アシイ

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紀元前1世紀頃のアシイ(アシオイ)の位置。

アシイAsii)、あるいは、アシアニAsiani)、アシオイAsioiギリシャ語Ασιοι)とは、古代の遊牧民ローマ人、ギリシャ人によって、約紀元前140年頃のグレコ・バクトリア王国崩壊を招いたと記録される。しばしば、スキタイに分類される。

歴史資料[編集]

アシイに関連する資料は非常に限られている。主に、トログスストラボンなどの歴史家による資料が残っている。

トログス[編集]

トログスの『ピリッポス史イタリア語版(Historiae Philppicae)』序言において「バクトリア史」に関する言及の中で、スキタイのアシアニ族(Asiani)、サカラウカェ族(Sacaraucae)が、グレコ・バクトリア王国およびソグド人を占領した、と述べられている[1]。 また、同序言における「スキュティア史」に関する言及の中では、トカロイ族(Tacharoi)の王が「アシア人(Asian)」であるとし、サカラウカェ族の滅亡について述べられている[2]。 なお、トログスによってラテン語で著された『ピリッポス史』は、完全な形で残っているのは序言のみで、多くは、ユスティヌスによる抄録の形で残るが、抄録中には以上に挙げた事柄について詳細な言及はない。

ストラボン[編集]

ストラボンによってギリシャ語で著された『地理誌英語版(Geography)』においては、ヤクサルテス川対岸より侵攻した遊牧民、アシオイ(Asioi)、パシアノイ(Pasianoi)、トカロイ(Tacharoi)、サカラウロイ(Sakarauloi)がギリシャ人からバクトリア地方を奪った、と記される[3]

アシイの起源に関した学説[編集]

アシイの起源、関連性、言語、文化などについては、歴史学を初めとする分野から多くの学説が提出されているものの、共通見解を得るにはまだ遠いと言わざるを得ない。 トログスの「アシアニ(Asiani)」とストラボンの「アシオイ(Asioi)」が同一であることは一般的にも受け入れられており[4]、 ストラボンにおいて追加されている「パシアノイ(Pasianoi)」については異論の余地が残されている。

イッセドネス[編集]

アシイとは、ヘロドトスの言うイッセドネスのことであるという説である。
余太山中国語版は、アシイをイリ川チュイ川の間に居住し、後にバクトリアとソグディアナを征服した4部族の支配者と考えている。 また、彼は「イッセドン・スキュティア(Issedon Scythia)」と「イッセドン・セリカ(Issedon Serica)」がイッセドネスと同源であるとし[5]、イッセドネスは遅くとも紀元前7世紀の終わり頃までには、イリ川とチュイ川の間へ移動したと考えている[6][7]

月氏・烏孫[編集]

紀元前1世紀の西域諸国

ウィリアム・ウッドソープ・ターン英語版は、アシイとは月氏の構成部族であり、トハラ人もこれに含まれると考えたが、後に、自らのこの説に懐疑的な立場をとるようになった[8][9]
ギリシャ、ローマの記録に残るアシイ、トカリ、および、中国の記録に残る、月氏、烏孫について、これらを相互に関連付ける、いくつかの説がある。

アシイ(Asii)とは、パイサニ(Paisani)、ガイサニ(Gaisani)に同定される。そして、これらは即ち月氏(Yuezhi)のことである。 — ヨーゼフ・マルクワルトポーランド語版ペルシア語版トルコ語版[10]
これは、烏孫(Wusun)の起源を西方の記録に求める手掛かりを示している。「烏孫」の発音「*o-sən」「*uo-suən」は、ポンペイウス・トログス(紀元前1世紀)が報告するスキタイ部族、アシアニ(Asiani)から転化したと考えるに遠くない。 — ジェームズ・パトリック・マロリー英語版ヴィクター・メアThe Tarim Mummies[11]
アシイ(Asii)とは、恐らくスキタイ3部族の内の1つであるが、トカリ(Tochari)は、恐らくそうではなく月氏(Yuezhi)に同定されると考えられる。 — アワド・キショール・ナレイン英語版The Indo-Greeks[12]

クシャン[編集]

アシイを後のクシャン帝国の中心部族「クシャン族」、あるいは中国資料に記録される大月氏の貴霜翕侯中国語版に位置付ける説がある。

中央アジアの遊牧民における民族移動について、最も重要な歴史資料はユスティヌスの『ポンペイウス・トログスによる序言』(第四十二巻の序言)にある「アシアニ(Asiani)がトカリ(Tochari)の王であり、サカラウカェ(Sacaraucae)を滅ぼした(ラテン語: Reges Tocharorum Asiani interiusque Sakaraucarum)」との立場である。

