アリー・ムラード・ハーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アリー・ムラード・ハーン
ザンド朝
シャー
在位 1779年
1782年 - 1785年

死去 1785年2月11日
マーザンダラーン
王朝 ザンド朝
父親 アッラー・ムラード・カイタス・ハーン
テンプレートを表示

アリー・ムラード・ハーン(? - 1785年2月11日)は、ザンド朝の第4代・第6代君主(在位:1779年1782年 - 1785年)。

生涯[編集]

父はカリーム・ハーンの一族であるアッラー・ムラード・カイタス・ハーンである。1782年に先代のサーディク・ハーンに対して反乱を起こして殺害し、跡を継いだ。だがこの頃にはイラン北部でカージャール朝アーガー・モハンマド・シャーが勢力を拡大しており(アーガー・モハンマド・シャーはカリーム・ハーンに捕らえられていたが、1779年にカリームが死ぬとシーラーズを脱出していた)、アリーは彼と抗争するも敗れて1785年にマーザンダラーンで戦死した。

宗室[編集]

父母[編集]

参考文献[編集]