アルナウト・ダニエル

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アルナウト・ダニエル

アルナウト・ダニエル (Arnaut Daniel 活動時期:1180年頃-1200年頃)(アルノー・ダニエル)は中世フランス南部の吟遊詩人トルバドゥールの一人。オック語による押韻の技巧を凝らした詩で知られる。

アルナウトの生涯についてはほんの僅かであるがヴィダス Vidas で触れられている。

アキテーヌ地方ペリゴール(現在のドルドーニュ県)のリベラック(Riberac)村にあった城で高貴な身分に生まれ、学問と詩作に励んだが、後に地位を捨ててジョングルールとして諸国を遍歴した。極めて凝ったカンソを作ったが、余りに難しいために理解する事も覚える事も容易でなかった。ガスコーニュ(現在のランド県ピレネー=アトランティック県)の身分の高い既婚の貴婦人に恋をしたが、それが叶えられたとは誰も信じなかった。』

現存する十八篇の詩はいずれも難解な「隠密詩法」で書かれている。彼の創始になるセスティーナ(六行解)は詩人に超絶技巧を要求し、必然的に彼を言葉の工匠たらしめている。セスティーナと呼ばれる6行6連詩を作った事でも知られ、またイタリア北部の清新体派の詩に影響を与えた事をダンテは『神曲』の中で示唆している。 "Lo ferm voler qu'el cor m'intra"「我が心にしのびこむ この切なる恋の思いを」、"Sol sui qui sai lo sobrafan"「我が知しり事は 悲しみのみ」など、19のカンソが残されている。 彼のセスティーナの一部を以下に紹介する。

わたしの心にしのびいるこの強固な愛を
悪口でその魂を呪う讒人の嘴も爪も
ひき裂くことはできない。
わたしはそれを枝や笞であえて打擲せず
せめてひそかに 叔父のいぬまに
庭で 部屋で 愉しみを味わおう。


悲しいことに 誰ひとりしのびいることもできず
だれもが兄や叔父よりも厳しく見張っている
あの部屋のことを思うと
わたしは全身 爪の先まで
笞をまえにした子供のように震えおののき
不安でわたしの魂は彼女をどうすることもできない


彼女が魂ではなく肉体をもち
ひそかにわたしをその部屋にいれてくれたら!
彼女の僕たるわたしは主人の部屋へはいれない。
そのことが 笞の一打よりわたしの心を傷つける。
彼女に対し わたしは肉と爪とになり
叔父や友の懲罰も気にとめなくなるのだが。


叔父の妹をさえ わたしはこの魂にかけて
これほどまでに愛しはしなかった。
彼女さえよしとするなら 彼女の部屋の近くにいたい
爪に対する指ほどにも近く。
わたしの心にしのびいるこの愛は
しなやかな笞よりもよく意のままにわたしを従える。


枯枝の笞が花咲き
甥と叔父がアダムより出て以来
わたしの心にしのびいるこの愛ほどにまことの愛は
思うに いまだどんな身にも魂にも宿りはしなかった。
広場のそと 部屋の中 彼女がどこにいるとしても
わたしの心は爪のとどくかぎり彼女から離れはしない。


わたしの心は 笞の棒に皮がついているように
彼女に付着し 爪をたてている。
彼女はわたしの喜びの塔、王宮、部屋、
わたしは兄も父も叔父もそれほどには愛していない。
わたしの魂は天国で二重の喜びを得るだろう
よき愛のためひとは天国にはいるとするならば。


アルノー ここに爪 (オングル)と叔父 (オンクル)との歌を送る
その笞で彼の魂を支配する人の許可をえて
その部屋にしのびいるに値するデジラトに。

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