アッシュール・ニラリ4世

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アッシュール・ニラリ3世
アッシリア王
在位 前1019年-前1013年

父親 シャルマネセル2世
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アッシュール・ニラリ4世Aššur-nērārī IVmaš-šur-ERIM.GABA、「アッシュールは我が助け」[1]、在位:前1019/1018年-前1013年)はアッシリアの王。『アッシリア王名表』において第94代のアッシリア王として登場する[i 1][i 2]。彼の6年という短い統治は、混乱と同時代碑文の欠如によって特徴づけられる。

来歴[編集]

KAV21を写したシュローダーの線画。このリンム表はアッシュール・ニラリ4世の6年の在位と彼の前任者及び後任者双方を示している[i 3]

アッシュール・ニラリ4世は父シャルマネセル2世(シャルマヌ・アシャレド2世)の跡を継いだ。父王の12年間の治世は混乱の中で終わったように思われ、リンム英語版[i 3]における彼の治世の最後のリンムは欠落しており、ša ar[ki si...]「リンム、(前年のリンムの名)の後」と記録されている。アッシュール・ニラリ4世はその治世の最初の年にリンムを務めたが、翌年はša EGIR maš-šur-「アッシュール...の後(の年)」と記され、その後の全ての年が連番と「同上(ditto)」を意味するウィンケルハーケン英語版で記録された。この時代の間の波乱に満ちた事件の数々故に、リンムは任命されなかった可能性が高い[2]

バビロンの王、ニヌルタ・クドゥリ・ウツル1世英語版(在位:前987年-前985年)は『対照王名表(Synchronistic Kinglist[i 4]』においてアッシュール・ニラリ4世と対になる王とされている。しかし、伝統的な年代学はアッシュール・ニラリ4世に対応する実際のバビロン王は、より古い時代のシンバル・シパク英語版(在位:前1025年-前1008年)であったことを示唆している。後のアッシリア王アッシュールナツィルパル2世(アッシュール・ナツィル・アプリ2世)はアトリラ(Atlira)市の占領の文脈で「シビル(Sibir)、カルドニアシュ英語版の王」に言及している。彼の年代記において、また歴史家たちは、一応この人物をシンバル・シパクに同定しており、アッシュール・ニラリ4世の時代にシンバル・シパクが対アッシリアの戦争に従事していたとしている[3]

彼の後継者はおじのアッシュール・ラビ2世であり、以前の王アッシュールナツィルパル1世(アッシュール・ナツィル・アプリ1世)の年少の息子である。王位継承を巡る状況は不明である。アッシリアの君主権力において、おじが甥の地位を継承するケースは一般的に簒奪であるが、『アッシリア王名表』ではアッシュール・ニラリ4世の地位が簒奪されたことは示されていない。

記録[編集]

  1. ^ Khorsabad Kinglist, tablet IM 60017 (excavation nos.: DS 828, DS 32-54), iv 8.
  2. ^ Nassouhi Kinglist, Istanbul A. 116 (Assur 8836), iv 21.
  3. ^ a b Eponym List KAV 21, tablet VAT 11254, iv.
  4. ^ Synchronistic Kinglist, Ass 14616c (KAV 216).

脚注[編集]

  1. ^ A. Fuchs, K. Radner (1998). “Aššur-nērārī II”. In K. Radner. The Prosopography of the Neo-Assyrian Empire, Volume 1, Part I: A. The Neo-Assyrian Text Corpus Project. p. 208. 
  2. ^ M. T. Larsen (1974). “Unusual Eponymy-datings from Mari and Assyria”. Revue D’Assyriologie: 21. 
  3. ^ J. A. Brinkman (1968). A Political History of Post-Kassite Babylonia, 1158–722 B.C.. Pontificium Institutum Biblicum. p. 154. 
先代:
シャルマネセル2世
アッシリア王
前1019年-前1013年
次代:
アッシュール・ラビ2世