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「ジブリル・タムシル・ニアヌ」の版間の差分

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'''ジブリル・タムシル・ニアヌ'''(Djibril Tamsir Niane, 1932年1月9日 - )は、[[ギニア]]出身、セネガル国籍の歴史学者、劇作家、短編小説家。[[コナクリ]]生まれ。[[マンデ人]]の歴史を専門にする。特に[[マリ帝国]]の研究で知られる。
'''ジブリル・タムシル・ニアヌ'''(Djibril Tamsir Niane, 1932年1月9日 - )は、[[フランス領西フリカ]]の[[コナクリ]]出身、現在は[[セネガル共和国]]国籍の歴史学者、劇作家、短編小説家<ref name="britannica" />。[[マンデ人]]の歴史を専門にする。特に[[マリ帝国]]の研究で知られる。アフリカの[[脱植民地化]]に功績があるとされる<ref name="african_success" />


== 来歴 ==
== 来歴 ==
ジブリル・タムシル・ニアヌはフランスの[[ボルドー大学]]で研究を続けて、学位(Diplôme d'études supérieures en France)もそこで取得した。ニアヌの論文は[[マリ帝国]]に重きを置いており、[[ママドゥ・クヤテ]](Mamadou Kouyaté)といった[[グリオ]]たちから[[口承|口承伝統]]を聞き取り、収録している。ニアヌの研究は、1960年に発表した研究 ''[[スンジャタ・ケイタ|Soundjata]], ou l’épopée mandingue'' (スンジャタ、或いはマンディングの叙事詩)以来、世に知られるようになった。[[国際連合教育科学文化機関]](ユネスコ)が後援した出版事業、『[[アフリカ全史]]』(l’''Histoire générale de l'Afrique'')に[[ジョゼフ・キゼルボ]](Joseph Ki-Zerbo)との共同監修で参加し、第4巻全体の編集も行っている。
ジブリル・タムシル・ニアヌは、1932年に、21世紀現在は[[ギニア共和国]]の首都になっている[[コナクリ]]に生まれた<ref name="britannica" />。[[ダカール]]で中等教育を受けたあと<ref name="britannica" />、植民地宗主国フランスの[[ボルドー大学]]で学んだ。1959年にボルドー大学にいて歴史学の学位({{lang|fr|[[:fr:Diplôme d'études supérieures en France|Diplôme d'études supérieures en France]]}})を取得した<ref name="britannica" />。ニアヌの論文は[[マリ帝国]]に重きを置いており、{{ill2|ママドゥ・クヤテ|fr|Mamadou Kouyaté}}といった[[グリオ]]たちから[[口承|口承伝統]]を聞き取り、収録している。


D.T.ニアヌの名前は、1960年に発表した小説『スンジャタ、或いはマンディングの叙事詩』({{lang|fr|''Soundjata, ou l’épopée mandingue''}})以来、世に知られるようになった<ref name="britannica" /><ref name="african_success" />。本書は、マリ帝国の始祖[[スンジャタ・ケイタ]]の生涯を小説形式で再構築したものである<ref name="african_success" />。
ニアヌはまた、''Les fiançailles tragiques'' といった戯曲作品も書いている。作家活動が原因で[[セク・トゥーレ]]体性下では投獄されるおそれがあったため、1970年代は[[セネガル]]への亡命を余儀なくされた。

[[国際連合教育科学文化機関]](ユネスコ)が後援した出版事業、『{{ill2|アフリカの歴史 (ユネスコ)|fr|Histoire générale de l'Afrique|label=アフリカ全史}}』(l’''Histoire générale de l'Afrique'')に{{ill2|ジョゼフ・キゼルボ|fr|Joseph Ki-Zerbo}}との共同監修で参加し、第4巻全体の編集も行っている。

ニアヌはまた、''Les fiançailles tragiques'' といった戯曲作品も書いている。作家活動が原因で[[セク・トゥーレ]]体性下では投獄されるおそれがあったため、1970年代は[[セネガル]]への亡命を余儀なくされた<ref name="grioo080211" />


ジブリル・タムシル・ニアヌは、[[ワシントンD.C.]] の[[ハワード大学]]名誉教授である。また、[[東京大学]]の名誉教授でもある。
ジブリル・タムシル・ニアヌは、[[ワシントンD.C.]] の[[ハワード大学]]名誉教授である。また、[[東京大学]]の名誉教授でもある。


