アレクサンドル・フェドトフ

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アレクサンドル・フェドトフ(Alexander Vasilievich Fedotov、ロシア語表記:Александр Васильевич Федотов、1932年6月23日 - 1984年4月4日)はソビエトのテスト・パイロットである。MiG設計局などの戦闘機の試験飛行を行い、多くの航空記録を樹立した。

ボルゴグラードで生まれた。空軍で勤務した後、1958年からMiG設計局のテストパイロットとして働いた。MiG-21, MiG-23, MiG-25, MiG-27, MiG-29, MiG-31の試験飛行を行い、実験機で、航空記録を樹立したことで国際的に有名なパイロットとなった。フェドトフの作った記録には、1961年7月10日の実験機E-166による周回飛行速度記録(2,401 km/h)、1973年7月25日のE-266による高高度飛行記録(36,240m)1977年8月31日のE-266Mによる高高度飛行記録(37,650m)などがある。これらの飛行で国際航空連盟デラボー賞を3度受賞した。またソビエトで最初にマッハ3を越える飛行に成功したパイロットである。1984年、MiG-31の試験中に事故死した。

レーニン賞(1981年)やソ連邦英雄を受勲した。

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