これをもって、アシアニとトカリが密接な関連を持つ部族であると結論付けることが可能であり、推し進めて言えば、アシアニはトカリの支配者であったということが言える(ラテン語: Reges Tocharorum Asiani)。 我々はアシアニを後に勢力を拡大し大帝国を築くこととなる、有力部族の1つクシャン族に起源付けることが可能である(von Gutschmidt 1888; Haloun 1937; Bachhofer 1941; Daffina 1967)。 注目に値することは、ユスティヌスによってアシアニがトカリを支配したと述べられるのと同時に、中国資料においては、クシャン族(貴霜翕侯)を月氏の5つの諸侯の内で最大としている点である。

— カジム・アブドゥラエフ 『Nomad Migrations in Central Asia』[13]


関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ポンペイウス・トログス/ユニアヌス・ユスティヌス抄録『ピリッポス史』第四十一巻の序言「バクトリア史では、ディオドトス王によって王国が築かれたことが、そして、その後、誰の統治下でスキュティア種族、即ち、サカラウカェ族とアシアニ族とがバクトリアとソグディアニ族[の他]とを占領したか、ということが述べられている。」(合阪 學(訳) 『地中海世界史 (西洋古典叢書)』 P.38)
  2. ^ ポンペイウス・トログス/ユニアヌス・ユスティヌス抄録『ピリッポス史』第四十二巻の序言「これらの記述に、さらにスキュティア史が付け加えられる。そして、トカロイ族のアシア人の王たちと、サカラウカェ族の滅亡とが述べられる。」(合阪 學(訳) 『地中海世界史 (西洋古典叢書)』 P.40)
  3. ^ ストラボン『地理誌』第二部 アジア、第十一巻、第八章 北方民族の地方「これら遊牧民のなかでも殊のほかよく知られているのが、ギリシア人からバクトリアネ地方を奪った諸族アシオイ、パシアノイ、トカロイ、サカラウロイで、これら部族の出撃地はイアクサルテス川対岸にあたり、サカイ、ソグディアノイ両族の地方に面して、かつて両族のうちの前者が占有していた地方である。」(飯尾 都人(訳) 『ギリシア・ローマ世界地誌 II』 P.60)
  4. ^ Iaroslav Lebedynsky. (2006). Les Saces: Les «Scythes» d'Asie, VIIIe siècle av. J.-C. — IVe siècle apr. J.-C. Editions Errance, Paris. ISBN 2-87772-337-2
  5. ^ Taishan Yu. A Study of Saka History, pp. 12, 15, 24, 140. (1998) Sino-Platonic Papers. University of Pennsylvania.
  6. ^ Taishan Yu. A Study of Saka History, pp. 21 and 38, n. 13 (1998) Sino-Platonic Papers. University of Pennsylvania.
  7. ^ J. P. Mallory and Victor H.Mair. (2000) The Tarim Mummies, p. 92. Thames & Hudson Ltd., New York and London. ISBN 0-500-05101-1.
  8. ^ W. W. Tarn. The Greeks in Bactria and India. 2nd edition. (1951), pp. 284, 286, 533. Cambridge.
  9. ^ Taishan Yu. A Study of Saka History, p. 40, n. 30. (1998) Sino-Platonic Papers. University of Pennsylvania.
  10. ^ J. Markwart. Ērānšahr. (1901), p. 206. Referred to in: Taishan Yu. A Study of Saka History, p. 38, n. 17. (1998) Sino-Platonic Papers. University of Pennsylvania.
  11. ^ J. P. Mallory and Victor H.Mair. (2000) The Tarim Mummies, pp.91-92. Thames & Hudson Ltd., New York and London. ISBN 0-500-05101-1.
  12. ^ A. K. Narain. The Indo-Greeks, p. 132. (1957). Oxford University Press.
  13. ^ Kazim Abdullaev (2007). "Nomad Migrations in Central Asia." In: After Alexander: Central Asia before Islam. Proceedings of the British Academy - 133, Eds. Joe Cribb & Georgina Herrmann, p. 75. ISBN 978-0-19-726384-6.

参考資料[編集]

  • ポンペイウス・トログス(著), ユニアヌス・ユスティヌス(抄録), 合阪 學(訳) 『地中海世界史 (西洋古典叢書)』 (京都大学学術出版会、1998年 ISBN 4-87698-107-8
  • ストラボン(著), 飯尾 都人(訳) 『ギリシア・ローマ世界地誌 II』(龍渓書舎、1994年 ISBN 4-8447-8377-7