国際的に活躍したはじめての黒人の[[モデル (職業)|マヌカン]]の一人、[[カトゥーシャ・ニアヌ]]は、ジブリル・タムシル・ニアヌの実の娘である。
国際的に活躍したはじめての黒人の[[モデル (職業)|マヌカン]]の一人、[[カトゥーシャ・ニアヌ]]は、ジブリル・タムシル・ニアヌの実の娘である<ref name="grioo080211" />


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== 発展資料 ==
== 発展資料 ==

2018年2月14日 (水) 10:09時点における版

ジブリル・タムシル・ニアヌ(Djibril Tamsir Niane, 1932年1月9日 - )は、フランス領西アフリカコナクリ出身、現在はセネガル共和国国籍の歴史学者、劇作家、短編小説家[1]マンデ人の歴史を専門にする。特にマリ帝国の研究で知られる。アフリカの脱植民地化に功績があるとされる[2]

来歴

ジブリル・タムシル・ニアヌは、1932年に、21世紀現在はギニア共和国の首都になっているコナクリに生まれた[1]ダカールで中等教育を受けたあと[1]、植民地宗主国フランスのボルドー大学で学んだ。1959年にボルドー大学において、歴史学の学位(Diplôme d'études supérieures en France)を取得した[1]。ニアヌの論文はマリ帝国に重きを置いており、ママドゥ・クヤテといったグリオたちから口承伝統を聞き取り、収録している。

D.T.ニアヌの名前は、1960年に発表した小説『スンジャタ、或いはマンディングの叙事詩』(Soundjata, ou l’épopée mandingue)以来、世に知られるようになった[1][2]。本書は、マリ帝国の始祖スンジャタ・ケイタの生涯を小説形式で再構築したものである[2]

国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が後援した出版事業、『アフリカ全史フランス語版』(l’Histoire générale de l'Afrique)にジョゼフ・キゼルボフランス語版との共同監修で参加し、第4巻全体の編集も行っている。

ニアヌはまた、Les fiançailles tragiques といった戯曲作品も書いている。作家活動が原因でセク・トゥーレ体性下では投獄されるおそれがあったため、1970年代はセネガルへの亡命を余儀なくされた[3]

ジブリル・タムシル・ニアヌは、ワシントンD.C.ハワード大学名誉教授である。また、東京大学の名誉教授でもある。

国際的に活躍したはじめての黒人のマヌカンの一人、カトゥーシャ・ニアヌは、ジブリル・タムシル・ニアヌの実の娘である[3]

著書

  • 1960, Soundiata ou l'épopée mandingue (Paris, Présence africaine)
  • 1975, Recherche sur l'empire du Mali au Moyen Âge, suivi de Mise en place des populations de la Haute-Guinée (Paris, Présence africaine)
  • 1985, Contes d'Hier et d’Aujourd’hui (Paris, Présence africaine)
  • 1989, Histoire des Mandingues de l'ouest (Paris, Karthala)
  • 1991, «Le Mali et la deuxième expansion mande» in Histoire générale de l'Afrique, vol. IV

出典

  1. ^ a b c d e "Djibril Tamsir Niane Guinean historian and writer". Encyclopaedia Britannica. 2018年2月14日閲覧
  2. ^ a b c Biography of Djibril TAMSIR NIANE”. African Success (2010年3月30日). 2018年2月14日閲覧。
  3. ^ a b Katoucha, la mode et l'excision vues par elle même : Dans ma chair, Paris 2007”. Grioo.com (2008年2月11日). 2018年2月14日閲覧。

発展資料

  • Pierrette Herzberger-Fofana, « Djibril Tamsir Niane, ou le récit historique », in Écrivains africains et identités culturelles : entretiens, Stauffenburg, Tubingen, 1989, p. 94-102 ISBN 3-923721-92-7
  • Lilyan Kesteloot, « Djibril Tamsir Niane », in Anthologie négro-africaine. Histoire et textes de 1918 à nos jours, EDICEF, Vanves, 2001 (nouvelle éd.), p. 354-362
  • Kahiudi Claver Mabana, « Les voix de démystification : Djibril Tamsir Niane, Chaka (1971) », in Des transpositions francophones du mythe de Chaka, Lang, 2002, p. 59-65 ISBN 9783906769400