも関わった。しかしその後は慢性的な体調不良に悩まされ、制作は次第に制限されていく。
1947年、脳腫瘍のためロンドンで47歳で死去。没後しばらくは広く顧みられることがなかったが、21世紀に入り再評価が進み、2016年にはダリッジ・ピクチャー・ギャラリーにおいて初の大規模回顧展が開催された。現在では、戦間期イギリス美術における宗教的象徴主義の重要な画家の一人として位置づけられている。
"The Deluge"「大洪水」
[編集]ローマ奨学金(ブリティッシュ・スクール・アット・ローマ)絵画部門の応募課題は、油彩またはテンペラにより、約6×5フィート(約183×152cm)の画面に「ノアの洪水」の場面を制作することであった。制作期間は夏季のおよそ8週間に限定されており、応募者は短期間で大作を完成させることが求められた。審査は、ジョージ・クラウゼン、ジョン・シンガー・サージェント、フィリップ・ウィルソン・スティーア、デイヴィッド・ヤング・キャメロンらを含む著名な美術家・教育者によって構成される委員会によって行われた。

ウィニフレッド・ナイツの《The Deluge》は、複数の構想段階を経て完成に至ったことが知られている。初期案では、前景に箱舟へ動物を導くノアとその家族を含む構成が検討されていたが、最終的には上昇する水から高台へと避難する人々に主題を集中させる画面へと整理された。箱舟は画面右奥に小さく配され、叙事的説明よりも人間の心理的緊張と集団的運命の表象に重点が置かれている。この簡潔化は制作時間の制約による側面も指摘されるが、同時に構図上の統一性と精神的集中を強める意図的判断とみる解釈も有力である。
人物表現においては、身近な人物がモデルとして用いられた。中央で幼子を抱く女性像は画家の母を基にし、当時のパートナーであったアーノルド・メイソンは複数の男性像のモデルとなった。さらに、画面前景右寄りの人物には画家自身の姿が反映されているとされる。洪水の水景表現には、ロンドン南部のクラパム・コモン周辺の風景が参照されたと伝えられる。
本作はローマ奨学金受賞作として高く評価され、1925年のExposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels Modernes(パリ万国博覧会)の英国館に出品され、国際的な紹介を受けた。現在はテート・ブリテンに所蔵されている。本作は戦間期イギリス美術における宗教的主題の再解釈の代表例と位置づけられ、とりわけ女性画家による大規模歴史画として例外的達成を示す作品と評価されている。
服装
[編集]ウィニフレッド・ナイツは、その作品だけでなく、日常における独特の装いでも知られている。彼女の衣装は、19世紀イタリアの農民服を参照しつつ様式化したもので、足首丈のスカート、前面を平らなボタンで留める簡素なブラウス、つばの広い黒帽、さらにサンゴのネックレスやイヤリングを組み合わせるのが特徴であった。こうした装いは単なる趣味にとどまらず、彼女の理想化された歴史観や宗教的主題への志向とも響き合う、自己演出の一環であったと考えられている。
この独特の衣装は、作品中の自画像にも確認できる。《The Deluge(大洪水)》では前景右寄りの人物に画家自身の姿が投影され、《The Marriage at Cana(カナの婚宴)》では画面左側の食卓に着席する人物のひとりがナイツであるとされる。いずれの作品においても、彼女は現実の生活と同様の衣装をまとって描かれており、自己像を宗教的・歴史的場面の内部へと組み込む方法として機能している。
脚注
[編集]- ^ Tate. “Winifred Knights 1899-1947 | Tate” (英語). Tate 2018年8月17日閲覧。
参考文献
[編集]- Sacha Llewellyn, Winifred Knights, Lund Humphries and Dulwich Picture Gallery, London 2016
- Winifred Knights, The British School at Rome/Fine Art Society plc/ Liss Fine Art, (exhibition catalogue) 1995