アレクサンダー・レズリー=メルヴィル (第7代リーヴェン伯爵)

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デイヴィッド・マーティン英語版による肖像画

第7代リーヴェン伯爵[注釈 1]および第6代メルヴィル伯爵アレクサンダー・レズリー=メルヴィル英語: Alexander Leslie-Melville, 7th Earl of Leven, 6th Earl of Melville、出生名アレクサンダー・レズリーAlexander Leslie)、1749年11月7日1820年2月22日)は、スコットランドの貴族、政治家。1754年から1802年までバルゴニー卿儀礼称号を使用した[3]

生涯[編集]

第6代リーヴェン伯爵および第5代メルヴィル伯爵デイヴィッド・レズリーとウィルヘルミナ・ニスベット(Wilhelmina Nisbet、1724年 – 1798年5月10日、ウィリアム・ニスベットの娘)の息子として、1749年11月7日に生まれた[3]。1773年から1776年までグランド・ツアーをした[3]

1785年、スコットランド・キリスト教知識普及協会英語版に入会した[3]

1786年から1820年までスコットランド税関監査官(Comptroller of the Customs)を、1794年にファイフ副統監を、1798年にファイフの民兵隊の中佐を、1806年から1807年までホイッグ党員としてスコットランド貴族代表議員を務めた[3]。また、300ポンドの年金を受け取っていたという[3]

1802年6月9日に父が死去すると、リーヴェン伯爵メルヴィル伯爵の爵位を継承した[3]。リーヴェン伯爵とメルヴィル伯爵の称号を両方とも使用した人物は第7代リーヴェン伯爵がはじめてであり、その理由は1802年のメルヴィル子爵創設(ヘンリー・ダンダス英語版への叙爵)とされる[3]。1805年には「メルヴィル」を姓に加えた[3]

1820年2月22日にメルヴィル・ハウス英語版で死去、息子デイヴィッド英語版が爵位を継承した[3]

家族[編集]

1784年8月12日、ジェーン・ソーントン(Jane Thornton、1757年2月11日 – 1818年2月13日、ジョン・ソーントン英語版の娘)と結婚[3]、5男3女をもうけた[1]

注釈[編集]

  1. ^ 文献によっては第2代リーヴェン伯爵アレクサンダー・レズリーの娘マーガレットキャサリンも含めて代数を数えており(例:クラクロフト貴族名鑑[1])、その場合は本記事の人物が「第9代リーヴェン伯爵」になる。ここではブリタニカ百科事典第11版[2]などと同じく、マーガレットとキャサリンを含まない代数を採用している。

出典[編集]

  1. ^ a b "Leven, Earl of (S, 1641)". Cracroft's Peerage (英語). 30 January 2018. 2019年11月2日閲覧
  2. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Leven and Melville, Earls of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 16 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 508.
  3. ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 622–623.
スコットランドの爵位
先代
デイヴィッド・レズリー
リーヴェン伯爵
1802年 – 1820年
次代
デイヴィッド・レズリー=メルヴィル英語版
メルヴィル伯爵
1802年 – 1820年