アーネスト・コッサート

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アーネスト・コッサート
Ernest Cossart
映画『巨星ジーグフェルド』(1936年)の予告編より
生誕 エミール・ゴットフリード・フォン・ホルスト
(1876-09-24) 1876年9月24日
イングランドの旗 イングランド チェルトナム
死没 1951年1月21日(1951-01-21)(74歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
活動期間 1916年–1950年
配偶者 モード・デイヴィス(1906年結婚)
家族 グスターヴ・ホルスト(兄)
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アーネスト・コッサート(Ernest Cossart 1876年9月24日 - 1951年1月21日)は、イギリス系アメリカ人俳優。出生名はエミール・ゴットフリード・フォン・ホルスト(Emil Gottfried von Holst)。イングランドで舞台のキャリアを積んでからアメリカ合衆国へと移住し、ブロードウェイをはじめ国中で活躍した。1930年代と1940年代には映画にも出演し、執事や従者の役を得意としたがその他の多種多様な役も演じた。

生涯[編集]

コッサートはグロスタシャーチェルトナムに生まれた。プロの音楽家であったアドルフ・フォン・ホルスト(1846年-1901年)と妻のクララ(旧姓 レディアード、1841年-1882年)の間の2番目の息子であった[1]

兄のグスターヴァスは後にグスターヴ・ホルストという名前で知られ、イングランドを代表する作曲家となった[1]。エミールはチェルトナム・グラマー・スクール英語版に通い、その後あるワイン会社の事務所で事務員となった。俳優としてのキャリアを追求することを決心した彼はアーネスト・コッサートという芸名を名乗り、イギリスで舞台に上がった。1908年に渡米するとブロードウェイでの興行に加えて国全土での活躍を見せた[2]第一次世界大戦中に従軍したカナダ海外派遣軍では重傷を負ってしまう[3]。戦後はウェスト・エンドで音楽喜劇に出演し、1919年にブロードウェイへと戻った[3]

1920年代終盤にロンドンの舞台に帰ってきたコッサートは、アルフレッド・ラント英語版リン・フォンタン英語版との共演でブロードウェイでのヒット作『Caprice』のウェスト・エンド上演を行った[4]。1932年にはジョージ・バーナード・ショーの『Too True to Be Good』の初演でトールボーイズ大佐を演じ、この時の共演はベアトリス・リリーレオ・G・キャロルであった[5]

コッサートは1930年代にハリウッドでの映画出演に軸足を移す。執事がはまり役となった彼について[6]、『ニューヨーク・タイムズ』紙は次のように評している。

大英帝国からハリウッドとミステリー作品への至高の贈り物である執事役は、アーネスト・コッサートの十八番である。『今宵は二人で英語版』と『青春のため息英語版』では冷淡な沈着さと覆い布のベストの几帳面さで仕える彼を目にしただろうが、今度エルンスト・ルビッチマレーネ・ディートリヒハーバート・マーシャル出演で製作した『天使』では、正しき紳士の中の紳士として彼を見ることになる[7]

『天使』では召使い役であったコッサートとエドワード・エヴェレット・ホートン英語版が、作品中で最良の演技を見せたと評価された[8]。そうした役の他にもコッサートは幅広い役柄を演じており、ロナルド・レーガンと共演した『嵐の青春英語版』ではパ・モナガン[9]、『トム・ブラウンの学校生活英語版』ではスクワイア・ブラウンを担った[10]。彼がローマ・カトリックの司祭を演じている映画が2本あり、ひとつはフランス人、もうひとつはアイルランド系アメリカ人という役どころであった[10]

第二次世界大戦中にはセドリック・ハードウィックベイジル・ラスボーンら他の国外移住した俳優たちと共に基金を立ち上げ、イギリスで貧苦にあえぐアーティストを支援した[11]

コッサートはニューヨークで74年の生涯を閉じた。妻で女優のモード・デイヴィス、娘で女優のヴァレリー・コッサート(1907年-1994年)を残しての旅立ちであった[12][13]

ブロードウェイ[編集]

出演映画(抜粋)[編集]

英国映画協会の情報を基にコッサートの出演作品の一部を以下に列挙する[10]

出典[編集]

  1. ^ a b Matthews, Colin. "Holst, Gustav", Grove Music Online, Oxford University Press. Retrieved 19 March 2013 (Paid subscription required要購読契約)
  2. ^ "Emil von Holst (Ernest Cossart)" Archived 3 December 2013 at the Wayback Machine., Holst Birthplace Museum. Retrieved 20 March 2013
  3. ^ a b Short, p. 476
  4. ^ "The Theatres", The Times, 16 May 1929, p. 14
  5. ^ Atkinson, Brooks. "Over the Coffee Cups", The New York Times, 5 April 1932 (Paid subscription required要購読契約)
  6. ^ Asper, H G. "Three smart guys", Film History, 11(2) (1999), pp. 134–53 (Paid subscription required要購読契約)
  7. ^ Jones, Idwall. "Buttling a Way to Fame", The New York Times, 7 November 1937 (Paid subscription required要購読契約)
  8. ^ "Angel", The Manchester Guardian, 15 February 1938, p. 13
  9. ^ Tibbetts, John C "Film Reviews", Film & History, 41(2) (2011), pp. 84–85(Paid subscription required要購読契約)
  10. ^ a b c "Ernest Cossart", British Film Institute; retrieved 20 March 2013.
  11. ^ "Help for Distressed Actors", The Times, 28 December 1939, p. 4
  12. ^ "Valerie Cossart", British Film Institute. Retrieved 20 March 2013
  13. ^ "Deaths", The Times, 24 January 1951, p. 1

参考文献[編集]

  • Short, Michael (1990). Gustav Holst: The Man and his Music. Oxford: Oxford University Press. ISBN 019314154X 

外部リンク[編集]